皆さんこんにちは。「さまよい人」です。
前回の記事で、私「さまよい人」が、教会長のご用と給与を得るための仕事をどう両立させているのかについて書きました。
そのような記事を書いた影響で、天理教文化圏どっぷりの人々の「働き方」について考える時間が増えました。
そのような状況下、たまたま『タニタの働き方革命』という本を見つけ読む機会がありました。
その結果、ちょっと思うところがありましたので、今回はそれを記事にしたいと思います。
今回の記事では、親が熱心な天理教の信者であるとか、家が天理教の教会や布教所であるとかで天理教の教会に結構深い関わりを持ちながらも、自分自身はそこまで一筋になりきれず、まだ 迷いを抱えている人たちに向けて書きました。
きっと、そのような境遇の方には何かしら参考になることもあると思いますので、ぜひ最後まで 読んでみてください。
天理教の人も今後は『個人事業主』的意識を持つべきではないか
今回、私が言いたい結論はこれです。
天理教に深く関わっている人も、この先は『個人事業主』的意識を持つべきではないか。
もうちょっとかみ砕いて言うと、これまで天理教に対して会社員的な意識で関わってきた人も、これからは、ビジネス社会でいうところの「フリーランス」的感覚で関わっていくことが望ましいのではないか、ということです。
この文章だけ読むとちょっと誤解を与えそうですが、決して、天理教会から距離を置いて自分勝手にやろう、という意味ではありません。
『タニタの働き方革命』という本を実際に読んで頂ければ、私の言いたいことが伝わると思うのですが、読んだことがない方も多いと思います。
なので、以下ちょっとだけ『タニタの働き方革命』という本の内容を紹介させて頂きます。
『タニタの働き方革命』の内容
『タニタの働き方革命』の著者は、株式会社タニタの社長「谷田千里」氏(株式会社タニタ編著)です。
2019年6月に日本経済新聞社から出版されました。
目次は以下の通り。
この本のカバー「そで」には、次のように書いてあります。
タニタの「日本活性化プロジェクト」とは?
希望社員を雇用から契約ベースに転換することで、主体性を発揮できるようにしながら、本人の努力に報酬面でも報いる社内制度。
経営者感覚を持って、自らの仕事内容や働き方をデザインでき、働く人がやりがいを持って心身ともに働ける「健康経営」の新手法。
タニタの「日本活性化プロジェクト」というのは、要するに、社員を直接雇用から個人事業主としての契約ベース取引に変更する、という取り組みのことのようです。
会社員がフリーランスになって、『個人』が『タニタ』という会社と契約して仕事をする、というわけですね。
フリーランスになりたい社員がタニタを退職し、会社と【業務委託契約】を結ぶ。そしてそこで、主体性を発揮して、働き方を自分でコントロールしながら、引き続きタニタの仕事を行う、という仕組みです。
タニタでは、希望する社員は誰でも「日本活性化プロジェクトメンバー」に手を挙げることができるそうです。
そして、会社と合意すれば、メンバーは一旦退職して「個人事業主=フリーランス」となります。
ただし、個人事業主になったからといって「どうぞ勝手に社外でご活躍ください」というわけではないようです。
「個人事業主」としてタニタで働きながら、仕事の領域を広げる意味でタニタ以外の仕事を請け負っていくこともできる、という感じみたいです。
「会社員」と「フリーランス」の良いトコ取り、というのがこのシステムのキャッチフレーズとのことです。
『タニタの働き方革命』という本から読み取れるのは、これからは会社に依存せず「自立して働く」ことが必要とされ求められている、タニタという会社はそれを正式に仕組み化した、ということです。
なぜ天理教でも自立化が必要だと思うのか
それではなぜ、天理教に深く関わっている人も、この先は『個人事業主』的意識を持つべきだ、と私が考えるのかについて述べていきます。
今、天理教が、ということではなくて、多くの歴史ある組織が硬直化し行き詰まりを感じているように見受けられます。
それは宗教組織にとどまらず、会社や地域コミュニティ等その他の組織でも同じではないでしょうか。
このままじゃいけない。変革が必要なことは明白。
変革、改革が必要という点ではみんな賛同する。
けれど、いざ改革するとなったら、どこをどのように変革したら良いのかについて、みんなそれぞれの立場で方向性や内容、手順等について考え方が違う。
なので一筋縄ではいかない。だから、なかなか進みません。
実際にどのように改革を進めていけばよいのか、というのは大問題だと思いますが、今回はその点には触れません。
変革、改革の方向性、どのような方向へ変革したら良いのか、という内容面について考えてみたいと思います。
このたび世界中を襲った新型コロナ感染症による「世界の変化」。
私は、この世界的な大節を「神意」と受け止め、それを元に変革の方向性を思案するのが望ましいのではないか、と考えます。
神様は、コロナを通して人間に何を伝えようとしているのでしょうか。
私はこう考えます。
「集団から個」へ。そして「一人ひとりの自立」。
神様は、人間がそちらの方向へ進んでほしいと願っている、と。
世界は、デジタル化等テクノロジーの発展によって、確実にその方向に進んでいます。
ならば、お道もその方向性へ行くべきではないでしょうか。
タニタの「日本活性化プロジェクト」、会社員がフリーランスになって個人がタニタという会社と契約して仕事をする、というやり方は、それの具体化の一事例と言ってよいでしょうし、それは神意に添った方向性だからこそ社会的に高い評価を受けているのではないでしょうか。
天理教に深く関わっている人も、この先は『個人事業主』的意識を持つべきだと私が考えるのも、そうした社会現象の延長線上にあります。
「集団から個」へ、そして「一人ひとりの自立」。
それは決して、具体的で目に見えるアクションである必要はないと私は思います。
これまで会社員的な意識で関わってきた天理教の教会に対して、この先は、ビジネス社会でいうところの「フリーランス」的な感覚で、一人格として自立的に関わるという意識も育てていく。
そういうことが必要ではないのか。
天理教教会関係者の方々の「働き方」について考える中で『タニタの働き方革命』という本を読んで、「さまよい人」はそのようなことを思ったりしたのでありました。
まとめ
あれこれ書いてきましたが、最後に、今回記事のまとめ書きをしておきたいと思います。
今回の記事で言いたかったことは以下の通りです。
【教会長のご用と給与を得るための仕事をどう両立させているのかについて考える中で、『タニタの働き方革命』という本を読んで、私は以下のように考えた】
天理教に深く関わっている人も、この先は『個人事業主』的意識を持つべき。
これまで天理教に対して会社員的な意識で関わってきた人も、これからは、ビジネス社会でいうところの「フリーランス」的感覚で関わっていくことが望ましいのではないか。
具体的には、自分を「自分の人生」の事業主と考えて、「自分の人生」という事業をより良くしていくための部門の一つとして天理教関連の事業と関わっていく、というスタンスが望ましいのではないか。
このたび世界中を襲った新型コロナ感染症。
この世界的な大節を「神意」と受け止め、それを元に変革の方向性を思案するならば、神様は、コロナを通して「集団から個」へ。そして「一人ひとりの自立」。
人間がそちらの方向へ進んでほしいと願っているように見える。
世界は確実にその方向に進んでいる。
ならば、お道もその方向性へ行くべきではないか。
今回の記事は、天理教の教会に深い関わりを持ちながらも、自分自身はそこまで一筋になりきれず、まだ 迷いを抱えている人たちに向けて書いたものです。
しかし、読み返してみると、実は、“自分自身に対して言い聞かせている記事じゃないか⁉”(汗)
でも、…誰か一人でも刺さってくれる人がいると嬉しいなぁ…。
ボヤく「さまよい人」でした。
ではでは、今回はこのへんで。
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