【かわい】「八つのほこり」学習No,5

【かわい】「八つのほこり」学習No,5 八つのほこり

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

天理教教理の基本を勉強しようと思い立って始めた
「八つのほこり」自己学習シリーズ、
今回で5回目になりました。

この「八つのほこり」学習シリーズは、
昨年末の「十全の御守護」学習シリーズの続編として、
『基本教理を身につけよう』という本の後半に書かれた 
上田嘉太郎先生による「八つのほこり」解説を書き写して、
お道(天理教)の基本教理である「八つのほこり」についての学びを
多少なりとも深めることを目指しています。

上田嘉太郎著『基本教理を身につけよう』表紙

「八つのほこり」学習シリーズの教材は、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本です。

この本の奥付を見ると、
立教163年(2000年)天理教浪華分教会発行、非売品、
となっております。
入手経路は知りませんが、上級教会の本棚にもありましたし、
支部か何かを通して、多くの教会に配布(購入?)されたもののようです。

すなわち、このシリーズは
「十全の御守護」学習シリーズの 続編でして、

「八つのほこり」という天理教の教えの基本、
それを 多少なりとも腹におさめることを目指し、
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の後半に書かれた
「八つのほこり」解説を書き写しそれをじっくり味わう
という、【自己学習】の足跡であります。

ほとんど人の目に触れることのないブログ記事ではありますが、
ブログ主にとっては、
自己学習を進めることのできる「貴重な/\場」となっております !(^^)!

前回は「八つのほこり」の中の
にくい】という心遣い
の解説部分を書写しました。

今回は、
かわい】というほこりの解説部分を書写します。

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上田嘉太郎先生「八つのほこり」解説 No,5

八つのほこり

上田嘉太郎先生の解説文を書写する前に、
まずは、「八つのほこり」全文を 掲げておきます。

  1. 一に をしい とは、
    心の働き、身の働きを惜しみ、
    租税や納め物を出し惜しみ、
    世のため、道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、
    借りたる物を返すを惜しみ、
    いやなことは人にさせて 自分は楽をしたいという心。
    すべて 天理にかなわぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いは
    ほこりであります。

  2. 二に ほしい とは、
    心も尽くさず、身も働かずして 金銭を欲しがり、
    分を忘れて 良きものを着たがり、良きものを食べたがり、
    また、何によらず、
    あるが上にも欲しがる心は ほこり。
    何事も たんのうの心を治めるのが 肝心であります。

  3. 三に にくい とは、
    自分のためを思うて言うてくれる人を、
    かえって悪く思うて その人を憎み、
    また、よめしゅうとめなど 身内同士の憎み合い、
    さらには 人の陰口を言うて そしり、笑い、
    その場で出来た罪を憎まず、
    人を憎むなどは ほこりであります。

  4. 四に かわい とは、
    わが身さえよければ 人はどうでもよい、
    わが子の愛に引かされ、
    食べ物、着物の好き嫌いを言わし、
    仕込むべきことも仕込まず、
    悪しきことも意見せずして、
    気ままにさせておくのは よろしくありません。
    また、わが身を思うて 人を悪く言うのも ほこりであります。
    わが身 わが子が 可愛いければ、
    人の身、人の子も 可愛いがらねばなりません。

  5. 五に うらみ とは、
    わが顔つぶれたとて 人をうらみ、
    わが望みを妨げたとて 人を恨み、
    だれがどう言うたとて 人を恨み、意趣いしゅにもち、
    銘々 知恵、力の足らんことや、徳のないことを思わずして
    人を恨むのは ほこりであります。
    みかぐらうたに
    なんぎするのも こゝろから わがみうらみで あるほどに
    とありますから、
    人を恨まず 自分の身を恨むがよろしい。

  6. 六に はらだち とは、
    腹の立つのは 気ままからであります。
    心が澄まぬからであります。
    人が悪いことを言うたとて 腹を立て、
    誰がどうしたとて 腹を立て、
    おのが理を立て、
    人の理が入らんから 腹が立つのであります。
    これからは 腹を立てず、
    理を立てるようにするがよろしい。
    短気、癇癪かんしゃくは わが身の徳を落とし、
    わが身の命を損なうことがあります。

  7. 七に よく とは、
    人より多く身につけたい、
    何が何でも 取れるだけ取りたい、
    また、
    一獲千金いっかくせんきんや 不当なもうけを得よう とする心。
    人の目を盗んで 数量をごまかし、
    人をだまして 利をかすめ、人の物を盗み、取り込み、
    何によらず 人の物をただ わが身につけるのは 強欲。
    また 色情におぼれるのは 色欲であります。

  8. 八に こうまん とは、
    力も無いのに 自惚うぬぼれ、高ぶり、
    富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけ、
    己れは偉い、己れは賢いと思うて人をあなどり、
    人の欠点あなを探す、
    また、知らぬことを知りた顔して通す、
    これが こうまんのほこりであります。

「八つのほこり」~【かわい】上田嘉太郎先生 解説

stuffed pink bear and pug puppy

それでは、
以下、上田嘉太郎先生の解説文を書写していきます。

「かわい」とは

かわい とは、

わが身さえ良ければ 人はどうでもよい、
わが子の愛に引かされ、食べ物、着物の好き嫌いを言わし、
仕込むべきことも仕込まず、悪しきことも意見せずして、
気ままにさせておくのは よろしくありません。

また、わが身を思うて 人を悪く言うのも ほこりであります。

わが身わが子が 可愛いければ、
人の身、人の子も 可愛いがらねばなりません。

かわい という心遣いが、何故 ほこりなのか
と疑問に思われるのは 無理のないことです。

しかし、このように 説き分けてもらうと、
なるほど かわい も ほこりになるなあ
と得心がいきます。

わが身さえ良ければ 人はどうでもよい

浪華分教会は、その名のとおり 大阪にありますが、
大阪の人は  交通マナーが全国でも最低だ
と言われています。

私は おぢばと教会との間を、
しょっちゅう 車で行ったり来たりしていますが、
そのマナーの悪さには あきれます。

例えば、
近ごろは タバコを火のついたまま 窓から捨てる人を よく見かけます。

先日も 高速道路の手前で ちょっと停滞していた時、
前の車を運転していた 着飾った中年の婦人が、
吸っていたタバコを ポイと火のついたまま 投げ捨てる姿を見ました。

似たようなことは 毎日のように見かけます。
はなはだしいのになると、
信号待ちの間に、
ドアを開けて タバコの灰皿を 道路にパッパッと開けている人がいます。
なんということをするのか と思います。

私どもの教会のある支部では
以前、ひのきしんデーには 中央環状線の清掃をしていましたが、
中央分離帯なんかは 空き缶がいっぱい、
それこそ よく これだけ捨てたなあ、
と思うほど 捨ててあります。
中には、ビニールの袋に詰めた弁当ガラやら ゴミまで……。
それを ドサッと捨ててある。

これなど全く、
「わが身さえ良ければ 人は どうでも良い」
の典型です。

自分の車の中は それで きれいになるでしょう。
しかし、街は その分 汚れるわけです。

一人前の大人がそんな有り様ですから、
子供がそれを見習うのは 当然です。

子供でも、お菓子を食べて その袋をポイと捨てる。
そんな姿を見ても、
大人が あんなことをしているのだから 子供がするのも無理はない、
という気がします。

大阪の街だけ というわけでもないでしょうが、
最近、街が汚くなってきたなあ と感じます。

かわい というほこりの恐ろしいところ と申しますか、落とし穴は、
決して 悪いことをしている と思わない、
むしろ 良いことをしている と思っていながら 積みやすいほこりだ
ということです。

その代表は、
子供可愛い
という 親として当然の感情であります。

わが子の愛に引かされ、食べ物、着物の好き嫌いを言わし、仕込むべきことも仕込まず、悪しきことも意見せずして、気ままにさせておくのは よろしくありません

例えば、
可愛いから といって、好きな食べ物ばかり食べさせていると、
多分 その子は 大きくなっても、
栄養のバランスが悪い と申しますか、
かたよった食事をしたことによって、
丈夫な子には ならないでしょう。

さらに、
そのように 好きだ、嫌いだ と 気ままを通して育った子は、
自分中心の わがままな人間に なるでしょう。

おそらく 人からも 嫌われるのではないか と思います。
また、辛抱することのできない人間になりやすい とも言えましょう。

何でも手に入る豊かさの一方で、
思い通りにならない、気に入らないことがあると、
ぐに切れたり、投げ出したりする子供が 増えています。

子供を可愛いがっている、いいことをしているつもりで、
かえって 子供をだめにし、
また、
周囲の人々にも 不愉快な思いをさせることに なりかねません。

やはり 仕込むべきことは 仕込む、悪いことは 注意する。

また、
食べ物、着物をはじめとする 物の好き嫌い……
また 多少のことはともかく、
子供の言いなりにするのは、かわい のほこりだよ、
と おっしゃっています。

さらに言えば、
物の好き嫌いの激しい人は、
人間関係についても 好き嫌いが多い、
心の狭い人間になりやすいのではないか
と思います。

溺愛できあい、偏愛や過保護、過干渉は、
子供のためにしているつもりでいて、
逆に 子供の 健全な成長を 阻害するものです。

自分では 気づきにくいものだけに、
親としての自覚、自省が 特に 求められるところです。

わが身を思うて 人を悪く言うのも ほこりであります

(わが身を思うて 人を悪く言う…)

これも 案外 よくしていることです。
一番多いのは 言い訳でしょう。

何か 失敗をした時に、
素直に 失敗を認めて謝る というよりも、
誰それが あんなことをしたから こんなことになった と、
なにか 人のせいにして 正当化するようなことも、
まま あるのではないでしょうか。

それが、あるいは 事実かもしれないけれども、
わが身を思うて、
すなわち
自分を弁護するために 人に悪く言うのは、わが身 かわい のほこりだよ、
と おっしゃっています。

このように、かわい のほこりというのも 実にさまざまで、
しかも、
誰しも「わが身わが子 可愛い」という ごく自然な感情の赴くままに、
ついつい 積みやすいほこりであります。

しかし、
可愛い という心遣い自体は ほこりではありません。

そこで…、(次節に続く)

わが身 わが子が可愛いければ、人の身、人の子も 可愛いがらねばなりません

「わが身 わが子が可愛いければ、人の身、人の子も 可愛いがらねばなりません」
と、
自分だけが可愛い、
自分の子だけが可愛い というのが ほこりなんだよ、
と おっしゃっているのであります。

よその子供と、自分の子供とを
同じように可愛いがることができれば 申し分ないのでしょうが、
そこまでは なかなか できません。

しかし、
自分の子供だけが可愛い、他の子は どうなってもよい
というようでは 困りものです。

受験戦争の低年齢化の中で、
「お受験」という 妙な言葉が登場し、
また、それにまつわる事件が 報じられる昨今です。

人の立場になってみる。

人の子供さんであっても尊重する といいますか、
心をかける気持ちを持つことの大切さ
を お教え下さっています。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,144~149)

「八つのほこり」【かわい】上田先生解説の 自己覚書き

dog and cat looking at each other

かわい

わが身さえ良ければ 人はどうでもよい

  • タバコを火のついたまま 車窓から捨てたり、
    道路にゴミを投げ捨てたりする人が多くいるが、
    それらは、
    「わが身さえ良ければ 人は どうでも良い」
    の典型と言える。

    自分の車の中は きれいになるかもしれないが、
    街は その分 汚れる。

    しかし、そのような人たちは、
    自分が気持ち良くなったことで満足し、
    悪い事をした という意識は希薄。

  • かわい という ほこりの恐ろしいところ、落とし穴は、
    自分は 決して 悪いことをしていると思わない、
    むしろ 良いことをしている と思っていながら積みやすいほこりだ、
    という点にある。

  • 「子供可愛い」という 親として当然の感情は、
    その代表である と言える。

わが子の愛に引かされ、食べ物、着物の好き嫌いを言わし、仕込むべきことも仕込まず、悪しきことも意見せずして、気ままにさせておくのは よろしくありません

  • わが子が可愛いから といって、好きな食べ物ばかり 食べさせていると、
    その子は 大きくなっても、かたよった食事をしたことによって、
    丈夫な身体にならないかもしれない。

  • 好き嫌いの気ままを通して育った子は、
    自分中心の わがままな人間になる可能性が高く、
    人から嫌われやすくなったり、
    辛抱することが 困難な人間になる恐れがある。

  • 子供を可愛いがっている、いいことをしているつもりでも、
    長期的視点に立つならば、
    そのような親の態度は、かえって 子供をだめにし、
    最終的に、周囲の人々に不愉快な思いをさせることにもなりかねない。

  • 子供を、仕込むべきことは仕込み 悪いことは注意し、
    好き嫌いに関しても 適宜 指導を行う、
    ということは 絶対に必要である。

  • 多少のことはともかく、
    過度に 子供の言いなりにするのは、
    かわい のほこりである。

  • 子供時代に 適切な仕込みを受けられず、
    「物」の 好き嫌いの激しい性格が しみ込んでしまった人は、
    「人間関係」についても 好き嫌いが多かったり、
    心の狭い人間に なりやすい。

  • そうして意味でも、
    溺愛できあい、偏愛や過保護、過干渉は、
    子供のためにしているつもりでいて、
    逆に 子供の 健全な成長を 阻害するもの、
    と言える。

  • 子供が自分では 気づきにくいものだけに、
    親としての自覚、自省が 特に 求められる。

わが身を思うて 人を悪く言うのも ほこりであります

  • わが身を思って 人を悪く言う、
    という行為の 一番多い具体化は「言い訳」。

  • 何か 失敗をした時に、
    素直に 失敗を認めて謝るよりも、
    人のせいにして 正当化するようなことは まま ある。
    しかし、わが身を思うて、
    すなわち 自分を弁護するために 人に悪く言うのは、
    わが身 かわい のほこり、
    と 教えて頂く。

  • かわい のほこりというのは、
    実に 様々で、
    しかも、
    誰しも「わが身わが子 可愛い」という自然な感情の発露に基づいて、
    ついつい 積みやすいほこりだと言える。

わが身 わが子が可愛いければ、人の身、人の子も 可愛いがらねばなりません

  • 「可愛い」という心遣い自体は ほこりではない。

  • 自分の子供だけが可愛い、
    他の子は どうなってもよい、
    という心遣いが、かわい のほこり。

  • かわい のほこりを通して、
    人の立場になって考え、
    他人の子供であっても
    自分の子供同様に尊重し 心をかける気持ちを持つことの大切さ、
    というものを お教え下さっている。

おわりに

two brown short-coated dogs lying on brown cloth

【「八つのほこり」自己学習シリーズ】5回目の今回は、
「八つのほこり」の中の
かわい】というほこりの心遣いについての解説文、
それを 書き写しました。

上田嘉太郎先生の 解説文の中に、
以下のような文章が ありました。

かわい という ほこりの恐ろしいところ と申しますか、落とし穴は、
決して 悪いことをしている と思わない、
むしろ 良いことをしていると思っていながら 積みやすいほこりだ
ということです。

その代表は、
子供可愛い
という 親として当然の感情であります。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,146)

「可愛い」という心遣いは、
それだけを取り上げたならば、
むしろ 好ましい感情と言えるかもしれません。

他者を「可愛い」と思うこと、
愛おしい と感じる心遣いそのものは、
「陽気ぐらし」という
神様がお望み下さる世界実現に向かう上では、
本来は、
プラスの推進力となるエネルギーのように思われます。

しかし、
そのような 本来は好ましいはずのエネルギーも、
それが 自分の親しい所だけに集中し、
更にそこから一歩進んで、
逆に それ以外を排除する、
と いうような形で 使われてしまう ということになれば、
それは、
神様の望まない心遣い(=ほこり)になってしまう、
というわけですね。

俗な言葉に当てはめれば、
“「依怙えこ贔屓ひいき」は良くない”
という言い方に近いと思うのですが、
いずれにしても、これは、
人間としての自然な感情の発露から『発展』した心遣いに他なりませんから、
どこまでが良くて どこからが悪い、というような線引きが難しい…
というより、
そもそも 線引き自体が困難、
と 言えそうです。

掘り下げていこうとすると、
気が付けば そこは 倫理・哲学のフィールドだった…
となっていそうです。

上田先生は、
かわい というほこりの落とし穴は、
決して 悪いことをしていると思わない、
むしろ 良いことをしていると思っていながら 積みやすいほこりであるところ…」
というふうに、
かわい という ほこりの注意点を挙げて下さっています。

悪いことをしている と気付きにくい、
むしろ 良いことをしている と思いながら 使う心遣い、
というところが
何とも やっかいだ と感じます。

改めて、
ほこりは知らない内に積んでしまうもの、
という御神言が 心に響きます。

そのように、
知らない内に積んでしまうものであるが故に、
日々「あしきをはろうてたすけたまえ…」と教えられた おつとめを神前で唱え、
【他力】を求めることが 大切になってくるのでしょうね (^_^)

ということで、今回は、
【「八つのほこり」自己学習シリーズ】
「八つのほこり」の中の かわい のほこり 解説文を、
書写学習 致しました。

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

【はじめに】「八つのほこり」学習No,1
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズです。 上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写しました。 その初回である今回は、「八つのほこり」教理の総論解説部分です。

【をしい】「八つのほこり」学習No,2
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 2回目の今回は、「八つのほこり」の中の「をしい」について学びます。

【ほしい】「八つのほこり」学習No,3
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 3回目の今回は、「八つのほこり」の中の「ほしい」について学びます。

【にくい】「八つのほこり」学習No,4
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 4回目の今回は、「八つのほこり」の中の「にくい」について学びます。

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