【くにとこたちのみこと】「十全の御守護」学習No,1

「十全の御守護」くにとこたちのみこと 十全の御守護

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

前々回まで、少しばかり「元の理」について勉強しました。

こちらも見てね!!

「元の理」を勉強する内に、
お道(天理教)に引き寄せられた者として
もっと「十全の御守護」というものを押さえておかないとなぁ…
という気持ちが高まりました。

そのような気持ちを抱きつつ教会の本棚を眺める中で、
とても良い本が見つかりました。

上田嘉太郎著『基本教理を身につけよう』表紙

上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本です。

この本の奥付を見ると、
立教163年(2000年)天理教浪華分教会発行、非売品、
となっております。
入手経路は知りませんが、上級教会の本棚にもありましたし、
支部か何かを通して、多くの教会に配布(購入?)されたもののようです。

私のような初心者にはピッタリの内容でしたので、
とにかく、自分自身の勉強のために、
「十全の御守護」を一柱ずつ、書き写すことにしました。

今回も、例によって、
自分自身の勉強のための完全自己満足記事です… (^^ゞ

ということで、今回から、
「十全の御守護」学習シリーズとして
『基本教理を身につけよう』という本に書かれた、
上田嘉太郎先生「十全のご守護」解説を書写していきます。

初回は、
「くにとこたちのみこと」
の御守護についてです。

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上田嘉太郎先生「十全のご守護」解説 No,1

「くにとこたちのみこと」

moon sky night

くにとこたちのみこと

天にては月。
人間身の内の眼うるおい。
世界では水の守護の理。

くにとこたちのみことをもたりのみこと は、
それぞれ 月、日 の理を表す神名であり、対をなすものです。

また、月日 というのは 親神様の呼称でもある。

即ち、神-月日-をや、とおっしゃった 親神様の呼称の一つです。

従って、この二柱が
最も基本的な、根本的な ご守護の理を表すものであることは 当然であります。

「天にては月」、
月というのは、太陽と共に最も身近な天体です。

昼間の太陽には及ぶべくもないにせよ、
夜を照らす月の存在の大きさは 言うまでもありません。

電灯に目の眩んだ文明人はともかく、
太古以来、また今日でも、
途上国の人々にとって月あかりの果たす役割は 決して小さいものではありません。

そして、これは月の満ち欠けというものによって暦の基にもなっています。
ひと月は まさに その月の満ち欠けの周期を基にして出来た 暦の単位であります。

また、月の運動は、潮の干満にも大きく影響していますから、
特に漁師であるとか、船乗りであるとかいった人々には、
深い関わりがあります。

今も 太陰太陽暦と申しますか、陰暦を用いている国は 相当にあります。
中国をはじめ、台湾、東南アジアなどでは、正月と言えば 旧正月のことであり、
これを盛大に祝うことは ご承知の方もおありでしょう。
それだけ 生活に密着したものがあるからのことでしょう。

また、生命のリズムと申しますか、それは女性の生理に典型的に表れていますが、
そうしたものにも影響を与えています。

このように、
月は 人間生活の全般にわたって 大きな影響を及ぼしている天体であります。

また、月は太陽の光を受けて輝いているものであります。
自分自身が燃えているわけではない。

これも 承知しておいてよいかと思います。

続いて「人間身の内の眼うるおい」とあります。

まず、眼という器官は「見る」「光を感じる」道具であります。
左右二つで 一つの働きをします。

「眼」に関しては、
『稿本天理教教祖伝逸話篇』の 一七〇話に
「…人の身上のしんは目。身の内のしん、我が心の清水、晴眼…」
というお言葉が 出てまいります。
それほど 大切な器官だ ということです。

我々が 眼から得ている情報量は 非常に 大きいものがあります。

それは 例えば、情景描写ひとつをとってみても、
「筆舌に尽くし難い」また「百聞は一見にかず」
などと言ったりすることにも うかがえます。

また、文明の進化に必要不可欠な 文字を通しての情報も、眼から得られるものです。

このように 眼は、
我々の情報のほとんどを頼っていると言える 重要な道具であります。

また、『稿本天理教教祖伝逸話篇』を読まして頂きますと、
眼の病気から入信した人が少なくないことに 気づかされます。

例えば、増井りん という方も そうですし、
加見兵五郎 という東海大教会の初代さんも そうであります。

他にも 何人か 眼病から入信したり、
あるいは、お諭しを頂いたり というケースが 出てまいります。

私どもの周囲を見回してみても 同じことが 言えるように思います。

視覚は 感覚の中で、最も 高度に発達しているものです。

感覚と言えば、聴覚 あるいは 嗅覚、味覚、また 触覚とありますが、
人間の場合、視覚は その中でも 格段に発達している といっていいでしょう。

そうした上から、
この 眼 という語で、神経の系統全般の働きを代表させておられる と考えられないでしょうか。

若い頃、
「神経の身上、これは くにとこたちのみこと のご守護の理に照らして 思案さしてもらうとよい」
「低い心で、頭を低くして通ることが大切」
と 聞かされたことがあります。

しかし、当時 私は その関連が解せませんでした。

これなども、眼というものを通して、
神経全般についても仰せになっている という悟りの例ではないか と思います。

また、後段は 水の 低い所へ流れてゆく という性質からの連想でありましょう。

さらには、後述するように、
“水”は、をもたりのみこと のご守護の理に関わる “ぬくみ”、
即ち、
熱をコントロールする常套じょうとう手段であることからすれば、
熱情、感情をコントロールする 理性の働きを
くにとこたちのみこと に 関連づけることができるかとも思います。

ともあれ、
眼が 心の状態をよく映している ということは、
例えば
「眼は心の窓」「眼は口ほどに物を言い」
いったことわざにも窺えます。
それは 他の 耳や鼻 といった器官とは 全く違う点です。

ほかにも、
「眼が血走る」とか「目をむく」といった表現、
あるいは
にらむ」とか「見守る」というような、
ただ「見る」と言うだけでなくて、
人の心を反映した 物の見方、視線を表す言い回しがあります。

うるおい

「人間身の内の眼うるおい」の「うるおい」というのは、水分のことです。
昔は「眼うるおい」と言わずに、「眼胴うるおい」と言った とも聞きます。

「胴うるおい」ですから、
胴体、即ち、身体全体のうるおい、
人体に含まれる水分 ということだと思います。

私たちは、水分と言えば 血液のことだろう と思いがちですが、
実は 人間の身体の水分
―これは体重の約三分の二を占めていますが―
の大半は、
血液というよりは 細胞の中に蓄えられていたり、
あるいは 皮膚の下に蓄えられていたりするそうです。

この 水分の大切さについては、
こうして「十全のご守護」の説き分けについて勉強し、
思案をめぐらすうちに、
今さらのように 感じさせられました。

水中の住まい

「元の理」のお話の中に
『九億九万年は水中の住まい、六千年は知恵の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み』
という くだりがありますが、
ある勉強会の時に 先輩の先生に、
「この 九億九万年は水中の住まい というのはどういうことでしょうか?」
と質問したことがあります。

そうすると 先生は、即座に
「人間は 今も 水中の住まいだよ」
とおっしゃいました。

その後、いろいろと勉強する内に
「なるほどなぁ、人間は今も水中の住まいだなぁ。人間の身体は、いわば水に浸されていることによって恒常性が保たれているんだなぁ」
ということが よく分かってきました。

仮に、水の中にある生命の最小単位としての細胞を考えてみると、
それは 養分を受け取ったり、あるいは老廃物を出したりというような営みは、
すべて 自分の周りにある 水 を通して行います。

即ち、水 から受け取り、そして 水 へ出す という形で、
それらのやりとりを しています。

人間の身体も 同じように、体内の水を通して 養分を受け取り、老廃物を出しています。
ちょうど 水中の細胞が そうして命を保っているように。

ところが、
海や池、川 というような大きな水源を持たない人間の身体では、
その代わりに 水が 循環をしています。

このことからも
「うるおい」というものが、人間の内部の環境として 非常に大きな役割を担っている
ということが分かります。

養分を運んだり、あるいは酸素を運んだり、
また、老廃物を排出したり という役割を
血液を中心とする 水分が 担っているのです。

また、人間の体温、これは 次の「ぬくみ」と関連するのですが、
体温が 三十六度五分前後に保たれているのも、
この水の働きがあってこそ と申せます。

たとえば、
暑くなれば汗をかきますが、
これは汗の気化熱によって、体温を下げているわけです。

もし この作用が無ければ、
体温は どんどん上がり、四十度以上ともなると、まず、脳が やられてしまいます。

汗をかくことによって、体温が一定に保たれている、
即ち、水によって 守られているのであります。

このように水は、
人体の恒常性を維持する上で 非常に 大きな役割を果たしています。

だから、
断食というものは、十日でも二十日でもする人がありますが、
しかし水は飲みます。
水を飲まなければ四、五日が 限度です。

それほどに 水というものは 大切なものです。

さらに「世界では水」とあります。

以上のようなことからも、すでに 水の大切さは よくお分かりだと思いますが、
水は 人間だけではなくて、
あらゆる植物・動物、
即ち、あらゆる生き物にとって 無くてはならないものです。

水がある ということは、この地球に 生命が誕生するための条件です。

地球は その表面の 七割以上が海、水に覆われ「水の惑星」とも呼ばれていますが、
この水によって、地球に 生命が可能になったのです。

水の性質には、例えば 水には 流動性があります。

これは 身体の中の循環を担っている 基本的な性質ですが、
この循環に関しては、
水が物を溶かす という性質も 大きな役割を果たしています。

我々が呼吸をする、
即ち、肺で 酸素を取り入れて炭酸ガスを出す ガス交換が行われます。

この時、酸素は 血液に溶けて 身体の隅々にまで 運ばれてゆきます。
そして、炭酸ガスなどの老廃物も 血液に溶かし込まれて回収され、排出されます。

この 物を溶かす という性質は、水の 非常に重要な性質の一つです。
水で物を洗う というのも、溶かす という水の性質を使っているのです。

この性質は 我々の日常生活でも よく利用しています。

流動性については、
先に 神経の身上を関して、「低い心で通ることが大切」と聞かされた という話をしましたが、
「水は方円の器に従う」という諺も、この 水の流動性から 来ています。

その外にも、水の性質を いろいろに数え上げることができます。

例えば、水は冷やせば氷になる、温めれば水蒸気になる
ということも 覚えておいてよいかと思います。

お道の教えの中では、水に例えての話が 再三 登場します。

みかぐらうたには、
みづと かみとは おなじこと
こゝろのよごれを あらひきる
  (五下り眼 三ッ)
などと出てまいりますし、

おふでさきにも、第三号に、
これからハ 水にたとゑて はなしする
すむと にごりで さとりとるなり

とあります。

これは 人々の心を澄まして、
はしら(かんろだい、真柱)を入れる という話をされるのに先立って仰せになっているお歌であります。

人の心を水に例え、
また、ほこり、特に、その代表とも言うべき 欲にまみれた心を
泥水、濁り水に例えて お話し下っています。

眼病の諭しの例

eye girl human

こうしたことを 踏まえた上で、
例えば、眼を患っている人に対して、
おさづけを取り次がせて頂く時に浮かばしてもらいました
思案の例を挙げてみたい と思います。

以前、浪華の教会に 丁度 三年住み込んでくれました夫婦の、
奥さんの方が 眼を患っておりました。

緑内障で手術をしなければならない と言われていましたが、
そんな訳で 私も毎日のようにおさづけを 取り次がせて頂きました。

おさづけを取り次ぐ時には、「話一条はたすけの台」――
一言でも、理のお話を取り次がしてもらうように とお教え頂いています。

そういう上から、おさづけの度に 何か一言 お話をさせて頂いていたのでありますが、
こういう時の悟り、あるいは 諭し というものは、
もちろん 機械的にゆくものではありません。

人それぞれ、いんねんも違えば、癖性分、通り方も 違いますし、
また 取り次ぐ者との間柄や 置かれている状態にもよりますから、
一概に これはこう というような 公式的な言い方はできません
が、その時々に 浮かばしてもらいましたことの一端を、
参考までに 申し述べたいと思います。

まず、眼というものは、見る道具 であります。

言うまでもなく、
人間のお貸し頂いている道具は
みな、陽気ぐらしをするためにお貸し頂いている
と思案すべきものでありますから、
この 眼という道具も、
陽気ぐらしのための道具として使わしてもらうのが
本来の使い方でありましょう。

そうした点から申しますと、
やはり、見て喜ぶということが基本だと思います。

逆に言うと、
見て不足をしない ということにもなるでしょう。
あるいは、
人の良いところを見る というような思案もできると思います。

また、人の悪いところは見ないようにする ということも言えましょう。

実際は、我々は 人々の良いところを見るというよりも、
むしろ、人の欠点、あらさがしのようなことをしがちなものです。

人の短所はなるべく見ない というのも一つの思案であるし、
それを見て「見るもいんねん、聞くもいんねん」と、
自分の戒めとすることもできると思います。

これは、そうした時に浮かんだことの一つでありますが、
眼というものは光を感じる道具である ということから、
「ひとつ 明るい思案をさせて頂きましょう」
と申したことがあります。

あるいは、夫婦で住み込んでいる という上から、
「眼というものは、二つで一つの働きをするものです」
などと お話ししたこともありました。

また、くにとこたちのみことの御守護の理で申せば、
「月」は、
太陽が昼の世界をいわば支配しているのに対して、
夜の世界を代表するものであります。

そういうことから、
人の眼につく所での働きよりも、人の眼につかない所での働き、
その夫婦は 伏せ込みの道中でもありましたし、
特に、「人目につかない陰の働きを大切にさせてもらおう」
とお話ししたこともあります。

また、ある時は こんなことが心に浮かびました。

水は 冷やすと氷になって 固くなるものです。
さきほど、水は流動的なものだ と書きましたが、
それは 常温での話でありまして、
氷点下に冷やすと 凍って、冷たい固い氷になる。

そうしたことから、
「冷たい 固い心では 人も寄って来ない、これを 心のぬくもりによって、温かく 柔らかくさせてもらえば、人も 寄って来るのです」
という話をしたこともあります。

こうしたことは、
その時々に心澄まして 親神様にお尋ねする中に 浮かばしてもらうものでありますから、
こういう時にはこう と決まった公式があるわけでは ありません。

また、相手を一方的に諭す ということでなく、
その人を通して 自分自身にもお知らせを頂いている という気持ちでお話しすることが 大切だと思います。

皆さん方の心にも、その都度、その都度、浮かばせて頂かれることと思いますが、
参考までに 申し上げました。

先にも述べましたが、水の性質に寄せての思案には、
例えば、低い心 というような思案もあれば、
あるいは、
物を洗い清める という性質からは、
人の心を洗い清めるような言葉づかいなり、振る舞いなりを心掛ける
ということも 考えられるでしょう。

また逆に、
人がそれを聞いて、あるいは、その振る舞いを見て、
心を曇らせる、濁らせるようなことをしてはいないか、
というような 反省の手掛かりにすることもできる と思います。

眼に見えない世界 

さきほど、月というところから、
月、夜、眼に見えない所での働き、
というようなことを申しましたが、
これに関連して、
眼に見えない世界の大切さ
ということを考えてみることもできます。

おふでさきに、

にんけんの 心とゆうハ あざのふて
みへたる事を ばかりゆうなり 
 (三 115)

とありますが、

人間というものは 人目につくこと、
あるいは、
自分の目の前のことは 気にも掛け、注意も払いますが、
眼に見えない世界のことは、おろそかにしがちなものです。

眼に見えない世界には いろいろあります。

先の 縁の下の力持ちのような働き、陰の働きのようなものもそうですが、
例えば いんねんの理もそうです。

そうした理、摂理そのものを 直接 眼で見ることはできません。
しかし、
いんねんの理の働きの結果というものは、
はっきりと 形に現れるものです。

ある意味では、
眼に見えない世界の方が、むしろ大きい
と言ってもいい と思います。

未来、将来も、
今は 未だ 眼に見えないものです。
しかし、
必ずやって来る将来、先々の事を考えることは
欠かせない心の働きです。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』の一二五話には、
眼が見えなくなった 中山コヨシさんに
「先が見えんのや」
と仰せられた という御逸話があります。

これは 目の前のことばかりでなく、先長く考える。
先を楽しんで通ることの大切さをお教え頂いたお話であります。

これもまた、
眼に見えない世界に思いを致す心遣いの一つでありましょう。

また、「陰徳を積む」ということも お道では申します。

お道では、
形に現れた眼に見える世界よりも、
むしろ 眼に見えない世界の大切さをいろいろと教えて頂いている
と言えましょう。

先にも述べましたように、
こうした 身上、事情に際しての悟り、諭しに 一律の公式は ありません。
しかし、
「天にては……、人間身の内の……、世界では……」
と、一つの守護の理のもとに説き分けておられる内容は、
そうした時の思案の手掛かり、拠り所となるもの
と言ってよいと思います。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,18~32)

「くにとこたちのみこと」上田先生解説の自己覚書き

「くにとこたちのみこと」

  • 天にては月。
  • 人間身の内の眼うるおい。
  • 世界では水の守護の理。
  • くにとこたちのみことをもたりのみこと は、
    それぞれ 月、日 の理を表す神名であり、対をなすもの。
    月日 というのは 親神様の呼称。
    従って、この二柱(くにとこたちのみことをもたりのみこと )が
    最も基本的な、根本的な ご守護の理を表すものである。

  • 【天にては月】
    月は 人間生活の全般にわたって 大きな影響を及ぼしている天体。
    また、月は太陽の光を受けて輝いているものであり、自分自身が燃えているわけではない、ということを押さえておきたい。

  • 【人間身の内の眼うるおい】
    眼は、我々の情報のほとんどを頼っていると言える 重要な道具。
    眼 という語で、神経の系統全般の働きを代表させておられるとも考えられる。

    「人間身の内の眼うるおい」の「うるおい」というのは、水分のこと。
    水は、人体の恒常性を維持する上でも、地球環境を維持する上でも、非常に大きな役割を果たしている。
    また、流動性、循環という重要な働きも担っている。
    そうした点も踏まえて くにとこたちのみこと の御守護を思案したい。

  • 【世界では水の守護の理】

    “水”は、
    をもたりのみこと のご守護の理に関わる “ぬくみ” = 熱 を
    コントロールする常套じょうとう手段である
    ことからすれば、
    熱情、感情をコントロールする 理性の働きを
    くにとこたちのみこと に 関連づけることができる。

  • くにとこたちのみこと の御守護の理で申せば、
    「月」は、太陽が昼の世界をいわば支配しているのに対して、
    夜の世界を代表するもの。
    月、夜、眼に見えない所での働き、という点から、
    眼に見えない世界の大切さということを 悟らせて頂くこともできる。

おわりに

using macbook at the table

今回から、
「十全の御守護」学習シリーズとして
『基本教理を身につけよう』という本に書かれた、
上田嘉太郎先生「十全のご守護」解説を書写していきたいと思っています。

ブログとして記事化するのなら
上田嘉太郎先生の文章をそのまま書き写すのではなくて
要約するとか、自分の感想を付け加えるとかしろよ…
という意見が寄せられそうです。
(私もそう思います… (-_-;) …)

しかし、私の能力では、どうも、うまくまとめ上げられません…(汗)

私にとっては、単純に書き写すだけで勉強になるし、
また、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本を持っていなくて
たまたまこの記事に出会ってタメになった、
という人が、もしかしたら出てくる可能性もゼロではない… (^_^;)
そう思いまして、
怠慢だと批判される恐れをかえりみず、
上田嘉太郎先生の文章を書き写したものを
そのまま公開することとしました。

とにかく…
書写することによる自己学習が主目的であって決して営利目的ではありませんので、
たまたまこの記事を目にした皆様、
著作権等の難しい話については、大目に見て頂きますようお願い致します <m(__)m>

何と言っても当ブログはあくまで【自己学習ノート】であり、
教材を書き写したものを公開する意図は、
“誰かが見るかもしれないという緊張感”を私自身に与えることで
(私自身の)「怠け心」にブレーキをかけるという点にある、
ということをご理解頂ければ幸いです … (^^;)

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

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