皆さんこんにちは。「さまよい人」です。
コロナ減少して少しずつ社会活動の制限も取り払われてきました。
とは言うものの、コロナによって社会が受けたダメージは計り知れず、多くの人々の不安や苦しみはまだまだ続いているように見受けられます。
そのような中、大原扁理という方が書かれた『年収90万円でハッピーライフ』という本(文庫本)を見つけ読む機会がありました。
(元の本は『年収90万円で東京ハッピーライフ』という題名。私が読んだのは文庫本で「東京」が取れた題名でした。)
私自身はコロナによって深い痛手を負ったりしたわけではないのですが、この本を読んで、とても気持ちがラクになったというか、心が軽くなったというか、とても癒される感覚を味わうことが出来ました。
これは、コロナで弱った現代社会だからこそ、ぜひ一人でも多くの方にシェアしたい本だ、と思いました。
非常に読みやすい文体で分量も多くないので、多くの人にまるごと読んで頂きたいと思うのですが、忙しくて読むヒマがない人もあるかと思います。
なので、そのような方に向けて、大原扁理という方が書かれた『年収90万円でハッピーライフ』という本(文庫本)の中で私が特に心に残った言葉13個を、以下紹介させて頂きます。
ちなみに、見出しは私が勝手につけたものです。原著の引用文を読んで、大原扁理さんご本人の人柄の片鱗に触れて頂けたら、と思います。
実感を大切にして生きよう
子どもの頃から世間にいろんな「ふつう」や「当たり前」を刷り込まれますけど、世間ほどぼんやりして当てにならないもんはない。自分の実感を基準にした方が、のちのち変わってしまったとしても、人にせいにしなくてすむし、長い目で見ればずいぶんラクに生きられる。
これがわたしの思う、実感を大切にするということ、そしてこの本で書きたいことです。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,31
これは、第一章「ハッピーライフの基本とは」の最後に書かれた文章です。
第一章は、この著書の基本部分を述べたような章になっていて、その結論のような内容ですので、著者が最も言いたいことなのだと思います。
『自分の実感を大切にする』(大原ワード)
大原さんの生き方そのものと言えそうですね。
好きなことなんか見つからなくてもいいじゃないか
好きなことなんかなくても、今すぐ見つけなくても、もっと言えば死ぬまで見つからなくたって、別にいいじゃないですか。
大事なことで死なないこと。これぐらい目標を下に置いとけば、とりあえず絶望はしなくてすみます。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,38
好きなことが見つからないとダメだ、みたいな世の風潮に物申す、みたいな感じでしょうか。
『大事なことで死なない』(大原ワード)
確かに、そのぐらいの感じでいたら気が楽になりますよね。
人と比べること自体は悪くないが 比べることで辛くなるならやめよう
人と比べてしまうことの本当の問題は、比べることそれ自体にあるのではなく、比べることで辛くなってしまったり、それなしではハッピーになれなくなることです。
比べることで「引け目を感じることないな」「たいしたことないじゃん」と思えるのなら、別に悪いことじゃありません。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,46
「人と比べるな」とはよく言われることですが、
大原扁理 さんは、比べること自体は良くも悪くもない(人は他とどうしても比べてしまうもの)と言います。
比べることが悪いんじゃなくて、比べることで「つらい」「悲しい」といったネガティブな気持ちになることが良くない、と主張されています。
確かになー、比べるなと言われても知らぬ間に比べてしまうもんなー…。
刺さりますね。
いじめはずっとは続かない
いま、いじめられている子たちに言えることがあるとしたら、「いじめはずっとは続かない」ということ。小学校は6年、中学と高校は3年で終わるんです。子ども3年なんて、永遠みたいなもんだけど、それでも3年間できちんと終わります。……
それまで、出来る範囲で逃げ続けましょう。そりゃもう、誰がなんと言おうと、逃げちゃっていいんです。それが終わったら、みんな自分の新しい世界をつくっていくことに夢中になって、あなたのことなんて忘れてしまうからね。
いじめられたほうは、絶対に忘れられないけどさ。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,57~58
有難いことに私自身はいじめのターゲットになったことがないのですが、
いじめられている子どもには、希望の持てる将来を見せてあげる、ということが何より必要なのでしょう。
子どもだけじゃなくて、職場などでいじめのようなキツイ扱いを受けている大人にとっても、
『いじめはずっと続かない』(大原ワード)ということを忘れず、出来る範囲で「逃げる」ことが大切なのでしょうね。
ゆっくり年をとっていこう
あわてずあせらず、ゆっくり年をとっていくといいよ。
年をとればとるほど、自分が自分でいることが快適になって、イヤでもラクになってきちゃうから。たぶん、瑕疵と思えることも平気で薄目で見られるようになるんですよね。これってつくづく、テキトーに楽しく生きていく上で必要な技術だなぁ、と思う。これを覚えておくと、とっても、いいことがありますよ。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,61
『あわてずあせらず、ゆっくり年をとる』
肩の力を抜いてくれる、癒しの「大原ワード」ですね。
ルールから抜け出したっていい
わたしは「ルールだからダメ」「それって常識でしょ」みたいな場に出くわしたら、五感をフル稼働して相手とその周囲をよ~く観察してみます。その人たちが、もし目先の「社会的にオッケーとされること」しか見ていないと思ったら、適度に無視します。
ひとりずつ、抜け出せる人から、抜け出してくこと。抜け出していく人の、足を引っ張らないこと。そんで、マイナーな先例をどんどん作っちゃう。「あれ? みんな同じじゃないって、もはやフツ―かも」みたいになるまで。
そうしたら、ゆっくりとなし崩し的にではあるけれど、生きにくい世の中は変わっていくと思う。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,67~68
『ルールを押し付けられた時、押し付けてきたその人たちが自分たちの世界しか見ていないと思ったら、【適度に無視する】‼ そして、抜け出せる人からこっそり抜け出していく。そんで、マイナーな先例をどんどん作っちゃう。』(大原ワード)
……いいですねぇ。
「適度に無視」というのが秀逸ですね。
「なし崩し的」というのは、人によってはケシカランやり方に思えるのかもしれないけれど、本当に何かが変わるのは「なし崩し的」な時なんじゃないかな、と私は思います。
正しい間違っているという争いから離れよう
いい悪いとか、正しい間違っているみたいな、相対的で対立的な価値観って、疲れると思う。間違ってる何かがないと、自分が正しい側に立てないというのは、しんどくないでしょうか。世の中ってそういうふうにはできてないと思うんです。
だって、特に誰も間違ってない場面って、生きてたらよく遭遇しますよね。そしたら自分が正しくなるために、必死で間違ってる他人を探して、あるいは無理やり作り上げて、否定しなきゃいけないじゃん。めんどくさ。そういうのをいちいち判断することからは徹底的に離れて、「個」「わたしはわたし」っていう感じを目指すんです。そうすると、正しさにがんじがらめになっている現代社会の風潮から解放されて、今よりちょっとラクになるんじゃないかな。
だから、何がベストかっていう考え方からも、できるだけ離れていったほうがラクです。
がむしゃらに働こうが、ゆっくり生きようが、その人が好きでそういう生き方をしてるなら、ライフスタイルに優劣とか特にないと思うし。生き方に限らずですけど、何がベストかっていうのは、ただの幻、という気がする。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,74~75
あると思えばあるし、ないと思えばないっつーか。わたしには、同じことのように思えます。
上記フレーズは、この本の中で私が一番心に残った箇所です。
『どっちが正しいか間違ってるか。人は決着をつけたがるし、決着つけないと次へ進めないと思ってしまいがち。
でも、どちらかが正しくてどちらかが間違っている、というふうに世の中は出来ていない。
そういうのを判断することから離れて、「個」「わたしはわたし」っていう感じを目指す。
何がベストかっていうのはただの幻。「わたしはわたし」として自分を生きる。』(大原ワード)
……この大原節、心にしみますねぇ。
コツコツ「自分」をやっていくことが本当の個性
個性というのは、その人がその人であること、この一点に尽きます。それはとても無意識で、無作為のことです。……
個性の時代とかいって、まるで人と違うことが時代の命題みたいになってますけど、みんながみんな人と違うことを目的にしたら、逆に没個性で不健康な気がする。
個性は外に求めるものではなくて、日々の地道な積み重ねの中から、否応なくみじみ出てくるものだと思います。一朝一夕にではなく、毎日、コツコツ「自分」をやっていくこと。それをすっとばして、本当の意味で個性的になることはできないと思う。
本当に個性的な人って、よく見るとわかるけど、人の注目を集めようとしてるっていうよりは、ただひたすら「自分」をやってるだけなんですよね。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,76~77
人と違うことが個性だと勘違いする。
少し年を重ねると誰もが実感できる「あるある」ですよね。
『 本当に個性的な人って、人の注目を集めようとしてるっていうよりは、ただひたすら「自分」をやってるだけなんですよね 』(大原ワード)
という大原さんの言葉に、深くうなずく「さまよい人」でした。
家族はいちばん近くにいる他人だということを忘れないようにしよう
家族にまつわるあらゆる問題は、「家族はいちばん近くにいる他人だ」という前提を忘れてしまうことに、起因しているのではないかと思います。……
家族のスタート地点は、「他人だし、どういう形になるかわからないけど、お互い愛せたらいいね」ぐらいでいいんじゃないでしょうか。そこからそれぞれの人間に対して、嫌うなら嫌う、愛せるなら愛する、それを死ぬまでやって、ハイ、家族!
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,84
家族も、一人ひとり独立した人格として尊重し、接していく。
「自他の境界線」があいまいになりがちな関係性だからこそ、意識して努力してく必要があるのでしょうね。
『家族はいちばん近くにいる他人』(大原ワード)
この前提を忘れないようにしたいものです。
苦労することだけが目的の苦労は必要ない
苦労って、2種類あると思う。 ひとつは、何か目的があって、その目的を達成するために必要な苦労。これは「努力」や「がんばる」と言い換えてもいい。
もうひとつは、結果に関係なく、苦労することだけが目的の苦労。これは「努力」でも「がんばる」でもありません。できるだけやんないほうがまし。
で、世の中には、なぜかこのふたつがごっちゃになっていることが多いように感じます。ここをきちんと見極めないまま社会に出たら、えらいことに巻き込まれますので注意が必要です。こういうことの見極め方こそ、学校で教えてくれたらいいのにね。……
これからは、その苦労がほんとに必要なのかどうか、社会に決めさせるんでなく、いちいち疑ってかかることが大切です。人間って、集団になるとあんまり考えないっていうか、アホになりがちですからね。自分で判断しなくていいのは責任もなくてラクかもしれないけど、そこは譲っていはいけません。よ~く観察して、この集団は「しんどい=エライ病」にかかってると思ったら、少しずつ、できる範囲で離れていきましょう。大丈夫、集団が病んでるからってあなたまで病むことないんだから。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,90~95
「苦労することがエライこと」というのは、どこの集団でも無意識の内に持ってしまっている「あるある」の感覚ですよね。
『苦労することだけが目的の苦労。これは「努力」でも「がんばる」でもない。できるだけやらないほうがまし。』(大原ワード)
思わず、確かに! とつぶやいたのでした。
夢や目標がなくてもいい やりたいからやる それでいい
30年生きてみてわかったことは、人間が頭で思いつくことなんて、結局はたいしたことないってことなんです。未来なんてイヤでもやってきちゃうんだから、目標とか立てずに適度にほっとくっていうのも、ひとつの手じゃないかなあ。未来はオープンチケットってことにして。行き先も、期日も決めないでおいて、夢にも思わない面白いことをワクワクしながら待つのもオツなもんです。……
不思議なんですけど、上京するときとか、ちょっと世界一周してくるわ、って親や周りに言うと、「なんのために行くの?」「行ってどうするの?」「将来何がしたいの?」とかめちゃめちゃ聞かれます。心配してもらっといて本当すみませんけど、正直、それよけいなお世話です。その心配、自分のために使ってくださいよ、って本当にそう思う。
だって夢とか目的とか理由とか、ないんだもん。行きたいから行く! それ以外はどうでもいいじゃん。それで、あのとき引き止められて考え直して、世界一周も上京もしなかったら、隠居もしてないし本も書いていないと思うと、本当に周りの意見を無視して良かったー! と思う。わたしが死ぬときに後悔したら、どう責任とるつもりなんでしょうか。自分が決めたことなら諦められるけど、人に言われて諦めたなんで、死んでも死にきれません 。
興味のあることをいろいろやっていて、万が一結果がついてきてなくても、あのとき自分のしたいことができた、っていうだけで、今日も元気だごはんがウマい! そう思えることが、ガチでわたしの財産。夢や目標がなくても、これでいいのだ~。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,210~214
『目標とか立てずに適度にほっとくっていうのもひとつの手。行き先も期日も決めないでおいて、夢にも思わない面白いことをワクワクしながら待つのもオツなもの 。』(大原ワード)
という大原扁理さんの主張。
目標に向かって頑張ることこそ何より大切!という価値観で凝り固まって身動き取れなくなってしまった時には、大原さんの主張を思い返すことで新たな気付きを得ることが出来るかも。そんな気がしました。
誰もが自分自身の手で自分の心の中に伽藍を建てるしかない
退屈な時代を平和に生き抜くために、大事なポイントがあります。全体主義屋さんにつけこまれないこと。全体主義屋さんにつけこまれてしまう根本的な原因は、人間が何かに頼らなきゃいられないという弱さを持っていることです。
釈迦は、「人間は、自分以外のものを本当の拠り所としては生きていけないのだ」と言ったそうです。それは親兄弟であり、恋人であり、子どもであり、街であり国であり民族であり、もっと言えば釈迦本人でさえ拠り所にはならない。仏教の開祖がそれを言っちゃうって、けっこう衝撃ですよね。でもわたしはこの言葉に、中途半端に甘やかさない、釈迦の本当の優しさを感じます。千尋の谷底に子どもを突き落とすライオンの母ちゃんのような。
誰もが、自分自身の手で、心の中に伽藍を建てるしかないんです。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,220~221
『 誰もが、自分自身の手で自分の心の中に伽藍を建てるしかない 』(大原ワード)
深い言葉です。… … しみじみ… …
毎日をきちんと生きることの中に 将来のことも含まれている
こういう生活をしていると、「将来どうするの?」という質問をものすごくされるんです。が、わたしは世間で言われてる意味での将来(老後)については、あんまり思うことはありません。
というか、将来を考えたときに、個人として出来ることって、結局毎日をただシンプルに、きちんと生きていくしかないんじゃないかなあ。……地味で、目立たなくて、誰にも褒められない、ごく普通のことを、虚心坦懐にこなしていくこと。年収何億とかいう人が世間で褒めそやされていても、比べないこと。それでも必ずズレてしまうことはあるので、自分に対するたゆまぬ観察と微調整を繰り返すこと。それで一日を無事に終えることが出来たら、「今日も平穏無事に過ごせてありがとうございました」とまた感謝して眠ること。
こういう生活って、悪く言えば、今しか見ていないとも言えますよね。ところがわたしは、これを将来から逃げているとは全然思わないんです。むしろ逆だと思う。なぜなら、将来のことを本気で考えていると、今この瞬間を大切に生きることにどうしても戻ってきちゃう。毎日をただきちんと生きていると、今日この日に、今までのことも将来のことも全部ちゃんと含まれている感じがするんです。今日のことも大切にできてないのに将来を語るのって順番が違うような気がする。……
かつてあんなに将来のほうを向いて頑張って働いても何も残らなかったのに、自分も周りの人も大切にして、目の前の日々を倦まず弛まずコツコツ生きてたら、将来の不安、どっかいっちゃった。今に将来が含まれてるって、こんな感じだと思う。伝わるかなあ、これ。伝わるといいんだけど。
大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』 P,222~224
『 個人として出来ることって、結局毎日をただシンプルに、きちんと生きていくしかないんじゃないかなあ。 』(大原ワード)
今、この瞬間に全力を注ぐ。ということですね。そのことに将来も含まれているんだ、という大原節。深いです。
以上、大原扁理さんの書いた『年収90万円でハッピーライフ』という本の中から、私の心に残った言葉、文章13個を紹介しました。
まとめ
- 実感を大切にして生きよう
- 好きなことなんか見つからなくてもいいじゃないか
- 人と比べること自体は悪くないが 比べることで辛くなるならやめよう
- いじめはずっとは続かない
- ゆっくり年をとっていこう
- ルールから抜け出したっていい
- 正しい間違っているという争いから離れよう
- コツコツ「自分」をやっていくことが本当の個性
- 家族はいちばん近くにいる他人だということを忘れないようにしよう
- 苦労することだけが目的の苦労は必要ない
- 夢や目標がなくてもいい やりたいからやる それでいい
- 誰もが自分自身の手で自分の心の中に伽藍を建てるしかない
- 毎日をきちんと生きることの中に 将来のことも含まれている
いかがでしたか?
何か、思いつめていた気持ちが“フッ”と緩んだような気持ちになりませんでしたか?
私は、大原扁理さんのこの本を読んで、あんまり考え過ぎるのも良くないよな、と思えて、少し気がラクになったような感じがしました。
大原扁理さんの生き方、何か魅力的ですよね。
大原さんほど突き抜ける勇気が私にはありませんけれど、でも、自分の出来る範囲で、やわらかく、そしてゆっくりと自分の足で生きていきたい、この本を読んでそう思いました。
ではでは、今回はこのへんで。
コメント