皆さん、こんにちは。ふらふら彷徨う「さまよい人」です。
「さまよいブログ」へようこそ。
2月5日記事、2月12日記事で、岡田斗司夫という評論家に触れて以来、YouTubeのオススメに上がってくることもあって、岡田斗司夫氏の言説に触れる機会が非常に増えました。
YouTube等で、頻回に岡田斗司夫氏が言っていること。
それは、岡田斗司夫氏の処女作『ぼくたちの洗脳社会』、それの改訂版である『評価経済社会』という本で、これからの未来予測はすべて書き切っている、という話でした。
そこまで言われると、どんなことが書いてあるのだろう…と気になります。
そこで、さっそく、岡田斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』(朝日新聞社)という本を取り寄せて読んでみました。
とりあえず、『ぼくたちの洗脳社会』を読んでみました。
続いて、それの改訂版であるという『評価経済社会』(ダイヤモンド社)という本も取り寄せて、それは『ぼくたちの洗脳社会』の改訂版でしたので、ザっと流し読みしてみました。
それによって、まだ表面的な触れ方しか出来ていませんが、今まで全くと言っていいほど理解できていなかった岡田斗司夫氏が主張している内容の輪郭というものを、本当に浅い浅いレベルなんですが、かすかに感じることが出来るようになってきました。
全く表面的な浅い理解であることは間違いないのですが、それでも、そういうレベルのまとめでも、参考になる人はきっと居ると思いまして、今回は、それを紹介することにします。
岡田斗司夫氏の未来予測に関心がある人もない人も、ぜひ最後まで読んでいってください
『ぼくたちの洗脳社会』と『評価経済社会』の内容
『ぼくたちの洗脳社会』(朝日新聞社)という本は、1995年に出版された本です。
今から27年も前の本です。
世の中に、まだFacebookだとかTwitterとかなくて、この本の中では、パソコン通信、NIFTYフォーラムなどという言葉が使われています。
そんな昔に書かれた本なのですが、読んでみると、とてもそんな昔に書かれた本とは思えません!
岡田斗司夫氏がYouTubeのあちこちで自慢している通り、本当に、現在の状態を見事に言い当てています。
それの改訂版である『評価経済社会』という本は、2011年に出版されています。
16年という時代の流れを受けて、用語や章立ての改定が行われたりしていますが、大きな流れは受け継がれています。
『ぼくたちの洗脳社会』(『評価経済社会』)という本の最終章(第5章)に、本書の全体の流れが“ザッ”とまとめられています。
どんな内容の本なのかをお伝えするために、それを参照して簡単にまとめてみます。
- 現在、私たちの身の周りで、巨大なパラダイムシフトが進行している。
- 現在起きつつあるパラダイムシフトは、人類にとって、農業革命・産業革命に続く、3回目の大きな変化。
- それは、情報革命である。
- 現在のパラダイムシフトは、「高度成長によるモノ余り感から、バブル崩壊や環境汚染による有限感・モノ不足感に、人々の意識がシフトしたことが原動力。
- そして、これから確立するパラダイムは、「モノ不足・情報余り」の社会。
- 「情報余り」(=情報が過剰なほどあふれているという意味) の【情報】は、単なる客観的情報ではない。
- 情報余り社会とは、一つの事実に対する様々な解釈、様々な価値観や評価・世界観といった、イメージがあふれる社会である。すなわち「洗脳社会」(評価経済社会)である。
- マスメディアの衰退とマルチメディア(ネット)の台頭によって、洗脳行為(=評価を獲得するための「影響」行為)が双方向になる。
- 技術の進歩がいつも権力者の特権を大衆に開放してきたことから考えて、今まで権力者が独占していた洗脳行為(「影響」行為)は、マルチメディア(ネット)の発達によって、今、広く民衆に開放されつつある。
- これからの社会は、自由経済社会(貨幣経済社会)から、自由洗脳社会(評価経済社会)へと移行していくことになる。
- 今、訪れつつある新社会。それを『洗脳社会』(『評価経済社会』)と名付ける(岡田斗司夫氏)。
- これまでの自由経済社会(貨幣経済社会)とは、社会の構成員が、その最大の経済的(貨幣的)利益に向かって邁進することによって安定する『動的安定社会』だった。それと同じく、
自由洗脳競争社会(評価経済社会)とは、社会の構成員が、その最大の洗脳的(評価的)利益に向かって邁進することによって安定する『動的安定社会』。
- 自由洗脳社会(評価経済社会)における「個人のふるまい」は、次のようになっていく。
1、他人を、その人の所有物でなく、その価値観で判断するようになる
…自由経済社会(貨幣経済社会)では、何を買うかが最大の関心事だった。
これに対し、自由洗脳社会(評価経済社会)では、豊富にある価値観や世界観、つまりイメージから何を選ぶかというのが最大の関心事になる。
2、価値観を共有する者同士がグループを形成するようになる
…これからの自由洗脳社会(評価経済社会)では、個別の価値観・世界観を共有できる仲間を求めて、それぞれの人がグループを作るようになる。
3、個人の中で複数の価値観をコーディネートしていくようになる
…人々は、個人の中で複数の価値観を共存させ、コーディネートして、複数のグループに所属することになる。
- 自由洗脳社会(評価経済社会)における私たちの「生活」の変化として、次のようなことが考えられる。
1、日常生活において、被洗脳者(影響を受ける側)、つまりイメージ消費者である私たちは、多くのイメージや価値観の中から自分が気に入ったものを「複数」選択するようになっていく。
2、価値観やイメージが増えれば増えるほど、同じ価値観を共有するグループが形成されていく。
3、私たちは、そんなグループの中で、自分の価値観を基に「複数」選択して、自分の生活をコーディネートしていくようになっていく。
- こうした人間関係の【細切れ化】は、今後ますます激化していく。
上記まとめ文は、本書の最終章(第5章)に書かれてあるものを元にしてまとめたものです。
単語の後にカッコ( )で別の単語が書いてあるものがいくつかありますが、それは、『ぼくたちの洗脳社会』に使われている単語を元に紹介して、改訂版である『評価経済社会』で改変された単語を( )で表記しました。
具体的には、
- 自由洗脳社会➡評価経済社会
- 自由経済社会➡貨幣経済社会
- 洗脳行為➡「影響」行為
- マルチメディア➡ネット
(前=『ぼくたちの洗脳社会』➡ 後=『評価経済社会』)
以上のように、前書と後書で改訂されています。
『ぼくたちの洗脳社会』が1995年出版。『評価経済社会』が2011年出版。
『ぼくたちの洗脳社会』で使われていた「洗脳」という言葉。
16年の歳月を経て、さすがに時代にそぐわないとなったのでしょう。
『評価経済社会』の中では一切使われておらず、「評価」という言葉に置き換わっています。
自由経済社会(貨幣経済社会)➡自由洗脳社会(評価経済社会)の学び
この項では、岡田斗司夫氏の『ぼくたちの洗脳社会』及び『評価経済社会』という本で私が学んだことを記述します。
前項で、岡田斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』(『評価経済社会』)という本の内容について、著者の本文を元にまとめました。
が、おそらく、「なんのこっちゃ⁉」と今一つピンとこない人の方が多いのではないでしょうか。
それは、もちろん私のまとめ方が悪いのが原因ではありますが、それ以上に、岡田斗司夫氏の主張内容そのものが、抽象的で高度な内容である、ということも大きいと思います。
私も、最初は、洗脳社会とか評価経済社会とかいわれても、正直何のことかよく分からない状態でした。
それでも、岡田斗司夫氏のYouTube動画やサイト情報あれこれに触れる内、だんだんと、おぼろげな姿を感じることが出来るようになってきました。
要するに、これからは「貨幣」の代わりに「評価」が流通する社会になっていく、ということを言われているのだと私は理解しました。
お金よりも評価の方が大事な社会になる、ということを岡田斗司夫氏は言われていると私は受け止めています。
それは良い悪いということではなくて、歴史の流れがその方向に動いているから、ということのようです。
どこかのYouTubeで、岡田斗司夫氏が食べログとかAmazonのレビューを例に出して説明していたのが分かりやすかったです。
「昔だったらできるだけ安いものを買いたいと値段先行で探していたのが、今はまず、98%とか五つ星とか評価の高いものを探して、その中から値段が見合うものを探すようになった。これも評価経済社会の現れ。」 という感じで。
これまでの貨幣経済社会では、お金をたくさん集めることに人々は高い価値を感じていた。
それが、これから訪れる「評価経済社会」では、【評価】をたくさん集めることに人々は高い「価値」を感じるようになっていく。
「お金」を媒介とする経済から「価値」を媒介とする経済へ。
そういう感じですかね。
この後、続けてカッコよくまとめたかったのですが、どうも自分の言葉ではうまくまとめられず、手が止まります…
頭を抱えながら、「評価経済社会」でネット検索。
Weblio辞書には、以下のように記述されています。
「評価経済社会」の概要
コンピュータネットワークの発達により、
全ての人々が双方向の影響を受ける/与える状態に近づいてきた。この時、人々は、必ずしも多くの貨幣の獲得を第一目的として行動しない。
むしろ、多くの人々から多くの評価を獲得しようとする。また、多く評価された者は、第三者を評価することで「評価」を還流しているといえる。
貨幣が商品やサービスの交換を媒介するのと同じように、
「評価」が尊敬や賞賛といった影響の交換を媒介する、という考え方は、
この現象を上手く説明できる。評論家の岡田斗司夫は、これを「評価経済」と呼んだ。
人々のニーズをつかみ、最も効率よくそれを生産して販売することにより、多くの富を得られるのが、貨幣経済競争社会である。
これに対し、人々の不安や不満をつかみ、最も効率よくそれを解消する方法を提案することによって、多くの人に影響を与え、尊敬と賞賛を得られるのが、評価経済競争社会となる。
この時、得られる利益は貨幣的利潤ではなく評価利潤、つまりイメージとなる。
貨幣経済と評価経済は両立しうる。
貨幣的利潤と評価利潤を同時に獲得することもあれば、どちらかしか獲得できないこともある。ただし岡田によれば、ネットの発達と共に貨幣経済はだんだんと縮小していき、
評価経済によるやりとりが主流になるという。評価経済社会は岡田が1995年に提唱した「洗脳社会」という考え方が元になっている。
Weblio辞書「評価経済社会の概要」より
ちょっと難しいですね
もう少し分かりやすい記事はないか、とさらに検索。
で、「分かりやすいなぁ」と感じるサイトを見つけました。
しっきーのブログというブログの中の「『評価経済社会』というすごすぎる発想」という2014年の少し古い記事です。
とても分かりやすくまとめて下さっていましたので、そこからちょっと文章をお借りして、岡田斗司夫氏が語る「評価経済社会」がどういうものなのか、ということについてお伝えしたいと思います。
評価経済社会
「自分の気持ち」が時代の正しさになった世界では、
宗教という敬虔なものよりも、科学という合理的なものよりも、
「何がどれだけ自分に影響を与えるのか」が一番大事になる。評価経済社会では、各々が「自分の気持ち」を【評価】という形で相手に与えることになる。
それが可能となりつつあるのは、インターネットとSNSというインフラが整ってきたからだ。
かつては「影響」を与え「評価」を受けることができるのはマスメディアの特権だったが、
これからは個人と個人の間で「影響」のやり取りができるようになる。ネットが発達していくと、人の【評価】というものが可視化されるようになっていく。
今の政治家はどんどんタレント化している。
有権者は利益に基づく合理的な判断よりも、「自分の気持ち」に従って投票者を決める。待遇だけで見ればブラック企業に見えるディズニーランドはバイト不足で悩んだことはないし、ファンが持つ「自分の気持ち」に訴えることができるからこそ、割高のグッズを売って収益を上げている。
人気ユーチューバーや実況者がファンからものを貰ったり、グッズを売ってお金を稼ぐみたいに、個人レベルでもそれが可能になっていく。
大勢がクリエイターやミュージシャンやアイドルや声優を目指して、みんなから評価を集めたがっている。
はてな村民は、いくら集めても何の意味もない「☆」が主食だ。岡田斗司夫は、「評価>金」 が成り立つようになれば、社会は「評価経済社会」というパラダイムに切り替わるという。
自分が他者から貰う【評価】が、金よりも重要になる時代がいずれやってくる。
科学が目覚ましい力で人々を魅了した時代は終わったし、資本主義は人の仕事をどんどん奪っていくので、
もう旧来のシステムに従っても、みんなが生きていけるようにはならない。中世の聖職者はまったく生産活動をしなかったが、宗教に関わっていたから生活することができた。
これからは、他人から「評価される人」が生き残れる時代になる。
今のような一部の有名人だけじゃない。
普通の人同士が、お互いに影響を与え合い、お互いを評価し合うことになる。より高い評価を得る者のところに人や物やネットワークが集まる。
当然、科学が消えるわけがないし、貨幣はずっと便利な道具として残り続けるだろう。
ただ、産業革命後の宗教のように、それほど支配的なものではなくなる。代わりに、
「自分は何が好きか」に基づいた「評価経済社会」が、旧来のパラダイムにとって替わる。今までは、より便利なもの、より高品質なものを、より収益を上げて金を稼げるように、
という競争だった。
これからは、「より好かれるか、より評価を集められるか」という競争になっていく。「評価経済社会」というパラダイムシフトが起こると、
産業革命後、宗教による安らかな救済が失われたように、
科学や経済が絶対的に正しかった時代の、わかりやすい進歩や成長は失われてしまうだろう。岡田斗司夫は、別に「評価経済社会」が良い社会だとは言っていない。
(面白いとは言っていたけれど…)むしろ、他人から好かれるヤツが生き残るような、恐ろしい社会がやってくると言う。
クラスカーストで1位になるヤツや、ひたすらコミュ力が高いヤツ、芸人や人気ユーチューバーみたいな人達が、
かつての聖職者や、今の資本家、実業家、科学者の立場にとってかわるだろう、
と予言している。
たしかに、わりと嫌な社会に思えるからこそ、妙に現実味がある。宗教がすべてだった時代の人は、
神の元に、身分相応に敬虔で慎ましい生活をすることが正しい、と思い込んでいた。
科学が正義だった時代の人は、
自らが合理的に物事を判断できる主体となり、揺るがし難い真実に向かって進歩、成長していくことが正しい、と思い込んでいた。そして、ついに科学や経済は、
「自分の気持ち(人々の主観)」に覇権を譲り渡すことになる。自分の気持ちを大切にすることこそが正しく、
しっきーのブログ 「『評価経済社会』というすごすぎる発想」(2014年9月6日)より
そのような人々の「自分の気持ち」に影響を及ぼすことのできる人が、
これからの時代に力を持つ。
分かりやすい‼
――自分が他者から貰う「評価」が金よりも重要になる時代がいずれやってくる。
――今までは、より便利なもの、より高品質なものを、より収益を上げて金を稼げるように、という競争だった。
これからは、より好かれるか、より評価を集められるか、という競争になっていく。
――科学が正義だった時代の人は、自らが合理的に物事を判断できる主体となり、揺るがし難い真実に向かって進歩、成長していくことが正しいと思い込んでいた。
そして、ついに科学や経済は「自分の気持ち(人々の主観)」に覇権を譲り渡すことになる。
――自分の気持ちを大切にすることこそが正しく、そのような人々の「自分の気持ち」に影響を及ぼすことのできる人が、これからの時代に力を持つ。
そうそう、岡田斗司夫氏が言っているのはそういうことだよね、実に分かりやすい!
と、しっきーさんの筆力に感服。
最初、上記「しっきーさん」のブログ記事を読みながら、自分の言葉で書こうとしました。
が、文才乏しい私が書くよりも、いや、どう考えても「しっきーさん」の原文のまま紹介する方がよっぽどイイ、分かりやすい! と思いまして、原文のまま紹介させて頂きました。
評価経済社会を学んでの「ホワイト革命」「未来格差」再確認
冒頭でも記しましたが、実は、2月5日記事、2月12日記事でも、岡田斗司夫氏の未来予測を紹介しました。
2月5日記事では、「ホワイト革命」「ホワイト社会」ということについて。
2月12日記事では、具体的な未来予測→「未来格差」ということについて。
その時の私は、フーンそうなんだ…程度の浅い理解でした。
が、今回、岡田斗司夫氏未来予測の底本ともいえる『ぼくたちの洗脳社会』『評価経済社会』を読んで、
その意味をより理解することが出来ました。
岡田斗司夫氏は、現在、ホワイトなことが正しくて美しいという価値観への転換を図る「ホワイト革命」が進行していて、これから「ホワイト社会」が成立する、と予測していました(2月5日記事)。
それは、これから他者からの「評価」の多寡が重要視される社会が出来上がっていくという文脈に乗せて考えれば、
“なるほど確かに!”となりますよね。
他者からの評価がその人の価値を決めるわけですから。
また、これからは、所得や教育による格差以上に、未来がどうなるのかを常に意識し自分の行動に反映できるかどうかという、未来に対する感度によって生じる「未来格差」の方が重要になってくる(2月12日記事)、という岡田斗司夫氏の主張の意味も、
『ぼくたちの洗脳社会』『評価経済社会』という岡田斗司夫氏の主張の底本を読むことで、
その意味するところを、よりリアルに実感をもって感じることができますよね。
今、他者のことなど眼中に入れずお金儲け最優先で汗をかいている人、
今のお金儲けよりも他者からの評価向上をの方を優先して汗をかいている人、
いずれ成立する評価経済社会の中でどちらが高い地位を占めることができるか、
未来像が見えている人には自明のこと、となるでしょうから。
未来像を見据えて活動するか否かで未来に格差が生まれる、それが「未来格差」だ、
という岡田斗司夫氏の指摘が、よりリアルに感じられる、というわけです。
まとめ
最後に、既に記述した内容の重複になりますが、
今一度、岡田斗司夫氏の『ぼくたちの洗脳社会』『評価経済社会』という本から学んだ未来予測をまとめておきましょう。
- 現在、私たちの身の周りで巨大なパラダイムシフト「情報革命」が進行中。
それは、人類にとって、農業革命・産業革命に続く、3回目の大きな変化。
- これから確立するパラダイムは、「モノ不足・情報余り」の社会。
- 情報余り社会とは、一つの事実に対する様々な解釈、様々な価値観や評価・世界観といった、イメージがあふれる社会。
そしてそれは、そうしたイメージが人々の行動を左右する大きな因子となる「評価経済社会」。
- マスメディアの衰退とネットの台頭によって、評価を獲得するための「影響」行為が双方向になる。
今まで権力者が独占していた「影響」行為は、ネットの発達によって広く民衆に開放され、これからの社会は、貨幣経済社会から、「評価経済社会」へと移行していく。
- 「評価経済社会」とは、貨幣と商品を交換し合う貨幣経済社会に対して、評価と影響を交換しあう社会のこと。
- 「評価経済社会」は、貨幣に代わって「評価」が流通する社会。
- これまでの貨幣経済社会は、社会の構成員が、その最大の貨幣的利益に向かって邁進することによって安定する『動的安定社会』だったが、これから訪れる「評価経済社会」は、社会の構成員が、その最大の【評価】的利益に向かって邁進することによって安定する『動的安定社会』である。
- 自由洗脳社会(評価経済社会)における「個人のふるまい」の変化。
1、他人を、その人の所有物でなく、その価値観で判断するようになる
2、価値観を共有する者同士がグループを形成するようになる
3、個人の中で複数の価値観をコーディネートしていくようになる。
- 自由洗脳社会(評価経済社会)における私たちの「生活」の変化。
1、日常生活において、被洗脳者(影響を受ける側)、つまりイメージ消費者である私たちは、多くのイメージや価値観の中から自分が気に入ったものを「複数」選択するようになっていく。
2、価値観やイメージが増えれば増えるほど、同じ価値観を共有するグループが形成されていく。
3、私たちは、そんなグループの中で、自分の価値観を基に「複数」選択して、自分の生活をコーディネートしていくようになっていく。
- こうした人間関係の【細切れ化】は、今後ますます激化していく。
以上、岡田斗司夫氏の『ぼくたちの洗脳社会』『評価経済社会』をまとめてみました。
ダラダラと長いまとめになってしまいましたが、いかがでしょう。
岡田斗司夫氏の唱える「評価経済社会」というものの姿を、ボンヤリとつかむことが出来たのではないでしょうか。
この記事を通して「評価経済社会」というものに興味を持たれた方は、ぜひ、岡田斗司夫氏の著作『ぼくたちの洗脳社会』『評価経済社会』を読んでみてください。
きっと将来に対する視野が大きく広がると思います。
いずれにしても、今が大きな大きな時代の変わり目であるということ。
それだけは、間違いないと思います。
岡田斗司夫氏の未来予測は、人類が【コロナ禍】に見舞われるはるか前から唱えられていたものですが、
このたびの【コロナ禍】は、岡田斗司夫氏の主張をより加速させる要因であることは疑いようがありません。
それは、人類の変化を加速させようとする「サムシング・グレート」の意思であるようにも思われます。
お金の価値がどんどん低下して、他者からの「評価」が尊ばれる社会。
社会がその方向に流れていくのなら、それに順応した生き方の方が、より幸せでより生きやすい世の中になるはずです。
そうした未来を見据えながら今を生きる。そうすることで「未来格差」の勝ち組に入れますよ。
『ぼくたちの洗脳社会』『評価経済社会』という本から発せられる、そうした岡田斗司夫氏のメッセージ。
深く胸に刻んで歩んでいきたい…
思いを新たにする「さまよい人」なのでした。
ではでは、今回はこのへんで。
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