皆さん、こんにちは。
ふらふら彷徨う「さまよい人」です。
「さまよいブログ」へようこそ。
今回は「天理教の葬儀」に関連する記事です。
天理教の葬儀において、斎主が読み上げる「諄辞」の例文をいくつか紹介します。
「諄辞」(じゅんじ)というのは、
葬儀において読み上げられる『祭文』のようなもののことです。
『天理教祭文作例集』に、葬儀関連の「祭文」も載っています。
なので、それを見れば済む話です。
しかし、それでもあえて、覚え書きメモ的な感覚で、
今、私の手元にある例文をいくつか掲載することにしました。
需要の少ない内容だとは思いますが、
もしかしたら、役に立つ、私のような新米教会長さんもおられるかもしれない、
との思いからです。
正直申し上げて、今回は完全に、自分の覚え書きメモみたいなものです(汗)。
ご了承ください。
諄辞(じゅんじ)とは
私の手元にある資料〔郡山大教会研修資料〕には、以下のように書かれてありました。
神道で、宣詞(のりと)というのは、
神様に対して申し上げる言葉である。
ところが、葬式は 忌み事であるので、
宣詞 といわずに、諄辞(じゅんじ)という。
宣詞(のりと)について検索すると、次のような記事がありました。
唱える言葉。宣言。
「のりつ」の名詞化。
「のりつ」は「のる(宣る)」と同義語「いつ(出つ)」の合成。ここでは「B: 離す・放つ・発す」などの意。
類語:「のり(宣)」「のと(宣)」「のとこと(宣言)」「のとうた(宣歌)」「のこと(宣言)」「のりこち(宣言)」「かたり(語り)」「ましない(呪い)」「ことあけ(言挙げ)」「ことたち(言立ち)」
(https://gejirin.com/gsrc/no/norito.html)より
「宣詞」=「祝詞」
なのですね。
「宣詞」で検索すると、「祝詞」で出てきます。
『ウィキペディア(Wikipedia)』では、以下のように説明されていました。
祝詞(のりと)は、神道の祭祀において神に対して唱える言葉で、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持つ。
語義・語源
ノリトのノリは「宣る」の名詞形で、呪的に重大な発言をすること。
トは屎戸・詛戸・事戸などのトと同様に呪的な行為や物につける接尾語と解するのが、通説となりつつある。賀茂真淵は詔賜言(のりたべごと)、本居宣長は宣説言(のりときごと)をノリトの語源と説いたが、こんにちでは認められていない。
本来はノリトの語形であったのがコト(言)を加えてノリトゴトとなったとする説と、逆にノリトゴトの語形だったのがノリトと略されたとする説とがある。
平安時代後期以降は音便化してノットとも呼ばれるようになった。ノリトの表記
ノリトに「祝詞」の字をあてたのは、中国における用字「祝文」の「文」を「詞」に変えたもので、「祝文」は巫祝が神に対して申した言葉を意味する。
古代律令制下における法制上の用語としては「祝詞」で統一されているが、他に以下のような表記がある。・詔戸言(のりとごと)……『古事記』上巻
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>「祝詞」より)
・諄辞(のりと)……『日本書紀』神代上
・詔刀(のりと)……『延喜式』巻四
・詔刀言(のりとごと)……『中臣寿詞』
・告刀(のりと)……『皇大神宮儀式帳』
・法刀言(のりとごと)……『令集解』
「諄辞」というのは『祝詞』(ノリト)の表現の一つで、
『日本書紀』で多く見られる、ということですね。
天理教葬儀に必要な諄辞(じゅんじ)
天理教葬儀に必要な「諄辞」は9本。
- 「祓詞」
- 「うつしの詞」
- 「しずめの詞」
- 「発葬詞」
- 「誄詞(るいし)
- 「斎場詞 あるいは 告別詞」
(斎場詞/告別詞 と 誄詞 を合併➡
斎場斎詞(斎場誄詞)/ 告別斎詞(告別誄詞)) - 「火葬詞」or「埋葬詞」
- 「葬後祓詞」
- 「葬後霊祭詞」
(「殯殿詞」……出直し後、葬儀まで時間が空く場合に、枕元で奏上する場合もある)
「みたまうつし」関連➡
①「祓詞」(祓いを行う)
②「うつしの詞」(御霊に、亡骸から霊璽にお遷りいただく)
③「しずめの詞」(御霊の入った霊璽に、お社にお鎮まりいただく)
以上、3本の諄辞。
棺が出る=「発葬の儀」の際➡
④「発葬詞」
葬場に参ってから➡
⑤「誄詞(るいし)」【副斎主】
…(しのびことば/生まれ出て、出直すまでの故人の生涯を思い起こし、生前中の御徳、業績を偲ぶことば)
⑥「斎場詞(あるいは告別詞)」【斎主】
…(葬儀を執り行い、別れを告げることば)
※「斎場詞/告別詞」と「誄詞(るいし)」を一緒にする場合
➡「斎場斎詞(斎場誄詞)/告別斎詞(告別誄詞)」
火葬する場合➡
⑦「火葬詞」(火葬諄詞)
(※亡骸を埋める場合➡⑦「埋葬詞」)
「葬後霊祭」関連➡
⑧「葬後祓詞」(祓いを行う)
⑨「葬後霊祭詞」。
(※近年、十日祭は、仏式の初七日同様、葬儀当日に行うことが多い)
以上、9本。
(その他、出直し後、火葬場の都合等で葬儀まで時間が空く場合、
枕元で「殯殿詞」を奏上する場合もある)
「諄辞袋」は、白地錦を用いる。
「天理教の葬儀」で検索する中で、
行理山分教会長さんのブログ「ぎょうりやま かいちょうさんの日記」の中に、
以下のような記事を見つけました。
参考までに。
天理教の葬儀…発葬について 2014年08月28日
天理教の葬儀
みたまうつしの儀
みたまうつし
みたましずめ葬場儀
誄詞
玉串奉献並びに葬場詞(告別詞)奏上葬後霊祭
十日祭以上が葬儀の流れである
ここで問題となるのが火葬である
火葬がどこに入るかで、式次第が変更される葬場儀の前に火葬が入れば
発葬儀が執り行われ
後の式次第に変更は無い葬場儀の後に火葬が入れば
葬場儀は告別式と名称が変更され
誄詞と葬場詞が一つとなって告別誄詞となる
ここで、順に発葬儀が執り行われる以上のような事であるが
「ぎょうりやま かいちょうさんの日記>天理教の葬儀…発葬について」より
発葬儀は、棺が移動する時に執り行う儀式なのである
諄辞(じゅんじ)例文
葬儀まで時間が空く場合
殯殿詞 (例文)
常坐しし此の家の一間を 俄かにも殯室と定め整えて 上座に安置め奉る 拝むも悲しき( 生前 立場 )故( 姓名 )大人・刀自 の前に( 奏上者 立場 名前 )慎しみ歎かいて白さく
阿波礼汝 大人・刀自 はや などて斯くは俄かに出直し坐ししぞ 百歳千歳の齢を重ね 世の長人の名を負い給わむ事をし 諸人は常に頼母しみ思いつゝをありしを 逝く水の還らぬ如く落日の見えざるが如く 現世を退向になして 遥けき 親神の御懐に出直し坐しぬ 阿奈悼ましきかも
然はあれど
今更に人の力の得て及ぶべきにあらねば
(or 人の此の世に生れ出づるも出直すも 悉々に親神の奇しき御摂理にしあれば)
悲しみの中にも心治むる親族家族の請願(求)に依りて 我が(天理の)御教の式に従い 儀式仕へ奉らむとす
故 例の随々 設置け定めたる齋床の高坐に舁き据へ奉りて 御葬儀仕へ奉らむその時迄 茜刺す昼は終日 鳥羽玉の終夜 親族家族に至る迄 替り侍り差し侍り 護り奉りて仕へ奉らむとする事の由を諾い聞し召せと 慨み咽び拝みて白す
みたまうつし
霊遷し之儀 祓詞 (例文)
掛巻くも恐き天理王命の宇豆の御前を (遥かに) 拝み奉りて 恐み恐みも白さく
今宵 故( 姓名 )大人・刀自 の霊を 此の仮の霊舎に齋き奉り 鎮め奉らむとするによりて 霊璽を始め 霊舎 また御祭事に仕え奉る齋員 諸人に至る迄 打ち払う麻のさやぎのさやさやに 身の内の心の埃を祓い給い清め給いて 御祭の式美わしく仕え奉らしめ給へと 恐み恐みも白す
霊遷し之詞(うつしの詞) (例文)
阿奈 哀れ悲しきかも 阿奈 哀れ悔しきかも 故( 姓名 )大人・刀自 の前に 慎み嘆かいて白さく
汝大人・刀自 や 如何さまに思ほしめせか 老いの身を養い坐してありけるを 現身の惜しきこの世を出直ましつる親族の心には 斯く有らむとは思いもかけず 医師の術を頼み 親神に乞祈奉りて 必ず元の身に成り給わぬものと 枕辺に寄り副い 御後辺に待いて 萬に心を尽しぬれども その験なく 息づき宇良ぶれつつも 呼び奉れども一言の答(応)だに為し給わず出直ましける
阿波礼悲しきかも 阿波礼悔しきかも 限りある人の命は素より留め得ぬ事にしあれば 言わん術 詮術知らに 御遺骸を棺に斂めて 今し霊遷しの儀式仕え奉らんとする事を 平けく諾い聞食して 新たに造れるこれの霊代に 奇しき霊を遷り坐して留りいませと 畏み畏みも白す
【告別の儀に併せた 霊遷しの儀の場合等】
言巻くも忌々しき 故( 姓名 )大人・刀自 の霊 此れの霊璽に遷り坐せと 慎み敬ひて白す
鎮霊詞(しずめの詞) (例文)
此の小床に坐せ奉る 阿波礼言巻くも悲しき( 立場 肩書 )故( 姓名 )大人・刀自 の霊の前に ( 奏上者 )慎しみ畏みて白さく
現身の人の世の状は果敢なきものと識りつれど 昨日に変わる今日の御姿を見奉れば 悲しとも悲しき限りにこそ 汝霊の現世に坐しし間は 世の事 御教の聖業に勤め励き給い 親族家族を慈しみ 人の交わりさえも疎からず坐しければ 相交われる人皆は 如何でか世の遠人長人と坐しませとのみ願へるを 忽ち朝霧の如く果敢なく出直し坐しつるは 言わむ術為む術知らに 今更に夢の如きになむ
阿波礼 口惜しきかも 然れど成り来る事 悉々に天津理なれば 明日を御葬儀の日と謀り定めて 今宵しも 新霊を此の霊舎に齋き奉り鎮め奉らくと 悲しみの中にも心を治め整え 御前に種々の御饗物を捧げ供え奉りて 拝み奉らくを聞し食し諾い給いて 今ゆ後 此の教会(或いは 家内 )の守護霊と鎮まりまして 現世の親族をば幸く真幸く遠永に守り幸い給い 年毎の御祭美しく仕へ奉らしめ給へと 畏み敬ひて白す
発葬の儀
発葬詞 (例文)
【川之江奉書紙 添付斎詞より】
言えば悲し 思えば悔し ( 立場 肩書 )故( 姓名 )大人・刀自はや 此の顕(現)世に存(永)えまして 世の為に心を尽くし 身を致さむと思はしけむを 去にし 〇〇〇〇〇〇〇月の頃より御心地常ならず 病み臥せし給い 親族家族の心尽くしの看護いもその効なく 〇〇歳を生の涯と 逝く水の還らぬが如 果敢なくも出直し坐しつるは 惜しとも惜しく 悲しとも悲しき極みになもありける
然はあれど現世の定めと慣しあれば 悲しみの中に相謀らい定めて 最も惜しき御亡骸を柩に斂め 今し発葬の式業仕え奉らくと 御酒御食海川野山の種々の物を供え奉らくを 平けく安けく聞し食して 出で坐さむ道の隅々 障る事なく恙む事なく 後ろも安く前も隠いに罷り通らせ給えと 恐み恐も白す
【天理教祭文作例集より】
これの小床を仮の喪屋と斎き定めて 暫し置き据え安め奉る〇〇〇〇主(刀自)の御柩の前に …………慎み嘆かいて白さく
あはれ主(刀自)はや 生の涯りをただ一筋に たすけ一条に真心の限りを尽くし 教会の数々の重しき務めは云ふも更なり 教子達を懇ろに教え導き給いければ 人皆は世の真人と坐しませと 慕い奉り思い頼みて(仰がれ給いて)あり経しに 如何なる御量にや いとも果敢なく 出直し坐しぬるは 悔しとも悔しく 可惜しとも可惜しき極みなりけり
親族家族 教子達の心には 暫しも長く久しく仕え奉らしく思えども 現世の慣いとなれば悲しみの中に事謀りて 今日を御葬の日と斎き定め 葬出の儀式仕え奉らくと 御前に御酒御食種々の物を供え奉りて 玉串の取々に拝み奉らくを 御心平けく安らけく聞し食し諾い給いて 今ゆ御葬場に御伴仕え奉る道の隅々障ることなく 恙むことなく 安く穏に移り出で立ち坐せと慎み敬いて白す
斎場の儀(告別式)
誄詞(しのびことば) (例文)
【天理教祭文作例集より】
言巻くも忌々しき 〇〇分教会長〇〇〇〇主の御柩の前に …………慎み敬いて現世の永き別れを告げ奉るに当たり 汝主の一世の程に立て給い遺し給える御功績の概略を 言挙げ称えて誄詞申し奉らくを聞し食せと白す
そも汝主はや 〇〇年〇月〇〇日 父〇〇主 母〇〇刀自の真名子と〇〇〇の地に生れ出で給い 素より御性聡く賢しく生い立ち坐して 〇〇小学校 〇〇中学校に続き〇〇高等学校と学びの業進め 更に〇〇年〇〇大学に入り給い 学びの業広く深く究め坐しぬ
〇〇年〇月〇〇日尊きおさづけの理を戴かれ給い 〇〇年〇月〇〇日には教人の列に入り給いき 斯くて〇〇年(身上に大節を頂き坐して)たすけ一条に心を定め 〇〇年〇月には〇〇の地に御教えの理を宣べ弘めに単身出で立ち坐しぬ
〇〇年〇月〇〇日奇しき縁のまに/\〇〇〇〇主の愛娘〇〇の君を嫡妻と迎え坐して 妹背の仲いと睦まじく いと美わしく家内は常春の長閑けく 照る月の円満に転々楽しく 男〇人女〇人を挙げ設けて 家門高く立ち興し給いぬ
〇〇年若人の集いたる青年会〇〇分会委員長に任され身も棚知らに励み給いぬ
〇〇年〇月〇〇日〇〇分教会〇代会長の理を承け継がれてよりは 名称の理の栄えを希い 幾多の人々を導き育て給いて 御教えの理一筋に勤しみ労き給いき 〇〇年〇月〇〇日には〇〇教区〇〇支部の役員に任され 数々の教会の修理丹精に真心を尽くし 人皆より世の幸人 福人と仰ぎ慕われ坐しぬ 斯くて道のため立て給い顕わし給いし偉じき御功績は後の世までも伝えて朽ちることはあらざるべし
なおもこの道に御心放たず 親神に仕え奉りてありにしを この程 御病重りて遂に去ぬる〇月〇〇日〇時〇分 御齢〇〇歳を生の涯りと眠るが如く出直し坐しぬ
今更に惜しむ心の深く愁い嘆かう中にも汝主の樹て給い遺し給えるいとも高く いとも広き御遺徳を思い偲び 千々の一つを言挙げて誄詞申し奉らくを 御心甘らに聞し食せと白す
斎場詞/葬場詞(あるいは告別詞) (例文)
【天理教祭文作例集より】
これの斎場に暫し置き据え安め奉る〇〇〇〇主(刀自)の御柩の前に …………慎み嘆かいて告げ白さく
あはれ汝主(刀自)はや 御教えの中に人となり坐して 老いの身に至るまで長く久しく重しき務めに勤しみ仕え 一向に御教えの御栄えに真心を尽くし 懇ろに人々を教え導き給いければ 教会の人々は更なり 教子達 諸人に至るまで御徳を慕わぬ者なく 世の真人 幸人と仰がれ給いてあり経しに 先つ頃より御心地常ならず御身養い坐してあり来しを 御病漸々に篤しれ坐して 家人達の心尽くしの看護もその甲斐なく 去ぬる〇月〇〇日御齢〇〇歳を生の涯りと眠るが如く静けく安けく出直し坐しぬ
あはれ汝主(刀自)はし 言問えど答なく 昨日に変わる今日の御姿を見れば悲しとも悲しく 悔しとも悔しき極みにぞありける
然はあれど人のこの世の生れ出ずるも出直すも 悉々に親神の奇しき御量にしあれば 今更に繰り言返すも詮はあらじ 故れ 今日を御葬の日と斎き定めて遺し給える高き御功績を称え 長く労き給いし御心を犒い申して 一世の終の御祭仕え奉り 永き別れを告げ奉らくと 御前に御酒御食種々の物を供え奉りて 露の玉串取々に拝み奉る状を平けく安らけく聞し食し諾い給いて 御遺骸は空しき煙と共に御遺骨と化して 奥津城の奥深く遠永に鎮まり坐すとも 霊はし 親神の愛でのまに/\ 一日も早く又 これの現世に帰り来まして 御教えの道に労き務め坐せと慎み敬いて白す
埋葬の儀
火葬詞 (火葬諄詞) (例文)
言えば悲し 思えば涙ぐまし 故( 姓名 )大人・刀自の御柩の前に( 斎主 立場 名前 )畏み畏みも白さく
空蝉の人の世は常ならず果敢なく定め難きものなれど 昨日に変わる今日の御姿を見れば悲しき極みなれ
汝命の由久理なくも出直しまししは 最も悲しく口惜しき極み乍ら 現世の慣と為む術なければ 悲しみの中に事謀り 今日しも御葬の儀式いと巌かに仕え奉り訖えぬるに依りて 玉鉾の道の長手を此の火葬所に御柩を送り護り来て 惜らしき御亡骸をば煙と化して 御遺骨を更めて 奥津城の奥深く 鎮め奉らくを白す事の由を聞食せよと 親族家族諸人いや終ての御別れに拝み奉りて 畏み畏みも白す
葬後霊祭
十日祭 祓詞 (例文)
掛巻くも恐き天理王命の宇豆の御前を (遥かに) 拝み奉りて 恐み恐みも白さく
今日しも 故( 姓名 )大人・刀自 の霊)の十日の御祭執り行のうとして 仕え奉る齋員を始め 参来列なる諸人等が 意わずも 見触れ聞触れ等のあらむをば 身の内の心の埃を祓い給い清め給いて 御祭の式 喪なく事なく 仕え奉らしめ給へと 恐み恐みも白す
葬後 十日祭詞 (例文)
此れの小床を巖の磐境と祓ひ浄めて 令坐奉り鎮め奉る 故( 姓名 )大人・刀自 の奇しき霊の前に ( 斎主 立場 名前 )慎み敬ひて白さく
阿波礼 汝 大人・刀自は 生まれ坐し乍ら 御性質直く正しく 神を敬う心厚く 只一筋に親神に仕え奉り 家の内を甘美らに執り治め 世の為 人の為 殊には御教の為 誠の行ひ弥著るく坐しけるを 其が中 油久理なくも御病重り給ひて 現世を退向ひになして 静けくも安けく 隠れ行き坐しぬるは 最も悲しく 最も寂しき極みにこそ
親族家族は夜昼知らに嘆かひつつも 定まれる儀式のまにまに 葬送の儀仕え奉り 野辺の送りも列々に治め奉り 竟へぬるを以て 日取りを繰り上げ 今日しも十日の御祭仕え奉らむと 今し霊を宇良賀志奉り 御前に御酒御食 種々の物を(八取の齋机に置き成して)供へ奉らくを聞し食し諾ひ給ひて 親族家族の人々 己が向々有らしめず 子孫の八十連綿弥むく榮に立ち榮へしめ給い( 姓名 )が家の守護霊(or (教会名)が教会の守護霊)と久(末)遠永に齋かれ 仕え奉らしめ給へと 恐み恐も白す
おことわり
上記例文は、あくまで、ブログ主が手持ちの例文の中のいくつかを、
「覚え書き」的に記載したものに過ぎません。
決して、模範例として掲載したわけではありませんので、その点、ご了承願います。
祭儀式は難しい…
まだまだ分からないことだらけ。
もっと勉強しなければ、と思います。
ではでは、今回はこのへんで。
コメント
関連記事を含め葬儀について分かりやすくまとまっており大変勉強になりました。ありがとうございます。
質問ですが、「斎場詞/告別詞」と「誄詞(るいし)」を一緒にする理由はなんでしょうか?
ご教授して頂けると幸いです。よろしくお願いいたします。
コメント拝読しました。
このような自己満足ブログでも、目を通して下さる方がおられるのかと思うと、勿体ない限りです。
さて、ご質問いただいた件についてですが…
>質問ですが、「斎場詞/告別詞」と「誄詞(るいし)」を一緒にする理由はなんでしょうか?
…ご質問の主旨は、
葬場祭においては、
まず「誄詞(るいし)」を奏上してから、
またそれとは別に、改めて「斎場詞/告別詞」を奏上するのが普通なのに、
それを一緒にして奏上する場合がある
(と記事の中に書いてある)
のは何故か?
という意味だと受け止めました。
なので、そのような受け止め方を元にして、私なりの回答を書かせてもらいます。
それは、ズバリ、「葬儀の簡略化のため‼」
私はそのように理解しています。
本来は、
「誄詞(るいし)」を【副斎主】が奏上して、
続けて「斎場詞/告別詞」を【斎主】が奏上する、
というのが、正式な葬儀の段取りです。
しかし、小規模な葬儀の場合などでは、
【副斎主】と【斎主】を別々に置かない場合もある。
(斎官の人手が足りなくて置くことが出来ない場合もある)
そのような場合には、
【斎主】が一人二役で、
「斎場詞/告別詞」も「誄詞(るいし)」も一緒に奏上させてもらう…
一人で奏上するのだから、「諄辞」も、
「斎場斎詞(斎場誄詞)/告別斎詞(告別誄詞)」
として一まとめにして奏上する。
それが、
ご質問いただいた
「『斎場詞/告別詞』と『誄詞(るいし)』を一緒にする理由」
だと、私は思っているのですが…
違っていたらゴメンナサイ
上記回答が、ご質問の主旨と違っていたら申し訳ありません。
ただ、
「斎場詞/告別詞」と「誄詞(るいし)」を一緒にすることの是非(善悪)について…等の踏み込んだご質問については、
私の能力の範囲を超えておりますので、残念ながら何もご返答はできませんけれど…(^^ゞ
このたびは、ご質問ありがとうございました。
今後も、ともに勉強させて頂けたら、と思います。