Dear everyone,
こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。
天理教では、10年おきに教祖の年祭が執り行われます。
直近の年祭は、教祖130年祭が、2016年(平成28年)1月26日に行われました。
そして、次なる年祭、教祖140年祭は、2026年(令和8年)1月26日に執り行われる予定と聞いております。
天理教の一大イベントである「教祖年祭」が、だんだんと近付いてまいりました。
教祖年祭の前には、その都度、年祭活動(年祭に向けた活動)の指針として、真柱様より『諭達』が発布されてきました。
次なる年祭(教祖140年祭)に向けても、きたる秋季大祭(令和4年10月26日)後に、『諭達』が発布されるとお聞かせ頂いております。
最近、上級や支部などで、「もうじき『諭達』が発布されるから気を引き締めていきましょう」的なお声かけを頂く機会が非常に増えました。
たびたびそうしたお声かけを頂く内、
「『諭達』っていつ頃からあるんだろう? これまでの『諭達』にはどんなことが書かれているんだろう?」
という疑問が湧いてきました。
私、ささやかながらもブログを書いていますので、
“ブログネタにちょうどいいや、ちょっと『諭達』について調べて、一つ記事としてまとめてみよう”
と思い立った次第。
ということで、今回、ネットと教会にあった本を元に、これまでの天理教の過去の『諭達』について調べて、簡単にまとめてみました。
新たな『諭達』が発布されるこの機会に、天理教の『諭達』というものについて調べたことを、自分自身の覚え書きとして記録に残すことが目的です。
『諭達』とは
そもそも「諭達」とは何なのか。
ネットで検索した結果、以下の情報がヒットしました。
天理教研究所サイト>「天理教:諭達集」より
諭達とは
真柱から特別に教内全般に対して、「時旬の理」など、信仰と実践についての指導を諭されること。
また、その文書。信仰の指針として重んじられている。
「天理教教規」第21条には「真柱は、内統領及び表統領の上申により、諭達を発布し、褒賞又は懲戒を行う。」となっている。
なお、一般の通達は「告示」である。最初に出された諭達は、明治36年(1903)12月で、無番であったが、一派独立後番号が付されるようになった。
諭達は、それぞれの時期の特色を反映しており、戦前のものは数も多く、関連する達・則・訓諭・訓示等や教史を吟味した上で理解する必要がある。[参考文献] 澤井勇一「『諭達』の整理」(『ビブリア』第52号)
(天理教研究所>天理教:諭達集より)
コトバンクサイト>「諭達とは」より
諭達(読み)ゆたつ とは
◆【精選版 日本国語大辞典による「諭達」の解説】◆
ゆ‐たつ【諭達】
〘名〙 官から触れさとすこと。役所などから人民に告げ知らせること。また、そのもの。諭告。諭示。
※近世紀聞(1875‐81)〈染崎延房〉四「尊旨の趣をもて諭達(ユタツ)に及び」
(出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典)◆【デジタル大辞泉による「諭達」の解説】◆
ゆ‐たつ【諭達】
役所から人民に触れを出し、さとすこと。また、その内容。
(出典 小学館デジタル大辞泉)◆【普及版 字通による「諭達」の解説】◆
(コトバンク>諭達とはより)
【諭達】ゆたつ
上旨を以てふれる。
(出典 平凡社「普及版 字通」)
『諭達』の歴史
それでは、これまでの「諭達」の歴史について見ていきましょう。
自教会にあった『ビジュアル年表 天理教の百三十年』という本を中心に、それにネット検索で見つけた情報を付け加えながらまとめてみました。
初代真柱様の時代
明治36年(1903年)12月13日
最初の「諭達」
(「神道天理教会長大教正中山新治郎」名で、天理教教典編纂、頒行などに関して)
【初代真柱様 38歳】
明治37年(1904年)2月13日
「諭達」発布
(日露戦争に関して)
(諭達 3・4号は不明)
明治45年(1912年)3月5日
諭達 第5号 発布
(三教会同を受け、国民道徳と社会風教の改善をはかる)
【初代真柱様 46歳】
大正3年(1914年)4月1日
諭達 第6号 発布
(皇太后崩御につき本部神殿落成は謹慎して執行する)
【初代真柱様 48歳】
大正3年(1914年)8月25日
諭達 第7号 発布
(日独開戦に挙国一致で尽力するべく心構えを述べる)
【初代真柱様 48歳】
大正3年(1914年)12月31日
初代真柱 中山眞之亮様、48歳でお出直
管長職務 摂行者:山澤為造 先生の時代
大正4年(1915年)1月21日
二代真柱 中山正善様、管長職に就任
【二代真柱様 9歳】
(管長職務 摂行者:山澤為造)
大正4年(1915年)10月1日
諭達 第8号 発布
(御大典記念に 高等女学校設立 及び 布教等の強化を図る)
大正7年(1918年)9月5日
諭達 第9号 発布
(シベリア出兵にあたり 戦時協力につとめる)
大正8年(1919年)7月20日
諭達 第10号 発布
(大戦後の民力を涵養すべく 思想善導の後援会を開く)
大正8年(1919年)8月2日
諭達 第11号 発布
(文部大臣の訓令を受け 食料問題の解決につとめる)
大正9年(1920年)1月25日
諭達 第12号 公布
(平和条約公布に際し 質実剛健に励み 健全な思想を養う)
大正10年(1921年)10月10日
諭達 第13号 公布
(教祖40年祭に向けて 信徒が奮起することを促す)
大正12年(1923年)9月3日
諭達 第14号 公布
(関東大震災の臨時救済本部を設け、義捐金を募集する)
二代真柱様の時代
大正14年(1925年)4月23日
管長就任奉告祭……中山正善様=二代真柱
大正14年(1925年)4月23日
諭達 第1号 公布
(管長就任奉告祭)
【二代真柱様 21歳】
大正15年(1926年)2月8日
諭達 第2号 公布
(教祖40年祭終了にあたって)
【二代真柱様 22歳】
昭和2年(1927年)11月27日
諭達 第3号 公布
(海外伝道に関して)
【二代真柱様 23歳】
(諭達4号は不明)
昭和5年(1930年)10月26日
諭達 第5号 公布
(教祖50年祭・立教百年祭に関して)
【二代真柱様 26歳】
昭和11年(1936年)4月18日
諭達 第6号 公布
(立教百年祭に関して)
【二代真柱様 32歳】
昭和12年(1937年)7月26日
諭達 第7号 公布
(日中戦争の重大時局に処して)
【二代真柱様 33歳】
昭和13年(1938年)12月26日
諭達 第8号 公布
(「泥海古記に関する教説禁止」の指示)
【二代真柱様 34歳】
昭和15年(1940年)9月18日
諭達 第9号 公布
(金属品 献納運動 開始)
【二代真柱様 36歳】
昭和15年(1940年)10月28日
諭達 第10号 公布
(紀元二千六百年奉祝 天理教大会について)
【二代真柱様 36歳】
昭和16年(1941年)3月31日
諭達 第11号 公布
(宗教団体法による 新教規認可について)
【二代真柱様 37歳】
昭和16年(1941年)12月8日
諭達 第12号 公布
(太平洋戦争開戦にあたって)
【二代真柱様 37歳】
昭和17年(1942年)11月27日
諭達 第13号 公布
(戦時下、宗教者の奮起と 信仰実践の促し)
【二代真柱様 38歳】
昭和19年(1944年)7月1日
諭達 第14号 公布
(ひのきしん隊 編成動員 要綱)
【二代真柱様 40歳】
昭和20年(1945年)8月15日
諭達 第15号 公布
(終戦の詔書について)
【二代真柱様 41歳】
昭和21年(1946年)7月26日
諭達 第16号 公布
(戦後における 全教の奮起について)
【二代真柱様 42歳】
復元後
復元についての参考論文→「戦後10年間の布教伝道(上)(澤井義次)—天理大学」
昭和24年(1949年)10月26日
諭達 第1号 公示
(天理教教典 裁定公布について)
【二代真柱様 45歳】
昭和27年(1952年)11月1日
諭達第1号発布
【二代真柱様 48歳】
昭和36年(1961年)4月26日
諭達 第2号 公布
(教祖80年祭を迎える 心定めを明示)
【二代真柱様 57歳】
三代真柱様の時代
昭和42年(1967年)11月14日
二代真柱様、62歳でお出直
➡三代真柱様(中山善衞様)へ継承(35歳)
昭和43年(1968年)10月25日
諭達 第1号 公布
(真柱継承奉告祭)
【三代真柱様 36歳】
昭和48年(1973年)1月26日
諭達 第2号 公布
(教祖90年祭へ三年千日の歩み)
【三代真柱様 41歳】
昭和56年(1981年)1月26日
諭達 第3号 公布
(教祖百年祭の意義と百年祭に向かっての心構えを強調)
【三代真柱様 49歳】
(年祭5年前の公布)
平成5年(1993年)10月26日
諭達 第4号 発布
(教祖110年祭に向け「全教の心を一つにしたい」と)
【三代真柱様 61歳】
四代真柱様の時代
平成10年(1998年)4月18日
教祖ご誕生200年 教祖誕生祭執行
(4月17日~4月26日、慶祝旬間)
慶祝旬間 最終日 4月26日
真柱「継承の儀」執行
三代真柱様(66歳)➡
四代真柱様(中山善司様)(39歳)へ継承
平成10年(1998年)10月25日
諭達 第1号 発布
(真柱継承奉告祭)
【四代真柱様 39歳】
平成14年(2002年)10月26日
諭達 第2号 発布
(教祖120年祭へ向け、にをいがけ・おたすけの実践を強調)
【四代真柱様 43歳】
平成24年(2012年)10月26日
諭達 第3号 発布
(教祖130年祭活動に取り組む指針として)
【四代真柱様 53歳】
【以上、『ビジュアル年表 天理教の百三十年』(道友社)参照】
検索中に見つけた参考資料
ネット検索する中で見つけた情報を、参考資料として掲載します。
「天理教 諭達」で検索する中で見つけた情報です。
多少『諭達』から外れた内容も含まれていますが、後学のために、そのまま引用掲載します。
【参考資料①】「金子 昭」氏の論文より
『天理大学おやさと研究所年報』第24号 2018年3 月26日発行【論文】天理教の“大正デモクラシー” ―教祖三十年祭から四十年祭にかけての時局対応の言説をめぐって― 金子 昭
(2)「諭達」及び教団の公式表明文書にみる大正期
大正期の「諭達」は、改元の年でもある明治45年の分も含めると、合計12回出された。
教祖四十年祭を1926(大正15)年に執行するため、教内の奮起を促す第13号(大正10年10月10日)、そして、管長に就職した旨を伝える、中山正善の新たな「諭達」第1号(大正14年4月23日)以外は、
いずれも、時局に対応して、教内信徒をこの動きに関与させる内容のものであった。
これらの「諭達」の幾つかにおいては、天理教として、具体的な対応を打ち出す表明が打ち出されている。特筆すべきは、第7号から第12号の「諭達」は、いずれも、第一次世界大戦に直接的、あるいは間接的に関わる内容となっていることだ。
まさにこの時期、天理教も、総力戦体制下にあったことが窺われる。この表(前掲の表)の中で、とくに時局に関する公式表明文書を伴う「諭達」は、第5号、第8号、第10号である。
この内、第5号と第10号の「諭達」に関しては、政府が天理教を含めた宗教関係者を招いて開催した思想善導の懇談会を受けてのものであり、「諭達」を受けて出された表明文書の内容も、思想問題に立ち入って論じている。
なお、政府による懇談会はこの時期3回行われ、そのいずれにも天理教は参加している。先述したように、その1回目は 1912(明治45)2月の「三教会同」であり、2回目は 1919(大正8)年5月の民力涵養の懇談会、そして3回目は 1924(大正13)年2月の国民精神作興の懇談会であった。
1912(明治45)年2月、神道、仏教、キリスト教各教派に対して、内務大臣より「三教会同」が提唱された。
「三教会同」は、日露戦争後の社会を思想面や道徳面から立て直すべく、第二次西園寺内閣の内務次官床次竹二郎が宗教界に国民の思想善導の役割を担わせようとして、三教各宗派の代表を招集して行った会合である。天理教はこの動きにただちに呼応し、3月5日に「諭達」第5号を発布し、国民道徳と社会教化の動きに同調することを宣言した。
そして、『三教会同と天理教』という小冊子を2万部刊行し、全教より180余名の宣教員を選抜し、この年と翌年にわたり宣教員講習会を開催した。これは、天理教が政府の姿勢にいちはやく迎合し、社会に積極的に関わる姿勢を示すものだった。
(註:太字は、当ブログ編集者によるもの)
『天理大学おやさと研究所年報』第24号【論文】天理教の“大正デモクラシー” ―教祖三十年祭から四十年祭にかけての時局対応の言説をめぐって― 金子昭より
【参考資料②】 Wikiwand>天理教 の内容一部より
教団の組織化・国家統制時代・戦後
教祖死亡後は、教祖の生前中からの側近であり、本席に定められた飯降伊蔵と後に初代真柱となる教祖の孫、中山眞之亮が教団運営の中心となった。
みき死去の翌年、1888年(明治21年)4月10日に、東京府より、神道の一派として「神道天理教会」として公認されたが、引き続き神道本局のもとに置かれていたため、教団としては独立が悲願であった。
1900年(明治33年)8月から5回に及んだ請願と、政府の意向に配慮した「明治教典」などの編纂を行うなど各方面で努力をした結果、
1908年(明治41年)11月27日に神道本局から別派として独立し、教派神道となった。
眞之亮は天理教管長に就任し、天理教教庁を設置した。しかし、悲願であった別派への独立を果たしたものの、日中戦争勃発後は、文部省が、国家非常時体制を期し、全宗教団体に対して、全面協力を依頼。
天理教でも、中山正善二代真柱が招請され、遂に内務省や文部省宗教局の指示により教団運営に関してさまざまな制限、改変が加えられた。主なものに、三原典の内『おふでさき』と『おさしづ』の使用を禁止(各教会から回収)し、天理教教典(明治36年編集の明治教典)のみを教義とすることや、
『みかぐらうた』から「よろづよ八首」、「三下り目」、「五下り目」を削除すること、
泥海古記、「元初まりの話」に関する教説配布の禁止、
全国各教会を通しての鉄材、金物の供出協力、
天理教輸送部への満州、南方作戦の軍事物資と軍隊の輸送協力、
など指示された。教団側はこれらの内、特に『みかぐらうた』の改変や泥海古記の禁止などに難色を示したが、これより前に、宗教界では大本事件に対する危機感から、
主立った宗教は、諸手を上げて国家へ協力さぜるを得ない空気が流れ込んでおり、
天理教でも、二代真柱の中山正善が諭達第7号、第8号を相次いで公布、
全教一丸となって軍部、国家へと協力するように、という指示は、
その後、『諭達』第14号まで出されている。(註:太字は、当ブログ編集者によるもの)
(Wikiwand>天理教より)
近年の『諭達』本文
「諭達」本文を検索した結果、天理教美納分教会さんのサイトに綺麗にまとめてあるものが見つかりました。
近年の「諭達」本文を掲載します。
新しいものから順番に、だんだん古いものへと遡って掲載します。
4代真柱(中山善司)様
諭達 第3号 立教175年(2012年)10月26日発布
諭達 第三号
立教百七十九年、教祖百三十年祭を勤めるに先立ち、思うところを述べて、全教よふぼくの仕切っての成人と一手一つの活動に資したい。
教祖は、世界一れつをたすけるために、だめの教えを啓かれ、子供可愛い一杯の親心を以て、たすけ一条にお通りになり、五十年にわたるひながたの道をお遺し下された。
この間、たすけづとめを教え、万事の元を明かして道の次第を整えられ、明治二十年陰暦正月二十六日、かねて仰せのつとめの実行を尚も急き込み、人々の成人を促して、現身をかくされた。以来、 「今からたすけするのやで」とのお言葉通り、存命の理を以て、今も変わることなく、世界たすけの先頭に立って私達をお導き下されている。
この限りない親心に仕切ってお応えすることこそ、教祖の年祭を勤める意義である。心新たに、よふぼく一人ひとりが立教の本旨に旨を刻み、 陽気ぐらし世界建設のよふぼくとしての自覚を高め、 ひながたを目標に実働すべき旬である。
陽気ぐらしは、何よりも親神様の子供である人間が、互いにたすけ合って暮らす世の在り様である。また、
よくにきりないどろみずや
こころすみきれごくらくや (十下り目 四ッ)
心さいすきやかすんだ事ならば
どんな事でもたのしみばかり (十四号 50)
と仰せられるように、陽気ぐらしは心を澄ます生き方でもある。
慎みを知らぬ欲望は、 人をして道を誤らせ、 争いを生み、遂には、世界の調和を乱し、 その行く手を脅かしかねない。
我さえ良くばの風潮の強まりは、人と人との繋がりを一層弱め、家族の絆さえ危うい今日の世相である。まさに陽気ぐらしに背を向ける世の動きである。
心の拠り所を持たず、先の見えない不安を抱える人々に、真実のをやの思いを伝えて世界をたすけることは、この教えを奉じる者の務めである。 今こそ、道の子お互いは挙って立ち上がり、人々に、心を澄まし、たすけ合う生き方を提示して、世の立て替えに力を尽すべき時である。
よふぼくは、教えを学び身につけ、日々実践して、土地所の成程の人となろう。天地抱き合わせの理を象る夫婦をはじめ、己が家族の在り方を正し、たすけ合いを実行して、足元から陽気ぐらしの輪を広げよう。
また、教会に心を繋ぎ、足を運んで、その使命であるおつとめを勤めるとともに、会長を芯に、陽気ぐらしの手本たる姿を地域に映そう。
時として、親神様は子供の行く末を案じる上から、様々なふしを以て心の入れ替えを促される。しかし、
とのようふな事をするのも月日にわ
たすけたいとの一ちよはかりで (十二号 78)
と、全ては、ひたすら一れつ人間をたすけてやりたいとの親心からであると仰せられる。
あらゆる災厄や難渋は胸の掃除を求められる親心の表れである。自らを省みることはもとより、見せられる事柄を通して、人だすけを促されていると受け止め、積極的なおたすけを心掛けたい。また、常に人だすけを心掛けてこそ、世界たすけを掲げる教えの信仰者であり、それは「人たすけたらわがみたすかる」と仰せられるように、自らが真にたすかる道でもある。
おたすけ は周囲に心を配ることから始まる。身上・事情に苦しむ人、悩む人があれば、先ずは、その治まりを願い、進んで声を掛け、たすけの手を差し伸べよう。病む人には真実込めておさづけを取り次ぎ、悩める人の胸の内に耳を傾け、寄り添うとともに、をやの声を伝え、心の向きが変わるようにと導く。更には、共々に人だすけに向かうまでに丹精したい。
世の人々が元の親を知り、一れつ兄弟姉妹の真実に目覚めて、互いに睦み合い、たすけ合う神人和楽の陽気世界の実現を目指して、弛むことなく世界のふしんを進めよう。
教祖百三十年祭へ向けての三年千日、教祖の道具衆たるよふぼくお互いが、その使命を自覚し、任務(つとめ)に邁進して、御存命の教祖にお喜び頂きたいと願ってやまない。
立教百七十五年十月二十六日 真柱 中山善司
諭達 第2号 立教165年(2002年)10月26日発布
諭達 第二号
立教百六十九年一月二十六日、教祖百二十年祭を勤めるに先立ち、思うところを述べて、全教が仕切って成人の心定め、実動するよすがとしたい。
成人とはをやの思いに近づく歩みである。をやの思いは、陽気ぐらしを楽しみにこの世人間をお創り下された元初まりの思召に始まり、世界一れつをたすけるために天降られた立教の元一日に続く。
以来、月日のやしろとお定まり下された教祖は、五十年の長きにわたり、よろづ委細の元の理を明かし、つとめを教え、たすけ一条の道の次第を整えられるとともに、ひながたの親として、身を以て道の子の通り方を示し、ひたすら子供の成人をお促し下された。
なおその上に、子供可愛い故、定命を縮めて現身を隠されて後も、広くさづけの理を渡し、存命のお働きを以て、今も変わることなく私達をお導き下されている。
まさに、
にち/\にをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる (十四号35)
と仰せ下さるところである。
この果てしない親心にお応えする道は、人をたすける心の涵養と実践を措いて無い。
いかに文明が進歩しようとも、病む人は絶えず、悩みの種は尽きない。心が救われることはない。それは元を知らぬからである。人間生活の目指すべきところを知らぬからである。
いま々でにないたすけをばするからハ
もとをしらさん事にをいてわ (九号29)
と仰せられるように、元を教えてたすけることこそ、この道のたすけの神髄である。
確かな拠り所を持たぬが故に、我欲に走り、安逸に流れがちな人々に、心の定規を提示し、元なるをやの思いをにをいがけることは、よふぼくに委ねられた使命である。
先ずは、自らが教えに基づく生き方を日々実行し、身近な人達に信仰の喜びを伝えることが肝要である。
身上に苦しみ、事情に悩む人のおたすけに真実を尽くすことこそ、よふぼくの何よりの任務である。私達の周りにも、多くのたすけを必要とする人がいる。周囲に心を配り、機を逃さぬ親身のおたすけを心掛けたい。
「人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かる」
との御教示を胸に、常々に人だすけを念じ、心掛け、一れつ相和す陽気づくめの世の実現を期して、弛むことなく世界のたすけの歩みを進めよう。
また、一人ひとりが誠の心で通るところ、内々は自ずと睦まじく治まり、世の人々にも成程の理が映るとお諭し下さる。親神様の限りなき御守護に感謝し、与えを喜び、成程の人として土地所に陽気ぐらしの種を蒔こう。
世の中が目まぐるしく移り変わる中で、人々の価値観は揺らぎ、心の絆が失われてゆく今日、なおさらに世相に流されることなく、教祖のひながたを目標として、変わることなき誠の道を踏み行い、世に映してゆかねばならない。
この道を歩むお互いが心の向きを揃え、挙ってたすけ一条に邁進して、「今からたすけするのやで」と、やしろの扉を開いて、世界ろくぢに踏み均しに出られた教祖の大いなるお心にお応えしたい。
教祖の年祭を成人の節目として、真実を集め、力を尽された先人達の足跡の上に、更なる実を積み重ねるべく、全教が勇んで立ちあがり、一手一つに勤め切ることを切望する。
立教百六十五年十月二十六日 真柱 中山善司
諭達 第1号 立教161年(1998年)10月25日発布
諭達 第一号
教祖御誕生二百年の意義深い年の秋季大祭を前に、本日、真柱敬称奉告祭を執り行い、門出の誓いを新たにすることはこの上ない喜びである。ここに思うところを述べて、教祖がおつけ下され、歴代真柱を芯として布き弘められた道をしっかりと受け継ぎ、一層の進展と充実を期して勤め切る決意を共にしたい。立教の本旨は、「このたび、世界一れつをたすけるために天降った」と仰せられるように、世界中の人間を余すことなくたすけ上げることにある。その思召を体して世界たすけに向かうことこそ、この道を信ずる者の第一の務めである。
いまでハせかいぢううハ一れつに
めゑ/\しやんをしてわいれども (十二号89)
なさけないとのよにしやんしたとても
人をたすける心ないので (十二号90)
これからハ月日たのみや一れつわ
心しいかりいれかゑてくれ (十二号91)
この心どふゆう事であるならば
せかいたすける一ちよばかりを (十二号92)
このさきハせかいぢううハ一れつに
よろづたがいにたすけするなら (十二号93)
月日にもその心をばうけとりて
どんなたすけもするとおもゑよ (十二号94)
と仰せ下さる。人をたすける心は、何よりも親神様の思召しに適う誠真実である。教祖は、このたすけ一条の道の上につとめとさづけを教え、また、自ら身を以てひながたをお示し下されたばかりでなく、今もなお、存命のお働きを以て私たちをお導き下されている。
よふぼくは先ず、日々、月々のおつとめにをやの理を戴き、また、病む人に進んでおさづけを取り次ぐとともに、常に原典に親しみ、をやの思いを求めて、教えに基づく生き方を心掛けよう。日々に頂く十全なる御守護への感謝は、自ずと報恩のひのきしんとなり、人だすけの実践と現れる。その日常は巧まずして傍々を照らし、土地所に成程の理を映す。世界は未だ争いの絶え間なく、飽くなき欲望は生命の母体である自然環境をも危うくして、人類の未来を閉ざしかねない。人々は、我さえ良くばの風潮に流れ、また、夫婦、親子の絆の弱まりは社会の基盤を揺るがしている。まさに今日ほど、世界が確かな拠り所を必要としている時はない。
今こそ人々に元なるをやを知らしめ、親心の真実と人間生活の目標を示し、慎みとたすけ合いの精神を広めて、世の立て替えを図るべき時である。
よふぼくお互いは、その使命を自覚し、勇気を奮って人々の心の扉をたたき、心の闇を開くべく努力を傾けよう。をやの声を聞き、天理に目覚めて心を入れ替える時、人は生きながらにして生まれ変わる。さらに進んでは、共々に人だすけに努め、互いに手を携えて世界のふしんに勤しむまでに導く。これぞ教祖の道具衆としての至上の任務であり、無無上の喜びである。
世に先んじてだめの御教えに引き寄せられた道の子一同は、
一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこ々ろもいさめかけ (よろづよ8)
とのお急き込みに応え、逡巡を去り胸を張って、をやの声を伝え、自らも勇み、世界を勇ませて、神人和楽の陽気世界の建設に力を尽そう。
この門出の旬を吉祥として心機を一転し、全よふぼくが相呼応して世に働きかける時、世界は救われ、必ずや一れつの陽気ぐらしは実現されるものと信ずる。
ここに全教一手一つの奮起と実動を要望し、御存命の教祖のお導きを願い奉る。
立教百六十一年十月二十五日 真柱 中山善司
3代真柱(中山善衞)様
諭達 第4号 立教156年(1993年)10月26日発布
諭達 第四号
立教百五十九年一月二十六日、教祖百十年祭を迎えるにあたり、一言、諭達をもって、全教の心を一つにしたい。
親神様は、旬刻限の到来により、教祖をやしろに元のぢばに現れ給い、世界一れつをたすけるだめの教えをお啓きくだされた。
以来、教祖は、月日のお心のままに、元初まりの真実を明かし、かしもの・かりものの理を説いて、たすけづとめを教え、陽気づくめの誠の道をおつけくだされた。そして明治二十年正月二十六日、この道を通る子供の成人をひたすらお待ちくだされ、定命を二十五年縮めて、御身をおかくしあそばされた。しかも、子供を思う親心から、今も存命のまま元のやしきに留まり、よろづたすけの上にお働きくだされている。
この道にお引き寄せいただく道の子一同は、立教の本旨に思いを致し、おかけいただく教祖の大いなる親心にお応え申さねばならない。旬を仕切って、一手一つに、この教祖のお心に応えて、たすけ一条の歩みを、ひながた通り、一人ひとりが、真剣に実践し、成人することが、教祖の年祭を勤める意義である。教会長といわず、よふぼくといわず、また、信者といわず、一人ひとりのたすけ一条の成人の実が、結果としては、教会の内容充実に現れるご守護をいただきたいと願ってやまない。
およそ真面目に信仰する者なら、教祖のひながたを手本に、真っすぐ道を歩もうと思わぬ者は無い。しかし、時には、様々の事情や身上をお見せいただき、磨きをおかけいただくこともある。容易ならぬその中を、挫折することなく、ひたすら教祖の道すがらを見つめて真剣に通れば、何も心配は要らない。神一条とはそのことであり、これがひながたをたどるよふぼくの力強さである。
そもそも、教会は、ぢば一つに心を寄せてつとめをする神一条の精神に許されたものである。
よふぼくの一人ひとりがその自覚に立って、たすけ一条の勤めに励むところには、事情の起こる隙はない。煩わしい事情や身上は、これを忘れ、人間思案の我欲に負けて、ともすれば、一手一つの心が乱れる時に起こりがちである。
おかきさげに、よふぼくの生涯の理を諭して、誠一つを仰せ下される。この誠の道は、教祖が御自らお通り下された、五十年のひながたにお示しいただくところである。
誠は言うは易く、行うは難しい。この難しい誠の道も、教祖のひながたを見失わぬ限り、通り切らせていただくことができる。こんな有難いことはない。
一名一人の心に、この誠一つの理があれば、内内は十分睦まじく治まり、陽気な姿が教会にも現れ出る。みな揃うて誠の心なら、その精神に乗って、親神様は、いかな自由の守護もお見せくだされる。
道の子は、等しく、心の成人をお待ちくだされている教祖の親心にお応え申して、日日は、ぢば一つに心を寄せて、神一条、たすけ一条に、尽し運び、慎みと報謝の心で、誠の道を、仕切り根性、仕切り力、仕切り知恵をもって、積極的に歩み抜かせていただき、自らの成人の実が、陽気ぐらしの手本と言われる教会の内容充実の上に現われ出るように、願い通らせていただきたい。
みかぐらうたに、
みなせかいがよりあうて
でけたちきたるがこれふしぎ (三下り目3)
よう/\ここまでついてきた
じつのたすけハこれからや (三下り目4)
いつもわらはれそしられて
めづらしたすけをするほどに (三下り目5)
と仰せくだされている。
ただひたすらに、つとめをお急き込みくだされた教祖に、各各が、一歩一歩の地道、且つ、力強い歩みをすすめ、年限に相応しい成人の実をもって、応え奉らんことを切望する。
立教百五十六年十月二十六日 真柱 中山 善衛
諭達 第3号 昭和56年(1981年)1月26日発布
諭達 第三号
教祖が、一れつ子供可愛い親心から、やしろの扉を開いて、世界ろくぢに踏み均しに出られ、御存命のお働きをもって、たすけ一条の道の先頭にお立ち下されてより、既に九十余年、来る昭和六十一年一月には百年を数える。我我は、教祖百年祭を執行するにあたり、その元一日を振り返り、親心を偲び、今後の決意を新たにしたい。
百年は十年を十度繰り返して過した年月の重さを物語る。百という字の意は、白紙に戻り一より始めるを謂う。
親神様は、人間を創造られる時、九十九年毎に出直を繰り返させて、生み且つ育てられた。人間は、五分から生まれ五分五分と成人し、生まれ更りを重ねて今日を迎えた。
教祖百年祭の意義は、立教の元一日をたずね、ひながたをたどり、さらに、子供の成人を急き込んで御身をかくされた元一日にかえり、親神様が人間世界を創造り給うた元初まりの思召である陽気ぐらしを実践することにある。
天保九年十月、親神様は、「我は元の神・実の神である。」と啓示られ、教祖を神のやしろに貰い受け、初めて人間世界に現れ給うた。以来、教祖は、世界一れつを救けたいとの親神様の思召のままに、神一条・たすけ一条の道を歩まれ、五十年の長きにわたって、やまさかやいばらぐろふもがけみちも、心明るく通り抜け、真実の限りを尽して寄り来る人人を育て、つとめの完成とさづけの徹底をもって、この世が陽気ぐらしの世界と立て替わるよう図られた。しかるに、親を慕い親を思う子供の情愛は、親に従うことの尊さを承知しながらも、容易には親の道に踏み切れなかった。教祖は、こうした子供の信条を不憫と思召され、定命を縮めて御身をかくされた。
しかしながら、教祖は、姿はかくしても存命で働く、と仰せられ、おとこば通り、世界たすけに夜昼の区別なくお働き下されて、その御導きは末代に及ぶ。
刻限に、「ひながたの道を通らねばひながた要らん。」と仰せられている。今こそ、全教あげて、御身をかくされてまで世界たすけを急き込まれた親の心に溶け込み、一手一つに互い立て合い扶け合い、陽気づくめに勇んで、ひながたの道を通らせていただかねばならぬ旬である。
かねてから、「四方正面鏡やしき」と教えられた教えを、些かなりと形に表したいと、教祖百年祭の旬に、東西礼拝場普請を提唱し、心をふしんして教祖にお喜びいただこうと誓った。心のふしんの進むにつれて形の普請も進み、形の普請にひのきしんの真実を伏せ込むうちに、心のふしんも一段と進む。ともに末代つづくきりなしふしんである。
おふでさきに、
しんぢつにたすけ一ぢよの心なら
なにゆハいでもしかとうけとる (三号38)
と教えられる。
一言のにをいがけは、人の運命を変える。それは、をやの声を聞く時、心の向きが変わるからである。一度のおたすけは、人の心を入れ替え、無い命をもお救けいただく。それは、をやの理を受けるからである。かくて心のふしんは、一人また一人と進み、世界一れつに及ぶ。これぞ、世界のふしんである。
みかぐらうたに、
九ツ ここまでついてこい
十ド とりめがさだまりた (一下り目)
九ツ こころをさだめゐやうなら
十ド ところのをさまりや (二下り目)
と教えられている。
教祖百年祭のまたとない旬を迎え、にをいがけ・おたすけに丹精して、教祖の親心を、長く末代に伝え、広く世界に弘めて、世界一れつの心のふしんを進めよう。日日に教祖のひながたをたどり、たすけ一条の真実を積み重ねよう。
にをいがけ・おたすけこそ、我我の生命であり、至上の使命である。この使命達成の上に、とりめが定まり、ところの治まる陽気ぐらしを御守護いただける。
ここに全教一手一つの奮起を要望する。
昭和五十六年一月二十六日 真柱 中山 善衛
諭達 第2号 昭和48年(1973年)1月26日発布
諭達 第二号
教祖九十年祭を迎えるに当たり、思うところを述べて、三年千日の門出の心定めに資したい。
教祖は、月日のやしろとして親神の思召を伝え、たすけ一條のため、みずから艱難苦労の中を喜び勇んで通り抜け、万人たすかるひながたを示された。しかも、子供の成人を急き込む上から、定命を二十五年縮めて現身をかくされ、今なお存命のまま、日夜、世界たすけのためにお働き下されている。この親心に応え、喜びに溢れてひながたを実践し、たすけ一條に励んで成人の実を挙げ、教祖にお喜びいただくことこそ、年祭を迎える道の子供の願いである。
教祖は、たすけ一条の道として、つとめを教えられた。
にち/\にはやくつとめをせきこめよ
いかなるなんもみなのがれるで (一〇号19)
とのようふなむつかしくなるやまいでも
つとめ一ぢよてみなたすかるで (一〇号20)
つとめは、人間世界創造の奇しき守護を、よろづたすけの上にお見せいただく、根本の道である。教祖五十年の道すがらは、このつとめの急き込みにほかならない。教祖年祭の元一日もまた、ここに由来する。仰せ通りのつとめをするという一事に、幾多の苦心が払われて来た道の歴史に照らす時、有難い今日の道である。感謝の真心を捧げつつ、一手一つ、つとめに徹する姿を以て、親心に応え奉らねばならない。
思えば、教会の初まりは、つとめ一条の実現を心に定めて、許されたものである。ぢばの理をうけて、真剣なつとめに、勇み心の真実を捧げ、陽気世界実現の守護を祈念するのが、教会の使命である。かくてこそ、たすけの理をいただいて名称の理は発揚され、教会内容はおのずと充実して来る。心定めを果たすという一点に心を尽し、仕切ってその達成を志すのが時旬の急務である。鳴物なりと出しかけよ、とのお言葉を拝し、道具の完備を急いで来たが、人を寄せ手を揃えることは、つとめ完成の上に欠くことのできぬ要であり、教祖の終始心をおかけ下されたところである。教祖は、さづけを渡しよふぼくを育てて、人々の成人を促しつつ、つとめの模様立てを進められた。
これからハいたみなやみもてきものも
いきてをどりでみなたすけるで (六号106)
さづけの理は、今広く我々にも許されている。しかも、親神は、常に先回りしてお待ち下されている。ひたすら、親に凭れて足を運び、真心こめて理を取り次ぐ時、不思議なたすけをお見せ下される。まことに心強い限りである。よふぼくたるものは、このことを心に刻み、挙ってさづけの取り次ぎに勇み、おかけいただく大いなる期待に応え奉らんことを切望する。さづけを取り次ぎ、たすけ一条に励む時、心のほこりはおのずから払われて、陽気づくめの心と入れ替わり、人の心は成人する。成人は、理の御用を通してこそ、果たされる。
成人とは、日々年々、親の思いに近づくことである。それは、不断の着実な歩みの中から、旬に芽生え実を結ぶ。教祖の年祭を旬として、心のふしんを形のふしんに託し、仕切って成人を願って来たのも、この故にほかならない。おやさとふしんは、教祖の御理想を体して、誓って勇躍した心のふしんであり、父祖の信仰と切なる願いがこめられている。
これを継承して、倍する努力を続けることが、心の成人をお見せいただく道であり、ひいては、その真実は、縦の伝道をも招来する。
みかぐらうたに、
九ツ こ々までついてこい
十ド とりめがさだまりた (一下り目)
と教えられる。とりめが定まるとは、まさに、末代続く陽気ぐらしの世界である。その守護は、ここまでついて来い、と手引かれる親神の導きに、心を定めてついて行く時いただける。成って来る理に耳をすまし、教祖の面影を求めて身近に教祖を拝し、三年千日、ひながたの道を明るく歩み抜かせていただきたい。
世界は、我が身思案に流れて扶け合う喜びを忘れ、苦悩と混乱にあえいでいる。一日早く親神の慈愛に導かれたお互いは、その喜びを深く味わい、たすけ一条の実践を以て、たすける理がたすかる、天の理を人々に伝え、
せかいぢういちれつわみなきよたいや
たにんとゆうわさらにないぞや (一三号43)
とのお言葉通り、世界の兄弟が互いに睦み合う、陽気ぐらしの世の様をお見せいただけるよう、年祭活動の第一歩を踏み出すに当たり、決意を新たにするものである。
ここに信念を披歴して、全教の奮起を促し、親神の守護、教祖の導きを願い奉る。
昭和四十八年一月二十六日 真柱 中山 善衛
諭達 第1号 昭和43年(1968年)10月25日発布
諭達 第一号
本日、真柱敬称奉告祭を執り行い、立教の元一日に思いを馳せ、教祖ひながたにかえり、たすけ一條の新たな門出を誓うことは、まことに意義深いことである。
思えば、旬刻限の到来と共に、教祖を、神のやしろに差し上げます、と誓った心定めにより、我々人類は初めて親神の御声を耳にし、真に救かる道を教えていただいた。神一條の心定めこそ、たすけの理をいただく根本である。
月日のやしろと定まり給うた教祖は、親神のたすけ一條の親心を、口に伝え筆に誌し、更には、ひながたに示して人々を導かれたが、このひながたこそ、神一條の精神、ひのきしんの態度の如実の発露である。我々が教祖お一人に心を結び、ひながたを素直に辿る時、一手一つの和は自ずから生まれ、願う三信條は具現される。
常にひのきしんに励み、教祖のお心一つに睦む時、成程の理を世に映し、たすけ一條のにをいがけは、無言の中にも進められる。
神一條の行動は、人間思案の窓を通して眺める時、時には常識外れと嘲笑されることもある。しかし、教祖のひながたに照らして考える時、ふしを通してこそ、大きな芽を吹く素地は耕される。教祖は苦労を苦労と思召さず、ふしから芽が出る、と、いそいそとたすけ一條に歩み続けられ、今日の道をおつけ下された。如何なふしの中も心倒さず、明るく神一條を貫き通すところに、必ず道が開ける証しをお見せいただいた。真実の伏せ込みを通してのみ、明るい守護はいただける。
やまさかやいばらぐろふもがけみちも
つるぎのなかもとふりぬけたら (一号 47)
まだみへるひのなかもありふちなかも
それをこしたらほそいみちあり (一号 48)
ほそみちをだん々々こせばをふみちや
これがたしかなほんみちである (一号 49)
このはなしほかの事でわないほとに
神一ぢよでこれわが事 (一号 50)
と、神一條の道を進む者の心構えをお教えいただいている。神一條に進む時、親神は必ず不思議なたすけをお見せ下される。蒔いた種なら、旬を見て必ず生やして下される。
存命の教祖は、常に原典を通して、親しく語りかけて下さっている。まことに有難いことと言わねばならない。この篤い親心を感謝しつつ、日々教えを求めて心のふしんに励み、身に溢れる成程の理を世に映して、出でては、親神の教えを世界に伝えるたすけ一條に励み、入りては、真実の限りを尽して縦の伝道にいそしんでこそ、教祖の親心に応えさしていただける。これが我々の使命である。たすけ一條の尊き使命に感じ、明るく前進を続ける歩みの中に、親神もお勇み下され、自由自在の守護をお見せ下される。
これからハをくハんみちをつけかける
せかいの心みないさめるで (ニ号1)
親神は、世界一列陽氣ぐらしの往還道をつけかけ、世界の心をみな勇ます、とて、早くから先回りをして、お待ち下されている。現下の世界の情勢を眺める時、世界はだめの教えを希求している。対立抗争に喘ぐ世界を救けるのは、この人間世界を創造せられた親神の教えを措いて外にはない。旬は満ちている。
存命の教祖の手足として、その思召を伝えるのがよふぼくの使命である。教祖の道具衆と教えられたよふぼくは、この使命を体して、ひながたを辿りたすけ一條に生きることが、教祖にお喜びいただく唯一の道である。よふぼくも信者も一つ心に、ひながたを慕うて、神一條の道を楽しんで歩み続け、実があれば実があるで、とのお言葉通り、更にたのもしい将来の往還道へとお導きいただけるよう、教内全般の奮起を願ってやまない。
ここに門出に当り、真実を捧げて親神の末永き守護を願い奉る。
昭和四十三年十月二十五日 真柱 中山 善衛
2代真柱(中山正善)様
諭達 第2号 昭和36年(1961年)4月26日発布
諭達 第二号
本年一月二十六日、教祖年祭にゆかりある春季大祭の日を以て公示したように、来る昭和四十一年に教祖八十年祭を執り行うにあたり、思うところを述べて教内全般の心定めに資したい。
教祖は一れつの子供可愛いそれゆえに、扉を開いて世界をろくぢにふみならそうとの深い思召しから、定命を縮めて現身をおかくしなされたが、地上の月日におわす御理は、今もなお存命同様子供の成人をおみまもりくだされている。この存命の教祖の御心に応え、我々子供たちの心の成人を御照覧いただいて、おいさみいただくことが教祖年祭を執り行う根本の意義である。子供の成人こそは、教祖が定命を縮めてまでも御心におかけくだされたところであるから、それが教祖にお応えする子供たちの、何よりもの心尽くしであることはいうまでもない。翻ってまた同時に、地上の月日にてあらせられる教祖に守られて、銘々子供たちが陽氣ぐらしのよろこびをお恵みいただく道でもある。
さきに復元の道をたずね、神一条の精神、ひのきしんの徹底、一手一つの和の三信條をかかげて陽氣ぐらしへの道を求め、また、朝起き、正直、はたらきの教えの実行によって、身近かな日々の生活から明るくしてゆくよう説き奨めた。なお進んでは、教祖のひながたをたどって信仰生活の徹底を期し、さらに、一れつのたすけを急込み給う親神のよふぼくたるものの指針としては、内にたんのうの心を治め、外に向かっては親切の真心を尽すようさとしてきた。これ偏に、仰いでは親神、教祖に応えて、いよいよ厚い御守護を祈り、かえりみては心の道しるべとして、あい互いに心の成人を期したいとの願いに外ならない。
されば、八十年祭執行の期日を定め、日々に養いきたつた成人の心を結集して、いよいよ年祭準備の勤めに励みつつ、さらに一段の成人をお見せいただくべき時を迎えた今日、先ず、ここに陳べるところを胸のうちより思案して、成人への楽しみに勇みつつ、年祭の御用にそれぞれの真心を伏せこむ心定めが肝要である。
みかぐら歌に
ふしぎなふしんをするなれど
たれにたのみハかけんでな
みなだん々々とせかいから
よりきたことならでけてくる
また
むりにでやうといふでない
こ々ろさだめのつくまでハ
と仰せられている。
信仰のよろこびから、止むにやまれぬ熱情を以て自ら進んで勤めきるのが、親神の御用にあずかるものの態度であり、また親神のうけ給うところである。あい互いに成人への希望に燃えて、日々楽しくうれしく尽くはこんでこそ、一粒萬倍の理となって、たのもしい成人をお見せいただける。これが天理である。
およそ人生の道すがらには、事にあたりものにふれて、時に難渋をかこち或は失望不安におそわれる場合が、ないとはいえない。しかし、それは我が身思案による心の影とさとり、我欲を忘れて親神にもたれ、教祖ひながたの道をたどる心になる時、難儀苦労は転じて楽しみに、失望不安は希望に切り替えていただける。かかる年限の積み重ねこそ成人への道である。
年頭にあたり、「人間思案による自己依存を捨て、自己を忘れ、もっぱら親神様にすがって歩ませていただく心になったとき、自他ともに無理だ、無理だと思われた旅路を、つつがなく最後までおつれいただけた」と語ったが、この体験は私にとりまことに有難いことであったと感謝している。
思うに「神がこの屋敷へ天下って七十五年たてば、日本あらあらすます。それから先は、世界隅から隅まで天理王命の名を流す」とのお言葉は、「はじめた理とをさまりた理と、理は一つである」とのおさしづと思い合わせ、子供の成人をおうながしくだされる、一つのふしをお示しになったものとさとる時、子供の成人をおもい現身をおかくしになった、明治二十年から数えて七十五年目に相当する今年、昭和三十六年は、世界の事情によって已むなく一時歩みをゆるめていた海外への伝道を再び活発におし進めて、一れつのたすけを急き込み給う思召に応えるべき仕切りの時旬である。
あらためていうまでもなく、よふぼく本来の使命は、親神の思召しを体して、日本国中はもとより、世界隅から隅まで、一れつの子供にだめの教えを伝えて、平和を希求しながら、対立の冷たさに不安をいだく世界のすがたが、陽氣ぐらしの世のさまにたちかわるよう御守護をいただくにある。殊に親神が常に先回りして、おはたらきくだされていることを思えば、なんの不安もない。
よろしく、よふぼくたるものは小成に心をゆるさず、いよいよ世界たすけの重い使命を自覚し、世界隅から隅までの思召しにそうべき大きい心を定めるのが、この時旬に処する心構えである。もうこれだけ道ひろまった、もう大丈夫と思う一日の心のゆるみが、千日のおくれとなる。まだまだ十分やない、一寸のかかりという事情、これからという心を定めて勤めきってこそ、世界たすけのこうのうをお見せ頂ける。「十分のぼればくだるより外ないほどに」とお戒めを心胆に銘じ、現状にあまんじることなく、広い世界の隅々までも天理王命の神名がゆきわたるべき将来の往還を楽しみに、遠大の希望を親神に託して、この年祭の時旬の勤めをはたしたいと切に念願する。
願わくば、土地ところの名称のしんとしてゆるされている教会長は、「そのものから心わかってくれ」との切なる親の御思いを片時も忘れず、ややもすれば陥りやすい人間一條の道におされ、世界の事情に心を奪われて生涯の道をあやまたぬよう、先ず自ら真の道の理を心におさめ身につけて不動の信念を固め、常に反省して足らぬところはこれを補い、親神よりゆだねられているそれぞれの教会を、陽氣ぐらしの雛型たらしめる重責を自覚して、たすけ一條の道の先達となり、教人は道の理に順い、よふぼくは心を合わせてその任を全うし、信者は互いにたすけあい、皆一手一つに心を堅く結びつつ、勇んでたのもしい道の理を人々に伝え、あれでこそ真の道であると、世界一れつにうつる日を心から待望する。
昭和三十六年四月二十六日 真柱 中山正善
「教祖140年祭」を【成人】の機会にしよう
以上、天理教の『諭達』について調べたことを、覚え書き的に掲載させて頂きました。
もうじき、教祖140年祭へ向けての『諭達』が発布されます。
教祖年祭へ向けた年祭活動のスタートが、目前に迫ってきました。
おやさまの年祭を少しでも「成人」の機会にできるよう、努めたいものであります。
今回の「彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】」は、
「天理教の『諭達』について調べたことのまとめ
=『諭達』【自己学習】の記録」
でした。
人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。
ではでは、今回はこのへんで。
コメント