【うらみ】「八つのほこり」学習No,6

【うらみ】「八つのほこり」学習No,6 八つのほこり

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

天理教の基本教理を勉強する目的で実施中の
「八つのほこり」学習シリーズ
いつの間にか、気が付けば 今回で6回目。

後半戦です。

この「八つのほこり」学習シリーズは、
昨年末の「十全の御守護」学習シリーズの続編として、
『基本教理を身につけよう』という本の後半に書かれた 
上田嘉太郎先生による「八つのほこり」解説を書き写して、
お道(天理教)の基本教理である「八つのほこり」についての学びを
多少なりとも深めることを目指しています。

上田嘉太郎著『基本教理を身につけよう』表紙

「八つのほこり」学習シリーズの教材は、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本です。

この本の奥付を見ると、
立教163年(2000年)天理教浪華分教会発行、非売品、
となっております。
入手経路は知りませんが、上級教会の本棚にもありましたし、
支部か何かを通して、多くの教会に配布(購入?)されたもののようです。

すなわち、このシリーズは
「十全の御守護」学習シリーズの 続編でして、

「八つのほこり」という天理教の教えの基本、
それを 多少なりとも腹におさめることを目指し、
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の後半に書かれた
「八つのほこり」解説を書き写しそれをじっくり味わう
という、【自己学習】の足跡であります。

前回は「八つのほこり」の中の
かわい】という心遣い
の解説部分を書写しました。

今回は、
うらみ】というほこりの解説部分を書写します。

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上田嘉太郎先生「八つのほこり」解説 No,6

八つのほこり

上田嘉太郎先生の解説文を書写する前に、
まずは、「八つのほこり」全文を 掲げておきます。

  1. 一に をしい とは、
    心の働き、身の働きを惜しみ、
    租税や納め物を出し惜しみ、
    世のため、道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、
    借りたる物を返すを惜しみ、
    いやなことは人にさせて 自分は楽をしたいという心。
    すべて 天理にかなわぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いは
    ほこりであります。

  2. 二に ほしい とは、
    心も尽くさず、身も働かずして 金銭を欲しがり、
    分を忘れて 良きものを着たがり、良きものを食べたがり、
    また、何によらず、
    あるが上にも欲しがる心は ほこり。
    何事も たんのうの心を治めるのが 肝心であります。

  3. 三に にくい とは、
    自分のためを思うて言うてくれる人を、
    かえって悪く思うて その人を憎み、
    また、よめしゅうとめなど 身内同士の憎み合い、
    さらには 人の陰口を言うて そしり、笑い、
    その場で出来た罪を憎まず、
    人を憎むなどは ほこりであります。

  4. 四に かわい とは、
    わが身さえよければ 人はどうでもよい、
    わが子の愛に引かされ、
    食べ物、着物の好き嫌いを言わし、
    仕込むべきことも仕込まず、
    悪しきことも意見せずして、
    気ままにさせておくのは よろしくありません。
    また、わが身を思うて 人を悪く言うのも ほこりであります。
    わが身 わが子が 可愛いければ、
    人の身、人の子も 可愛いがらねばなりません。

  5. 五に うらみ とは、
    わが顔つぶれたとて 人をうらみ、
    わが望みを妨げたとて 人を恨み、
    だれがどう言うたとて 人を恨み、意趣いしゅにもち、
    銘々 知恵、力の足らんことや、徳のないことを思わずして
    人を恨むのは ほこりであります。
    みかぐらうたに
    なんぎするのも こゝろから わがみうらみで あるほどに
    とありますから、
    人を恨まず 自分の身を恨むがよろしい。

  6. 六に はらだち とは、
    腹の立つのは 気ままからであります。
    心が澄まぬからであります。
    人が悪いことを言うたとて 腹を立て、
    誰がどうしたとて 腹を立て、
    おのが理を立て、
    人の理が入らんから 腹が立つのであります。
    これからは 腹を立てず、
    理を立てるようにするがよろしい。
    短気、癇癪かんしゃくは わが身の徳を落とし、
    わが身の命を損なうことがあります。

  7. 七に よく とは、
    人より多く身につけたい、
    何が何でも 取れるだけ取りたい、
    また、
    一獲千金いっかくせんきんや 不当なもうけを得よう とする心。
    人の目を盗んで 数量をごまかし、
    人をだまして 利をかすめ、人の物を盗み、取り込み、
    何によらず 人の物をただ わが身につけるのは 強欲。
    また 色情におぼれるのは 色欲であります。

  8. 八に こうまん とは、
    力も無いのに 自惚うぬぼれ、高ぶり、
    富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけ、
    己れは偉い、己れは賢いと思うて人をあなどり、
    人の欠点あなを探す、
    また、知らぬことを知りた顔して通す、
    これが こうまんのほこりであります。

「八つのほこり」~【うらみ】上田嘉太郎先生 解説

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それでは、
以下、上田嘉太郎先生の解説文を書写していきます。

「うらみ」とは

うらみ とは、
わが顔つぶれたとて 人を恨み、
わが望みを妨げたとて 人を恨み、
誰がどう言うた とて人を恨み、意趣にもち、
銘々 知恵、力の足らんことや、徳のないことを思わずして
人を恨むのは ほこりであります。

みかぐらうたに
なんぎするのも こゝろから わがみ うらみであるほどに
と ありますから、
人を恨まず 自分の身を恨むがよろしい。

うらみ の特徴

うらみ」という語を 辞書で引くと、
まず
「うらむこと。にくいと思うこと」
と 出てきます。

さらに、「恨む」を引くと、
「他からの仕打ちを 不当と思いながら、
その気持ちを はかりかね、
また、仕返しもできず、
忘れずに 心にかけている意」(『広辞苑』)
と あります。

このことからも 分かるように、
自分に不快、不利益なことをした人や物事に対して、
不満や憎しみを持ち続ける心情を指します。

従って、うらみ というのは、
根に持つ といいますか、
場合によっては
長年にわたって 人に対して 憎悪の念を抱くことにもなります。

幽霊のあいさつは、
「うらめしや」
というのが 決まり文句になっています。

そういう点で、
これは にくい という ほこりが内攻し、くすぶっている状態
と言えそうです。

わが顔 つぶれたとて 人を恨み、わが望みを妨げたとて 人を恨み、意趣にもち

人前で 恥をかかされたり、
面目をつぶされた口惜しさは
なかなか 消えるものでは ありません。

しかし、そんな場合でも、
まず 心を静めて その由縁を 振り返りたいものです。

自分にも 落ち度や至らない点が ありはしないでしょうか。

よしんば 相手に心配りが足りないような場合でも、
だからと言って
理非の順序を 見失うことのないように 心したいものです。

世の中には 不満家といいますか、
いつも グチや不平を 言っている人がいます。

俺は 本当は、こんな会社で こんなしがない仕事をしている身じゃないんだ。
誰それのせいで こんなことになった。
世の中の仕組みが悪くて こんな羽目になった、
と いう具合に。

高校時代の先生で、
俺は 本来 こんな所にいるべき人間じゃないんだ、
と いうようなことを、
いつも ブツブツ言い続けていた人が いました。

そんなふうに、
人のせいにしたり、世間のせいにしたり、
それを 恨みに思って 長年 通るのは、
実に うっとうしい生き方です。

また、それを 始終聞かされるほうも たまりません。

不如意ふにょいな境遇を受け入れるための儀式なのかもしれませんが、
冷めた目で見れば、
言い訳、責任逃れ とも映ります。

いつまでも 過去の事柄にこだわっていては、
結局、
今のことや、これから開けるべき運命をも
潰してしまうのでは ないでしょうか。

また、
人を恨んで通る毎日は、
非常に ストレスのたまる生活でもあろう と思います。
病気にも ならずには済まない という気がします。

ある先輩の先生から、
ガンの身上の方の おたすけの時に、
「何か 恨みに思っていることは ありませんか」と 尋ねると、
「いや 実は……」と おっしゃるので、
「人を 恨んで恨んで 通ったところで、相手には 痛くもかゆくもない。
むしろ、わが身を苦しめ 傷つけるだけだ」
という話をした
と 聞かせてもらったことがあります。

ガンに限らず、
人を恨み続けることが 身体に障らないはずがありません。

「意趣にもち」とは、恨みを含むことです。
意趣返し という言葉もあるように
仕返しを目論もくろむような 恨み方です。

しかし、
そうしたことも よく考えてみれば、
自分にも 何がしかの責任があることが 少なくないのではないでしょうか。

それを、…(次節へ続く)

銘々 知恵、力の足らんことや、徳のないことを 思わずして

(銘々 知恵、力の足らんことや、徳のないことを 思わずして)
と、指摘されています。

人を恨みたい気持ちになった時には、
まず 自分自身を振り返ってみる。

果たして 自分がするべきことをしてきたか。
自分にそれだけの実力があるのだろうか。

あるいは、
自分にそれだけの徳分があるか、

などと
振り返らせてもらうことを 忘れてはなりません。

そうすれば、
自分が努力を怠ってきた
と 思い当たる節も あるでしょう。

不向きだった
と 納得できる場合も あるでしょう。

どんな人でも
自分の思いどおりに 人生を歩めるものでは ありません。

人生航路というものは
誰であれ、時代の流れや、ハプニング、出会い といった、
良きにつけ 悪しきにつけ、
自分では どうすることもできない事柄に 左右され、
時には  翻弄ほんろうされがちなものです。

それが たとえ 芳しくないものであっても、
それを 肥やしにし、バネにするのと、
そこで 心を倒してしまうのとでは
運命は 大きく分かれることになるでしょう。

あるいは また、
人の恨みを買うようなことをしてこなかったか、
という 反省をしてみることも 必要かと思います。

前記の おたすけ話は、
今生一代では 思い当たることが無くとも、
前生で その人を苦しめるようなことが あったかもしれない
とさんげし、たんのうするように
と 続きます。

恨みに曇った心を晴らしてから取り次ぐ おさづけの効能はてきめんだ
ということです。

そのように、
先の世へまでさかのぼって 思案することによって
心が治まることも ありましょう。

また、
人を恨んだり、世を恨んだりするのは、
恩を感じる 感謝の心が薄いから、
とは 言えないでしょうか。

心ない仕打ちを受けたり、
あるいは
不運な目に遭ったにしても、
全体としてみれば、
多くの人のおかげで 今日があり、
何よりも
絶大なる 親神様のご守護によって 生かされていることは
間違いありません。

恨みに思う心は 消えないにせよ、
目を転じて、
これまでに受けてきた恩を 数え上げてみては どうでしょう。

これは 余談かもしれませんが、
例えば、
第二次大戦中の日本軍の行為が、
今でも 問題にされることが あります。

日本人は、わりあい 何でも水に流すという気質ですが、
現地の人たちは その恨みを 決して忘れていない、
と いうことを聞きます。

こういう場合でも、
うらみ のほこりを積んでいることになるのだろうか と思って、
考えてみたことがあります。

初めの方で述べた
「かき寄せる手振りが、ほこりであるか否か の物差しになる」
という話を手掛かりに 思案しますと、
自分中心の身勝手な恨みでなければ、
ほこりとは言えない と思います。

さらに言えば、
そうした恨みも
個人的なレベルにとどめずに
「罪を憎んで 人を憎まず」
という、
いかにすれば 同じような悲劇を 繰り返さずに済むか
という思案に 昇華されるならば、
教訓として 一層 生きるのでは ないでしょうか。

また、
戦禍のような難儀に遭った時にも「わが身うらみ」なのか
と 疑問に思ったことがあります。

こうした場合、
「わが身うらみ」とは、
自分のことをうらめしい と思ったりすることではなくて、
自分自身の通り方をしっかりと振り返り、
そして、
決して繰り返さない、繰り返させない
という決意をする、自らを戒める、
という意味合いではないか
と思います。

これは、
社会的な事件や出来事によって
難儀(被害)をこうむった場合についても
言えることのように思います。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,150~155)

「八つのほこり」【うらみ】上田先生解説の 自己覚書き

woman's face emerges in the dark

うらみ

うらみ の特徴
  • うらみ」という心遣いは、
    自分に不快、不利益なことをした人や物事に対して、
    不満や憎しみを持ち続ける心情を指す。

  • うらみ の心を抱えていると、
    長年にわたって 人に対して 憎悪の念を抱くことになる。

  • うらみ」という心遣いは、
    にくい というほこりが内攻し、くすぶっている状態 と言える。

わが顔 つぶれたとて 人を恨み、わが望みを妨げたとて 人を恨み、意趣にもち
  • 人前で 恥をかかされたり、面目をつぶされた口惜しさは
    なかなか 消えるものではないが、
    そんな場合でも、
    自分にも 落ち度や至らない点が あったのではないか、
    と、まず 心を静めて
    その由縁を 振り返りたい。

  • よしんば 相手に心配りが足りないような場合でも、
    だからと言って
    理非の順序を 見失うことのないように 心したい。

  • いつまでも 過去の事柄にこだわっていては、
    結局、
    今のことや、これから開けるべき運命をも 潰してしまう。

  • 人を恨んで通る毎日は、
    非常に ストレスのたまる生活でもあり、
    病気にならずには済まない。
    人を恨み続けることが 身体に障らないはずがない。

  • 人を 恨んで恨んで 通ったところで、
    相手には 痛くもかゆくもなく、
    むしろ、わが身を苦しめ 傷つけるだけ。

銘々 知恵、力の足らんことや、徳のないことを 思わずして
  • 人を恨みたい気持ちになった時には、
    果たして 自分がするべきことをしてきたか、
    自分にそれだけの実力があるのか、
    あるいは、
    自分にそれだけの徳分があるか…
    等と、まず 自分自身を振り返ってみるようにしたい。

  • そうすれば、
    自分が努力を怠ってきた 、
    あるいは、不向きだった、
    と思い当たる節も 出てくるはず。

  • 人生航路というものは、
    良きにつけ 悪しきにつけ、
    自分では どうすることもできない事柄に 左右され、
    どんな人でも
    自分の思いどおりに人生を歩めるものでは ない。

  • それが たとえ 芳しくないものであっても、
    それを 肥やしにし、バネにするのと、
    そこで 心を倒してしまうのとでは、
    運命は 大きく分かれることになる。

  • 自分自身を振り返る際に、
    人の恨みを買うようなことをしてこなかったか、
    という 反省をしてみることが必要。

  • お道の信仰を土台とした振り返りにおいては、
    今生一代では 思い当たることが無くとも、
    前生で その人を苦しめるようなことが あったかもしれない…
    という 先の世へまでさかのぼった思案をすることも可能。

  • 人を恨んだり 世を恨んだりするのは、
    恩を感じる 感謝の心が薄いから…
    という側面があることは否定できない。

  • 心ない仕打ちを受けたり、不運な目に遭ったとしても、
    全体としてみれば、
    多くの人のおかげで 今日があり、
    何よりも
    絶大なる 親神様のご守護によって 生かされていることは間違いない。

  • 恨みに思う心が どうしても消えない場合には、
    目を転じて、
    これまでに受けてきた恩を数え上げてみる
    ことにエネルギーを注ぐようにしたい。

  • あるいは、
    拭えない強い恨みの心情も、
    それを、個人的なレベルにとどめずに
    「罪を憎んで 人を憎まず」という、
    いかにすれば 同じような悲劇を 繰り返さずに済むか
    という思案に 昇華できるならば、
    教訓として生かされるのでは ないか。

  • とのよふな事も うらみに をもうなよ
    みな めへ/\の みうらみである(おふでさき第六号95)
    というご神言があるが、

    戦禍のような大規模な難儀、
    あるいは、
    社会的な事件や出来事等による難儀(被害)
    に遭遇した場合の「わが身うらみ」ということについて、
    どのように思案させて頂くことが望ましいのかは 悩ましい。

    そのような場合の「わが身うらみ」とは、
    自分のことをうらめしい と思ったりすることではなくて、
    自分自身の通り方をしっかりと振り返り、
    そして、
    決して繰り返さない、
    繰り返させないという決意をする、
    自らを戒める、
    という意味合いだと受けとめるのも、
    一つの悟り方である。

おわりに

fog forest conifers

【「八つのほこり」自己学習シリーズ】6回目の今回は、
「八つのほこり」の中の
うらみ】という ほこりの心遣いについての解説文、
それを 書き写しました。

うらみ】=「恨み」という心遣いに関して ネットを検索してみると、
信仰的思案を脇に置いたとしても、
「心理学」という学問の分野で 様々な研究が進められ、
実に 多くの書籍や論文が 発表されていることが分かります。

また、ネット上には
「恨み」の心情に関する記事が、山のように公開されています。

現代は、
昔に比べると 信じられない程、物質面で 豊かになりました。

ですから、現代人にとっては、
主に 物質的なものが対象となる課題よりも、
そのような「恨み(うらみ)」等の
【人間関係】に関連した 精神的なものが対象となる課題の方が、
より 大きなテーマ、関心事である
と 言えるかもしれませんね。

うらみ」というのは【人間関係】にまつわる心遣いです。
なので、
うらみ」という心をどう克服していくか ということは、
【人間関係】絡みの問題が より大きな課題となっている 現代社会においては、
真の 心の平安を獲得するために 避けて通ることの出来ないテーマである
ということ。

現代社会は、
そのような認識が 多くの人々に共有されている状況なのではないか。
私は そのように感じます。

そういう意味では、
「八つのほこり」の中の、にくいかわいうらみ といった
【人間関係】に絡んだ「心遣い」に関する ほこり は、
現代人の心に より響く内容である、
と 言えるかもしれませんね。

おふでさき検索サイトを活用して、
おふでさきの中の
うらみ」という語が含まれているおうた
を検索してみました。

その結果、
以下のおうたが挙がってきました。

とのよふな事も うらみに をもうなよ
みな めへ/\の みうらみである(6-95)

こればかり うらみあるなら とのよふな
事も 月日か みな かやすてな(12-69)

このさきわ どのよなみちが あるとても
人をうらみな ハがみ うらみや(13-108)

とのよふな 事がありても うらみなよ
みな めゑ/\に する事やでな(16-30)

どのよふな 事がありても うらみなよ
みな めゑ/\に してをいたのや(17-60)

検索で挙がってきた上記「おふでさき」のおうたを ザっと読むと、
上田嘉太郎先生が本文の中で解説して下さっていた通り、
「他人を恨むんじゃないよ、わが身を恨むんだよ」
と、繰り返し説いて下さっているように見えます。

うらみ」の心情を抱き続けている限り、真の幸福はつかめない
という金言は、
現代においては、
信仰とは無縁の人々の間にも、
広く浸透した考え方になっているように思われます。

うらみ」心の克服は、現代的課題だ
と言って差し支えないかもしれません。

…とは言うものの、
「言うは易く行うは難し」…

人間は、
往々にして、
頭で分かっていても、心が伴わないもの。

うらみ」心を克服するためにはどうすればいいのか、
いくら頭で理解できたとしても、
それを行動に移すことが難しいから、
多くの人は苦しんでいるわけです。

うらみ」心の克服の具体的方法として、
上田先生は、
解説文の中で以下のような方法を提案して下さっていました。

人を恨んだり、世を恨んだりするのは、
恩を感じる 感謝の心が薄いから、
とは 言えないでしょうか。

心ない仕打ちを受けたり、
あるいは
不運な目に遭ったにしても、
全体としてみれば、
多くの人のおかげで 今日があり、
何よりも
絶大なる 親神様のご守護によって 生かされていることは
間違いありません。

恨みに思う心は 消えないにせよ、
目を転じて、
これまでに受けてきた恩を 数え上げてみては どうでしょう。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,154)

うらみ」を克服するために、
自己啓発系でもよく発信されているところの
「感謝」の心=【感謝のパワー】
を受けることを提案して下さっています。

けれども…そもそも、
その「感謝」の心を持つこと自体が難しい場合が
往々にしてあります。

上田先生は、そのような場合に、
【信仰の力】を活用することを説いて下さっています。

今生一代では 思い当たることが無くとも、
前生で その人を苦しめるようなことが あったかもしれない
とさんげし、たんのうする  

そのように、
先の世へまでさかのぼって 思案することによって
心が治まることも ありましょう。

「いんねんの教理」を思い起こして、
わが心を治めていくわけですね (^^)

…簡潔にまとめるべき「おわりに」の文章が思いのほか長くなってしまい、
ちょっとあせっていますが、
最後に、
このたび「八つのほこり」の中の うらみ のほこりについての学びを通して感じたことを記して、
この記事を締めたいと思います。

今回の、 うらみ のほこりについての学びを通して感じたこと、
それは、
座学によって
うらみ」の心情を抱き続けている限り、真の幸福はつかめない  
うらみ」心の克服は、真の心の平安を獲得するために絶対必要な作業  
というような、一般的な知識を獲得することが出来ても、
では、どうすればよいのか、
という、具体的な部分が分からなければ、先には進めない…

それが、
お道(天理教)の教理を学ぶことによって、
そのような現代的課題を解決するための【具体的方法】を知ることが出来る、
これこそが、信仰にご縁を頂いた者の幸福である  
ということでした。

お道(天理教)の信仰は、
人のためではなく、自分のためのものだ
ということを、
改めて教えて頂いたような気がします。

…落ちこぼれ信者が、分かったふうな口をきいてお恥ずかしい (#^^#)
もっともらしいことを書きながら、実は 冷や汗をかいています…

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ということで、今回は、
【「八つのほこり」自己学習シリーズ】
「八つのほこり」の中の うらみ のほこり 解説文を、
書写学習 致しました。

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

【はじめに】「八つのほこり」学習No,1
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズです。 上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写しました。 その初回である今回は、「八つのほこり」教理の総論解説部分です。

【をしい】「八つのほこり」学習No,2
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 2回目の今回は、「八つのほこり」の中の「をしい」について学びます。

【ほしい】「八つのほこり」学習No,3
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 3回目の今回は、「八つのほこり」の中の「ほしい」について学びます。

【にくい】「八つのほこり」学習No,4
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 4回目の今回は、「八つのほこり」の中の「にくい」について学びます。

【かわい】「八つのほこり」学習No,5
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 5回目の今回は、「八つのほこり」の中の「かわい」について学びます。

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