【はらだち】「八つのほこり」学習No,7

【はらだち】「八つのほこり」学習No,7 八つのほこり

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

2024年年明け、1月から開始した
この天理教基本教理「八つのほこり」の自己学習シリーズも、
今回で、7回目となりました。

この「八つのほこり」学習シリーズは、
『基本教理を身につけよう』という本の後半に書かれた 
上田嘉太郎先生による「八つのほこり」解説を書き写して、
お道(天理教)の基本教理である「八つのほこり」についての学びを
多少なりとも深めることを目指しています。

上田嘉太郎著『基本教理を身につけよう』表紙

「八つのほこり」学習シリーズの教材は、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本です。

この本の奥付を見ると、
立教163年(2000年)天理教浪華分教会発行、非売品、
となっております。
入手経路は知りませんが、上級教会の本棚にもありましたし、
支部か何かを通して、多くの教会に配布(購入?)されたもののようです。

このシリーズは
「八つのほこり」という天理教の教えの基本、
それを 多少なりとも腹におさめることを目指し、
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本に書かれた
「八つのほこり」解説を書き写し、それをじっくり味わう
という【自己学習】の足跡であります。

たまたまこの記事に遭遇した方の中で、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という著書の本文を
丸写しして公開する、ということに関して、
もしかしたら、問題視される方があるかもしれません。

しかし、この今回記事を含め、当ブログのすべての記事は、
書写することによる自己学習が主目的であって、
決して営利目的ではありませんので、
著作権等の難しい話については、
なにとぞ、大目に見て頂きますよう お願い致します <m(__)m>

何と言っても
当ブログは あくまで【自己学習ノート】であり、
教材を書き写したものを公開する意図は、
“誰かが見るかもしれないという緊張感” を私自身に与えることで
(私自身の)「怠け心」にブレーキをかけるという点にある、
ということを ご理解頂ければ幸いです。

前回は「八つのほこり」の中の
うらみ】という心遣い
の解説部分を書写しました。

今回は、
はらだち】というほこりの解説部分を書写します。

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上田嘉太郎先生「八つのほこり」解説 No,7

八つのほこり

上田嘉太郎先生の解説文を書写する前に、
まずは、「八つのほこり」全文を 掲げておきます。

  1. 一に をしい とは、
    心の働き、身の働きを惜しみ、
    租税や納め物を出し惜しみ、
    世のため、道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、
    借りたる物を返すを惜しみ、
    いやなことは人にさせて 自分は楽をしたいという心。
    すべて 天理にかなわぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いは
    ほこりであります。

  2. 二に ほしい とは、
    心も尽くさず、身も働かずして 金銭を欲しがり、
    分を忘れて 良きものを着たがり、良きものを食べたがり、
    また、何によらず、
    あるが上にも欲しがる心は ほこり。
    何事も たんのうの心を治めるのが 肝心であります。

  3. 三に にくい とは、
    自分のためを思うて言うてくれる人を、
    かえって悪く思うて その人を憎み、
    また、よめしゅうとめなど 身内同士の憎み合い、
    さらには 人の陰口を言うて そしり、笑い、
    その場で出来た罪を憎まず、
    人を憎むなどは ほこりであります。

  4. 四に かわい とは、
    わが身さえよければ 人はどうでもよい、
    わが子の愛に引かされ、
    食べ物、着物の好き嫌いを言わし、
    仕込むべきことも仕込まず、
    悪しきことも意見せずして、
    気ままにさせておくのは よろしくありません。
    また、わが身を思うて 人を悪く言うのも ほこりであります。
    わが身 わが子が 可愛いければ、
    人の身、人の子も 可愛いがらねばなりません。

  5. 五に うらみ とは、
    わが顔つぶれたとて 人をうらみ、
    わが望みを妨げたとて 人を恨み、
    だれがどう言うたとて 人を恨み、意趣いしゅにもち、
    銘々 知恵、力の足らんことや、徳のないことを思わずして
    人を恨むのは ほこりであります。
    みかぐらうたに
    なんぎするのも こゝろから わがみうらみで あるほどに
    とありますから、
    人を恨まず 自分の身を恨むがよろしい。

  6. 六に はらだち とは、
    腹の立つのは 気ままからであります。
    心が澄まぬからであります。
    人が悪いことを言うたとて 腹を立て、
    誰がどうしたとて 腹を立て、
    おのが理を立て、
    人の理が入らんから 腹が立つのであります。
    これからは 腹を立てず、
    理を立てるようにするがよろしい。
    短気、癇癪かんしゃくは わが身の徳を落とし、
    わが身の命を損なうことがあります。

  7. 七に よく とは、
    人より多く身につけたい、
    何が何でも 取れるだけ取りたい、
    また、
    一獲千金いっかくせんきんや 不当なもうけを得よう とする心。
    人の目を盗んで 数量をごまかし、
    人をだまして 利をかすめ、人の物を盗み、取り込み、
    何によらず 人の物をただ わが身につけるのは 強欲。
    また 色情におぼれるのは 色欲であります。

  8. 八に こうまん とは、
    力も無いのに 自惚うぬぼれ、高ぶり、
    富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけ、
    己れは偉い、己れは賢いと思うて人をあなどり、
    人の欠点あなを探す、
    また、知らぬことを知りた顔して通す、
    これが こうまんのほこりであります。

「八つのほこり」~【はらだち】上田嘉太郎先生 解説

lightning shining in cloudy daytime sky

それでは、
以下、上田嘉太郎先生の解説文を書写していきます。

「はらだち」とは

はらだち とは、
腹の立つのは 気ままからであります。
心が澄まぬからであります。

人が悪いことを言うたとて 腹を立て、
誰がどうしたとて 腹を立て、
おのが理を立て、
人の理が入らんから 腹が立つのであります。

これからは
腹を立てず、理を立てるようにするがよろしい。

短気、癇癪は わが身の徳を落とし、
わが身の命を 損なうことがあります。

別席のお話の中でも「八つのほこり」の条くだりは 印象深い

私は、修養科の一期講師を 二回勤めさせて頂きましたが、
最初の時は クラス担任でしたので、
別席の時には 毎回付き添って傍聴しました。

一期講師をして 九回続けて 別席のお話を聞かせて頂いたことは、
何より 有り難いことでした。

その別席のお話の中でも、
やはり「八つのほこり」のくだりは 印象に強いものが ありました。

特に はらだち については、…(次節に続く)

腹の立つのは 気ままからであります

(腹の立つのは 気ままからであります)
…なるほど そうだなあ、
と感じながら 聞かせて頂いたことを 思い出します。

この はらだち のほこりの説き分けでは、
まず、なぜ 腹が立つのか という原因を
「気ままから」「心が澄まぬから」、
また 別席のお話では さらに、
「楽すぎるからであります」
と 具体的に指摘されています。

すなわち、
「自分本位だから、苦労が足りないから、心が澄んでいないから」
だと おっしゃっています。

心が澄まぬとは、
ほこりにまみれている
ということでしょう。

そして、さらに、
人が癪にさわることを言ったから 腹を立てる。
また、
気に入らないことをしたから 腹を立てる、
と 事例を挙げて、それは、…(次節へ続く)

おのが理を立て、人の理が入らんから腹が立つのであります

(おのが理を立て、人の理が入らんから腹が立つのであります)
と、腹立ちの心理を 分析して下さっています。

自分の言い分、自分の立場を先に立てて、
相手の気持ち、言い分を分かろうとしないから 腹が立つんだ
と、非常に的確な指摘をされています。
なるほど と思います。

私なども 腹が立って 怒鳴りつけてやろうか という時に、
ちょっと待てよ と、よく事情を聴いてみたら、
アッ そういうことだったのか、怒らなくてよかったなあ、
と いうことがあります。

そんなふうに、
相手の言い分、相手の立場に立って考えれば、腹立ちが治まる
ということもあるのです。

腹立ちまぎれに 切り口上を言ったり、
あるいは 暴力を振るったとなると、
取り返しのつかないことになる場合だってあります。
謝ってすまないことも あり得ます。

そう思うと、
これは 実に 大切な心得であります。 

これからは 腹を立てず、理を立てるようにするが よろしい

そして、しからば、どうしたら良いか
ということを おっしゃっています。

理というのは、道理、筋道です。
つまるところ 天の理 であります。

誰でも 腹が立つと、
何かものを頼まれても、
してやるものか、
と 思ったりするのでは ないでしょうか。

しかし、
やってもやらなくても いいようなものであれば、
するもんか、で済むけれども、
やっぱり しなければならないような大切なことであれば、
腹立ちは ひとまず治めて、
「理を立てる」
という気持ちでやらねばなりません。

腹立ちまぎれに、
すべきこともしない ということになったのでは、
とんでもないことに なってしまいます。

似たようなことは、
みなさんにも 覚えがおありでしょうが、
このように教えて頂いているおかげで
無難に お連れ通り頂ける、有り難いなあ、
と 思う次第です。

短気、癇癪は わが身の徳を落とし、わが身の命を損なうことがあります

別席のお話では 癇気癇癪かんきかんしゃく となっています。
確かに、
腹立ちまぎれに 喧嘩をして命を落とす、
と いうようなこともありますが、
命と言わずとも、
例えば 腹を立てて言い争った揚げ句に、
会社を辞めたり、あるいは 人間関係が切れてしまったり、
ということは 珍しくありません。

しかし、
一度切れたものは 簡単につなぐことはできません。

「はらだちは切る理」と 聞かせてもらいます。
また、「たんのうはつなぐ理」とも 申します。

私は もともとは 気の短い方で、
昔は、外で腹を立ててきて、
家へ帰って来てからも 思い出して また腹が立つ、
と いうようなことも ありました。

おまけに 八つ当たりしたりして、
周りにまで 迷惑をかける。

しかし、
こうして 神様のお話を聞かせて頂いているおかげで、
腹が立っても、
その後で 思い出した時に、
ああ申し訳なかった、
と 思いを変えることができるようになってきたことは、
実に 有り難いことだと思います。

思い出して また 腹を立てる。
あるいは、
腹を立てて、しかも 悪いとは思わずに、
おれが腹を立てるのは 当たり前だ、というような心持ちでおれば、
その積み重ねは、
人間関係の上にも、仕事の上でも、
また 健康にも 差し障りをもたらさずには いないでしょう。

腹を立てると 血液が粘っこくなる ということが 医学的にはあるそうです。

従って、
心筋梗塞こうそくや 脳梗塞を 引き起こしやすくなる というのです。
腹立ち という心遣いは、
それ自体、身にも障る というわけであります。

近年 ベストセラーになった本に、
腹を立てると 毒性の強いホルモンが分泌され、
血管が収縮し、血管壁や遺伝子を傷つける活性酸素が出る
という話がありました。

それはそれで 必要な反応なのでしょうが、
度重なると 健康を損なう というのです。

だから 腹を立てずに プラス思考で明るく、
というのは 分かりますが、
肝心なのは、その気持ちの切り替えのための 手掛かりです。

誰だって 腹を立てずに、健康的に過ごしたい と思うでしょう。

しかし、
安易な逃避やごまかしは かえって 事態を悪くしかねません。
無原則に 明るくはできません。

それだけに 思案のための 確かなり所が 不可欠です。
理に照らしての たんのう が なければなりません。

考えてみれば、
にくいうらみはらだち」の三つのほこりは、
いずれも 非常に ストレスのたまる心遣いです。

今日、病気と申しましても、
先進諸国では いわゆる 感染症の病気よりも、
むしろ 生活習慣病といわれるような 食生活や生活習慣、
ストレスや不摂生などの 日常的な生活態度や、
人間関係のゆがみ からくるものが多い
と 言っていいでしょう。

そうした病気は つまるところ、
医薬で 症状を抑えるだけでなく、
心の持ち方、生き方を転換しなければ 治りません。

このような時代であれば なおさら、
心遣いの道についてお教え頂いているお互いは、
もっともっと 周りの人たちに、
お道の話を 聞いてもらえるよう 努力をしなくてはならない と思います。

なお、付言すれば、
おふでさきにも「りいふく(立腹)」というような語が出てまいりますが、
これは、
「悪事がのかん故」とか、
「腹の立つのも可愛い故から」と仰せになっているように、
子供の上を思い、案じる親心からのもの であります。

また、
悪に対する 腹立ち、義憤も、
ほこりではない と言えましょう。

しかし、腹を立てている時には、
とかく 自分は正しい、相手が間違っている
と思いがちなものですから、
例の「かき寄せる手振り」に照らして
よく自省、思案することを 忘れてはなりません。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,156~161)

「八つのほこり」【はらだち】上田先生解説の 自己覚書き

multiple lightning strikes in the city

はらだち

腹の立つのは気ままからであります
  •  はらだち のほこりの説き分けでは、
    まず、なぜ 腹が立つのか という原因を
    「気ままから」「心が澄まぬから」、
    また 別席のお話では さらに、
    「楽すぎるからであります」
    と 具体的に指摘されている。

  • すなわち、腹が立つのは
    ➡「自分本位、苦労が足りない、心が澄んでいない」ため。

  • 「心が澄まぬ」とは、
    ほこりにまみれている ということ。

おのが理を立て、人の理が入らんから腹が立つのであります
  • 自分の言い分、自分の立場を先に立てて、
    相手の気持ち・言い分を分かろうとしないから 腹が立つのだ
    と、はらだち の心理を 分析して下さっている。

  • 相手の言い分、相手の立場に立って考えれば、
    はらだち が治まることもある。

これからは 腹を立てず、理を立てるようにするが よろしい
  • これからは
    「腹を立てずに 理を立てるようにするのが良い」
    と教えて下さっている。

  • 理というのは、
    道理、筋道 = 天の理 のこと。

  • 誰でも 腹が立つと、
    何かものを頼まれても、してやるものか、と 思ったりしがちだが、
    腹立ちまぎれに、すべきこともしない
    ということになったのでは、
    とんでもないことになってしまう。

  • しなければならないような大切なことであれば、
    はらだち は ひとまず治めて、
    「理を立てる」という気持ちでやることが大切。

短気、癇癪は わが身の徳を落とし、わが身の命を損なうことがあります
  • 腹を立てて言い争った揚げ句に 会社を辞めたり、
    あるいは 人間関係が切れてしまったり、
    ということは 珍しくない。
    しかし、一度切れたものは 簡単につなぐことはできない。

  • はらだちは切る理」「たんのうはつなぐ理」

  • こうして 神様のお話を聞かせて頂いているおかげで、
    腹が立っても、
    その後で 思い出した時に、ああ申し訳なかった、
    と 思いを変えることができる足場を持っているということは、
    とても有り難いこと。

  • はらだち という心遣いは、
    人間関係の上にも、仕事の上でも、また 健康にも、
    差し障りをもたらす。

  • 誰だって 腹を立てずに、健康的に過ごしたい と思うが、
    安易な逃避やごまかしは かえって 事態を悪くしかねない。
    はらだち が良くないと分かっていても、
    無原則に明るくはできないだけに、
    思案のための 確かなり所が 不可欠。

  • お道の信仰に導かれたお互いは、
    「理」に照らしての「たんのう」
    という心遣いを、思案のためのり所としたい。

  • 今日、先進諸国では、
    いわゆる 感染症の病気よりも、
    むしろ 生活習慣病といわれるような 食生活や生活習慣、
    ストレスや不摂生などの 日常的な生活態度や、
    人間関係のゆがみ
    からくる疾患が多い。

  • そうした病気は、
    医薬で 症状を抑えるだけでなく、
    心の持ち方、生き方を転換しなければ おさまらない。

  • 今は 心の持ち方が健康を左右するという知識が社会全体で共有されている時代であり、
    心遣いの道についてお教え頂いている私たちには、
    もっともっと周りの人たちに お道の話を聞いてもらえるよう
    努力することが求められる。


はらだち の教理に関して、注意が必要なこと
  • おふでさきにも「りいふく(立腹)」というような語が出てくるが、
    これは、
    「悪事がのかん故」とか、
    「腹の立つのも可愛い故から」と仰せになっているように、
    子供の上を思い、案じる親心からのもの。

  • また、悪に対する 腹立ち、義憤も、
    ほこりではない と言える。

    ※ただし、腹を立てている時には、
    とかく 自分は正しい、相手が間違っていると思いがちなものだから、
    よく自省、思案することを 忘れてはならない。

おわりに

water-based water droplets

【「八つのほこり」自己学習シリーズ】7回目の今回は、
「八つのほこり」の中の
はらだち】という ほこりの心遣いについての解説文、
それを 書き写しました。

はらだち =立腹=怒り、
それは【良くない】心遣いである  

これは、もはや言わずもがな というか、
お道の「八つのほこり」という 教理うんぬん以前に、
人類全体の共通認識 と言ってよいのではないでしょうか。

はらだち の心というのは、
自分で気付かぬまま 知らぬ間に遣っていた、
と いうことはないわけで、
誰しもが 容易に自覚できる心遣い。
しかも、誰が見ても「好ましくない」心遣い。

なので、「八つのほこり」の中では、
ある意味、わかりやすい(?)ほこりだと言ってよいかもしれません。

なので、
はらだち という ほこりの心遣いに関しては、
それがどういうものなのか、という分析よりも、
そうした心遣いが生じてしまった後、それをどう処理すればよいのか、
という 事後対策に関する知見の方が、
より 人々に求められるものである と思われます。

はらだち =立腹=怒り という感情を 上手にコントロールする、ということは、
まさしく、広く 現代人全体にとっての 大きな課題である、
と言って 差し支えないでありましょう。

Worried kitten

それでは、
はらだち =立腹=怒り という感情は、
どのようにコントロールすればいいのでしょうか?

「怒り」への対応、ということについて あれこれ調べ始めると、
すぐに「アンガーマネジメント」という心理学用語が目に飛び込んできます。

では、【アンガーマネジメント】とは何か…

Wikipediaには、次のように記述されています。

アンガーマネジメント(Anger management)とは、

怒りを予防し制御するための 心理療法プログラムであり、
怒りを上手く分散させることができる と評価されている[1]

怒りは しばしば フラストレーションの結果であり、
また 自分にとって 大事なものを遮断されたり 妨害された時の感情でもある。

怒りは また、根底にある恐れや 脆弱感に対する 防衛機制でもある[2]

アンガーマネジメント・プログラムでは、
怒りは 定義可能な理由によって生じる、
論理的に 分析可能な 強い感情であり、
適切な場合には 前向きにとらえてよいものだ
と考えられている[1]

「怒りは 誰もが経験する感情だ。
怒りが 重大な懸念事項となるのは、
それが あまりにも頻繁に、強烈に、
長い時間、発生し続ける場合だけだ。」
レイモンド・W・ノヴァコ(1984年)

「怒ることは 誰にでもできる。
ただ怒るのは 簡単なことである…
しかし 適切な相手に、適切な程度に、
適切な場合に、適切な目的で、
適切な形で怒ることは 容易ではない。」
アリストテレス

アンガーマネジメントの 究極の目標は、
怒りが 深刻な問題にならないように 上手く制御し、
管理することである。

怒りとは、
何かに反応して 呼び起こされる 強い感情である[3]

怒りの問題は、
扇動する(そそのかす)側と 扇動される(そそのかされる)側が
どちらも 対人関係において 自制心を保つ技術や 社会的技術をもたないために 生じる[3]

このような人々に対しては、
怒りへの反応を 訓練することにより、
怒りが必要だ と反応するのではなく、
怒りは不要であり 不快である
と感じるようにすることができる[3]

怒りのスイッチを切る方法としては、
見なかったことにすること、
または 許すこと 等がある[3]

十分な睡眠、運動、正しい食事も
怒りを予防する上で 有効である[3]

上手く アンガーマネジメントができない人々を 治療する専門家としては、
作業療法士、精神衛生カウンセラー、薬物およびアルコール・カウンセラー、ソーシャルワーカー、心理学者、精神科医などが存在する。

Wikipedia「アンガーマネジメント」より
さまよい人
さまよい人

アンガーマネジメント(Anger management)って、
勉強すると、奥が深そうですね。

個人的には
「アンガーマネジメント」というものについて 非常に興味をそそられますが、
今回の記事の中で その内容に これ以上深入りすると、
収拾がつかなくなりそうです。

なので、
「アンガーマネジメント」の内容に立ち入ることは 控えたいと思います…(^^ゞ

いずれにしても、
「八つのほこり」の中の はらだち (=立腹=怒り) という心遣いを
如何にコントロールしていけばよいか、というのは、
お道(天理教)内にとどまらず、
現代社会においては、安定的な社会生活を維持する上で必須の課題
として認識されるようになってきていて、
心理学 その他の学術分野での研究もどんどん進められている、
ということのようです。

ですので、
お道(天理教)にご縁を頂いた私たちも、
そういった一般的、科学的研究の成果についても 大いに学んで
活用できるようになりたいものだ、
と思います。

その上で、
お道(天理教)にご縁を頂いた者ならば、
上田嘉太郎先生が本文で解説して下さっているところの
【「理」に照らしての「たんのう」】
という心遣いを そこに 更に加えることによって、
より 本質的に
はらだち という ほこり心を 克服していくことに努めたいものだ
と思います。

peak summit top

ということで、今回は、
【「八つのほこり」自己学習シリーズ】
「八つのほこり」の中の はらだち のほこり 解説文を、
書写学習 致しました。

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

【はじめに】「八つのほこり」学習No,1
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズです。 上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写しました。 その初回である今回は、「八つのほこり」教理の総論解説部分です。

【をしい】「八つのほこり」学習No,2
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 2回目の今回は、「八つのほこり」の中の「をしい」について学びます。

【ほしい】「八つのほこり」学習No,3
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 3回目の今回は、「八つのほこり」の中の「ほしい」について学びます。

【にくい】「八つのほこり」学習No,4
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 4回目の今回は、「八つのほこり」の中の「にくい」について学びます。

【かわい】「八つのほこり」学習No,5
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 5回目の今回は、「八つのほこり」の中の「かわい」について学びます。

【うらみ】「八つのほこり」学習No,6
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 6回目の今回は、「八つのほこり」の中の「うらみ」について学びます。

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