Dear everyone,
こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。
今回は、陰暦26日と「月日」の関係についての講話の、2本の動画を【文字起こし】して勉強します。
まず1本目が、いつもお世話になっている、茶木谷吉信先生による【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズの中のお話。
【逸話篇の世界を旅する15・番外編】「月様と日様とおつとめの話」という動画。
その次、2本目が、本愛大教会長安藤先生による「月の満ち欠けと天理教の関係性とは【その時代の『当たり前』を考える】」という動画。
なぜ2本も「文字起こし」したかと言いますと、
最初は、いつものように茶木谷先生の【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズの「文字起こし」だけをするつもりでした。
そうしたところ、その作業の過程で、それの関連動画として紹介されていた「Hon-ai Grand Church 天理教本愛大教会公式チャンネル」の「月の満ち欠けと天理教の関係性とは」という動画に遭遇。
視聴してみると、とても勉強に。
自分の中で「これは外せない」との思いが強まって、続けて【文字起こし】して勉強したという次第です。
そのような次第で、
今回はいつも以上に長くなりますが、「自己学習ノート」としてそのまま公開します。
- 最初に紹介する動画について
- 茶木谷吉信先生講話「月様と日様とおつとめの話」【YouTube文字起こし】
- 2022年2月のご本部月次祭直前に教内に拡散した、「陰暦と陽暦が重なる26日」という話について
- 今日のお話は、お月様とお日様と「おつとめ」の話
- 「逆三日月」=「下弦の月」について
- 陰暦26日は「逆三日月」=「下弦の月」の日であるという話
- 陰暦26日の、お月様とお日様の動きについて
- 陽暦と陰暦の26日が重なる日の「かぐらづとめ」時間帯は、お月様お日様の両者が天上にある
- 天保9年10月26日(陰暦)「日の出」の直後に立教を迎えている
- 明治20年陰暦正月26日「月の入」直後におやさまが現身をお隠しになっている
- 天理教は、お日様が昇った直後に立教を迎え、お月様が沈んだ直後におやさまがお姿をお隠しになった
- 今後の陽暦26日と陰暦26日が重なる日について
- 陰暦を意識をしながらご本部月次祭に参拝して、お月様とお日様とおつとめの関係について思案してみよう
- 茶木谷吉信先生講話「月様と日様とおつとめの話」【YouTube文字起こし】
- 次に紹介する動画について
- 本愛大教会長 安藤先生講話「月の満ち欠けと天理教の関係性とは【その時代の『当たり前』を考える】」【YouTube文字起こし】
- 『天理教の拍子はなぜ4回か?』という過去動画にまつわる話
- 世の中で当たり前のことは、当たり前すぎて伝わらなくなっていく
- 「逆三日月」という「月の話」
- 日本が、明治5年に旧暦から陽暦に変わった経緯について
- 陰暦が一般的な時代の、天理教と「陰暦26日」と「逆三日月」の関係について
- 陰暦26日は、午前0時を回ってから真夜中に「月」が出てくる
- 現代科学の計算によって、おやさまは、「月」が山に隠れていくと同時に現身を隠されたことがわかっている
- 天理教が立教した「陰暦10月26日午前8時頃」は「月」は真南に上がる時間帯
- 陰暦の26日は、「太陽と月」が同時に空に輝く日
- 2022年2月26日(陽暦)のご本部「おつとめ」は、旧暦でも26日にあたる珍しい日だった
- 再び、当たり前のことは当たり前すぎて伝わらなくなっていくという話
- なぜ、天理教の「おつとめ」が「陰暦」から「陽暦」の26日に変わったのか、について
- 本愛大教会の 「今日を陽気に。」というテーマについて
- 本愛大教会長 安藤先生講話「月の満ち欠けと天理教の関係性とは【その時代の『当たり前』を考える】」【YouTube文字起こし】
- 動画を視聴しての感想
- 今回の動画を通しての学び(個人的覚え書)
最初に紹介する動画について
1本目の茶木谷先生の動画は、
第5回目【逸話篇の世界を旅する5】番外編「八つのほこりを科学する」
第11回目【逸話篇の世界を旅する11】番外編「さとりの方程式」同様、
【逸話篇の世界を旅する】シリーズながらも『教祖伝逸話篇』から離れたお話です。
しかし、それはそれで、いつものようにとても勉強になる内容でした。
ただ、今回勉強する動画は、「陰暦26日」と月と太陽の関連についての深いお話なのですが、
動きについての説明なので、文字だけだと分かりにくい部分がかなりあります。
はっきり言って【文字起こし】には向いていない動画です。
今回取り上げている、天体運動のような「動き」を説明する事柄こそ、
YouTubeのような『動画』の得意ジャンルであり、その強味が大いに生かされる分野でありましょう。
【文字起こし】に取り掛かってしばらくして、
「これは、動きを説明するお話なので、文字起こししても、読み返しに堪え得ないかも…」
という気持ちが強く湧いてきました。
文字起こしには向いていない内容なので、途中でやめようかとも思いました。
ただ、「文字起こし」作業者である私自身は、
お話を何度も聴き返す作業を通して、グッと理解を深めることができるという恩恵を感じていましたので、最後までやり切ることにしたのでした。
ですから、今回の茶木谷先生講話の「文字起こし」は、
実際のところは、私自信の自己満足の足跡に過ぎないものと言えるかもしれません。
それをネット上に公開するのはいかがなものか、という、多少後ろめたい気持ちもあります。
しかし、このブログは私の「自己学習ノート」という位置付けでやらせてもらっておりますし、
「文字」にしたものを読み返して何のことか分からなければ、ただ読むのをやめればいいだけ。
誰に迷惑をかけるわけでもない。
なので、この際、意味があるかどうかは棚上げして、そのまま公開させて頂くことにしました。
ということで、まずは、茶木谷吉信先生の
【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズ第15回目、
「月様と日様とおつとめの話」
という動画の【文字起こし】を公開します。
動画公開日: 2022年4月23日
動画概要欄: 「旧暦26日に起こる不思議な現象。その謎を解き明かし、おつとめにこめられた親心に迫る。」
この動画を新しいタブで視聴したい方はこちらからどうぞ↓
https://www.youtube.com/watch?v=4Yuw8qlvrOM
茶木谷吉信先生講話「月様と日様とおつとめの話」【YouTube文字起こし】
ハイ、皆さん、こんにちは。
エ~とですね、いつものように『逸話篇』を今日はやるのではなくて、
ちょっと違う話を、今日はしたいと思っています。
2022年2月のご本部月次祭直前に教内に拡散した、「陰暦と陽暦が重なる26日」という話について
なぜ、ちょっと違う話をするかって言うと、
今年のですね…、今年は2022年ですけど、2月の月次祭の直前に、LINEとかTwitterで面白い情報が教内に拡散したんですね。
耳になさった方も多いと思いますね。で、どういう内容かって言うと、こういう内容です。
「ご存じでしょうか?(!)
今月26日は、陰暦正月26日と同じ日になります。
50年に一度の偶然ですよ!
おつとめが勤められている間、おぢばの南の空に、お日様とお月様が並んで顔を出されているそうですよ。
何ともおめでたい月次祭になりそうです‼
帰れる人は、是非ともご帰参下さい!」
っていう、こういう情報が流れたんですね。来ましたでしょ?
私の所にも実は来たんですね。複数の方から来ましたね。ハイ。
でも、これちょっとね、何が50年に一度なのかとか、
そのへんがちょっと、こぅ、ハッキリ正確に書かれてないので、正確性をちょっと欠く部分があります。で、また、いろんな人からね、
「なんでこういうこと起きるの?」
って聞かれる…、何人かから聞かれたんですけど、
やっぱり、こぅ、なかなか、これが、なんでこういうことが起きるのかってのを御存じでない方が意外と多かったので、あぁ、この際だから、ちょっと、お月様とお日様と、それと「おつとめ」の関係っていうのを、この際、記録に残す意味でも、
何かこぅ…、きちっと解説しておきたいなぁ、と思って…(やることにしました…)ハイ。
今日のお話は、お月様とお日様と「おつとめ」の話
今日はそういうお話を、
お月様とお日様と「おつとめ」のお話を、したいと思っています。ハイ。
お月様とお日様の動きの説明
で、ですね、
お月様とお日様っていうのは、これ、実は…、こぅ、毎日…、位置が変わるっていうのはご存じですよね?満ち欠けするんですよね、このお月様って。
膨らんだり欠けたりするんです。
で、このお月様とお日様っていうのは、実はこういうふうに動いていくんですけど
(と言いながら、月と日の模型を手で動かす)
例えば、これがピタッと重なったとします。
実際重なっちゃたら、これ、日食になっちゃうんですけど…、
ほぼ同じぐらいの位置に来る、と思って下さい。で、この時の、日のことを「朔」(さく)って言います。
で、「朔」と「日」ってくっつけて、これ、「ついたち」って読むんです。ハイ。
で、なんでこれ、「ついたち」って読むかっていうと、
これが、旧暦の「一日」だからです。旧暦の「ついたち」のことを、「朔」(さく)っていうふうに言います。
で、この日は、月は見えません。
なぜかって言うと、太陽があまりにも、こぅ、輝いてるので、もぅ、その光に消されちゃって、月は見えないんですね。
ところが、
これが、一日、(月と太陽が)こういうふうに回っていきますね。
で、少~しずつ、これがね、一日12度ずつ離れていくんです。
ハイ、次の日はこれぐらい離れます。
(と言って月と太陽の模型を少し離した位置で止めた状態で示す)
と行って、
丁度、こういう感じの時
(太陽が山の下に隠れて、少しだけ離れて月が浮かんでいる状態)
丁度、これくらい離れた時に、こういうお月様が出ます
(と言って、右側が輝く細い三日月のお月様模型を指す)
これを「三日月」(みかづき)と言います。ハイ。
なぜ「三日月」(みかづき)って言うかというと…
これ(朔日)、ついたちだったですよね、(月と日が)重なってる日。
これ、12度ずつ離れていくから、これ(重なった日から)三日の日なんです。
三日の月だから「三日月」っていう…、文字通りなんです。ハイ。
そして、これが、こういうふうに
(と言いながら月と太陽の模型を回して見せる)
流れて行って、同じ時刻を見てみると…
こういうふうに離れていくんですね
(と言って、先ほどより月と日の模型を距離が離れた位置で止めて示す)
丁度、この(月と太陽が離れて)90度の位置に来た時、
太陽から、こぅ(右側が)照らされて、
こぅ(地上から)見えますから、
丁度、この90度の位置に来た時が、
これが「半月」という状態ですね。
そして、これ(月と太陽)が、またず~っと離れていって、
(月が)ここ(地平の対極線上)に来た時、
これが、いわゆる、真正面から光を受ける、
そのお月様が僕らに見えるっていうんで、これが「満月」。
これが実は、15日なんですね。
旧暦で言いますと15日なんです。
「十五夜お月様」って聞いたことありますか?
だから「十五夜お月様」はまん丸なんです。ハイ。
で、これを「望」(ぼう)と言います。
「朔」(さく)に対して、これ、「望」(ぼう)と言います。
で、「望」と「月」と書いて、これ、「もちづき」と読みますけれども・・・。ハイ、ハイ。
「望月」(もちづき)っていうのは、こういう意味なんですね。
ここ、「満月」です。お盆はですね、なんで8月15日、あるいは7月15日の地域もありますけど…、
なんで15日なのかって…、
これね、実は15日しか出来ないんです。当時、だって、電気も何もないから、(夜は)真っ黒けだから、
だから、月の明るさ、満月の明るさがなかったら、盆踊りなんて踊ってられないんですよね。ハイ。だから、「十五夜」でないと盆踊りが出来ないので、お盆は15日なんです。ハイ。
で、さらに…、これは当然のことながら、ず~っと、こういうふうに離れていくわけですね
(と言いながら、月と日の模型を旋回状に移動させる)
で、お月様がお日様に追いつきそうになるんですよ。
「逆三日月」=「下弦の月」について
で、こういうお月様は、
じゃあ、いつ見れるのかっていうと、
こう(最初と逆方向の位置)ですね。
こういう形の時に、こういう、逆に欠けたお月様が見えます。ハイ。
で、この「逆三日月」になりますね。
日頃、我々が見慣れている「三日月」の形ではなくて、逆が欠けた…こういう…
これ、言葉で言えば、これは「下弦の月」って言います。ハイ。
「下弦の月」。こっち(最初の位置)が「上弦の月」って言うんですけど…。ハイ。
これ「下弦の月」って言うんですけどね。
こういう形で見える。これが、実は、旧暦で言いますと…、
これ(月と日)が、またピタッとくっ付くのが、例えば27日だとか28日…28日ですね。
だとか…、こぅ、また重なって新月を迎えるんですけど。
また、朔(さく)を迎えるんですね。まぁ、これぐらい離れている、と。
28日でおよそ、ほぼ…、28日で追いつきますので…。
陰暦26日は「逆三日月」=「下弦の月」の日であるという話
で、こういう状態(下弦の月の状態)、こういう…、
これ、じゃあ一体、これ旧暦の何日なんだ?ってことなんです。実は、これが、陰暦26日じゃないの? って思った人が、実はいるんです。ハイ。
で、これね、絶対にこうだよ、って言ってるわけじゃありません。
こういうことじゃないのかな、って考えた人がいるんです。
これに最初に気が付いたのは、西宮大教会の高山さんって私のお友達なんですけど、
この方が最初に、これに気付いたんです。で、そこからヒントを得て、いろいろ調べてみたんですね。ハイ。
これをご覧ください。
これは、山名大教会に保管されている「月日の紋様入りの扇」です。
お月様が、やっぱりこういう「逆三日月」になっているのに、ご注意ください。
こういうですね、
お月様が実は、さっきご紹介した普通の三日月の扇であるのも、実は、あります。(しかし)ほとんどの場合、
こぅ「逆三日月」を書かれている、ということなんですね。
ハイ、次の絵、ご覧ください。
これは、「月日の紋様入りの盃」です。
これ、いろんな資料、いろんな本に資料が残っていますけれども、やはり、お月様は逆に描かれています。
ハイ、もう一枚ご覧ください。
これは、大江大教会の初代が頂かれたお盃です。
やはり逆になっています。
この「逆三日月」、先ほども言いましたけど、
「下弦の月」って言います。
で、なぜ、この「逆の三日月」が我々になじみが少ないかって言いますと、
これは、だいたい午前3時ぐらいに昇ってきて、で、お日様が昇ってしまうと、
実は、この三日月は消えてしまうんですね、太陽の光に消されて。だから、よほどの早起きの人でないと、この月を見ることはないからです。
だから、私たちは、ちょっとこぅ…、日頃、「逆三日月」って、なかなか目にすること少ないんですけども…。
で、昔の先生方は、実は、月日の紋様を描かれる時に、
「陰暦26日」の月をお描きになったんじゃないか、っていうふうに思う人がいて…私も、実はそのことに気付いて
「あ、そういう見方っておもしろいなぁ」っていうふうに思いました。絶対にこうだ、っていう意味じゃありません。
私が断定しているわけでもなんでもありません。
ただ、そういう見方もおもしろいな、と思ったんです。
陰暦26日の、お月様とお日様の動きについて
さらに、旧暦の26日のお月様とお日様の動きを調べてみると、興味深いことがわかってきます。
さっき、LINEで拡散した情報ですね、
今年の陰暦正月26日は、2月の26日でした、って書いてありました。ハイ。で、この日、奈良県地方の「月の出」は、調べてみると、午前3時ピッタリなんですね。
そして、「日の出」が午前6時29分。
それから、月が「南中」するのが午前7時50分。
さらに、太陽が「南中」…、南中って一番南の高い所にくるっていう意味ですけど…、「南中」するのが午後12時9分。
そして、お月様がお隠れ(「月の入」)になるのが午後12時40分。
…となっています。つまり、お月様が「南中」されてから、
お日様が「南中」されるまでの時間帯は、
午前7時50分から午後12時9分。この間、何が行われているかっていうと…
陽暦と旧暦の26日が重なる日だと…この時間帯に、実は、「かぐらづとめ」あるいは「てをどり」が勤められている、
ってことですよね。
陽暦と陰暦の26日が重なる日の「かぐらづとめ」時間帯は、お月様お日様の両者が天上にある
つまり、この旧暦26日のこの時間帯は、
お月様もお日様もどちらもお隠れになることなく、
一番高い所から、私たちをニコニコとご覧になっている、っていうことなんです。ハイ。そういう意味なんですね。
あのLINEの拡散された情報の意味するところは、こういうことです。で、もちろん、現代はですね、
こういうふうに、新暦と旧暦がピッタリと重なるっていうのは、なかなか珍しいことなんですけれども…、
だから、毎月こうかっていうと、それは当てはまりません。しかし、旧暦の26日と陽暦の26日が重なる日というのは、
実は、こういう位置関係で、
お月様とお日様がニコニコと私たちのことをご覧になっている
っていうことなんです。
天保9年10月26日(陰暦)「日の出」の直後に立教を迎えている
さらに面白いことを、今から申し上げますけど、
天保9年10月26日(陰暦)といえば、
これは、西暦1838年12月12日(陽暦)なんですけど、
…この日は立教の日ですよね。で、この日の奈良県地方の「日の出」を調べてみました。ハイ。
この、天保9年の…、陽暦に直すと12月12日、陰暦10月26日っていうのは、
「日の出」がですね、6時54分なんです。で、立教は?
…いろんな本を読むと、『稿本天理教教祖伝』なんか読むと、
立教は、「朝五つ刻」って言われています。「朝五つ刻」っていうのは、現代の時刻に直すと、だいたい午前8時ぐらい…約ですね…、って言われています。
つまり、「日の出」の直後に、実は、立教を迎えているんですね。ハイ。
明治20年陰暦正月26日「月の入」直後におやさまが現身をお隠しになっている
じゃあ、今度は、明治20年陰暦正月26日。
これは、おやさまがお姿をお隠しになった日です。ハイ。
この日は、西暦に直しますと、1887年2月の18日にあたります。
この日の奈良県地方の「月の入」を調べてみました。
そうすると、この時刻は午後1時39分です。つまり。ね。
月が入ってお隠れになって、お月様がお隠れになったその直後、20分後に、
その余韻を引きずるように、おやさまが現身(うつしみ)をお隠しになるんです。
天理教は、お日様が昇った直後に立教を迎え、お月様が沈んだ直後におやさまがお姿をお隠しになった
だから、この事実を知る時に…
この、お日様が昇った直後に立教を迎え、
お月様が沈んだ直後にご存命のおやさまがお姿をお隠しになる…
「二十六日というは、始めた理と治まりた理と、理は一つである。」(おさしづ 明治29年2月29日)
これ、明治29年2月29日の『おさしづ』なんですけど、
このお言葉がですね、
実に新鮮に、私は、心に響いてきたんです。もちろん、
「始めた理と治まりた理と、理は一つである」
っていうお言葉は、いろんな悟りがあります。例えば、
「三年三月とどまりていた」っていうことから、この『おさしづ』を解説なさる、
そういうふうに悟っておられる先生方も、たっくさんおいでになります。
私、存じ上げておりますけれども…。やはり、お月様とお日様の関係を見てみると、この
「始めた理と治まりた理と、理は一つである」
っていうお言葉が、
また違う意味で、心に、こぅ、グッと迫ってくるような気が、私はしているんですね。
今後の陽暦26日と陰暦26日が重なる日について
「なんだ、エ~ッ」
「今年(2022年)の2月26日って、そんな珍しい日だったのか、惜しかった~」
「知っておけばよかった~」って…ねぇ、
思っておられる方、おいでになりませんか?大丈夫です。大丈夫です(笑)
月次祭が行われる、その陽暦26日と
陰暦26日が重なる日というのは、けっこう頻繁に起こっています。直近では…、
ハイ、来月(動画収録日:2022年3月26日)、4月の26日も、陰暦3月26日と重なっています。ハイ。再来月、5月の月次祭の日も、陰暦4月の26日です。ハイ。
5月26日と陰暦4月26日と重なっています。けっこう重なるんです。
これ、考えてみたら、
だいたい、ホラ、28日しかないから、28回に1回は重なっても、別におかしくないですね。じゃあ、50年に1回って書いてありましたよね、LINEに。
じゃあ、陰暦正月26日が、陽暦の26日と重なる日っていうのは…、これは珍しいんじゃないの? っていうふうにお思いになる方がおいでになると思います。
これは当然です。
だって(陰暦正月26日は)1年に1回しかないわけですから、
その日が(陽暦の26日と)ピッタリ重なるって、けっこう稀な現象じゃないかって思っておられる、と思いますけれども…。実は、非常に稀なんですけれども、
LINEの情報のように50年に一度ではないんです。ハイ。次はいつ来るかと言うと、2041年にやってきます。ハイ。
で、その次が…、生きてるかなぁ(笑)…、あと20年…、私、もぅ80になっちゃう…(笑)
その次はですね、2052年に来ます。
で、その次は、2098年に来ます。ハイ。だから、この76年間に3回やってきます。
若い人は、ね、ひょっとしたら、この3回、全部巡り合えるかもしれない。
今年を除いてですよ。だから、そういう…、実は、意味で、LINEが拡散した、ってことなんです。ハイ。
だから、その(LINEに書いてあったような)50年に一度というのは、陰暦正月26日と(陽暦)26日が重なるっていう珍しい日が、それぐらいの「レア」な、珍しい重なりになる(という意味だと思う)んですけれども…、
(でも)けっこう、陰暦、陽暦が重なってる日っていうのは、けっこう頻繁に起こっている(んです)…
陰暦を意識をしながらご本部月次祭に参拝して、お月様とお日様とおつとめの関係について思案してみよう
だから、皆さま方、
本部の月次祭を参拝なさる時は、
今日は陰暦の何日かなぁ?
っていうことを、ちょっとだけ意識をして、ご本部の月次祭に参拝なさると、
また違った意味で、
この「お月様」と「お日様」の関係がわかるんじゃないかなぁ
って、私思ってます。もぅ、ね、どちらかがお隠れにならずにですね、
たとえば、片一方が、こぅ隠れてる、
って時もあるんですよね。でも、これが…、
さっきも言いましたけれども、
お月様とお日様が、両方ともお隠れにならずに、ニコニコと、私たちのことを見守って下さっているっていうのが、
この、陰暦26日の意味であります。今日は、ちょっとわかりやく、
まぁ、だいたい中学生ぐらいの理科の知識があればお分かり頂けたんじゃないかなぁっていうふうに思ってるんですけど…それでもわかんないって仰る方は、
どうぞ、養徳社を通じて、私の所にメールでも何でも下されば、
また、親切、丁寧に、解説をさせて頂きたいと思っています。何かの参考にして頂けれたら、大変有難いです。
【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズ>【逸話篇の世界を旅する15・番外編】「月様と日様とおつとめの話」より
最後までご視聴頂きまして、有難うございました。
動画のコメント欄に、以下のような茶木谷先生のコメントが出ていましたのでコピペしておきます。
講師の茶木谷です。上がってしまっていたのか、
①月の公転周期、
②朔望月、
③旧暦の一ヶ月、
を混同してめちゃくちゃにしゃべっています(笑)。
①月の公転周期は約27.3日、
②一朔望月は約29.5日、
③旧暦の一ヶ月は29日または30日、
と訂正してお詫びいたします。
(動画のコメント欄より)
※朔望月(さくぼうげつ、英: synodic month)は、月の満ち欠けの1周期である。
特に、朔(新月)から次の朔、あるいは望(満月)から次の望までの期間を呼ぶ。
朔とは太陽と月の合(黄経差が0°)、望は太陽と月の衝(黄経差が180°)のときである。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
陰暦26日の「お月様とお日様の動き」という、
天体の動きに関するスケールの大きなお話でしたね。
以上、「月様と日様とおつとめの話」いうYouTube動画の【文字起こし】でした。
次に紹介する動画について
茶木谷先生の動画視聴後、動画コメント欄を眺めていたところ、
「tolk tombrun」という人が、関連動画として
「Hon-ai Grand Church 天理教本愛大教会公式チャンネル」(本愛大教会)の
「月の満ち欠けと天理教の関係性とは」
という動画を紹介してくれているのが目に止まりました。
何気なく視聴。
そうしたところ、まさしく茶木谷先生の講話に関連した、
まるで茶木谷先生の話を補完するかの如き内容のお話で、
非常に強い感銘を覚えました。
最初、そのつもりはなかったのですが、
「これは、ぜひ、安藤先生の『陰暦26日』のお話の方も、合わせて【文字起こし】して勉強したい」
と感じ、もうひと頑張りして、
こちらの方も【文字起こし】致しました。
ということで。
長くなりますが、続けて、天理教本愛大教会長 安藤吉人先生による
「月の満ち欠けと天理教の関係性とは【その時代の『当たり前』を考える】」
という動画の【文字起こし】を公開します。
動画公開日: 2022年2月28日(講話収録日:2022年2月14日)
動画概要欄:
「二代真柱様のお言葉の引用はこちら↓
『成人譜その二』
「日取りの決定は、假令、摂行者時代とはいえ、私の責任なので、父様がお達者であったならば、或は陰暦を使われたのではないかとさえ思うのであります。」
また
「明治四十三年度から、陽暦による大祭が執行されたのでありますが、それから、何も考えずに、陽暦を使っていましたまま、三十年祭にも、陰、陽両暦を考案することなく、年祭は、大祭の前日二十五日に勤めるものとの軽い考え方でありましたように思います。
何れにせよ、私の責任になってから、陽暦による年祭が始まったのであります。
このことは将来問題になる日もあり、する人も出る事と思いますので、一筆誌しておきます。」
~中略~
動画内で紹介した前回の「天理教の拍手はなぜ4回?」の動画はこちらから↓
https://youtu.be/G0vO0j3IY_s
この動画を新しいタブで視聴したい方はこちらからどうぞ↓
https://www.youtube.com/watch?v=4LK0gdxE7-M
本愛大教会長 安藤先生講話「月の満ち欠けと天理教の関係性とは【その時代の『当たり前』を考える】」【YouTube文字起こし】
皆様、こんにちは。
それでは、私の方でお話を、引き続きさせて頂きます。
『天理教の拍子はなぜ4回か?』という過去動画にまつわる話
今月の頭に、YouTube の方に、このような
『天理教の拍子(かしわで)はなぜ4回か?』
という…意味をですね、何でなんだ?ということをお話しして(YouTubeに)上げたんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=G0vO0j3IY_s
(すると)非常にこの反響が良くてですね、
普段、YouTube に上げますと、
だいたい1か月、1ヶ月経って千回再生されるんですけども、
この「拍子(かしわで)」の話はですね、
1ヶ月経たずに、なんと2週間でもう2千回再生された。いつもよりも、非常に皆さんに観て頂いているんです。
で、なんで皆さん、こんなにいつもより観て下さったんかなぁ、と思って、いろいろ考えたんですけども…
もう一つは、今回、いつもと違うかったのはですね、
これを上げたことで、
「観ましたよー」とか
「あのことを教えて頂いてありがとうございます」っていうのも、
非常に多かったんです、連絡がくるのが。さっきも、ある男性の方から連絡が来て、
「このYouTube観さしてもらいました。拍手のことを今までわかんなかったのがよくわかりました!」
って連絡来たんです。あっ、それぐらい、皆さん、
天理教の拍手がなんで4回なのか?
ということに興味があったんだなぁ、と思ってですね、
僕もビックリしたんですね。で、このYouTube の中で、
東海大教会の初代会長の加見兵四郎先生っていう人の話をしているんです。で、もちろん、本愛の初代さんの話もしてますし、中では愛町の初代さんの話もしてますし…
なんで4回かっていうのは、いろんな先生の悟りをお話ししていったんですけども…
その中の、東海大教会の加見兵四郎先生っていう方はですね、
これ、一説によると、私、学生時代に大学の先生から聞いたんですが…
加見兵四郎先生というのは、
おやさまのお話を、一番間近で、一番多く聞いた人じゃないかって言われている人なんですね。で、その加見兵四郎先っていうのが、
4回打つっていうのは、「幸せよき」「幸せよき」、幸せになるように、と親神に祈る気持ちで4回叩くんだって教えて下さってるんですね。
…って、そんな話をしたんですね。そしたら、その、東海の、ある方から連絡が来て、
「今回、うちの初代を取り上げてくれてありがとうございます」って(言って、続けて、)
「僕、そういえば、思い返せば、子供の頃から、4回手を打つのは、『し・あ・わ・せ』って、『し・あ・わ・せ』って心の中で願いながら手を叩きなさいね、って教えてきてもらったんですって、そのことを思い出しました」
って教えてくれたんです。あぁそうなんだって、東海ではそうやって教えてもらうんだね、っていう話を聞いたので、
それをまた、僕、いろんな教会に巡教に行って、一番最初にその話をするんです。「東海では、 『し・あ・わ・せ』って教えてもらったらしいですよ」
って言ったら、
一つの教会でその話をしたら、だいたい1人か2人は、
「私も子供の頃、そういえば、おじいちゃんおばあちゃんにそう言って教えてもらいました」
っていう人が出てきたり、
「ウチでは、最初に4回、後に4回だから、しじゅう(始終)良くなるように、って教えてもらいました」とか。そうやってですね、こぅ、発信したら、
それに対して、いろんな人の思いがまた、こぅ、返ってきて、
僕が、すごい面白いなぁ、と思ったんです。で、ある教会長さんにこの話をしたら…
「いや確かに、僕もよく考えたら、子供の頃、ウチの初代のおじいちゃんおばあちゃんに、参拝する時は、『し・あ・わ・せ』って心で願いなさいよって言われてたけども、今大人になって、もぅそんなこと当たり前すぎて忘れてた」
「当たり前すぎて言うのも恥ずかしいぐらいだった」
「4回叩くのは幸せっていう…、そんなの恥ずかしくて、今、よぅ言えんかったです」
って言う人がいたんですね。
僕もそれ聞いてね、
「あぁ、なるほどな」と思って。なぜならば、僕は、子供の頃から
「4回叩くのは幸せっていう意味だよ」
なんて教えてもらったことがないんですよ。
世の中で当たり前のことは、当たり前すぎて伝わらなくなっていく
どういうことかって言うと…
世の中って、当たり前のことって、当たり前すぎてどんどんどんどん伝わらなくなっていっちゃう。
もぅ、こんなこと、みんな知ってるから言うのも恥ずかしい、言っても意味がない、って思ったらですね、
それは、次の代に伝わっていかないんだなぁっていうことを今回、この4拍手(をめぐる)話の中で、あぁ、なるほどなぁって(改めて感じた)…
当たり前のことは、伝わっていかないんだ、
っていうことを、再度、勉強する機会になったんですね。今日、お話ししたいことは、
天理教本愛大教会公式チャンネル>月の満ち欠けと天理教の関係性とは【その時代の『当たり前』を考える】より
この、当たり前のことが、当たり前として伝わっていかない、
っていうことなんですけども…。
「逆三日月」という「月の話」
昨日、月次祭で、私、「月の話」をしたんです。
「月の話」を。
で、本当は、月次祭でも、ここまで詳しく話をしたかったんですけども、
こうやって、皆さんに見せられるものもないので…
あ、これは「お話会」でお話ししたらいいなぁ、と思って、具体的には置いといたんですけども…。
皆さん、この、三日月っていうのが、
世の中では「逆三日月」って言われる月でございまして…昔の先生方と言いますか、昔の人たちはですね、
月を見れば(今日は)何日か、っていうのが分かったんです。それは、旧暦を使っていたから、
月の満ち欠けによって、その日が何日なのか、
その日がいつなのか、
っていうのが分かったんですね。
日本が、明治5年に旧暦から陽暦に変わった経緯について
で、これがですね、
面白いことに、なんと明治5年の12月2日に、旧暦から陽暦に変わるんですね、日本は。
明治5年に。で、なんで旧暦から陽暦に変わったかというとですね、
これは、いろんな話があるんですけども…その中でも、一番、今、その理由だって言われているのはですね、
旧暦だと、3年に1回「閏月(うるうづき)」っていってですね、
「閏年(うるうどし)」があったんですね。で、今の閏年と違いましてですね、当時は1ヶ月増えるんです。
1年が13ヶ月になるんですね。月の満ち欠けで運行しているとですね、1ヶ月分、3年経つと日が余ってくる。
それを調整するために、「閏月」っていう1か月間増える月があったんです。
それが、明治5年だったんですね。
その年、明治政府はお金がなくて、
13か月分の給料を公務員に払えなくなるんです。そこでやったことが、「陽暦にしちゃえ」って(いうこと)。
陽暦にしたら、1ヶ月分の予算が減るって(考えた)。それで、
明治5年の12月2日を最後に、
いきなり、明治6年の1月1日に変わるんです。これが、旧暦から陽暦に変わった流れなんですね。
しかも、そこから、
日本中にですね、「陽暦を使え」っていうことで…これは、去年、立教184年の3月の『みちのとも』にも載っているんですけども、
陰暦で正月を祝うとですね、当時、日本は、明治は…、罰金があったそうです。陰暦を使って生活しているとですね、罰金制度があったぐらい…、
それぐらい明治政府は、もぅ、どんどんどんどん陽暦にしようとしたんです。
陰暦が一般的な時代の、天理教と「陰暦26日」と「逆三日月」の関係について
それを、天理教はですね、
もともと、陰暦で月を見て、「二十六夜月」っていうぐらいですから、
26日の「月」は、
当時の人たち、みんな「月」を見て、
「あっ明日、26日だね、よし、この月のこの日に、『おつとめ』をつとめるんだね」、
そういう認識でいたんですね。そのことが、もう少し分かりやすく言うと、これ。
これですね、明治時代の「おつとめの扇」なんです。
明治時代の扇はですね、
表が丸の「太陽」。裏がですね、「月」になってるんです。
(で、)ちゃんとこの月、「逆三日月」になってるんです。
「二十六夜月」になってるんです。
また、これちょっと見にくいんですけども、
これ、山名大教会に伝わる盃なんですけどね、
おやさまが、当時の信者さんたちに渡してた盃なんですけど…
これもですね、ちゃんと、この「逆三日月」になってるんです。
こっちの三日月(=逆三日月)と太陽。
だから、この三日月で「26日の月」っていうのは、おやさまは常に、この「月」を仰ってたんですね。
で、さらに、『おさしづ』にいくとですね、
「二十六日は夜に出て 昼に治まりた理」 という言葉があります。
〔さあ/\二十六日は夜に出て昼に治まりた理。(おさしづ 明治29年2月29日)で、これも、今の解釈では、
天理教が元々始まった立教の日が、親神様が夜に出てこられて、そして、おやさまが現身(うつしみ)を隠された時が昼に収まった、
っていう意味で、これを書かれてるんですけども…僕は、これ読んだ時に、実は、「月」の動きがこうなんじゃないか、と思ったんです。
陰暦26日は、午前0時を回ってから真夜中に「月」が出てくる
どういうことかというと、
26日の(天体の)「月」は、必ず、午前0時を回ってからじゃないと出てこない、
っていうことが、今わかってるんですね。つまり、これは「月」の話だと。
26日っていうのは、夜に「月」が出てくる。
真夜中に「月」が出てくる。
現代科学の計算によって、おやさまは、「月」が山に隠れていくと同時に現身を隠されたことがわかっている
そして、なんと、ここが面白いんですけども…。
今ね、世の中便利で、「月の出」「月の入」マップっていうのが(あって)、
インターネットで見ることができるんですね。これ、おやさまが現身(うつしみ)を隠された日の「月の入」と「月の出」の時間なんです。
皆さん、これ見て下さい。
おやさまが現身を隠された日。
「月」が消えるのは、丁度2時なんです。
今、2時のサイレン鳴るじゃないですか。
おやさまは、「月」が山に隠れていくと同時に、現身を隠されたんです、実は。
これ、今だからわかるんですね。
今だから、いろいろ計算してわかるんですけども、
「月」の動きと、天理教の動きって、すごく似てる…、
似てるというか、すごい関係性があるんです。
天理教が立教した「陰暦10月26日午前8時頃」は「月」は真南に上がる時間帯
さらにこれ。
これ、めちゃくちゃ面白いんですけど、これ、立教の日です。
1838年。天理教が始まった日です。
陰暦10月26日です。
この日、
まさに親神様がおやさまの体に降りて、さあ今から天理教が始まるっていう時に…
今、おつとめは、10月26日だけは8時からスタートされます。
で、それは、8時から…8時頃に、
「みきを神のやしろとして差し上げます」って、(夫・善兵衛様が)仰ったっていう日が、時間がそうだから、8時になってるんですけども…
なんと、この8時に何があったかというと、
8時に、「月」が真南に上がるんです。
陰暦の26日は、「太陽と月」が同時に空に輝く日
陰暦の26日っていうのは、
「月」が8時頃に真南に上がるんです。東から出た「月」が、真南に上がる。
そして、「太陽と月」が、(同時に)空に輝く日なんです。
神様は、「おつとめ」を通して「月日」両神に陽気な姿を見てもらいたい(と思っておられる)
26日になんで「おつとめ」をつとめるかというと、
空に、「月と太陽」が(同時に)ある日が(陰暦の)「26日」なんです。意味わかりますか?
その日以外は、
まぁあるんだけども、どっちかが遅かったりどっちかが早かったり…、
ちょうど空に「月日」があるっていうのが、
この「陰暦の26日」なんですね。
2022年2月26日(陽暦)のご本部「おつとめ」は、旧暦でも26日にあたる珍しい日だった
で、なんと、その陰暦の26日に「おつとめ」をつとめるのが、
この(2022年)2月の26日が、なんと旧暦では1月26日で…、「おつとめ」をつとめるんです。
まさに19年ぶりです。月と太陽が空にある状態で「かぐらづとめ」が行われる。
しかもそれが、陰暦の1月26日に当たるのは、なんと19年ぶりなんです、今回。
再び、当たり前のことは当たり前すぎて伝わらなくなっていくという話
で、これを、僕なんでこんなにうるさく(しつこく)言ってるとかというと、さっきの話。
これはもともと、当たり前の話すぎて、
当時の、おやさまが現身を隠された後の先生方からしたら、
「そりゃ26日はこの月の形やろ」って(言うでしょう)…。
さっき皆さんに見て頂いた、この形。
「26日なら、こんなん当たり前や」
「26日の月やないか、これ」って…(という感じで)
誰が見ても、これ26日って言ってたんです…(当時なら)
でも、時代が進むにつれて…
皆さん、「月」を見ただけで、
今日が何日か、陰暦の何日かなんて分かる人、この中にいますか?もし、いるならば、
それは、何か、農業とか釣りとかね、そういう農産業の人たちは、月の動きを見て、海に出る時間であったり、海の潮の満ち引きなど、
月と対話ができる職業の人しか、今の時代は、これが26日なんていうこと分かんないんです。当たり前すぎて、僕は、これが失われていったんだなって思うんですね。
なぜ、天理教の「おつとめ」が「陰暦」から「陽暦」の26日に変わったのか、について
で、まさに…、これは、実はですね、これ、二代真柱様のお言葉なんです。
二代真柱様はですね、なんと…、
じゃ、なんで天理教が陰暦から陽暦の「おつとめ」に変えたかっていうと、ここに書いてあるんです。
それは、明治43年に、陽暦に変わるんですけども、その前に「一派独立」するんです、天理教が。
やっと、一つの「天理教」として国に認めてもらうんです。その喜びに、当時の明治政府から
「天理教、そろそろお前ら、陽暦で『おつとめ』しろよ」
と言われて、「分かった」って言って、陽暦に変える。で、この文章の中で、二代真柱様は、
「当時、自分も子供でよく分からんかった」
っていうことの内容を書いてるんですね。「自分もよく分からんかったけども、でも、いずれこのことは、誰かが問題にすると思う」
って、ちゃんと言ってるんです。「問題にすると思うし、このことが問題になる日が来るから、一筆記しときます」
って、ここに書いてあるんですね…。
【動画概要欄】から
中山正善・二代真柱様 『成人譜 その二』より
「日取りの決定は、假令、摂行者時代とはいえ、私の責任なので、父様がお達者であったならば、或は陰暦を使われたのではないかとさえ思うのであります。」
「明治四十三年度から、陽暦による大祭が執行されたのでありますが、それから、何も考えずに、陽暦を使っていましたまま、三十年祭にも、陰、陽両暦を考案することなく、年祭は、大祭の前日二十五日に勤めるものとの軽い考え方でありましたように思います。
何れにせよ、私の責任になってから、陽暦による年祭が始まったのであります。
このことは将来問題になる日もあり、する人も出る事と思いますので、一筆誌しておきます。」
本愛大教会の 「今日を陽気に。」というテーマについて
ということでですね、
時代は、当たり前のことは当たり前すぎて、どんどん伝える人がそれを口にしなくなり、どんどんどんどん分からなくなっていく。で、わからなくなってもですね、私みたいに、とことん何か調べたいなぁとか、とことん知りたいなぁと思った人が、どんどん調べていくとですね、
「いや、昔の人はこうやって言ってたじゃん」とか「昔はこうやって思ってたじゃん」
っていうことがですね、より分かってくるんです。で、今、(本愛)大教会では、「今日を陽気に。」というテーマで話をしております。
で、この「今日を陽気に。」(というテーマ)もですね、
私、本愛につながる人がですね、
毎日を陽気に通ってほしいなぁ、お互いにいろんな日があるけども、陽気に通ることってやっぱり大事だよなぁって、
そういう思いで「今日を陽気に。」っていうのをキーワードにさして頂いたんですけども…。これもですね、いろいろ、こぅ調べていくと、面白いことに、本愛の初代さんも言ってるんですね(笑)
「おぉ、 本愛の初代さん、(同じこと)言ってんじゃん!」って…(驚いた)
で、今日はそれを、最後に皆さんにちょっとお伝えして終わりたいと思うんですけども…、
本愛の初代さんの本の中で、いろんな本がありますが、
『みかぐらうた講話』の中であったりですね、これは『用木の道』の中であったりもするんですけども、
「いつもたすけがせくからに はやくやうきになりてこい」
といってですね、
四下り目の五ツのお歌を引用して、
「陽気な心になることが大切だ」
っていうことを、初代様が仰って下さってるんですね。で、その陽気になる方法として、
これもですね、本を読むと非常に長くなるんでありますが、
「人間は早く陽気な心にならなければいけない」
というお言葉である、と書いてあります。で、陽気というのはどういうことか、
ということも書かれておるんですけども、
それを、今日はもう少し短く、具体的に言うとですね…
ここに行き着くんです。「陽気になるためには、精神は感謝、報恩でなければならぬと、常に、座右の銘としております。
神あって世の中あり、世の中ありて人間万物あり、心ありて体あり、体ありて衣食住、の順序を悟りつつ、日にちを喜んで通らせて頂いております。」ということがですね、
私が初代様の本をいろいろ読む中で、行き着いたところが…
ここに至ったわけであります。で、ここの最後にですね、
「日々を喜んで通らせて頂いております」と。これは、本愛の初代会長様が、天理教に入信してから、心に置いている座右の銘というのが、この言葉だったんです。
で、しかも、この言葉を覚えてですね、
「日々を喜んで通らせて頂いております」
という締めくくりをされております。私はこの部分…、
これもですね、今日、何度もお話をしている、当たり前のこと過ぎて、
日々を喜んで通らせて頂くなんて、
我々信仰者からしたら、当たり前のことすぎるんだけども・・・その当たり前を、
再度ですね、今、この機会に、お互い心に置いてですね、あぁ、陽気に通らしてもらうっていうのは、
日々をやっぱり喜んで通らしてもらわないかんのだな…そういったところに心を置いて、共につとめさして頂くことが大事だということで、
今日はお話を終えさせて頂きたいと思います。ご清聴いただきありがとうございました。
天理教本愛大教会公式チャンネル>月の満ち欠けと天理教の関係性とは【その時代の『当たり前』を考える】より
茶木谷先生のお話同様、陰暦26日と月の満ち欠けの関係性という、天体の動きに関するスケールの大きなお話でしたね。
その時代の「当たり前」についての考察も、非常に勉強になります。
以上、「月の満ち欠けと天理教の関係性とは【その時代の『当たり前』を考える】」いうYouTube動画の【文字起こし】でした。
動画を視聴しての感想
今年(2022年)の2月26日が、陽暦と陰暦の26日が重なった日だったなんて…。
今回の動画を視聴して初めて知りました。
そして、「陰暦26日」というのは、その日の午前中「月」と「太陽(日)」が同時に天上にある(天体運行的には)特別な日だったなんて!
そのことも、今回の動画によって初めて知りました。
最初、茶木谷先生の動画を視聴して、「陰暦26日」がそんな特別な日だとしたら、なんで、現代の天理教ご本部の「おつとめ」は「陰暦」でなくて「陽暦」の26日につとめられているんだろう…、
と素朴な疑問が湧きました。
しかし、その後、安藤先生の動画を視聴して、
それは、一派独立にあたって国家権力からの要請(指導?)を受けたためであったことを知り、
「なるほど、そういうことだったのか…」と腑に落ちたのでした。
と同時に、当時、それを決断した二代真柱様が、後に、ご自身の著作の中で、
「将来的にそのこと(陰暦ではなく陽暦で行うように変更したこと)は問題になる可能性がある」
と指摘しておられた、という安藤先生のお話が大変興味深く、心に残りました。
現在の天理教で当然の如く行われている行事や祭事の中にも、
もしかしたら、元々は、その当時の時代背景の影響を受けて、その背景をあまり吟味することなく、何となく始めたり変えたりしたものがあるのかもしれない…
本当は深い理合いのあることが、当時の社会情勢に合わせて人間都合で変えられて、そのまま何となく継続されているものが多いのかもしれない…、などと思ったりしました。
社会情勢に合わせて変えられたことが「何となく」そのまま今まで続いている、というのは、
別に天理教に限った話でなく、世界全体でよくあることなのかもしれませんけれど。
そういう面があるからこそ、「歴史」というものを学ぶことに意義があるのでしょうね。
・・・「文字起こし」を2本も続けて頑張った(?)せいで、つい、知ったふうなことを述べてしまいました(笑)
基礎教養のない人間が、充分理解しきれていないことを、背伸びしてもっともらしく語るのは控えておきましょう(汗)…(^^ゞ
いずれにしても、今回のお話は、全く知らないことばかりだったので、とにかく興味深い内容で、とても勉強になりました。
今回の動画を通しての学び(個人的覚え書)
- 陰暦の26日は、「月と日(太陽)」が同時に空にある。
- 陰暦26日に「かぐらづとめ」をつとめていた頃は、
「月と日」が同時に空にある日におつとめをしていたことになる。
- 明治43年以降、天理教は陽暦26日に「おつとめ」をするようになったので、
現在は、「陽暦」と「陰暦」の26日が重なる日の「かぐらづとめ」が、お月様お日様の両者を天上にいただいてつとめる「おつとめ」ということになる。
- 【最近の陽暦と陰暦が 重なった26日】
2022年2月26日(陰暦正月26日)
2022年4月26日(陰暦3月26日)
2022年5月26日(陰暦4月26日)
- 【今後、陰暦正月26日が 陽暦の26日と重なる日】
2041年陰暦正月26日(陽暦2月26日)
2052年陰暦正月26日(陽暦2月26日)
2098年陰暦正月26日(陽暦2月26日)
- 天理教は、「お日様」が昇った直後に立教を迎え、
「お月様」が沈んだ直後におやさまが現身をお隠しになられた。
- 天理教は、かつては「陰暦」の26日に「おつとめ」をつとめていたが、
一派独立にあたって、当時の明治政府(国家権力)からの要請もあり、
明治43年から「陽暦」の26日につとめることになった。
- 世の中で当たり前のことは、当たり前すぎて伝わらなくなっていくことが多々ある。
なので、折に触れて立ち止まり、見つめ直し、語り継ぐ必要のあることを洗い出し、それを語り継いでいく取り組みに手を付ける必要がある。
今回の「彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】」、
ちょっと長くなってしまいましたが、
「陰暦26日と月日の深い関連性」
についての学びの記録でした。
人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。
ではでは、今回はこのへんで。
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