皆さん、こんにちは。
ふらふら彷徨う「さまよい人」です。
「さまよいブログ」へようこそ。
茶木谷吉信先生【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズの続きをお届けします。
今回は、【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズの、
【逸話篇の世界を旅する9】茶木谷吉信・正代分教会長「長者屋敷」
という動画を【文字起こし】して紹介します。
今回のお話では、「幸せの条件」ということについて学ぶことができます。
毎回繰り返す話で恐縮ですが、
実は、茶木谷先生のお話を学ぶのは、動画を「視聴」するだけで十分です。
なのに、私が、凝りもせず何回も、それを【文字起こし】してブログ記事にまとめる理由。
それは、動画を視聴した後、
それを改めて、ゆっくり【文字】を追いながら復習することで、
また違った気付きを得たり、より理解を深めたりすることもあるはずだ、
という考えに基づくものです。
(などともっともらしいことを述べていますが、
実は、ただ私の個人的な勉強のためのもの、
というのが正直なところです…《汗》)
実際のところ、
YouTubeの【文字起こし】などというものは、
単なる個人学習の記録に過ぎず、
ネット上に公開するのはいかがなものか、
という気も致します。
しかし、広い世の中には、
このようなものでも、見て役に立つと感じる私と似たような感覚の方が、
ひょっとしたら居られるかもしれない。
そのような淡い期待にすがって、
凝りもせず今回もまた、
おそるおそる公開させて頂く次第であります。
広い世の中のどこかにおられる私と似たような感覚の方の中で、
茶木谷先生の講話の動画を「音声」でしか視聴したことがない方。(どこかに居てほしい…)
ぜひ一度、試しに、それを【文字】で追ってみて下さい。
きっと、また異なった味わいがあると思います。
ということで、
茶木谷先生の素晴らしいご講話【文字起こし】記事。
どうぞ最後まで読んでいってください。
今回紹介する動画について
今回、紹介【文字起こし】するYouTube動画は、
「陽気チャンネル」の中の
「【逸話篇の世界を旅する9】茶木谷吉信・正代分教会長「長者屋敷」」
という動画です。
動画公開日:2021年3月20日
動画概要欄:「新型コロナウイルスの蔓延により変化せざるを得ない私たちの生活。社会が大きく変革するときに私たちに突きつけられる命題、幸せの条件とは何か?」
この動画は、2021年3月20日に公開された動画です。
この動画を視て、そしてそれを【文字】で再確認することで、
おやさまが説かれた「幸せの条件」、そして茶木谷先生が悟る「信仰の本質」、
そういったことについての理解を深めることができます。
この動画を新しいタブで視聴したい方はこちらからどうぞ↓
https://www.youtube.com/watch?v=s2nuI4nVqtQ
それでは、茶木谷吉信先生のYouTube講義、一緒に【文字】で学んでいきましょう。
茶木谷吉信先生「長者屋敷」ご逸話をめぐって~講話【YouTube文字起こし】
ハイ、みなさん。こんにちは。
今日もですね、まぁ楽しく、
『逸話篇』のことをいろいろと考えていきたいと思います。
今日、取り上げるご逸話は、
8番「長者屋敷」というご逸話を、
今日は取り上げてみたいと思っています。
「長者屋敷」というご逸話を通して、お金と幸せの関係について考える
で、私たちはですね、
物質的なお与え…、
例えば、いいものを食べるとか、いい服を着るだとか、いい家に住むだとか、
これは、言い換えたらね、
お金っていうことなんだと、僕は思うんですね。
お金がなかったら、いいもの食べられませんし(いい服)着れませんし…。
だから、お金なしでは、なかなか幸せになれないと思っている人がたくさんいて、
特に世間の方々は、やっぱり、その~、
お金のためだったらなんでもしちゃうっていう人が、
やっぱりいるわけですね。
そのために、罪を犯す人までも出てくるぐらい。
でも、その、じゃあお金と幸せの関係って、一体どうなっているのか、
ということを、ちょっと考えていきたいと思うんです。
特に、天理教を信仰するお互いはですね、
この、お金と幸せの関係って、
すごくやっぱり、結構深く、
我々にのしかかってくる問題だと思うので、
これやっぱり、なかなか、
取り上げるのには勇気がいる問題だと思ってるんです。
ここに、今日は、ズバッと踏み込んでみたいと思っています。
まずはですね、いつものように、このご逸話を味わってみてください。
どうぞ。
「78 長者屋敷」
教祖が、桝井キクにお聞かせ下されたお話に
「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、
居られん屋敷やで。
よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、
何不自由ない屋敷やで。
これが世界の長者屋敷やで。」
と。
ハイ。いかがでしたか?
このご逸話はですね、ほんとにズバリ、物質的な欲望と幸せの…、
幸せについて、お述べくださったご逸話だと、
私は思っています。
若かりし頃、お金と幸せの関係について議論したことがある
私ね、高校生の時にね、
ふとしたことから友達とですね、幸せ論議になっちゃいまして、
幸せって一体何なんだっていうことを、
友達と議論したことがあるんです。
で、私はですね、
お金だけが幸せじゃないと思う、っていうふうに主張したんです。
ところが、私の友達はですね、
お前はそんな苦労も何もないから言うけど、
そんな、お金がなかったら、幸せになんかなれるわけないよって、
こう言われたんですね。
で、その、まぁ、この友人が、私の教会生活…、
私、教会で生まれ育ちましたから、
教会生活をどの程度知っていたか、ちょっとね、わかんないんですけど…、
もぅほんとね、お前そんな言うんだったら、
一緒に、俺と一緒に教会で暮らしてみろ、って言いたくなるぐらい…、
ちょっとそういうふうに思ったんですね(笑)
あの、天理教はですね、
貧乏自慢するとですね、どんどんいろんな人が参戦してくるんですよ。
もぅ、私より貧乏はいない、みたいな貧乏自慢をさせたらね、
もぅ本当にすごい人がたくさんいて(笑)
まぁ、私もちょっとだけ貧乏自慢しますけど…(笑)
私、ちょうど育った頃が高度経済成長の時期で、
周りがどんどん良くなっていったんです。
例えばですね、
カラーテレビが普及し始めたのが、
ちょうど私が小学校入るか入らないかぐらいだったと思いますね。
で、しばらくするとね、VHF放送…
あぁ、これ若い人わかんないかもしんないけど…
VHF放送っていうのとUHF放送っていうのがあって、
で、このUHFっていうのが出てきたんですね。
で、そうすると、UHFを視れるテレビっていうのが、
視られるテレビっていうのが、すごく、やっぱりこぅ、売れ始めて。
例えば…、まぁ要するに、わかりやすく言えば、
12チャンネルしかなかったチャンネルが64チャンネルまで出来たっていう…
UHF コンバーターっていうのが付いてましてね、
これを、こぅキュキュキュッと回しながら、UHFは視たんですよね。
そういう時代になりました。
で、カラーテレビなんていうのは、私は、
もう中学高校(時代)は、もぅ無い家はないぐらい普及していたんですね。
ところが、私の家は教会だから、
やっぱり高校生になっても、白黒テレビなんです。
だから、友達がウチに遊びに来てビックリして、
エェッ! 何これ? みたいな。
おまえんち、まだ白黒? みたいな(笑)
もう随分…、ちょっと、そういう思い出があるんですね。
この「長者屋敷」っていうね、
だから、何が幸せ…、例えばテレビが…
カラーテレビ…、僕も視たかったですよね、視れるもんならね。
で、いい家にやっぱり…、いい家っていうのは…
まぁ、いいものも着たかったし…。
まぁ、いろいろ、そういう、こぅ悩める青春時代を送ったんですけどね。
まぁ、これは、教会の子供さんだったら、
みな、大なり小なり味わったことやと、僕は思いますね。
で、例えば、このご逸話なんですけど、
非常に短いご逸話でしたよね。
今、味わっていただいた。
教祖がお話くださった「長者屋敷」と世間一般人が考えるそれとは矛盾がある
で、このご逸話にね、ちょっとに矛盾がある、
と僕は思ってるんです。
どういう矛盾かというと、
教祖は、
良いもの食べたい、良いもの着たい、良い家に住みたいと思ったら、
居られん屋敷や、とおっしゃるんですね。
だから、これ、端的に言えば、
この屋敷に居ったら、これは不自由するよ、ってことなんです。
そうですね。これには不自由するよ。
でも、
良いものを食べたい、良いもの着たい、良い家に住みたい、
と思わなかったら、
何不自由ない屋敷や、とおっしゃるんですね。
で、これが世界の長者屋敷やとおっしゃる。
でも、おかしいと思いません?
普通「長者屋敷」っていうのは、
良いもの食べて、良いもの着て、良い家に住んでいるのが「長者屋敷」でしょ?
そうでしょ? 絶対そうでしょ。
だって、これ出来なかったら貧乏屋敷ですよ。貧乏屋敷でしょ。
だから、これね、やっぱり、もう、矛盾がある。
で、教祖は、じゃあこれで何をおっしゃりたかったのか。
つまり、
前半部分でおっしゃっている「不自由するよ」という時の「不自由」と、
ここ(良いもの食べる、良いもの着る、良い家に住む)、
これさえ思わなかったら「不自由がないよ」っていう、この「不自由」は、
ちょっと違う。という事ですよね。
物には不自由するけども、そう思わなかったら不自由はないんだよ、と。
この不自由と、この不自由は、ちょっと(違う)…。
ちょっとここでね、ここで変わってるんです、不自由の意味が…。
と僕は思うんですね。
「幸せの条件」について考える
で、そこで、まぁちょっと、
いろいろ、幸せの、じゃあ条件って一体何だろう、ということを、
いろいろ考えたんです。
いろんな人に聴いてみました。
あなた、幸せってなあに? って。
でね、一番多いのは、やっぱり「健康」って答える人多いんですよ。
「健康」。
それはもう、「健康」は幸せの第一条件だ、って言う人多いんですけどね。
ほんで、ま、ちょっと少しだけ考えてみたいんですね。
日本人の平均寿命って、今、世界ランクどれぐらいいっているかご存知ですか?
2位ぐらい?
実は、これね、昨年のデータ2020年の WHOの報告によると、
なんとトップなんです。第1位なんです。ハイ。
男性は2位なんですけどね、女性が1位で、
その女性がすごい長生きするもんで、総合ランクでは1位になっちゃう。
もぅこれ、一番最近のデータですよ。
だから、考えてみたら、
日本人って、世界中で一番、健康な国民なんです。
そう言えますよね、そういうことがね。長生きするんだから。
一番健康なんじゃないかと思うんですね。
(続いて)お金。
幸せの条件、さっき(言った)僕の友達みたいに、
お金が(幸せの)条件だって思ってる人もいると思うんです。
今ね、日本って、ホラ、あれでしょ、世界第3位の経済大国でしょ。
こないだまで2位だったんだけど、
中国に抜かれちゃったから、もう第3位になっちゃったんだけど…。
だから、考えたら、
世界中でトップ3位に入るぐらいのお金持ちの国なんです、日本人って。
そうですよね。
世間一般で「幸せの条件」とされる項目がほぼ満たされている日本人は幸せか?
じゃあ、世界一健康で、世界第3位のお金持ちの日本が、ね、
これ(健康)とこれ(お金)が幸せの条件なんだったら、
当然、幸せだと思っている人は、もぅ、相当いるはずですよ、ね。
で、これね、やっぱりね、これ、国連のWHOのね、世界幸福度ランキング。
これも昨年のデータ、2020年のデータを引っ張ってきました。
その…、要するに、幸福度。
各国の幸福度を、こぅ、ランク付けしてある、と。
これね、算定方法、非常に複雑です。
非常に複雑なんだけど、ものすごく複雑な数式があって、
それに、こぅ当てはめていくと、ランキングが出てくるんです。
さぁ、日本は何位でしょう?
(健康は)1位ですよ。(お金は)3位ですよ。
もう「トップ10」に絶対入ると思うでしょ?。ね。
1位フィンランド。2位デンマーク。3位スイス。
4位アイスランド。5位ノルウェー。
まぁ、この辺は、もぅ、北欧の方の福祉国家だから、
もう当然高いところに行く。
じゃあ、「トップ10」にいないかもしんないな、と。
じゃあ、20位代かなぁ、と。
20位代、見ていきますよ。
22位マルタ共和国。ご存じですか? どこにあるか。
地球儀で、ピッと指せますか?マルタ共和国(笑)
それからね、台湾25位。サウジアラビア27位。
まだ出てこない日本。ハイ。
シンガポール31位。まだ出てこない。
ブラジル32位。まだ出てこない。
パナマ共和国36位。チリ39位。まだ出てこない。
フィリピン52位。まだ出てこない。タイ54位。…まだ出てこない(笑)
韓国61位。
実はその次、62位が日本なんですよ。
でね、おかしいでしょ?
世界一健康で、世界第3位の金持ちの国が、ね、
160何ヵ国の中で、あれですよ、62位ですよ。
ちょっと意外でしょ? 先進国では最下位ですよ。
これは、なぜ、こういうことが起きてるかというと、
考えてみたらね、日本というのは、長時間労働の国じゃないですか。
満員電車に揺られて、ね、もう、自由の効かないね、組織でね、
ストレスと戦いながらね、給料をもらって…。
しかも、物価高いでしょ。
ほいで、教育費、住宅費も安くないですよね。
一番日本人が足りない…、
この幸福度指数の中で一番低かったのは何かっちゅうと、
これなんです。
「主観満足度」っていうのが、一番低かったんです。
「主観満足度」って、どういうことかって言うと、
今、今の瞬間、あなたは幸せですか? つらいですか?
って聞いた…問いなんです。
これがね、日本はね、異常に低いんです。
だから、これだけのものに恵まれていても、
今、幸せだって言えない国民なんですよね。
これ、すごいね、僕は意外だと思ったんですね。
また、将来に対して、不安を抱えている日本人多いですよね。
年金問題どうなるんだろうとか、ね。
先々どうなるんだろう(という不安を抱えている…)。
教祖がお教え下さる「幸せの条件」 について考える
じゃあ、教祖がおっしゃっている、この「長者屋敷」って一体…、
教祖がおっしゃっている「幸せの条件」って、一体何だろう…。
で、これ、結局、これ考えたらわかるんですよ。
良いものを食べなくてもいいよ、
良いもの着なくてもいいよ、
良い家に住まなくてもいいよ。
「〇〇さえあれば」…、
のこの〇〇が、教祖がおっしゃる幸せの条件、っていうことですよね。
考えてみたらね。
…(すると、)これ何なんだ? ってことです。
だから、ここが、実は、この、こいつの、
「長者屋敷」のご逸話のポイントだと、
私は思っているんです。
これをちょっと、
今から、皆さん、一緒に考えていきませんか。
そもそもね、人間ってね、
お金があったって、満足できないんですよ。
意外でしょ?
お金、みんな稼ぎたいから、一生懸命頑張ってんだけど、
でも、お金だけで満足できるのか?できない。
私ね、ある時、詰所でね、ごはん食べてたんですよ。
そうしたら、隣にポーンと座った人がある会長さんで。
で、私ね、こぅ、美味しそうにね、その日の晩御飯食べて…、
たぶん、何か(おかずは)フライ…揚げ物だったと思うんですけど、食べてた。
そしたら、それをね、となりで、その会長さんがね、
「あんたはいいねぇ」とおっしゃるんですよ。
エ、どうしてですか? って言ったら、
「おいしそうに食べるねぇ」っておっしゃるんですよ。
…いや、美味しいですよ、って(答えた)。
美味しいです。美味しくないですか? って聞いたら、
「いや、ホラ…、わし、あの、サラリーマンの生活、長かったやろ?」
とおっしゃる。
で、その方はね、サラリーマン長~くやって、
退職なさって教会長になった方。
だから、
「わしな、サラリーマンの生活、長かったやろ。
だから、もう、どうしても、晩御飯の時には、
お刺身と、一杯がなかったらな、ダメなのよ~」
とおっしゃるんです。
「あんたは(それが)いらんでね、美味しそう~に、晩御飯を食べてる。
いいなぁ~って思ってる。」 って。
ヘ~ッ、そうですか、って、
私、その時にはそれで済ましたんですけど…。
ちょっと、ここで考えてください。
私とこの人と、どっちが幸せですか?
目の前に出てるもの、同じもんですよ。ね?
私、おいしいおいしいって、食べてるでしょ?
(それに対し)この人は、「あんたは、えぇなぁ…」って(言って)、
「わしはこれを…、ね、やっぱり、刺身とこれ(お酒)がなかったらダメだ」
って言ってるわけでしょ?
目の前にある条件は一緒なのに、
私は喜んでて、この人は喜んでないって…、
どっちが幸せなんですか?
幸せって、喜びの量じゃないんですか?
私、そう思うんです。
もっとわかりやすい例を挙げますね。
私ね、昔ね、軽自動車に乗ってたんですけど、
これ、頂いた車で、
ホントね、それこそね、パワーウィンドウもない、
それから…、何にもない車なんです。カーステレオさえ無いんです。
FMラジオもない。AMラジオしか付いてない。
ほいで…、こうやって窓開けるでしょ。
そしたら、普通、ドアの所に、
こぅ、ひさしが付いているじゃないですか。
あれも無いんです…(笑)
だからね、ちょっと開けて…、
ホラ、雨の時なんか、曇るから(窓を)ちょっと開けたいじゃないですか。
開けると、ひさしが無いもんで、
雨が降りこんでくるから開けられないっていう車なんです。
そういう車にず~っと乗ってたんです。
(でも)全然、別に、何とも不自由はなかったですね。ウン。
ところが、ある方が、
「ちょっと、これ、もぅ俺、新しい車買ったから、
これ、車検、あと半年ぐらい残ってるから、お前乗れ」
って、ある軽自動車いただいたんですよ。
これがまたね、もぅ、パワーウィンド付いてるしね、
もぅ、キーレスエントリー付いてるしね、
もぅ、それ、車いただいちゃって…。
ほれで、もぅ用もないのに、車を降りたら、
必ず、3回ぐらい(キーレスエントリーのON‐OFFを)
カツン・カツン・カツンってやってましたね(笑)、ハイ。
嬉しくて、嬉しくて。ウン。
でね、それに慣れちゃうと、
もう、前の古い車、乗れないんですよ。
前に乗ってた(古い車)、
あぁこれ、パワーウィンドウ付いてなかったなぁ、と思って。
不便やなぁ(と思う…)。
わずかね、ちょっと1か月前まではね、
もぅ何の不足もなく乗ってたね、その軽自動車に、
もぅ、それより高いランクの車を経験しちゃうと、
もぅ乗れなくなっちゃうんですよ。喜べなくなっちゃう。
…これね、人間なんですよ。
あるいはね…、あのぅ…、
だからね、人間っちゅうは、そういう、
あっという間にね、当たり前になるんですよ。ウン。
だから、例えば、私がですよ、
毎晩、刺身と一杯をやり始めたとしますよ。
嬉しいですよ。今、それやれたら、毎日やれたら嬉しいですけど、
さぁ、この嬉しさが1か月持ちますかね。
あまり、私自信ないですね。
2ヶ月。あぁ、もう絶対持ちません。当たり前になっちゃう。
オーイ、今日ないのか、
って逆に不足言っちゃうかもしれないですね。
人間って、もぅ、上みたらキリないんですよ。
1億円あったら2億円欲しくなるらしいです。私、知らないけど(笑)
もぅ、上見たらキリがないんです。
これが、人間の欲、「よく」なんですよ。
人と人との関係もそうですよ。
私は思いますけどね。
これ、有名な話。
ある奥さんがね、
もぅ、ウチの主人がね、もぅうちょっと早く帰って来てくれたら、
私はもっとニコニコできるんです、とおっしゃるんですね。
で、ご主人に聞いたらね、
もぅウチの家内がねぇ、ニコニコしてたら、
もぅちょっと早く家に帰れるのになぁ、っておっしゃるんですね。
そういう…そういうものなんですよねぇ。
これ、有名な話ですよね。
例えばね、
もぅ、ちっともウチの主人、家に居てくれない、と。
もぅ、休みのたびに、ゴルフや何やって出て行く。
家のことちっともやってくれない、っていうご主人が、
定年退職しました。
毎日毎日、家にゴロゴロしてます。
奥さん、何て言いますか?
「もぅ、ホント、あんた、いっつもゴロゴロ家にばっかり居て。
もぅ濡れ落ち葉や!」
っておっしゃるよね(笑)
わかりますか、濡れ落ち葉って?
掃いても掃いても、引っ付いて離れないっちゅうやつですね(笑)
「幸せの条件」は「感謝」の有無
だからね、
人間の喜びっていうのは、実は、その姿にあるんじゃないんです。
全部、こっち(自分)で作ってるんですよ。
同じ状況なのに、喜べたり喜べなかったりする。
…世の中の定年退職の人、よくグレないと思いますね。
グレていいと思いますよ(笑)。こんな不当な扱いをされたらね(笑)
だから、
不足の原因は、相手にあるんじゃなくて、
全部、こっち(自分)が作り出してる、っていうことですね。
だから、何が必要なのか。
「〇〇さえあれば」 の〇〇は、
僕は、今の段階では、「感謝」だと思ってますね。
やっぱり、「感謝」があれば、ね、
そんな不自由な車だって、あぁ良かったって、
この車があるから行けるっていう「感謝」があれば…、
主人がいてくれて、ハ~助かるわ、っていう「感謝」があれば…、
ご飯を食べる時も、刺身と一杯はなくても、あぁ、おいしいおいしいって…、
そのお与えに対する「感謝」があれば…、
私は、これやっぱり、
こんなもん(良いもの食べる、良いもの着る、良い家に住む) なくったって、
「感謝」さえあれば、
絶対、私は、それ喜べる、って思ってます。
で、それが、やっぱり、
その「長者屋敷」の条件なんじゃないか、
と思ってるんです。
教祖がおっしゃってるのは、
良いもの食べたい、良いもの着たい、良い家に住みたい、
ということを通じて、
しっかり、今あるお与えを「感謝」して通りなさい、ってことを、
私は、おっしゃってるんじゃないか、
というふうに思っているんです。
だから、よく若い人は言いますよ。
あぁ、信仰なんてね、必要ないって。
信仰していて幸せになるんだったら、苦労ないって。
そういうことを、若い人はすぐ言っちゃうんです。
でもね、それに対する反論は、ここに隠されています。
信仰すると何がわかるのかって。
いつかも言いましたね。
棚からぼた餅落ちてこないよ、って言いましたけど、
信仰していて何がわかるか、というと、
この「感謝」の対象が分かるんです。
信仰というのは、神様から守られているということを知り「感謝」の対象を知ること
いかに我々が日頃恵まれているのか。
それに対する「感謝」を誰にしたらいいのか。
どういうふうに表現をしたらいいのか。
それが信仰していたらわかる。
これは、絶対に、信仰しないとわからないことなんです。
だから、信仰なんて必要ない、という人は、
これ絶対、これをね、やっぱり、わかってもらう必要が、
僕はある、と思っています。
だから、信仰というのはね、
守られている、神様から守られているということを知り、
そして、「感謝」する対象を知る、
ということです。
そのことを、私は、
この短いご逸話で、教祖がおっしゃりたかったんじゃないか、
と思うんですね。
コロナ禍は「本当の幸せ」に気付くために神様からお与え下さった節に違いない
このYouTube。
これ、おそらくね、20年30年残ると思うんですよ。
今から20年30年前の映像だってYouTube で視られるわけですから。
だから、今、これ言っておきますね。
2021年です、今。
春です。
で、今、世界中でね、新型コロナウイルスが猛威をふるっています。
収入が減ってね、再延期心配してる方も、たぶんおいでになると思いますね。
どうしようって。
とても笑って話せるような状況じゃないっていう方も、
おいでになると思いますね。
しかし、そのおかげで、もっと大切なものが見えた。
コロナのおかげで大切なものが見えた。
家族の温かさだとか、人の恩だとか、
日頃のお与えの尊さがわかったって言ってる人も、
たっくさんいますよね。
だから、こうやって人類は、
その「幸せ」をしっかりと求めていくために、
神様が、こういう、まぁ、節をね、
お与えくださったんじゃないかな、
っていうふうに、私は思っています。
今から10年後、2031年のあなた。
幸せですか?
なんちゃって(笑)
だから、まぁ、こういうことを、ついつい、昨今、考えて…、
私なんかは、もぅ、しまうんですね。
しっかりと、やっぱり、この節を乗り越えていきたいと思います。
お金や物っていう、レベルを超えて、
親神様のご守護を感じて、感謝しつつ、
今後も、しっかりと、陽気ぐらしに向かって、
真の陽気ぐらしに向かって、
こぅ、私たち、頑張っていかなきゃいけないんじゃないかな、
っていうふうに思っています。
今日は、「長者屋敷」という話から、
いろんなことを、ちょっと「幸せの条件」ということについて、
考えてみました。
またお会いしたいと思います。
今日はこの辺で終わります。
ありがとうございました。
「幸せの条件」についてのお話でしたね
茶木谷先生の講話を拝聴するたびに、
これまで、自分が『教祖伝逸話篇』の中のご逸話を、
本当に、どれほど表面的にしか見ていなかったのか、
ということを思い知らされます。
動画を視聴して
天理教にしても、キリスト教にしても、仏教にしても、創価学会にしても、
どんな宗教も、究極のところ目指すのは、その人が本当に「幸せ」になるということ。
幸せになるためにはどうしたら良いか、
それを教えてくれるのが宗教というものだと思います。
本当の幸せをつかみたい。幸せになりたい。
そうした人類普遍の根源的欲求。
結局のところ、宗教が目指すのは、
そうしたニーズに対する応答ではないでしょうか。
今回、茶木谷先生のご講話を視聴して学んだこと。
それは、
おやさまは、「長者屋敷」という例えを用いて、
本当の「幸せの条件」は「感謝」の心を持てるか否かにかかっているのだよ、
そう教えて下さった。
ということでした。
たとえ、良いもの食べられなくても、良いもの着られなくても、良い家に住めなくても、
お与え頂いたものに「感謝する心」(感謝できる心)さえあれば、
その人は「幸せ」だと言える。
感謝に包まれた人々が住む屋敷こそが、本当の「長者屋敷」。
そういうことなのですね。
いつもながら、感動的なお話でした。
今回の動画における茶木谷先生お話の中で、印象に残った言葉を記させて下さい。
信仰によって、「感謝」の対象が分かる。
いかに我々が日頃恵まれているのか。
それに対する「感謝」を誰にしたらいいのか。
どういうふうに表現をしたらいいのか。
それが、信仰していたらわかる。
信仰というのは、
神様から守られているということを知り、
そして、「感謝」する対象を知る、ということ。
「感謝」がすべて。
何を見ても何を聞いても「ありがたい」という感謝の気持ちが湧いてくる。
私たちが目指すべきなのは、そのような境地。
そういうことかもしれない…。
そんなことを思ったりしました。
茶木谷先生、尊いお話をありがとうございます。
最近の自分に「感謝」の心が薄れてしまっていたことに気づかされました。
そして、改めて、
感謝の源泉となる
「たすけて頂いて今の自分がある」
という事実に、向き合う機会を得ることができました。
まとめ(今回の動画からの学び)
【茶木谷吉信先生「長者屋敷のご逸話をめぐって」ご講話からの学び】
- おやさまは、本当の世界の「長者屋敷」を教えて下さった。
「よいものを食べられなくてもいい。
よいものを着れなくてもいい。
よい家に住めなくてもいい。
ただ、『感謝』できる心があれば、そこは世界の長者屋敷である。」
と。
- 信仰によって、「感謝」の対象が分かる。
- いかに我々が日頃恵まれているのか。
それに対する「感謝」を誰にしたらいいのか。
どういうふうに表現をしたらいいのか。
それが、信仰することでわかるようになる。
- 信仰というのは、
神様から守られているということを知り、
そして、「感謝」する対象を知る、ということ。
- 「感謝」がすべて。
- 何を見ても何を聞いても「ありがたい」という感謝の気持ちが湧いてくる。
私たちが目指すべきなのは、そのような境地。
以上、私が視て勉強になった、茶木谷吉信先生による
(陽気チャンネル>【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズ>【逸話篇の世界を旅する9】茶木谷吉信・正代分教会長「長者屋敷」)のYouTube動画を【文字起こし】紹介して、
そこから自分が学んだことをお届けしました。
- 信仰というのは、神様から守られているということを知り、
そして、「感謝」する対象を知る、ということ。 - 「感謝」がすべて。
- 目指すべきは、
何を見ても何を聞いても「ありがたい」という感謝の気持ちが湧いてくる境地。
という話。
いやぁ…、深いですね。
蛇足ながら、深い話を聴いて思ったこと。
それは、何を見ても何を聞いても「ありがたい」と思える心。
きっと、それは自力を超えた「他力」の領域なのに違いない、ということでした。
法然上人が「南無阿弥陀仏」の「他力」を説いた如くに、
私たち、この道に引き寄せられた魂の者にとって、それは、
「南無天理王命」を軸とする「おつとめ」にすがる道なのかもしれない。
そのようなことを思ったりもしました。
最後にもう一度、対象のご逸話、
『稿本天理教教祖伝 逸話篇』78番「長者屋敷」を掲載しておきます。
「78 長者屋敷」
教祖が、桝井キクにお聞かせ下されたお話に
「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、
居られん屋敷やで。
よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、
何不自由ない屋敷やで。
これが世界の長者屋敷やで。」
と。
初期の【逸話篇の世界を旅する】シリーズで、
毎回最後に放たれていた「茶木谷先生キラーフレーズ」。
残念ながら、前回に続いて今回の動画でも出てきませんでした。
しかし、私は、付け足したい。
なので、この記事の中で、最後に付け足しておきます。
私たちの悩みや苦しみ、
必ず、おやさまは、「ひながた」にその解決法を残してくださっています。
困った時は「ひながた」を勉強しましょう。
そこに必ず、解決策があります。
ではでは、今回はこのへんで。
コメント
はじめまして、太田真理子と言います。ようぼくです。
喩達第四号検索してたどりつきました。
まだ数回しか見させていただいていませんが、
茶木谷先生の動画の文字おこしのお陰で、
見たつもりでいたが見ていなかった動画を見ることできました。
ありがとうございます。
今回の動画は見ていますが、
動画では心にとまらなかったのですが、
最近
おさしづに「今までのこうのう尽し誠積み、一つ/\分かり来てある処、」を
みつけ、
信仰する前より信仰続けてきて
感謝出来る心が出来てきているとわかってからの、
今回の文字おこし読ませていただいて、
信仰して感謝の対象がわかるという事が心におさまりました。
口癖を、親神様への感謝にすればよいとも思わせてもらいました。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます!
>今回の文字おこし読ませていただいて、
>信仰して感謝の対象がわかるという事が心におさまりました。
>口癖を、親神様への感謝にすればよいとも思わせてもらいました。
私も、茶木谷先生のご講話を文字起こしさせて頂くようになって、
耳で聴いた時には何気なく聞き流してしまっていたことの中に
新たな気付きをたくさん頂いています。
これからも共に勉強させて頂けたら、と思います。
ありがとうございます。