【くもよみのみこと】「十全の御守護」学習No,5

くもよみのみことみこと上田嘉太郎著 『基本教理を身につけよう』 書写 No,5アイキャッチ画像 十全の御守護

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

令和5年11月に入って始めた
この「十全の御守護」学習シリーズも、
今回で、5回目になります。

このシリーズは、
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本に書かれた「十全のご守護」解説を書写することで
「十全の御守護」の教えをいささかなりとも腹におさめたい、
という意図のもとに取り組んでいる
【自己学習】の足跡であります。

上田嘉太郎著『基本教理を身につけよう』表紙

「十全の御守護」学習シリーズの教材は、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本です。

この本の奥付を見ると、
立教163年(2000年)天理教浪華分教会発行、非売品、
となっております。
入手経路は知りませんが、上級教会の本棚にもありましたし、
支部か何かを通して、多くの教会に配布(購入?)されたもののようです。

法律関係に疎い者なので、
今、私がやっている “本文まるごと引用して公開する” という行為が
著作権侵害に当たらないのか、一応、気にはしております… (-_-;)

しかし、
出典元を明記し、営利目的ではなくあくまで【自己学習】目的であること、
以上を理由にして、
きっと大目に見て頂けるであろう…と信じて 続けております (^_-)-☆
(大目に見てね)<m(__)m>

前回は「月よみのみこと」御守護の解説部分を書写しました。

シリーズ5回目の今回は、
「くもよみのみこと」
御守護の解説部分を 書写します。

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上田嘉太郎先生「十全のご守護」解説 No,5

「くもよみのみこと」

brown squirrel eating strawberry

くもよみのみこと

人間身の内の 飲み食い出入り。

世界では 水気上げ下げの守護の理。

飲み食い

「飲み」というのは、人間にとって非常に大切な水、水分の摂取です。

人体にとっての水の大切さについては既にふれましたがくにとこたちのみこと 参照)
人間の身体の三分の二は水分で、
その十パーセントを失うと非常に危険な状態になる、
二十パーセントが失われると、
もう確実に死んでしまうと言われるほどに、絶対不可欠なものです。

その水分の摂取を「飲み」とお教え頂きます。

「食い」、食べることです。
人間は誰でも食べ物を摂らずにはおれません。

これは、自らの身体の組織を維持するために、
また、活動するためのエネルギー源としても必要です。
特に 発育期であれば、成長するためにも欠かせません。

ここで、物を食べる時の様子を思い浮かべてみましょう。

まず、口に物を入れる。
これも やたらに入れるのではなくて、
少なくとも、
これは食べられる物であるということを識別して 口に入れるわけです。

それを歯でみ砕く、舌で味わう、唾液を混ぜる。
そして食道を通って 胃へと送り込まれる。
だんだん細かく砕かれ、いろんな消化液が混ぜられて、
それが腸を通して吸収される、
というプロセスを辿たどります。

そして、養分が吸収されるとともに、
いらないものは直腸、肛門を通って
便として排泄はいせつされます。

また、この吸収された養分は、
厳密には 養分ばかりではありませんが、肝臓に運ばれる。

肝臓は 非常に高度な働きをする器官だそうですが、
ここでは解毒をする。
さらに、消費したり、蓄えたりするための加工をし、
また余分のものを蓄える というような大変重要な働きをしている。

「肝腎」という言葉がありますが、
それほどに 肝臓と腎臓が重要な器官だということのようです。

ついでに言えば、肝臓、腎臓の重要性もさることながら、
やはり、脳と心臓は 特別な位置を占めています。

だから、例えば 大出血をして、体内の血液が失われるといった緊急時には、
血管が収縮して血液の消費を少なくする、
また 出血を止めるという反応をするとともに、
それでも 脳や心臓には平常時と同じだけの血液を送る
という手の込んだ対応をするのだそうです。

それというのも 脳や心臓の機能を落とすわけにはいかないからです。

こうしたことは 血液の流ればかりでなく、
何か いったん事が起こった時には、
まず 脳と心臓を守ろうと身体が反応するそうです。

脳と心臓は、
この「十全の御守護」の理に即して言えば、
それぞれ くにとこたちのみことをもたりのみこと という
二つの 最も基本的な 御守護の理に関わるものであります。

出入り

続いて「出入り」とありますが、
出すのには、便として出すのもあり、尿として出すのもあります。

水分で言えば、
汗として出るのもあれば、呼吸を通して出る水分というのもかなりの量のものだそうです。

腎臓を中心とする泌尿器科を通して 尿として出すのが主ですが、
それにとどまらない ということです。

「入り」は飲み食いのことであります。

水気上げ下げ

「水気上げ下げ」とは、
水気、即ち 水分が上がったり下がったりすることです。

上げというのは、水が蒸発して上がっていって雲になる、
下げというのは、その水蒸気、雲が冷やされて、雨や雪になって降ってくることです。

即ち、水の循環です。

人間のみならず、あらゆる動植物にとって欠かせない 命の水を供給しているのが、
この「水気上げ下げ」です。

しかも、水が蒸発し、降ってくるプロセスは、
ただ 水が廻っているだけではありません。

雨が降って野山をうるおし、川に流れ込み、海に行き着く。
そして、また蒸発し、やがて雨となって野山を潤す。

ところで、海水をそのまま植物にかけたのでは枯れてしまいます。
蒸発することによって、
蒸留と申しますか、水に溶け込んだ いろんな物質を取り除く、
いわば 浄化した形で水分を吸い上げ、
そして 降らして下さる ということです。

その 水を吸い上げるポンプの役割をしているのが 太陽です。

太陽のぬくもりによって 水分が蒸発する。
そして、また雨となって生き物を潤す、
これが「水気上げ下げ」であります。

うなぎ

元初まりにおいて、
この「飲み食い出入り」の道具として
「うなぎ」をお使いになっています。

「うなぎ」は「こふき本」によりますと、
「うなぎというものは ぬるつくものである」、
つまり ヌルヌルとしている道具を消化器、「飲み食い出入り」の道具としてお使いになった ということです。

そうしたことから、
これは 消化器を患った時の一つの基本的な思案かと思いますが、
物事を堅苦しく考え過ぎるきらいはないか
と、反省してみるのもいいかと思います。

少しゆったりとした気持ちで、
融通と申しますか、あるいは 円転滑脱えんてんかつだつと申しますか、
車のハンドルでも 少し遊びが無いと危険だと申しますが、
心のゆとりを持つように心がけてみる、
といった思案ができるように思います。

「うなぎ」には、
そうしたヌルヌルとした、
円転滑脱 と言えば聞こえは良いのでありますが、
逆に言うと、
つかみどころが無い という面もあります。

その点では、
つかまえどころの無い、茫洋ぼうようとした人柄というのは、
あまり 胃腸を患わないのではないか という気がします。

摂取と排出

「飲み食い出入り」とは、
身体に必要な食べ物や水分を摂り入れ、
不要なものを排出することですが、
どんな食べ物でも そのままで身につくものはありません。

これを嚙み砕き、溶かして同化していく。
そして 我が物として吸収し、身につけ、
一方 カスを捨てるわけであります。

今日では、
日本の国も豊かになったと申しますか、物が豊富にありますから、
食べ物についても好き嫌いを言う、
あるいは 食べ過ぎる傾向があります。

栄養失調というような病気は 影をひそめ、
むしろ、過食、あるいは 偏食から来る病気が多い と言えましょう。

そういう意味では、
大食・美食よりも、
小食・粗食の方が健康に良いと言われています。

今や 日本は 世界一の長寿国だそうです。
女の人は八十歳以上、男の人も八十近いと思いますが、
しかし、その長寿を寿いでいるご当人たちは、
若いころご馳走を食べていたかというと、
そういう人もありましょうが、
大方は あまりご馳走を食べておられないと思います。

逆に、
今日の飽食の時代の若い人たちは 四、五十歳までしか生きられないのではないか、
という説もあるぐらいです。

恵まれすぎると言いますか、
その揚げ句の大食、美食、偏食が寿命を縮める、
健康を損ねるのは 実に皮肉なことであります。

同様のことは、
飲食物の「飲み食い出入り」にとどまらず、
精神面の営みについても言えるのではないでしょうか。

人間は 親から受け継いだ遺伝情報を基本的な設計図として成長します。
その過程で、家族をはじめ、
周囲から さまざまなものを受け入れることになります。

例えば、教育の重要性を示す事例として、
かつて インドで発見されたという
狼に育てられた少女の話が 引き合いに出されることがあります。

生まれて間もなく 狼に連れ去られ、狼に育てらたために、
発見時、人間の言葉を解さないことはもとより、
狼のように四つんいになってえた というのです。

信憑性しんぴょうせいを疑う声もあるようですが、
いずれにせよ、人間にとって、
人間としての成長のためには 教育が不可欠だ ということです。
また、大きく環境の影響を受ける ということです。

人間は放っておいても人間になる というものではありません。
環境によっては 狼以下の存在にだってなりかねません。

人間社会の中で、
教育をはじめ、さまざまな経験、感化、情報といったものを受け入れ、
身につけていくことによって、
一人前の人間に 成長、成人するということです。

物を食べる場合でも、
それが 身体に良いものか悪いものか、
あるいは、
美味しいものか まずいものかを見極めて 食べると思います。

また、分からないものの場合には、
匂いをいでみたり、ちょっとなめて味をみたりして、
それから おもむろに食べるものです。

いわば 心の栄養を摂る というような場合にも
同じことが言えると思います。

自分に必要のあるものをバランスよく摂り入れるとともに、
また、有害不要なものは 選別、排除しなければなりません。
あるいは 解毒というようなことも 必要かもしれません。

この 要、不要は
往々にして 好き嫌いと一致しません。

好き嫌いに捉われて 必須なものを摂らなかったり、
あるいは、偏った摂り方、また、有害な物に手を出したり
ということになれば、
早晩 トラブルが起こってきます。

消化器の身上と思案の例

こうしたことを念頭に置きますと、
消化器に障りを見せられた時に、
これは おたすけに際して浮かんだ思案の一つですが、
例えば、
「受け入れ方」について思案すべき点はないか、
というお知らせ と悟ることができるのではないでしょうか。

どんなに良い食べ物でも、そのままでは 身につきません。
これを嚙み砕き、こなし、溶かして、
ようやく 我が物として吸収できることを思うと、

「自分からの積極的な働き掛け、
あるいは、受容する努力の大切さについて
お知らせ頂いているのではないでしょうか」

とお話ししたことがあります。

この受け入れ方の勉強、
自分から働き掛けていくことの必要性は、
人間関係や環境への適応がうまくいかない
というような場合などに 当てはまりそうです。

自分の気に入るとか、入らない とかいうのではなくて、
どんな人にでも、また どんな状況にも
自ら働き掛け、受け入れようという気持ちを持てば、
やがては 自分の力にも なってもらえるのではないでしょうか。

これはまた、経験一般についても言えると思います。

その経験自体は不幸なものであっても、
その経験の受け止め方、受け入れ方、
それに対する 自分の立ち向かい方によっては、
平凡な日常からは得難い 心の糧とすることもできましょう。

しばらくぶりに ある先輩にお会いした時、
すっかりやつれた顔をしておられたので、
「どうかなさったのですか」と尋ねますと、
「糖尿病で入院していた」という話でした。

その時に
「食べ物というものは、何でも栄養になる、身につく物だと思っていたけれど、これも食べ過ぎたり、偏食したりすると毒にもなる ということが分かった」、
また
「薬でも加減が難しい。飲み違えたり、飲み過ぎたりすると、これも毒になる」
とも述懐されていました。

しかし、また逆に、
毒も 場合によっては薬になる とも言えるのであります。

この方も
「入院を通して、何事も 薬にもなり毒にもなる ということが良く分かった」
と、いわば芳しくない、つらい経験を 薬にされたわけであります。

アメリカの実業家で、カーネギーという人がいましたが、
確か 当時のアメリカの国防予算に匹敵するほどの財産を築いたということですから、
文句なしに世界一の大金持ちだったでしょう。

その人が
「自分の幸せは、貧しく生い立ったことだ」
と語っていたそうです。

普通ならば、
「自分は貧しく育ったから、こんなにグレてしまった」、
「学校にも行けなかった」
と親を恨んだり、世間を恨んだりしかねないところですが、
「自分は貧しかったおかげで 一生懸命努力をした。それが 今日の自分をあらしめた」
と言っていたそうであります。

これなども、
いわば 毒を薬にした と申しますか、
むしろ つらいとされている経験を 自分を励ます糧とした例ではないか
と思います。

付け加えますと、
この人は その莫大な財産のほとんどを 公共に寄付しています。

カーネギー・ホールという有名な劇場がありますが、
その他にも 数多くの学校や図書館などの公共施設を建てた ということです。

サクセス・ストーリーにハングリー精神は欠かせませんが、
ハングリーだけでは成功したとしても、
富や名声に溺れ、身を持ちくずすことになりかねません。

不幸にくじけないためにだけでなく、
むしろ、成功が身に付いた徳となるためにこそ、
しっかりとした拠り所、支えが必要だ と感じます。

ある時、
腸の具合の悪い方に おさづけを取り次ぐに際して、
「水気上げ下げ」
と 心に浮かんだことがありました。

「水気上げ下げ」とはどういうことかしら
と思いながらも、
心に浮かぶままにお話させて頂いたのですが、
それは、水の循環、つまり 滞らないということではないか、
「水も滞っていれば 腐ってしまいます。
滞らないためにする 働き掛けが大切じゃないでしょうか」
と申し上げたことを 思い出します。

さきほどの話に照らせば、
この循環をもたらしているものは「ぬくみ」です。

この「ぬくみ」をもって働き掛けることによって、
滞らない、腐らない治まりをお見せ下さる
というお知らせかと悟らせて頂きました。

こうしたことは、
なかなか頭で考えても思いつかないことですけれども、
おさづけを取り次がせて頂く時などに、
心澄まして親神様にお願い、お尋ねする中で、
不思議と フッと浮かばせて頂けるのです。

実際 おさづけの取り次ぎを通して、
自分自身が仕込まれている
とつくづく感じます。

肛門の働き

消化器全般となりますと 広範囲にわたりますが、
その出口、肛門に関して 忘れられない話があります。

肛門というと、
何となく 口にするのも はばかられるのですが、
本部の青年時代に 境内掛へ派遣された時のことです。

当時、保安室の室長であった 南利喜松先生が掛員に訓示されるのに、
「本部の御用の向きにもいろいろある。
頭のような仕事をする所もあるし、眼や手の働きをする所もある。
しかし、境内掛は言ってみれば、これは 肛門の働きをする所である」
とお話されたことが 今も 心に残っています。

そして、
「肛門と言うと、みな嫌がったり、恥ずかしそうにしたりする。
しかし、こうした 人目につかないどころか、むしろ 人目につかないように隠す道具が 毎日 要らない物を片付けているからこそ、頭も手も足も 働くことができるんだ。
そういう人目につかない、地味な、人の嫌がる仕事を 心を込めてやらしてもらうのが 境内掛の任務である。」
と掛員の心構えをお仕込み下さいました。

私の弟は、
大学卒業後も、直ぐには本部の青年勤めをするという気になれなくて、
しばらく東京に残っておりました。
ところが、そんな時に 痔で相当出血したようです。

それを聞いた父に
「落ち着く所に落ち着かんからや」
と言われて、おぢばに帰ってきた
という経緯があるのです。

先日も、
「痔のおかげで、こうして御用をさしてもろうているんやなあ」
と述懐しておりましたが、
こんな思案の例もあります。

ですから、
身上の障りを頂いた、
事情のもつれをお見せ頂いた
というような時の思案の仕方は、
それぞれの通り方、立場、いんねんといった上から
いろいろに思案できるものでありまして、
決まった型はありません。

この「飲み食い出入り」に関する障りを頂いた時にも、
やはりいろいろと、
どこを患っているか、あるいは どのような働きをする器官か、どういう症状であるのか といったこと、
また、さきほど申しましたように、
それぞれ置かれている状況、おたすけする者、される者の間柄、
というような事柄を踏まえて思案することになります。

しかし、何より肝心なことは、
まず、
日頃頂いている 絶大な親神様の御守護に お礼申し上げ、
思召に沿う通り方をお誓いしつつ、
心を澄まして お願い、おすがりすることであります。 

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,60~72)

「くもよみのみこと」上田先生解説の自己覚書き

鰻

「くもよみのみこと」

  • 人間身の内の 飲み食い出入り。
  • 世界では 水気上げ下げの守護の理。

  • 【飲み食い 】
    ●「飲み」=水分摂取
    ●「食い」=食物摂取

    人間は食べ物を摂らずに生きていけない。
    複雑精巧な人体のしくみを通して、水分・食物を摂取している。

  • 【出入り】
    ●「出」: 出すのには、便として出すのもあり、尿として出すのもある。
    水分で言えば、汗として出るものもあれば、呼吸を通して出る水分もある。
    ●「入り」: 飲み食いのこと。

  • 【水気上げ下げ】
    「水気上げ下げ」:水気、即ち 水分が上がったり下がったりすること。
    ●「上げ」…水が蒸発して上がっていって雲になること
    ●「下げ」…その水蒸気、雲が冷やされて、雨や雪になって降ってくること
    即ち、水の循環。

    人間のみならず、あらゆる動植物にとって欠かせない命の水を供給しているのが
    「水気上げ下げ」。

    水が蒸発し降ってくるプロセスは、ただ水が廻っているだけではない。
    ●海水をそのまま植物にかけたのでは枯れてしまうが、
    蒸発することによって、水に溶け込んだいろんな物質を取り除き、
    浄化した形で水分を吸い上げ、そして降らせる。
    (その水を吸い上げるポンプの役割をしているのが太陽)
    ●太陽のぬくもりによって水分が蒸発する。
    ●そして、また雨となって生き物を潤す。
    ➡これが「水気上げ下げ」。

  • 【うなぎ】
    元初まりにおいて、
    この「飲み食い出入り」の道具として「うなぎ」をお使いになっている。
    「うなぎ」=ぬるつくもの(こふき本)
    →ヌルヌルとしている道具を消化器=「飲み食い出入り」の道具としてお使いになった。

    【消化器を患った時 基本的な思案】
    ●物事を堅苦しく考え過ぎるきらいはないかと、反省してみる。
    ●少しゆったりとした気持ちで、心のゆとりを持つように心がけてみる。

    「うなぎ」のヌルヌルとした性質は、
    逆に言うと、つかみどころが無いという面でもある。
    つかまえどころの無い、茫洋ぼうようとした人柄というのは、あまり胃腸を患わない傾向が見てとれる。

  • 【摂取と排泄】
    「飲み食い出入り」: 身体に必要な食べ物や水分を摂り入れ、不要なものを排出すること。

    今日の日本は豊かになり物が豊富にあるため、
    食べ物についても好き嫌いを言ったり、
    あるいは 食べ過ぎる傾向があり、
    過食、あるいは偏食から来る病気が多い。

    そういう意味では、
    大食・美食よりも、
    小食・粗食の方が健康に良い。

    「飲み食い出入り」は飲食物にとどまらず、
    精神面の営みについても言える。

    心の栄養摂取=自分に必要のある情報をバランスよく摂り入れるとともに、
    また、有害不要なものは
    選別、排除、あるいは解毒というようなことも必要。

  • 【消化器に障りを見せられた時の 悟り 例】
    「受け入れ方」について思案すべき点はないか、
    というお知らせと悟ることができるのではないか

    →どんなに良い食べ物でも そのままでは身につかない、
    それを嚙み砕き、こなし、溶かして、ようやく我が物として吸収できる

    〖そこからの悟り〗
    ➡自分から 積極的に働き掛けること、あるいは、受容する努力をすることが大切である。

    ➡自分の気に入るとか、入らない とかいうのではなくて、
    どんな人にでも、また どんな状況にも
    自ら働き掛け、受け入れようという気持ちを持てば、
    やがては 自分の力になってもらえる。

    ➡(経験一般)
    その経験自体は不幸なものであっても、
    その経験の受け止め方、受け入れ方、それに対する 自分の立ち向かい方によっては、
    平凡な日常からは得難い 心の糧とすることができる。

  • 【肛門の働き】
    消化器の出口である肛門。
    肛門と言うと、みな嫌がったり恥ずかしそうにしたりするが、
    人目につかないどころか、むしろ人目につかないように隠す道具が 毎日 要らない物を片付けているからこそ、
    頭も手も足も 働くことができる。

    そういう人目につかない、地味な、人の嫌がる仕事を心を込めてやらしてもらうことが、
    重要な伏せ込みである。

    身上の障りを頂いた、事情のもつれをお見せ頂いた
    というような時の思案の仕方は、
    それぞれの通り方、立場、いんねんといった上から
    いろいろに思案できるものであり、
    決まった型はない。

    「飲み食い出入り」に関する障りを頂いた時にも、
    どこを患っているか、あるいは どのような働きをする器官か、どういう症状であるのか
    といったこと、
    また、それぞれ置かれている状況、おたすけする者、される者の間柄、
    というような事柄を踏まえて 思案することが重要。

    何より肝心なことは、
    まず、日頃頂いている 絶大な親神様の御守護にお礼申し上げ、
    思召に沿う通り方をお誓いしつつ、
    心を澄ましてお願い、おすがりすること。 

おわりに

drops of water in a body of water

「十全の御守護」学習シリーズ5回目の今回は、
くもよみのみこと 御守護の解説部分を 書写しました。

前々回の「くにさづちのみこと」書写の回の「おわりに」でも書いたのですが、
最後の節の【自己覚書き】欄、
内容を短くまとめようとしたのですが、
これは省けない、この表現は残しておこう…
とやっていくうちに、ついつい長くなってしまいました。… (-_-;)

いつもダラダラ長くなるのが私の特徴… (´;︵;`)
要点だけスパッと短くまとめられればいいのですが、
今回も、私の能力不足で、どうも うまく短く出来ませんでした。

読み手には不親切 … (>_<)
ただ、書き写した本人にとっては、
読むだけよりもより深く味わうことが出来て とても有難いことでした
(と開き直る… (^^ゞ

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

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