相変わらずふらふらさまよっている「さまよい人」です。
私は、現在は50代後半ですが、30代の時に「看護師」免許を取得しました。
ですから、今から20年以上昔の話になってしまうのですが、新卒でなくて少し寄り道をしてから一年発起して「看護師」免許を取得した私の道筋について、紹介させて頂こうと思います。
まず今回は、その前編として、「准看護士」までの道筋について紹介させて頂きます。
看護業界とは無縁だった方が、一念発起して「看護の世界」を目指そうとする際に、多少なりとも参考になることを願って。
なぜ看護の世界へ進んだのか
「准看護士」までの道筋について紹介する前に、まず、そもそも看護師への道を歩むに至った理由について簡単に述べさせて頂きます。
プロフィールにも書いてあるように、私は家が天理教だった関係で、高校から天理の学校へ行きました。天理で12年間過ごし、地元へ帰ってきたのは27歳の時でした。
地元へ帰ってきて、天理教教会の御用に専念すれば、迷いのない筋の通った一貫性ある人生になったと思うのですが、「さまよい人」である私は、天理教の御用に専念する気持ちになれず、実家復帰後、アルバイトを始めました。
資格も社会経験も皆無だった私が始めたアルバイトは、自宅からわりと近い老人病院での介護助手の仕事でした。介護とか福祉とかに関わるような仕事なら、自分に縁のある教会関係者からの理解が得やすいかも…という打算も多少ありました。
で、介護助手の仕事を始めてしばらくすると、そこの事務長さんから、「若い男がオシメ交換や食事介助ばかりやっていても張り合いがないだろう。准看護士の資格でも取ったらどうか。」と声をかけて頂きました。
それが、私と『看護の世界』の出会いになりました。
看護の世界の門を叩く
今でこそ病院に男性看護師がいるのは当たり前の光景ですが、今から30年ぐらい前の平成初期の頃は、男性看護師というのはまだまだ珍しい時代でした。
当然私も、その話を頂いても、「男が看護?」と頭の中はハテナ状態でしたが、聞けば病院で働きながら学校へ通える、学費は何とかなる、とのことだったので、あまり深く考えることなく准看護婦養成学校の門を叩いたのでした。
そこが私の『看護の世界』の入り口です。
平成初期の当時は、まだ「看護師」という呼び方はなくて「看護婦」というのが正式名称でした。当然、「准看護師」という呼称もなく「准看護婦」というのが正式名称でした。
そしてその中でも、男は「看護士」「准看護士」と呼ばれていまして、ですので、今と違って「かんごしさ~ん」と呼べば、それは、かつては、その音だけで男の看護職員を指していたというわけです。
それはさておき、当時働いていた病院の事務長さんの声かけで准看護士を目指すことになったわけですが、少し回り道をした者が准看護士の資格を取得する為にはどのような道筋を辿るのか、という今回のテーマについて、当時はこうだったという形になりますが、以下、少し情報提供させて頂きます。
私の准看護士への道筋
私は断言できます。もしも、私が20代後半で天理から実家へ帰った当時、今から約30年近く前になりますが、働きながら准看護士を目指せるという准看護学校が存在していなかったら、私が看護師になることはなかったでしょう。というか、なれなかったと思います。
当時は准看護学校が日本中に山ほどあって、それが、子育てを終えたママさん達や、他の仕事をしていたけれども一念発起して新たな道を探ることにした中年の方々などが、「看護の世界」へ進むにあたっての、貴重な入り口になっていました。
また、看護婦不足という社会背景もあったようで、病院で働きながら看護学校へ通う、というのは、この業界ではまったく違和感のない、むしろありふれた光景でした。
最近は、全国至るところに看護大学ができたり大学の中に看護学部ができたりして、看護師の高学歴化が進行しています。准看護師をなくす動きが進行していて、准看護学校がどんどん廃校になっているとも聞いています。
きっと今は、中年者が働きながら『看護師』を目指すのは、とてつもなく難しいのではないでしょうか。
私が天理から実家へ帰った際に、働きながら准看護士を目指せるという准看護学校が存在していなかったら、看護学校を勧められても、ムリムリ…とハナから相手にすることもなかったに違いありまん。
ですが、当時は、おじさんおばさん等で一念発起した人が「看護の世界」の扉を叩くための准看護学校という入り口が全国津々浦々にあって、少しトウが立ったような人をもやさしく受け入れてくれる器がありました。働きながら通えるため経済的な敷居も低く、気持ちさえ固まれば、その道へ足を踏み入れるというのはそんなに難しいものではありませんでした。
そして、私もそこを利用させて頂いた、というわけです。
私は、アルバイトで入った病院で介護助手の仕事をしながら、准看護学校へ通いました。
30年近く前の話なので記憶が曖昧になってしまっているのですが、確か、午前中病院で仕事をして、午後から学校へ行っていたと記憶しています。
子育てを終えたママさんや、前の仕事が合わなくて看護婦の資格を取ろうと思ってきた、という方が大勢居ました。平均年齢は高かったと思います。
履修期間は2年間でした。
1年目は授業中心で、1年目の終わり頃から実習が増え、2年目は実習中心でした。
准看護師になるための詳しい道筋については、「日本准看護師連絡協議会」のホームページに詳しく記載してあります。
一念発起して「看護の世界」の扉を叩こうと思われる方、ぜひ参照してください。
准看護学校へ通って思ったこと
准看護学校へ通って思ったことを、以下記してみます。
准看護士の資格は、回り道した者が「看護の世界」へ足を踏み入れるにあたっての、この上ない貴重な入口になっている、と思います。
働きながら通える。そこまでカリキュラムがタイトでない。そのような面で准看護学校は、看護の世界へ踏み込むにあたっての敷居を下げてくれて、異質な人材の看護世界参入の可能性を広げてくれているように思います。
そして、異質な人材が看護世界へ本格的に参入するための入り口にもなり得ると思います。
私は、准看護学校を卒業して、その勢いで、正看護士を目指すべく正看護師の看護学校へ進学したのですが、まだ看護の世界について何も知らない頃に、いきなり看護師を目指そうと勧められていたとしたら、「それはちょっとカンベンして下さい…」と断っていたように感じます。
ビジネスの世界等でも「まずは小さく始めよ」とよく言われますが、准看護士という低めのハードルだったから、異質な人間でも、まぁちょっとやってみようか、とスタートが切れて、その延長として正看護師へと進むことができたように感じます。
おそらくそのような人は、私以外にもそれなりに潜在していると思うのですが、どうでしょうか。
しかし、准看護師資格をなくす話は年々進行していて、この先どんどん准看護学校はなくなっていく方向のようです。
准看護学校には回り道したような学生が多く、新たな刺激を受けることができたりして視野を広げることができる、という意味でも、准看護学校なくならないでほしいなぁ、と私は思ったりするのですが…。
私の「個人的な」准看護学校へ通って感じたことも、おまけのような形でちょっと記させて頂きます。
私は、准看護学校に通って、改めて、学ぶ楽しさを知りました。
高校を卒業し天理教の専門学校を卒業して、しばらく勉強らしいことをしていませんでしたが、久しぶりに看護学校へ通って授業を受けた時には、本当に「あぁいいなぁ…」としみじみその余韻に浸ったものでした。
人間、知らなかったことを新たに知るというのは本来楽しいことだ、とはテレビ番組等でもよく言われることです。准看護学校通学当時は、まさにそのことを実感することが出来ました。
社会人学習の重要性があちこちで叫ばれていますが、私のささやかな体験からも、それは本当に大切なことで意味のあることだと感じられます。
そして正看護士へ
2年間の准看護学校の過程を経て、2年次卒業前に、無事「准看護士」資格取得。
(ちなみに、「准看護師」資格は、看護師が厚生労働大臣が認定する国家資格であるのに対して、都道県知事が認定する免許、という扱いになります。)
軽い気持ちで扉を叩いた「看護の世界」でしたが、学び始めると勉強になることが大変多く、准看護学校通学の後半からは、准看護士で終わるのは残念、もっと勉強したい、という気持ちがかなり高まりました。
そして、当時働いていた病院からは難色を示されましたが、ありがたいことに教会関係で強く反対されることがなかったこともあり、最後まで通えるかどうか不安はありましたが、思い切って正看護学校へ進学することを決意したのでした。
正看護学校以降については、後編で紹介させて頂くことと致します。
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