Dear everyone,
こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。
このたび、2022年(令和4年)10月26日、御本部秋季大祭の後、真柱様が、教祖百四十年祭に向けて『諭達 第4号』をご発布下さいました。
ネットを検索すると、既に、あちこちのサイトで全文掲載して下さっています。
近日中に『天理時報』でも全文掲載されると思いますが、私も、自分自身が「原文」をしっかり「味わう」ことを目的として、今回の記事で取り上げたいと思います。
このたび新たにご発布下さった『諭達』の内容に踏み込んでその解釈うんぬん…といったことは致しません。…というより、私の能力ではできません(赤面)
ただ、真柱様のお言葉をじっくり味わうことが目的です。
4代真柱(中山善司)様による『諭達 第4号』全文
諭達第4号 立教185年(2022年)10月26日発布
諭 達 第 四 号
立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。
親神様は、旬刻限の到来とともに、教祖をやしろとして表にお現れになり、世界一れつをたすけるため、陽気ぐらしへのたすけ一条の道を創められた。
以来、教祖は、月日のやしろとして、親神様の思召をお説き下され、つとめを教えられるとともに、御自ら、ひながたの道をお示し下された。
そして、明治二十年陰暦正月二十六日、子供の成人を急き込まれ、定命を縮めて現身をかくされたが、今も存命のまま元のやしきに留まり、世界たすけの先頭に立ってお働き下され、私たちをお導き下されている。
この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である。
おさしづに、
ひながたの道を通らねばひながた要らん。(略)ひながたの道より道が無いで。
(明治二十ニ年十一月七日)
と仰せられている。教祖年祭への三年千日は、ひながたを目標に教えを実践し、たすけ一条の歩みを活発に推し進めるときである。
教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ、どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。
あるときは、
「水を飲めば水の味がする」
と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、
「ふしから芽が出る」
と、成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。
さらには、
「人救けたら我が身救かる」
と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。ぢばを慕い親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂ける。この五十年にわたるひながたこそ、陽気ぐらしへと進むただ一条の道である。
今日、世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や刹那的行動があふれ、人々は己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路をさまよっている。
親神様は、こうした人間の心得違いを知らせようと、身上や事情にしるしを見せられる。頻繁する自然災害や疫病の世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、てびきである。一れつ兄弟姉妹の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている。
よふぼくは、進んで教会に足を運び、日頃からひのきしんに励み、家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。身上、事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治りを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。親神様は真実の心を受け取って、自由の御守護をお見せ下される。
教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。
立教百八十五年十月二十六日
真 柱 中 山 善 司
『諭達 第4号』分解
ご発布下さった『諭達 第4号』を分解して味わいたいと思います。
立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。
次なる年祭、教祖140年祭は、2026年(令和8年)1月26日に執り行われる予定と聞かせて頂いております。
親神様は、旬刻限の到来とともに、教祖をやしろとして表にお現れになり、世界一れつをたすけるため、陽気ぐらしへのたすけ一条の道を創められた。
【旬刻限】
天理教立教の時、すなわち天保九年(1838)10月26日をあらわす語。
時候や季節、特に物事の最も充実した時をあらわす「旬」と、特に限定した時をあらわす「刻限」との合成語である。
天理教は、中山みきがつきのやしろと定まった時にはじまる。この時は、「元始まりのお話」によれば、人間創造の時、夫婦の「ひながた」となった「うを」と「み」、「最初産み降ろす子数の年限(九億九千九百九十九)がたったなら神として拝をさす」(『天理教教典』第3章参照)と親神が約束した時である。
つまり、この時は人間創造の時に予定されていたといえよう。天理教では「旬刻限の理」として、立教の時間的限定面からの重要な契機とされている。
(『天理教事典』より)
【たすけ一条】
一般的に「たすけ」とは、他のものの成立を助勢する意味であり、「一条」とは「ひたすら」と同義である。天理教では「たすけ一条」と熟語化し「たすけのために専心すること」を意味している。
人に助かってもらいたいという心で日々を歩むことを意味している。
この心は親神の思いにひたすら添う行動であり、生き方である。
親神は「たすけ」の方法として「つとめ」と「さづけ」を教えられた。
親神は「つとめ」を以って自由自在の守護を世界全般に示し、「さづけ」を以って病気で苦しむ人々のたすけを示されたのである。
なお、現在「おたすけ」という時は、布教あるいは「修理・声」という意味で使われている。
「おふでさき」に「月日にハせかいぢうゝハみなわが子 たすけたいとの心ばかりで」(おふでさき8:4)とあり、親神は全ての人間を「陽気ぐらし」させたいとの思いから、教祖を「やしろ」として、この世に現われ、「全ての真実を明らかにし「たすけ一条」の道を教えられた。
人間は「たすけ一条」の道を通る方法として教えられた「つとめ」や「さづけ」により、親神の思いである「陽気ぐらし」の世界を、この地上に実現することができるのである。
(『天理教事典』より)
以来、教祖は、月日のやしろとして、親神様の思召をお説き下され、つとめを教えられるとともに、御自ら、ひながたの道をお示し下された。
【月日のやしろ】
教祖の立場を示す言葉。「神のやしろ」とも言われる。「月日」は親神を表わした言葉であり、「やしろ」は社であり、一般に「神がいますところ」を意味する。
つまり、親神がこの地上に顕現し自己を啓示した事実は、何にもまさって「教祖を通して」、ないしは「教祖において」である。
その意味から、教祖の存在は、この地上的人間世界にあって、「親神がいますところ」となり、教祖こそ、この地上に自己を限定してあらわれた親神、いわば「地上の月日」であるという教祖についての教義がその内容をなしてくる。
(『天理教事典』より)
【ひながた】
一般的なひながた(雛形・雛型)の語義は、実物をかたどったもの、模型、原型ないしは様式、見本などである。
たとえば、「一寸のしながた」(ふ9・45)、「かんろだいの雛形」(さ21・11・11)、「夫婦の雛形」(『天理教教典』第3章)などの用い方は、この一般的な意味を直接ふまえた表現である。
もとより、この一般的語義にもとづいた用法ではあるが、特別に教語として取り上げられるべき「ひながた」は、教祖が「月日ひのやしろ」としての立場で歩まれた50年間のご生涯を、信仰生活の手本として仰ぎ、それを目標にして信仰生活を進めるべきであるという教理を含んだものである。
そして、この場合、他と区別する意味もあって、「ひながた」と仮名書きでつかうことが多い。
「教祖のひながた」とか「教祖ひながたの道」などと言われる。
教祖が天保九年(1838)より親神のやしろとしての立場において歩まれた50年間の道すがらを、信仰的に手本、雛形と仰いだ表現である。
これは信仰生活の具体的な目標を、教祖が通られたご生涯の歩みの中に見つめ、それを手本として信仰の足どりを進めるように教えられたことによる。
次のおさしづの一節は、そのことを端的にさとしたものである。
「ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。
これをよう聞き分けて、何処から見ても成程やというようにしたならば、それで良いのや。
十年あとの道は、どんなことを説いても、いか程説いても、そんな事は無い、何を言うやらと言うと居たのや。
国々のものやない。そこからそこの者でも分からなんだ。
なれど十年経ち、二十年経ち、口に言われん、筆に書き尽せん道を通りて来た。
なれど千年も二千年も通りたのやない。
僅か五十年。五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。
二十年も十年も通れというのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。
僅か千日の道を通れというのや。
千日の道が難しいのや。
ひながたの道より道が無いで。何程急いたとて急いだとていかせんで。
ひながたの道より道無いで 」
(さ22・11・7)
ここで教えられているのは、教祖が「月日のやしろ」となられてから、その現身をかくされるまでの50年間の道すがらは、親神が望まれる、あるべき人間生活実現のための、いわば範例であり、万人が拠るべき手本であるということになる。
教祖は世界たすけの親神の御心そのままに、「陽気ぐらし」という人類の理想生活を実現する筋道を教えられたのであるが、それと共に、どんな中をも「神一条」で明るく勇んで通られ、陽気ぐらしを実現していくべき具体的な方向を、自らの行為に示して教えられた。
つまり、教祖は陽気ぐらしへの道を説き明かし、記し教えられたばかりでなく、親しく、人々の手を取って導かれたわけである。
天理教者が教祖を「ひながたの親」と仰ぎ慕っている理由がそこにある。
したがって、教祖の伝記は、単に競争をしのび、その徳をたたえるものためのもの、というより、むしろ、陽気ぐらしへの道をたどり、心の成人を目指す信仰生活に、その拠り所を与えるものとして重要な意味を持っている。
教祖の道すがらこそ、まさに教理の具現化されたものであり、温かく血のかよった教理であると言うことができる。
その意味から、天理教信仰を進めるにあたり、親神の教えを原典に求めると同時に、その具体的な歩み方を教祖ひながたの道すがらにたずね、それを指標として、その足どりを素直にたどる とが大切であると言われている。
(『天理教事典』より)
そして、明治二十年陰暦正月二十六日、子供の成人を急き込まれ、定命を縮めて現身をかくされたが、今も存命のまま元のやしきに留まり、世界たすけの先頭に立ってお働き下され、私たちをお導き下されている。
この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である。
おさしづに、
ひながたの道を通らねばひながた要らん。(略)ひながたの道より道が無いで。
(明治二十ニ年十一月七日)
と仰せられている。教祖年祭への三年千日は、ひながたを目標に教えを実践し、たすけ一条の歩みを活発に推し進めるときである。
教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ、どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。
あるときは、
「水を飲めば水の味がする」
と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、
「ふしから芽が出る」
と成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。
【ふしから芽が出る】
ふし(節) とは?
天理教勉強blog>天理教用語解説「ふし(節)」より
天理教ではよく、「ふし(節)」や「ふし(節)から芽が出る」といった言葉を使います。
木の節から芽が出て、花が咲くように、人生において現れる困難や苦しみを「ふし(節)」と捉えて、陽気に勇んで、そこから幸福の花を咲かせようという心になることが大切です。
「成つて来るのは天の理」とも仰せ下されています。
どんな身上、事情の悩みも、すべて親神様がその人の心の成人を促すための、深い思し召しがあってのことで、偶然ではありません。
そのような悩み、すなわち「ふし(節)」の中で、「たんのう」の心を治め、「ひのきしん」に勇む心になるとき、その「ふし(節)」から立派な芽を出すことに繋がります。
教祖(おやさま)は、いかなる「ふし(節)」に直面しても、常に陽気に勇んでお通り下され、「ふし(節)から芽を出す」「ひながた」をお示し下されました。
この「ふし(節)から芽が出る」という言葉は、教祖(おやさま)の一年祭の時、官憲の圧迫という「ふし(節)」に直面して仰せられたのが初めです。
この「ふし(節)」から、教会本部設置許可という芽が出ました。
このようなことから、教祖(おやさま)のご年祭の年も「ふし(節)」と言われています。
さらに、「十年一節」とも言われ、教祖(おやさま)の十年ごとの各ご年祭は特に大きく「節(ふし)」と言われます。
この場合は、悩みや苦しみという意味よりも、ひと区切りという意味合いの方が強いですが、いずれにせよ、そこから芽を出して育っていくことが肝要です。
さらには、
「人救けたら我が身救かる」
と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。ぢばを慕い親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂ける。この五十年にわたるひながたこそ、陽気ぐらしへと進むただ一条の道である。
今日、世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や刹那的行動があふれ、人々は己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路をさまよっている。
親神様は、こうした人間の心得違いを知らせようと、身上や事情にしるしを見せられる。頻繁する自然災害や疫病の世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、てびきである。一れつ兄弟姉妹の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている。
【てびき】
手引き、案内の意味である。
親神は人間救済のために、いろいろな事象、特に身体のわずらいや事情のもつれなどを通して、現実のあり方に対する反省を促し、人生の正しい方向を指示して、救いの道へと導かれる。
こうした身近な場面における救済のあり方からすれば、例えば身をわずらい、困難な問題にあうことなどは、正しい生き方を志向する契機ともなるし、救いの道に踏み出す土台ともなるわけである。
つまり、それは、 神の「てびき」の現われとして認識されるべきものである。
(『天理教事典』より)
よふぼくは、進んで教会に足を運び、日頃からひのきしんに励み、家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。身上事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治りを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。親神様は真実の心を受け取って、自由の御守護をお見せ下される。
【においがけ】
原典では「におい」は「にほひ」(み7・1)、または「にをい」(さ25・6・4ほか)と表記され、「にをいがけ」という熟語で使用する例はなく、「にをい掛ける」「にをい掛かる」などと使用されている。
今日では、「にをいがけ」と一つの成句として使用され、「にをいがけをする」という言い方が一般的となっている。
「にをいがけ」とは「匂いを掛ける」ということで、花が良い匂いを発散すれば虫が誘引されるということから、信仰に誘うことを「にをいがけ」と言う。
積極的に神の恵みを取り次いで救けることは「おたすけ」と呼ばれ、「にをいがけ・おたすけ」で布教伝道を意味する場合が多い。
(『天理教事典』より)
【つとめ】
天理教で「つとめ」または「おつとめ」と呼ばれるものは、天理教の祭儀の中心となるものであって、特に恒例の祭典はつとめをつとめることが主要行事である。
このつとめは、基本的形式のものやその変異形とみられるものなど、幾つかの種類が見られる。
一つは、親神がこの世に御現れになった目的の一つである「たすけ」(救済)を実現するために教えられたつとめで、これにもいくつか種類があるが、その中で最も根本的で重要なものは、「ぢば」において「かんろだい」を囲んで行われるつとめで、一般の教理書において「つとめ」といって説明してあるものは、このつとめである。
これに対してもう一つのつとめは、人間が神(親神)に向かって、感謝したりお祈りしたりするために教えられたもので、「朝夕のつとめ」と呼ばれるものである。
(『天理教事典』より)
【さずけ】(語義)
さづけは「つとめ」と共に「たすけ一条の道」(『天理教教典』第2章)と言われて、特別な救済手段である。さづけをすること、すなわち、さづけの理を取次ぐことによって、親神の特別な守護が得られる。
さづけは「授けること」「授けるもの」などの意味を持つ言葉であるが、ここでの意味は大体、恵みを授ける手段ということである。さづけという手段によって、さづけの取次人は親神の恵みを病人に取次ぐ(仲介する)のである。さづけを通しての恵みは「さづけの理」と言われるので、詳しく言えば「さづけをする」ことは「さづけの理を取次ぐ」と言われるが、一般には略して「さづけを取次ぐ」と言う。
(『天理教事典』より)
教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。
【一手一つ】
一般に「いって」という場合、「いってに引き受ける」「品物は皆一手ですよ」と用いるが、天理教では「一手一つ」という場合、幾人かの人がばらばらの心や別々の行動をとるのでなく、真底ひとつ心になること。また一つの行動をとること。
それには道の理に心を合わせ、互いに立て合い扶け合うことが基本である。
教典には
「一手一つの心に、自由の守護が頂ける。いかに多くのものが相集まっても、一手一つの理を欠くならば、親神に受け取って頂けない。人皆、相互に一つの道の理に心を合わせ、互い立て合い扶け合うてこそ、陽気に勇んで生活していける。」(『天理教教典』94頁)
と述べてある。
(『天理教事典』より)
『諭達 第4号』全文再掲
最後に、もう一度、全文を掲載します。
諭 達 第 四 号
立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。
親神様は、旬刻限の到来とともに、教祖をやしろとして表にお現れになり、世界一れつをたすけるため、陽気ぐらしへのたすけ一条の道を創められた。
以来、教祖は、月日のやしろとして、親神様の思召をお説き下され、つとめを教えられるとともに、御自ら、ひながたの道をお示し下された。
そして、明治二十年陰暦正月二十六日、子供の成人を急き込まれ、定命を縮めて現身をかくされたが、今も存命のまま元のやしきに留まり、世界たすけの先頭に立ってお働き下され、私たちをお導き下されている。
この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である。
おさしづに、
ひながたの道を通らねばひながた要らん。(略)ひながたの道より道が無いで。
(明治二十ニ年十一月七日)
と仰せられている。教祖年祭への三年千日は、ひながたを目標に教えを実践し、たすけ一条の歩みを活発に推し進めるときである。
教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ、どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。
あるときは、
「水を飲めば水の味がする」
と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、
「ふしから芽が出る」
と、成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。
さらには、
「人救けたら我が身救かる」
と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。ぢばを慕い親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂ける。この五十年にわたるひながたこそ、陽気ぐらしへと進むただ一条の道である。
今日、世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や刹那的行動があふれ、人々は己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路をさまよっている。
親神様は、こうした人間の心得違いを知らせようと、身上や事情にしるしを見せられる。頻繁する自然災害や疫病の世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、てびきである。一れつ兄弟姉妹の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている。
よふぼくは、進んで教会に足を運び、日頃からひのきしんに励み、家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。身上、事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治りを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。親神様は真実の心を受け取って、自由の御守護をお見せ下される。
教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。
立教百八十五年十月二十六日
真 柱 中 山 善 司
今回の「彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】」では、
新たにご発布頂いた天理教『諭達 第4号』をじっくり味わいました。
ついに、教祖140年祭へ向けての『諭達 第4号』が発布されました。
いよいよ、教祖年祭へ向けた年祭活動がスタートします。
少しでも、おやさまの年祭を「成人」の機会にすることができるように、いんねんによってお与え頂いた場所・環境を通して、精一杯努めたいものであります。
人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。
ではでは、今回はこのへんで。
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