【かしこねのみこと】「十全の御守護」学習No,6

かしこねのみこと上田嘉太郎著 『基本教理を身につけよう』 書写 No,6 十全の御守護

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

教祖百四十年祭に向けて、
少しでも基本教理を身につけたいとの思いから取り組み中の
「十全の御守護」学習シリーズ。
今回は6回目です。

このシリーズは、
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本に書かれた「十全のご守護」解説を書写することで
「十全の御守護」の教えをいささかなりとも腹におさめたい、
という意図のもとに取り組んでいる
【自己学習】の足跡であります。

上田嘉太郎著『基本教理を身につけよう』表紙

「十全の御守護」学習シリーズの教材は、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本です。

この本の奥付を見ると、
立教163年(2000年)天理教浪華分教会発行、非売品、
となっております。
入手経路は知りませんが、上級教会の本棚にもありましたし、
支部か何かを通して、多くの教会に配布(購入?)されたもののようです。

前回は「くもよみのみこと」御守護の解説部分を書写しました。

シリーズ6回目の今回は、
「かしこねのみこと」
御守護の解説部分を 書写します。

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上田嘉太郎先生「十全のご守護」解説 No,6

「かしこねのみこと」

tree blown by the wind

かしこねのみこと

人間身の内の 息吹き分け。

世界では 風 の守護の理。

息吹き分け

「息」というのは 呼吸です。

息を吐いたり 吸ったりする。
それによって 新鮮な空気、酸素を取り入れる。
また、炭酸ガスをはじめとする 老廃物を吐き出す。

「息を引き取った」という表現からも 分かりますように、
呼吸は まさに 生きていることの証拠とも言うべきものです。

おそらく「生きる」という言葉も、
この「息=呼吸」と語源的につながっているのでは ないでしょうか。

それはともかく、
呼吸は それこそ 生死に関わる 非常に重要な働きです。

取り入れられた空気中の酸素が 肺で炭酸ガスと交換され、
その新鮮な血液が 身体の隅々にまで送られる。
その酸素が 身体の各部分で 養分と結びついて、
即ち、その養分を燃やして、
いろんな働きのエネルギーを 供給する。

そして、生じた老廃物、炭酸ガスは
血液に溶け込んで回収され、肺に到るわけです。

また、呼吸と言えば、
皮膚を通しての呼吸も 無視できないものがあります。

例えば、
皮膚呼吸を止めてしまうような 大きな火傷やけどをした時には
生命が 危険な状態になります。

「吹き分け」とは、
ものを言う、言葉を話すことです。

言葉の使用は 他の動物にはない 人間だけの特徴で、
意志、情報の伝達手段です。

また、それは社会の存在を前提としています。

人類文明は
言葉と その表記である 文字の存在の上に成り立っている
と言っても 過言ではありません。

世界では風

「世界では風」とお教え下さいます。

「風」は 大気の運動です。
大気の運動は 気象や天候と 密接に関わっています。

その前に、大気の存在自体が、
上述の呼吸を可能にしたことはもちろんですが、
その他にも さまざまな役割を果たしています。

例えば、大気の層は 人間を守っています。

ご承知のように、
大気圏の上層にある オゾン層は
太陽の紫外線から 人間を守っています。

また、流れ星というものがありますが、
ほとんどの流れ星は 落ちてくる途中で、大気との摩擦によって 燃え尽きてしまいます。

しかし、ごく一部が 地上まで到達します。
これが 隕石いんせきです。

もし 流れ星が そのまま どんどん落ちてくるというと、
実に 危なっかしいことになります。

その意味でも 大気によって守られている と申せましょう。

また、音は 空気の振動ですし、
匂いがするのも 空気があってのことです。

物質から 空気中に拡散した粒子が 鼻腔びこうに入って、
嗅覚神経を刺激して 匂いがする というわけです。

火・水・風 とお聞かせ頂きます。

「火」と「水」のご守護が
最も 根本的なものであることは 申すまでもありませんが、
これに続く「風」も、
人間をはじめとする生き物にとって 無くてはならないものです。

この「風」、あるいは 空気
という言葉を使う表現も いろいろにあります。

例えば、
古女房のことを 空気のような存在 と言いますが、
居るのか 居ないのか 分からないような存在だけれども 無いと困る というのが、
空気のような存在だそうであります。

多分 良い意味で言っているのだと思うのですが……。

また、
風向きが良いとか悪いとか、
風通しが良いとか悪いとか、
という言い方もあります。

ほかにも
すき間風、風雲急を告げる といった具合に、
風 という言葉を使って、
その場の雰囲気、気配を表す表現が たくさんあります。

こうしたことも 一つの 思案の材料になるでしょう。

空気は 何時でも何処でも 手に入るものだと思っています。

しかし、食べ物とか水は
何時でも何処でも 手に入るとは 必ずしも言えません。
ですから、これらは
身体の中で ある程度蓄えることができるようになっています。

例えば 肝臓には そうした機能があります。
従って、何も食べなくても 何日かはもつのであります。
水の場合でも そうです。

ところが 空気は そうはいきません。
これは、
何時でも何処でも手に入る ということが前提になっていますから、
蓄えられるようになっていないのです。

しかし、
今日 その空気が汚れてきている となると、
そのうち 空気も買わなければならない、
ボンベを背負って歩かなければならない
というようなことに なるかもしれません。

呼吸器と申しますと、その入り口は 鼻腔です。
口は、本来は 呼吸器と言うよりは
物を食べる道具でありましょう。

鼻、鼻腔、また、気管、気管支、肺 というようなものが
呼吸器に入ってきます。

話一条はたすけの台

こうした器官に障りを頂いた時の思案として まず考えられるのは、
やはり
言葉の使い方
ということに寄せての 思案ではないでしょうか。

言葉は 言うまでもなく、
我々の心の表現であり、コミュニケーションの手段ですから、
その使い方は 非常に大きな意味を持っています。

仮席のお話に、
「話一条はたすけの台」
という一節があります。

このお言葉には 忘れられない思い出があります。

というのは、もう二十年にもなるでしょうか、
ある時、古ぼけた原典集を見つけました。

それを繰っておりますと、
裏表紙の内側に、「話一条はたすけの台」と書いてあったのです。
その横に
「嘉太郎が皆の前で話をした。そのことを真柱様のお耳に入れると、『呼んでこい』とおっしゃってご褒美ほうびを頂いた」
という内容と共に、
私の物であることを示す 嘉太郎という字が 父の手で記されていました。

これは 私が小学校の一年生から二年生になる頃のことなのですが、
私はその時 二代真柱様から 万年筆とドイツ製の鉛筆を頂いたことだけを覚えていたのです。

何故 頂いたのかも忘れ、父が そのように原典集に書き残していてくれたことも 知りませんでした。

それを見つけました時に、
そんな子供の頃から、父は こうした思いを込めて育ててくれたんだなぁと、
非常に感慨深いものを覚えました。

ちょっと脱線しましたが、
先のお言葉は 神様のお話を取り次ぐことが、
人だすけの台として欠かせない ということです。

また、「声は肥」というお言葉もあります。
声を掛ける、それによって人が育つということです。

おさしづの中には、
「言葉一つがよふぼくの力」
というお言葉もあります。

こうしたことからも 分かりますように、
道の信仰者にとって 言葉づかいというものは 非常に大切なものです。

従って、
それを発する口という道具は あだやおろそかに使っては 申し訳ないのであります。

教祖は、明治七年の十二月、
身上たすけのための 四種類のおさづけを お渡しになりました。

「一に、いきハ 仲田、
二に 煮たもの 松尾、
三に、さんざい てをどり、、、、 辻、
四に、しっくり かんろだい、、、、、 てをどり、、、、 桝井、」
と 仰せになり、
続けて、
「五ツ いつもの はなしかた、
六ツ むごいことばを ださぬよふ、……」
と 教えて下さいました。

ふだんの言葉づかいが大切なんだよ、
さらに、
むごい言葉を出してはいけないよ、
と お諭しになっているのです。

おさづけのお渡しに続いて こう仰せになっている ということは、
おたすけをさせて頂く者の心構えとして、
言葉づかいに気をつけることがいかに大切か
を お教え下さっているように思います。

別席のお話の締めくくりにも、
「口では人の悪しきは言わんよう。
日々誠の理をもって話し合い、身の行いを正しくして、
人から見ても『ほんに誠の人じゃ』と言われるよう、
将来お通り下さいませ」
とありますが、

ここでも
「口では人の悪しきは言わんよう。日々誠の理をもって話し合い」
と 言葉の使い方について ご注意下さっています。

それほどまでに 重ね重ねお教え下さっている言葉づかいでありますから、
親神様の思いに沿うように 使わせて頂かねばなりません。

ところで 考えてみると、
この言葉づかいに関しては
芳しくない使い方は 実に 沢山あるのです。

例えば、
ちょっと数え上げてみても、
悪口、陰口などは序の口で、
嫌味、愚痴、不足、さらに罵声ばせい、怒声 というのもあります。

泣き言、嘘、追従ついしょう、言い訳、切り口上……
と、まだまだあるでしょう。

それぐらい、あまり芳しくない言葉づかいの表現は いっぱいある。
いかに そうした言葉づかいを常々しているか ということだろうと思います。

ところが、
良い方の言葉づかいの表現というのを探してみたら、
直ぐに思いついたのは、
誉める、励ます、慰める
ぐらいのものなのです。

これらを一見して分かることは、
芳しくない方の表現は、
感情や利害など 自己中心的な傾向が強いのに対して、
後者では
他者への心配りが無ければ出て来ない
ということです。

いずれにせよ、
悪い方は 直ぐさま こんなに沢山思いつくのに、
良い方は 実に少ない。

それだけに、
人に喜んでもらえるような、
勇んでもらえるような言葉づかいというものは、
よくよく心掛けさせてもらわねばならない
ということかと思います。

逆に、
つい口をついて出がちな、
人を傷つけたり、腹を立てさせたり、不足させたりするような言葉づかいは、
厳に慎まねばなりません。

心のブレーキをはずす

海外部時代 一緒に御用をさせて頂いていました 紺谷久則先生は、
大変おたすけ熱心な方でありまして、
折にふれて おたすけの体験談を聞かせて下さいました。

そうした中で、
おたすけに際してのお話の仕方として、

「相手の方の心が和らぐように話をさしてもらわないかん。
例えば、車でも
サイド・ブレーキをかけたままで、何ぼアクセルを踏んでもあかん。
かえってエンジンがオーバーヒートするぐらいのものや。
サイド・ブレーキを外す、
つまり 心のわだかまりをほどくような話をさしてもろたら、
おさづけは効くんやで。」

と 教えて頂いたことがあります。

サイド・ブレーキを外すとはどういうことか、
と思いながら 先生の『親心』という本を繰っておりますと、

相手の方に、
「お前はああや、こうや」
と 一方的に諭すのではなく、
まず、我がこと として受け止め、
自分のさんげ話やいんねん話をして、
相手の方の心を和らげると申しますか、心をほぐされる様子が
述べられていました。

自分が一段高い所に立ってお諭し、お仕込みをするのではなく、
我がこと として相手の身にもなり、
同じ目の高さで 相談させてもらう
ということでありましょう。

「こうき本」では、
かしこねのみこと の裏守護のところに、
法然ほうねん上人しょうにん という名が 挙がっています。

これは 父が教えてくれたことですが、
法然 という方は、
念仏を唱えることによって極楽往生できる道を教えて下さった方、
つまり 言葉によって救かる道を教えて下さった方だから、
かしこねのみこと の御守護の理に関わる、いわゆる裏守護の一つとして
挙げられているのだ ということでありました。

こうしたことも参考に、
かしこねのみこと の御守護の理合いについて
ご思案頂いたら と思います。

元初まり六台

続いて、たいしよく天のみこと ですが、
その前に 申し添えておきたいことがあります。

親神様の「十全の御守護」、
これは この世のありとあらゆるご守護を含むものでありますが、
特に その中でも、
元初まりの 宿し込みの時に一つになって お働き下された
くにとこたちのみこと
をもたりのみこと
くにさづちのみこと
月よみのみこと
いざなぎのみこと
いざなみのみこと
の 六つの守護の理を「元初まりの六台」と申します。

これは、
元初まりのお話を御思案頂いたら お分かりだと思いますが、
「うを」に「しゃち」を仕込んで 月様が、
「み」に「かめ」を仕込んで 日様が入り込まれ、
人間創造の守護を教えて、
九億九万九千九百九十九人の子数を 宿し込まれたことによるのであります。

この六台が 元のぢばで一つになってお働き下さったところに、
今日に至る 人類の生命の歩みが 始まりました。

身の内守護の六台

この「元初まりの六台」に対して、
「身の内守護の六台」
と 言われるものがあります。

これは
人間の身体に 常日頃頂いている御守護に関わる 六つの神名、
即ち、
くにとこたちのみこと
をもたりのみこと
くにさづちのみこと
月よみのみこと
くもよみのみこと
かしこねのみこと
の 六台です。

その点から申しますと、
たいしよく天のみこと
をふとのべのみこと
いざなぎのみこと
いざなみのみこと
は、「身の内守護の六台」から、外れているのであります。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,73~83)

「かしこねのみこと」上田先生解説の自己覚書き

man exhaling in the dark

「かしこねのみこと」

  • 人間身の内の 息吹き分け。
  • 世界では 風 の守護の理。

  • 息吹き分け

    「息」=呼吸 ……生きていることの証拠とも言うべきもの
    「吹き分け」=ものを言う、言葉を話すこと。

    言葉の使用は人間だけの特徴、意志・情報の伝達手段。
    人類文明は、言葉と その表記である文字 の存在の上に 成り立っている。

  • 世界では 風

    「世界では 風」
    「風」=空気・大気の運動。大気の運動は 気象や天候と密接に関わっている。

    大気(空気)の役割……大気圏の上層にあるオゾン層は 太陽の紫外線から 人間を守っている。
    流れ星がそのまま落ちてくる(=隕石)と危険だが、大気があることによって 途中で燃え尽き、地球が守られている。

    音は 空気の振動。
    匂いがするのも 空気があってのこと。

    火・水・風 と聞かせて頂くが、
    「火」と「水」のご守護が 最も根本的なものであることは 申すまでもないが、
    これに続く
    「風」=空気も、人間をはじめとする生き物にとって無くてはならないもの。

    食べ物や水は 身体の中である程度蓄えることができるようになっているが、
    空気は、
    何時でも何処でも手に入るということが前提になっており、
    蓄えられるようになっていない。

    しかし 近年は、その空気が汚れてきており、
    そのうち 空気も買わなければならない という時代がやってくる可能性は ゼロではない。

    それほどに「風」=空気 の御守護は 重要である ということ。

  • 話一条はたすけの台

    かしこねのみこと の御守護を受ける「呼吸器」は、
    「風」=空気に対応する道具であり、
    空気は 言葉に関わるものであるから、

    呼吸器に障りを頂いた時には、
    【言葉】の使い方 ということに寄せての思案が必要。

    【言葉】は、我々の心の表現であり、コミュニケーションの手段。
    故に、その使い方は 非常に大きな意味を持っている。

    仮席のお話に「話一条は たすけの台」という一節がある。
    神様のお話を取り次ぐことが、人だすけの台として欠かせない。

    「声は肥」
    ➡声を掛ける、それによって人が育つ。

    「言葉一つがよふぼくの力」(おさしづ)
    ➡道の信仰者にとって【言葉づかい】というものは、非常に大切なもの。
    それを発する 口 という道具を、あだやおろそかに使っては 申し訳ない。

    おたすけをさせて頂く者の心構えとして、
    【言葉づかい】に気をつけることが どれほど重要か、決して 忘れてはならない。

    〔別席のお話の締めくくり〕
    …「口では人の悪しきは言わんよう。
    日々誠の理をもって話し合い、
    身の行いを正しくして、
    人から見ても『ほんに誠の人じゃ』と言われるよう、
    将来お通り下さいませ。」

    それほどまでに重ね重ねお教え下さっている【言葉づかい】であるから、
    親神様の思いに沿うように 使わせて頂かねばならない。 

    【言葉づかい】に関して、
    良い方の表現は少ないのに対して、
    芳しくない言葉づかいの表現は 沢山ある。

    ➡人に喜んでもらえるような、勇んでもらえるような【言葉づかい】というのは
    意識しなければ少ないものであるから、
    よくよく心掛けさせてもらう必要がある、
    ということ。

    逆に、
    人を傷つけたり、腹を立てさせたり、不足させたりするような【言葉づかい】は、
    つい口をついて出がちなものであるから、
    厳に 慎まねばならない、ということ。

  • 心のブレーキをはずす

    【おたすけに際してのお話の仕方】(紺谷久則先生)
    ●相手の方の心が和らぐように話をさしてもらわないといけない。
    ●車でも、サイド・ブレーキをかけたままアクセルを踏んでもかえってエンジンがオーバーヒートするぐらいのものであり、意味がない。
    ●サイド・ブレーキを外す、つまり、心のわだかまりをほどくような話をさしてもらったら、おさづけは効く。
    ●サイド・ブレーキを外す話し方とは、
    相手の方に「お前はああや、こうや」と一方的に諭すのではなく、
    まず、我がこととして受け止め、
    自分のさんげ話やいんねん話をして相手の方の心を和らげ、心をほぐすような話し方のこと。
    お仕込みをするのではなく、我がこととして相手の身にもなり、同じ目の高さで相談させてもらう、ということ。

  • かしこねのみこと の裏守護

    かしこねのみこと の裏守護(こうき本)……法然ほうねん上人しょうにん

    法然 という方は、念仏を唱えることによって極楽往生できる道を教えて下さった方。
    =つまり、言葉によって救かる道を教えて下さった方

    ➡だから、かしこねのみこと の御守護の理に関わる裏守護の一つとして挙げられている。

  • 元初まり六台

    元初まりの宿し込みの時に一つになってお働き下された
    くにとこたちのみこと
    をもたりのみこと
    くにさづちのみこと
    月よみのみこと
    いざなぎのみこと
    いざなみのみこと
    以上、六つの守護の理=「元初まりの六台」。

    「うを」に「しゃち」を仕込んで【月様】が、
    「み」に「かめ」を仕込んで【日様】が入り込まれ、
    人間創造の守護を教えて、
    九億九万九千九百九十九人の子数を宿し込まれたことによる。

    この六台が、
    元のぢばで
    一つになってお働き下さったところに、
    今日に至る 人類の生命の歩みが始まった
    と教えて頂いている。

  • 身の内守護の六台

    人間の身体に常日頃頂いている 御守護に関わる 六つの神名、
    くにとこたちのみこと
    をもたりのみこと
    くにさづちのみこと
    月よみのみこと
    くもよみのみこと
    かしこねのみこと
    以上、六つの守護の理=「身の内守護の六台」。

    たいしよく天のみことをふとのべのみこといざなぎのみこといざなみのみこと は、「身の内守護の六台」から、外れている)

おわりに

girl who blows dandelions

「十全の御守護」学習シリーズ6回目の今回は、
かしこねのみこと 御守護の解説部分を 書写しました。

かしこねのみこと は、空気や言葉といった方面の御守護の理。

上田嘉太郎先生の本文の中に
「話一条はたすけの台」
というお言葉がありましたが、
改めて、
お道においては、お話、言葉というのが非常に重要なものである
ということを肝に銘じさせられました。

コミュ障気味の私にとって、それは、特に苦手な分野ですので、
少しでもそうした方面のお働きが頂けるよう、
たとえ細々とでも理作りに努めさせて頂きたいもの。

今回の自己学習を通して、そのような思いを強く致しました。

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

【くにとこたちのみこと】「十全の御守護」学習No,1
「十全の御守護」学習シリーズとして『基本教理を身につけよう』という本に書かれた上田嘉太郎先生「十全のご守護」解説を書写しました。 その初回である今回は「くにとこたちのみこと」の御守護についてです。

【をもたりのみこと】「十全の御守護」学習No,2
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』の「十全のご守護」解説を書写する「十全の御守護」学習シリーズ。 2回目の今回は「をもたりのみこと」の御守護についてです。

【くにさづちのみこと】「十全の御守護」学習No,3
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』の「十全のご守護」解説を書写する「十全の御守護」学習シリーズ。 3回目の今回は「くにさづちのみこと」の御守護についてです。

【月よみのみこと】「十全の御守護」学習No,4
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』の「十全のご守護」解説を書写する「十全の御守護」学習シリーズ。 4回目の今回は「月よみのみこと」の御守護についてです。

【くもよみのみこと】「十全の御守護」学習No,5
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』の「十全のご守護」解説を書写する「十全の御守護」学習シリーズ。 5回目の今回は「くもよみのみこと」の御守護についてです。

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