私が「ケアマネ」を辞めた理由

Sunset village 看護の世界

皆さん、こんにちは。ふらふらさまよう「さまよい人」です。

私は、現在、精神科の病院で「夜勤専従」看護師として働いておりますが、実は、かつて『ケアマネジャー』として10年間ほど働いた経験があります。

今から4~5年前にその「ケアマネ」を辞めて、今在籍中の精神科の病院で再び「看護師」として働かせてもらうようになり、現在に至っております。

今回は、看護師として働いていたのになぜケアマネになったのか、そして、なぜ、それを辞めて再び「看護師」に戻ったのか、ということについて書かせて頂きたいと思います。

なぜケアマネになったのかは前段で、「なぜケアマネを辞めたのか」の方が今回の記事のメインテーマになります。

なぜ、そんな記事を書くのか?

決して、決して、ケアマネという仕事を貶めようとする意図はありません。

ただ、ケアマネを目指している方に向けて、「ケアマネ」という職種にもしバラ色の幻想を抱いておられたら実務に就いた際に幻滅してしまう恐れ無きにしもあらず、との老婆心から、そのような方に、長く続けて頂くためにもあらかじめマイナスな情報に触れておいて頂きたい、と考えました。

また、最近働き始めた方に向けては、かつての現場にはこういう面もあって、それを乗り越えて今の環境があるよ、という情報提供をさせて頂きたい、と考えたりもしました。

それが、この記事を書く目的です。

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なぜケアマネになったのか

私は、新卒ではなく少し回り道をして、30才になってから看護師の免許を取りました。

そして、看護師として働き始めて5年程経過すると、だんだんと後輩の指導等の役割も期待されるようになってきたのでした。

しかし、もともと集団行動が苦手なタイプで、しかも残念ながらコミュニケーション能力低め。
生まれつき要領悪く、何年経っても自分の仕事で精一杯。看護業界という女社会の中でひっそり息をしてきたのに、この上、責任を持たされるのは私にとって負担過大かつストレス過剰。
続けるのキツイなぁ…と仕事に限界を感じていた頃、「ケアマネ」という資格について知ったのでした。

「ケアマネ」の資格について調べると、看護師職歴5年経過した自分には受験資格があることがわかりました。
そこで、新たな可能性を切り開くことを夢見ながら資格試験を受けてみることに。

自分なりに頑張って勉強して受験した結果、何とか合格。
無事資格が取得できたので、看護師辞めて「ケアマネ」として働くことにした、というわけです。

ケアマネとしての働き方 私の場合

では、かつて私がケアマネとしてどういう働き方をしていたのか、について。

現在、私は、精神科病院の看護師として働いておりますが、5年前までは、老人保健施設併設の『居宅介護支援事業所』に在籍させてもらって、正社員の居宅介護支援専門員(ケアマネ)として働いておりました。

在籍当時は、だいたい30~40件ぐらいのケースを担当しケアプランを作成。
その事業所で、ケアマネとして合計10年間働かせて頂きました。

私が働かせてもらった居宅介護支援事業所は、勤務日はほぼカレンダー通り。
日曜+祝祭日は、定期的に法人の事務所当番が回ってきてその時は休日出勤しましたが、それ以外は休み。公務員のような働き方をさせてもらっていました。

待遇(賃金)は、看護師時代に比べると、夜勤もなかったし労働組合のようなものもなかったので、正直低かったです。

しかし、昼間の仕事だしデスクワーク中心だったので、体の方はとても楽でした。
看護師からケアマネへ替わって働き始めた当初は、椅子に座ってパソコンに向き合っている時間が長いので「こんなに座っていていいのかな?」と理由もない罪悪感に襲われることもありました。(すぐ慣れましたが……)

私が働いたのは老人保健施設に併設された居宅介護支援事業所でしたが、老健からは独立していて老健入所者のケアプランはノータッチ。
地域へ出て、在宅の方のケアプランを担当していました。

私は、正直なところ肉体労働よりもデスクワークの方が好きだったので、看護師からケアマネに替わった当初は、やっと自分に合った職種に就くことが出来た、と喜んだものです。

なぜケアマネを辞めたのか

ではなぜ、ケアマネを辞めたのか?

前置きが長くなりましたが、ここからがこの記事のメインテーマです。

ケアマネを辞めた理由は、主に以下の4つです。

  1. 何でも屋さん、便利屋さんのような扱いに疲れた。
  2. 国の制度改正に振り回されるのに嫌気がさした。
  3. 重箱の隅をつつくような行政の指導・監査に対応していく意欲が続かなくなった。
  4. 所属法人からの同一法人サービス優先利用圧力に心が疲れた。
  5. 帰る場所があった。

簡単に説明していきます。

【理由1】何でも屋さん、便利屋さんのような扱いに疲れた

ケアマネの仕事は、本業は、介護保険を支えるケアプランの作成です。
しかし、地域で在宅介護をしている方のケアプランを作成しようとする場合には、ケアプランだけ作成して終わり、というわけにはいかないケースが多々ありました。
介護保険の対象となるのかならないのかはっきりしないという相談事も多くあり、一人一人のケアマネさんの個人的な裁量に委ねられている部分がかなりあったように感じられました。

ドライなケアマネさんは、ケアプラン作成する中で受けた相談事でも、ケアプラン作成から少しでもそれていると思われる相談事は『私の管轄ではありません』とスパスパ切り捨てるし、面倒見の良いケアマネさんは、それはどう考えてもケアプラン作成には関係ないでしょうというような相談事にも対応して、周囲が心配するぐらいケースに深入りしたりするし…

地域の在宅介護を支えるケアマネさんに顕著だと思うのですが、「居宅介護支援」という業務が、歴史が浅く行政が頭で作り出した仕事ということもあって、ある意味、何でも屋さん的な感じがしました。
親切心を発揮していると、時に泥沼的になってしまうことも。

ケアプラン作成を基盤として関わる中で、関わり過ぎると依存させてしまうし、自立促進とばかりに突き放すと、何となく自己嫌悪に陥る…

そういうことに疲れた、というのが、ケアマネを辞めた理由の一つです。

【理由2】国の制度改正に振り回されるのに嫌気がさした

「居宅介護支援」という業務は、介護保険制度で『在宅介護』を支える要(かなめ)の役割とされています。
介護保険を運用するにあたっての重要な役割を担っているということで、介護保険制度という行政の取り決めがすべての業務の土台になっています。

その中でも、とりわけ「介護報酬」への対応は、ケアプラン作成を左右する大きな要因の一つでした。

介護保険では介護報酬の改定が3年おきに行われる事になっているのですが、介護報酬改定のたびに、現場は右往左往させられたものでした。

保険制度なのだから仕方がないことだし、これは介護業界だけではなく、医療業界においても医療報酬改定に左右されるのは同じ。他の業界でも行政の采配に振り回されるのは同じこと。
頭では分かるのですが、制度に振り回されている感じがしてヘトヘトになりました。

介護報酬改訂のたびに右往左往。
国(厚労省)に振り回され、職種がもともとそういう立ち位置なので当然のことではあるのですが、まさしく「制度の僕(しもべ)」という感覚を日々味わい続けていた気がします。

今思えば甘えた幼い考えですが、厚労省に利用される立場というのが露骨に感じられて嫌になっていきました。それも、ケアマネを辞めた理由の一つです。

【理由3】重箱の隅をつつくような行政の指導・監査に対応していく意欲が続かなくなった

どんな仕事でも行政の支援や保護を受ける以上、行政の指導や監査を受けるのは当然で、「居宅介護支援事業所」も定期的に行政の指導や監査を受けます。
おそらく金融や不動産等々の他業界に比べたら緩いのだろうとは思いますが、ケアマネ事業所も県や市の指導、監査を何年かおきに受けます。
で、その際には、前回受けた指導以降の居宅介護支援(ケアプラン作成)について、担当官の人から聞き取り調査のようなものを受け、必要に応じて指導して頂きます。

私が所属していた事業所では、行政からそうした実地指導に赴く旨の通知があったら、そこから大慌てでこれまでのケアプランの見直しや書類の修正・補充等を行っていました。

ケアプランの細かい文言の修正や日付の修正等々、周囲から見たらどうでもいいように思える点を一所懸命直したり付け加えたり削ったりしたのを思い出します。
それは、ちょこちょこっとやって終わるような簡単なものではなくて、何日もかかる結構大変な作業でした。

これは、決して行政がいじわるをして重箱の隅をつついていると言いたいわけではありません。
業務の性格上仕方のないことだと十分理解しています。

ただ、私の場合は、こうした生産性があるとは言えない作業を、この先も何年かおきに繰り返さなければならないということに、どうも意欲を持ち続けられなくなった、ということです。
それも、ケアマネを辞めた理由の一つです。

【理由4】所属法人からの同一法人サービス優先利用圧力に心が疲れた

介護事業法人は介護保険関連サービスを複数運営している場合が多く、ケアプラン作成にあたっては、デイサービスやヘルパー等々介護サービス導入の際、所属法人が運営しているサービスを優先的に導入することを求められる場合が多いです。

まぁこれは、経営サイドから見れば当然のことだと思いますし、それが嫌なら独立してやれよ、という話。
理解できますし、私が経営者でもきっとそのように要求するでしょう。

ただ私が疲れたのは、『サ高住』(サービス付き高齢者住宅)のケアプラン作成の作業でした。

だいぶ前の話になるのですが、所属法人が「サービス付き高齢者住宅」略称『サ高住』を新設。
そこのケアプランを作成することになったのですが、その際、必要以上(と思われるぐらい)に自社のデイサービスやヘルパー等々介護サービス導入を求められたのでした。

これは、私が所属した法人に特有のことではなくて、当時は全国で同様のことが行われていました。
私は経営側に所属した経験がないので詳しい所は分かりませんが、そもそも『サ高住』というサービスを維持していくには、どうもそうせざるを得ないような環境だったようです。

その件については、【『サ高住』自社サービス押しつけ!】みたいなちょっと過剰と思われるような報道が、何年か前マスコミ等で結構行われたことがあったのでご存知の方も多いかと思います。

私が関わっていたのはそうした行政指導が大々的に行われる以前の話なので、きっと現在は、経営者からのそこまで露骨な自社サービス導入圧力はなくなっているだろうと思います。

話を私の場合に戻しますと、新設『サ高住』ケアプラン作成に当たって経営者からの強い自社サービス導入要請というのは、別に違法行為を要求されたわけではなくて、経営的にはごく常識的な要請なのだろうと頭では理解できました。
しかし、利用者さんそっちのけの利益最優先の姿勢に見えて、それはまるで、日々、どんよりした雲が空を覆っているような重い空気の中に押し込められていくような感覚でした。

だんだんと、この先もずっとこのような仕事をしていくのかと考えると心が勇めなくなっていきました。
それも、ケアマネを辞めた理由の一つです。

【理由5】帰る場所があった

以上、あれこれケアマネを辞めた理由をダラダラと書き連ねましたが、しかし、実際に辞める最終決断をする上で最大の援軍となったのは、やはり何と言っても、帰る場所があった、ということでしょう。

どんな仕事でも嫌なことや面白くないことはあるもの。
皆、それでも、そこを辞めてしまうとその先がどうなるか不安だし、当てがないから、辛くても歯を食いしばって踏みとどまっているのではないでしょうか。

私の場合でも、ケアマネとして仕事する中でこれまで述べてきたような様々な嫌なことがあったとしても、そのケアマネを辞めてしまうとこの先どうなるか分からない、というような状況であったなら、やっぱり歯を食いしばって続けた(続けざるをえなかった)と思います。

しかし、…私には「元職」=看護師、という道がありました。
以前の職場(病院)には戻れなくても、看護師という資格があれば、自分の環境や立場に合った働き口を見出すことは容易でした。

帰る場所がある。ケアマネを辞めても食べていく道はいくらでもある。

自分がそういう状態であったことこそが、最終的にケアマネ辞職の決断に踏み込むことができた大きな理由の一つであることは間違いありません。

おわりに

私が「ケアマネ」を辞めた理由について、思いつくままに書いてみました。

冒頭にも書きましたが、決して、決して、ケアマネという仕事を貶めようとする意図は全くないことを繰り返しておきたいと思います。

ケアマネという仕事は、これからの日本の高齢社会を支えていく上で、介護保険を適切に維持していくためにも、本当に必要不可欠の大事な仕事だと思います。

私は途中から違う道へ進むことになりましたが、今「ケアマネ」として働いておられる方、これから「ケアマネ」になられる方には、ぜひとも、今後も高齢社会を支える要として奮迅の働きをお願いしたいばかり、そういう気持ちです。

今回の記事は、ケアマネという仕事がより良いものになることになることを願いつつ、より良い社会を作り出すために苦労しておられるケアマネさん達に、かつてその仕事に携わった経験のある者からの「エール」の意味も込めてまとめました。

ではでは、今回はこのへんで。

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