【こうまん】「八つのほこり」学習No,9

【こうまん】「八つのほこり」学習No,9 八つのほこり

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

天理教の教祖百四十年祭に向け、
基本教理を見つめ直す機会を持ちたいとの思いから始めた
「八つのほこり」自己学習シリーズも、
回を重ね 9回目。

最後の ほこりの項目となりました。 

この「八つのほこり」学習シリーズは、
『基本教理を身につけよう』という本の後半に書かれた 
上田嘉太郎先生による「八つのほこり」解説を書き写して、
お道(天理教)の基本教理である「八つのほこり」についての学びを
多少なりとも深めることを目指しています。

上田嘉太郎著『基本教理を身につけよう』表紙

「八つのほこり」学習シリーズの教材は、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本です。

この本の奥付を見ると、
立教163年(2000年)天理教浪華分教会発行、非売品、
となっております。
入手経路は知りませんが、上級教会の本棚にもありましたし、
支部か何かを通して、多くの教会に配布(購入?)されたもののようです。

すなわち、このシリーズは
「八つのほこり」という天理教の教えの基本、
それを 多少なりとも腹におさめることを目指し、
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本に書かれた
「八つのほこり」解説を書き写し、それをじっくり味わう
という【自己学習】の足跡であります。

前回は「八つのほこり」の中の
よく】という心遣い
の解説部分を書写しました。

今回は、
「八つのほこり」最後の項目である【こうまん】、
その ほこりの解説部分を書写します。

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上田嘉太郎先生「八つのほこり」解説 No,9

八つのほこり

上田嘉太郎先生の解説文を書写する前に、
まずは、「八つのほこり」全文を 掲げておきます。

  1. 一に をしい とは、
    心の働き、身の働きを惜しみ、
    租税や納め物を出し惜しみ、
    世のため、道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、
    借りたる物を返すを惜しみ、
    いやなことは人にさせて 自分は楽をしたいという心。
    すべて 天理にかなわぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いは
    ほこりであります。

  2. 二に ほしい とは、
    心も尽くさず、身も働かずして 金銭を欲しがり、
    分を忘れて 良きものを着たがり、良きものを食べたがり、
    また、何によらず、
    あるが上にも欲しがる心は ほこり。
    何事も たんのうの心を治めるのが 肝心であります。

  3. 三に にくい とは、
    自分のためを思うて言うてくれる人を、
    かえって悪く思うて その人を憎み、
    また、よめしゅうとめなど 身内同士の憎み合い、
    さらには 人の陰口を言うて そしり、笑い、
    その場で出来た罪を憎まず、
    人を憎むなどは ほこりであります。

  4. 四に かわい とは、
    わが身さえよければ 人はどうでもよい、
    わが子の愛に引かされ、
    食べ物、着物の好き嫌いを言わし、
    仕込むべきことも仕込まず、
    悪しきことも意見せずして、
    気ままにさせておくのは よろしくありません。
    また、わが身を思うて 人を悪く言うのも ほこりであります。
    わが身 わが子が 可愛いければ、
    人の身、人の子も 可愛いがらねばなりません。

  5. 五に うらみ とは、
    わが顔つぶれたとて 人をうらみ、
    わが望みを妨げたとて 人を恨み、
    だれがどう言うたとて 人を恨み、意趣いしゅにもち、
    銘々 知恵、力の足らんことや、徳のないことを思わずして
    人を恨むのは ほこりであります。
    みかぐらうたに
    なんぎするのも こゝろから わがみうらみで あるほどに
    とありますから、
    人を恨まず 自分の身を恨むがよろしい。

  6. 六に はらだち とは、
    腹の立つのは 気ままからであります。
    心が澄まぬからであります。
    人が悪いことを言うたとて 腹を立て、
    誰がどうしたとて 腹を立て、
    おのが理を立て、
    人の理が入らんから 腹が立つのであります。
    これからは 腹を立てず、
    理を立てるようにするがよろしい。
    短気、癇癪かんしゃくは わが身の徳を落とし、
    わが身の命を損なうことがあります。

  7. 七に よく とは、
    人より多く身につけたい、
    何が何でも 取れるだけ取りたい、
    また、
    一獲千金いっかくせんきんや 不当なもうけを得よう とする心。
    人の目を盗んで 数量をごまかし、
    人をだまして 利をかすめ、人の物を盗み、取り込み、
    何によらず 人の物をただ わが身につけるのは 強欲。
    また 色情におぼれるのは 色欲であります。

  8. 八に こうまん とは、
    力も無いのに 自惚うぬぼれ、高ぶり、
    富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけ、
    己れは偉い、己れは賢いと思うて人をあなどり、
    人の欠点あなを探す、
    また、知らぬことを知りた顔して通す、
    これが こうまんのほこりであります。

「八つのほこり」~【こうまん】上田嘉太郎先生 解説

lion mane hair

それでは、
以下、上田嘉太郎先生の解説文を 書写していきます。

「こうまん」とは

こうまん とは、
力も無いのに自惚れ、高ぶり、
富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけ、
己は偉い、己は賢い と思うて 人を侮り、人の欠点を探す、
また、知らぬことを 知りた顔して通す、
これが こうまん のほこりであります。

「こうまん」のほこりの特徴

こうまん というほこりが、
「八つのほこり」の最後に登場します。

軽いものから順に、という話からすれば、
なぜ、こうまん が最後にくるのかなあ、
と考えてみたりするのですが、
私が思案しますには、
一つは、
これは 財産がある、頭が良い、立場がある、
というような 恵まれた人、立派とされている人が積みやすく、
しかも 気がつきにくいことからか
と思います。

また、
自己中心的であるだけでなく、
他の人を見下す、押さえつけるような心遣いでも あります。

高慢と言えば、
まず 威張るとか、見下げる
といった態度が 思い浮かびます。

力の無い人が威張ってみても、
たちまち 鼻をへし折られ、笑い者になるのが オチでしょう。
やはり、
何らかの 力の裏付けが無ければ できることではありません。

しかし、
金や地位もない人でも
自慢したり、ひけらかしたり という程度のことは あるでしょう。

また、
家柄や学歴を誇ることや 差別する心も
こうまん に通じる心遣い と言えましょう。

人は誰でも、
少しでも人の上に立ちたい、出世したい
と思うものです。

学歴社会、受験戦争は
まさに そうした心情の産物です。

おふでさきの十三号には、
高山に くらしているも たにそこに
くらしているも をなし たまひい 
(十三 45)

と仰せになった後、
人間は みな等しく 神のかしものであり、高低はない。
それを 何か高低がある と思うことが、争いの元になる
と諭されています。

大は 戦争から 小は 身辺の争いまで、
相手を下に見る、さげすむ気持ちから発している
と言ってもいい と思います。

翻って言えば、
争いを治める元は、
お互いを 対等な兄弟とみなすこと
と言えましょうか。

先のお歌に先立って、
せかいぢう いちれつわ みな きよたいや
たにんとゆうわ さらに ないぞや
 (十三 43)

と あります。

力も無いのに 自惚れ、高ぶり

自惚れと自信は
紙一重のところがあります。

多少の自惚れは
むしろ可愛い気があるように 思います。

逆に、自信の無さ過ぎる人は、
歯がゆくもあり、気の毒にさえ 感じられます。

しかし、
自惚れは 度が過ぎると、
嫌味になり、鼻につきます。
まして、
思い上がって 出過ぎたことを言ったり、したり
となると 反発したくもなりましょう。

実力が無いのに 虚勢を張る、見えを張る、
徳分も無いのに 偉そうにする。

何もない時は それで通っても、
いったん事が起これば たちまち 化けの皮は はがれます。

見かけは 本物そっくりでも、
張りぼての柱では 荷重に耐えられません。

富や地位を かさに着て、人を見下し、踏みつけ

金があるから、
あるいは 地位、立場があるから といっても、
人を見下す、人を人と思わない
というような言動は もちろん ほこりであります。

力はあっても徳はない と言うべきでしょう。

また、そうした人は 得てして、
自分よりも上の立場にある人には へつらい、追従するものです。

そうすると、
自分などは それほど金もないし、地位もないから、あまり こうまん とは関係ないかな、
と思ったりするかもしれませんが、
決してそうではない、
ということが 次に出てきます。

人の欠点を探す

人の欠点を探す。あら探しをする。
人の失敗を見て 笑ったり、人の欠点を並べ立てて馬鹿にしたり、
これも こうまん のほこりだとおっしゃっています。
大なり小なり 覚えがありそうです。

覚えがあるなら、
これからは 人の良い所を探す、ほめることを
心掛けたいものです。

本席様は 教祖から
「十人の上に立つ者は 十人の下に心を置くように。
百人の上に立つ者は 百人の下に……」
というお仕込みを頂かれた
と伝えられています。

世間でも「実るほど こうべを垂れる 稲穂かな」と申します。

低い心とは
何も ご機嫌とりや 卑屈になることではありません。

立場や権限があっても、また あるほど、
たとえ 目下の者にでも
同じ目線、対等な気持ちで接するように
ということでしょう。

それでこそ、
部下も心を寄せ、力を合わせて働いてくれる
ということです。

ところで、
「力がある」とは、一体 どういうことでしょうか。

権力、金力、知力も 力の一つには違いないでしょうが、
結局のところ、
親神様のお働きを頂ける力に 勝るものはありません。

おかきさげに、
自由自在のご守護を頂戴できる心遣いは「日々 常に 心一つ
と 仰せられています。

また、
誠の心は天理に適うからして、直ぐに働く
ともあります。

そして、
その誠の心の極めつけが「人をたすける心」である
と仰せになっています。

知らぬことを 知りた顔して 通す

(知らぬことを 知りた顔して通す とは)
知ったかぶり というやつです。

偉そうに 得々として しゃべっていても、
事情に通じている人が聞くと噴飯物ふんぱんもの ということがあります。
いい加減さが露呈して 大恥をかくことにもなります。

クサイな と感じる話は、
はめられないように まゆにツバをつけて 聞きましょう。

また、例えば
部下に質問をされた時に、面子めんつを気にして、
知らないとか、分からないと言えずに ごまかしたり、
あまつさえ 質問を封じたり 押さえ込んだり、
となると
こうまん のそしりは 免れません。

面従めんじゅう腹背ふくはい、言うべきことも言わなくなるのは 必定です。

一方、立場のある人は、
時に 間違ったことでも 押し通すことがあります。
力があるだけに かえって 始末が悪い。
悪影響は 広範囲に及びます。

「八つのほこり」も、
こうして 説き分けを学び、
それを 自分たちの毎日毎日の暮らしや 見聞きすることに
当てはめながら思案させて頂きますと、
非常に豊かな内容、深い意味合いがあることに 気づきます。

ですから、
これを しっかり覚えるとともに、
日々の心遣い、通り方の上に活かし、
ほこりを払う手掛かりにすることを
お願いしたいと思います。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,169~174)

「八つのほこり」【こうまん】上田先生解説の 自己覚書き

leering lion

【こうまん】

  • こうまん というほこりが「八つのほこり」の最後にくる理由は、
    恵まれた人や立派とされている人が積みやすいものであること、
    しかも 気がつきにくいものであること、
    そういったことによるのではないか と思われる。

  • こうまん というほこりは、
    自己中心的であるだけでなく、
    他の人を見下す、押さえつけるような心遣い。

    家柄や学歴を誇ることや 差別する心も
    こうまん に通じる心遣いである。

  • 人は誰でも、
    少しでも人の上に立ちたい、出世したい と思うものだが、
    高山に くらしているも たにそこに
    くらしているも をなし たまひい
    (十三 45)
    とのご神言を 肝に銘じたい。

  • 人間は みな等しく 神のかしものであり、高低はない。
    それを 何か高低がある と思うことが、争いの元になる。

    大は戦争から 小は身辺の争いまで、
    相手を下に見る、さげすむ気持ちから発している
    と言っていい。

  • せかいぢう いちれつわ みな きよたいや
    たにんとゆうわ さらに ないぞや
    (十三 43)
    とのご神言もあるように、
    争いを治める元は
    「お互いを 対等な兄弟とみなすこと」
    と言える。

力も無いのに 自惚れ、高ぶり
  • 自惚れと自信は 紙一重のところがある。
    しかし、自惚れは 度が過ぎると、
    嫌味になり、鼻につく。

  • 実力が無いのに 虚勢を張る、見えを張る、
    徳分も無いのに 偉そうにするような態度は、
    何もない時は通っても、
    いったん事が起これば たちまち 化けの皮は剥がれる。

    たとえ 見かけが本物そっくりでも、
    張りぼての柱では 荷重に耐えられないものだから。

富や地位を かさに着て、人を見下し、踏みつけ
  • 金があるから、あるいは 地位・立場があるから といっても、
    人を見下す、人を人と思わない というような言動は、
    改めて言うまでもなく「ほこり」。
    力はあっても 徳はない。

  • また、そのような人に限って、 得てして、
    自分よりも上の立場にある人には
    へつらい、追従するもの。

人の欠点を探す
  • 自分は金もないし地位もないから こうまん のほこりとは無関係
    と思う人がいるかもしれないが、
    決して、そうとも限らない。

  • 人の欠点を探したり、あら探しをしたり、
    人の失敗を見て笑ったり、人の欠点を並べ立てて馬鹿にしたりするのも、
    これも こうまん のほこり。

  • こうまん のほこりを積まないようにするためにも、
    これからは
    人の良い所を探す、ほめることを
    心掛けるようにしたい。

  • 本席様は 教祖から
    「十人の上に立つ者は 十人の下に心を置くように。
    百人の上に立つ者は 百人の下に……」
    というお仕込みを頂かれた と伝えられる。

  • 低い心とは
    何も ご機嫌とりや 卑屈になることではない。

    立場や権限があっても、また あるほど、
    たとえ 目下の者にでも
    同じ目線、対等な気持ちで接するように ということ。
    それでこそ、部下も心を寄せ 力を合わせて働いてくれる。

  • 「力がある」とは、一体 どういうことか。

    権力、金力、知力も 力の一つには違いないが、
    結局のところ、
    親神様のお働きを頂ける力に 勝るものはない。

  • おかきさげに、
    自由自在のご守護を頂戴できる心遣いは「日々 常に 心一つ」
    と 仰せられる。
    誠の心は天理に適うからして 直ぐに働く、ともある。

    誠の心の極めつけが
    「人をたすける心」。

知らぬことを 知りた顔して 通す
  • 偉そうに 得々としゃべっていても、
    事情に通じている人が聞くと噴飯物ふんぱんものということがある。
    そのような場合、
    将来 そのような行動のいい加減さが露呈して
    大恥をかくことにもなる。

  • 部下に質問をされた時に、面子めんつを気にして、
    知らないとか、分からないと言えずに ごまかしたり、
    あまつさえ 質問を封じたり 押さえ込んだり…
    となると、 こうまん のそしりは 免れない。

  • 立場のある人は 間違ったことでも押し通したりするが、
    そのような振る舞いは、
    力があるだけに かえって始末が悪い。

    悪影響は 広範囲に及ぶものであるだけに、
    日頃から、
    そのような こうまん の心を遣っていないか、
    自らを振り返り襟を正すことを 忘れないようにしたい。

  • 「八つのほこり」の説き分けを学び、
    それを、
    自分たちの毎日毎日の暮らしや
    見聞きすることに当てはめながら思案するならば、

    そこには、
    非常に豊かな内容、深い意味合いがあることに気づかされる。

  • 縁あってこの道に引き寄せられたお互いは、
    「八つのほこり」のご教理をしっかり肝に銘じると共に、

    これを、日々の心遣い 通り方の上に活かし、
    ほこりを払う手掛かりとすることに
    最大限努めさせて頂きたい。

おわりに

mountains fog sky

【「八つのほこり」自己学習シリーズ】9回目の今回は、
「八つのほこり」の中の
こうまん】というほこりの心遣いについての解説文、
それを書き写しました。

こうまん が「八つのほこり」の最後であることについて、
上田先生は、本文の中で次のように述べられていました。

こうまん というほこりが、
「八つのほこり」の最後に登場します。

軽いものから順に、という話からすれば、
なぜ、こうまん が最後にくるのかなあ、
と考えてみたりするのですが、

私が思案しますには、
一つは、
これは 財産がある、頭が良い、立場がある、というような
恵まれた人、立派とされている人が 積みやすく、
しかも 気がつきにくいことからか
と思います。

また、
自己中心的であるだけでなく、
他の人を見下す、押さえつけるような心遣いでも あります。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,169)

不勉強な私が言うののはおこがましいというのは 重々 承知しているのですが、
「八つのほこり」の順番は 軽いものから重いものへと並べられている とされる中で、
こうまん のほこりが 一番最後に来ている というのは、
上田先生が書かれているように、
とにかく「気づきにくい」というところが大きいのではないか、
という気が致します。

どの「ほこり」も 自分ではなかなか気付きにくい、
だから 日々のおつとめを通して神様に払って頂くものだ、
と教えて頂いています。

しかし、その中でも、
この こうまん という「ほこり」は、
とりわけ 気付きにくい心遣いではないか、
という気がします。

以前、当ブログ内で文字起こしした
茶木谷先生の「【逸話篇の世界を旅する14】「人がめどか」ご逸話をめぐって 」という動画の中で、
茶木谷先生は、 こうまん という「ほこり」について 次のように話しておられました。

…だから、
こうまん のほこり」っていうのは、ね、
「私、一所懸命やってるのに、あの人は何よ」
っていう…その「 こうまん のほこり」っていうのは、
これは、
他の「ほこり」と違うんです。

他の「ほこり」はね、
一所懸命信仰したら 取れていくんです。

(しかし)
こうまん のほこり」だけは、
信仰すればするほど 積む場面が増えてくるって…、
これ、怖い「ほこり」なんです。ハイ。

だから、これはね、
こうまん のほこり」っていうのは、
やっぱり、
信仰していて 積んでしまうんです。

陽気チャンネル茶木谷吉信先生「人がめどか」ご逸話をめぐって より )
【逸話篇の世界を旅する14】茶木谷吉信・正代分教会長「人がめどか」
なぜ梅谷四郎兵衞先生は心ない陰口を言われたのか。そのナゾに迫りつつ、人が誰しも持つ「腹を立てる」ことの意味について考える#逸話篇#茶木谷吉信#梅谷四郎兵衞#陰口#世界たすけに活かすおやさまご逸話
さまよい人
さまよい人

信仰すればするほど 積む場面が増える「ほこり」、
それが こうまん のほこり… 
怖いですね。

茶木谷先生がご指摘下さっているように、
特に、信仰などの 精神世界においては、
一所懸命 つとめる人ほど、
知らぬ間に 周囲に対して こうまん の心を遣ってしまいがち… ということ。
「確かにそうだなぁ…」と 強く頷かされます。

そしてそれは
「真面目で熱心な人ほど ついつい遣ってしまいがちな心遣い」
というものであるだけに、
余計、厄介だ と言えるかもしれません。

他人に対しては、
“あぁ、あの人 こうまん のほこり積んでおられるなぁ…”
と 気付くことは容易(!)ですが、
自分に対して、
“あぁ、俺、ちょっと こうまん な心遣いしてたなぁ…”
と 気付くことは、
多くの人にとって、極めて「難しい」(と 私は思います)

そのため
知らず知らずの内に どんどんどんどん そのほこりを積み重ねてしまい、
神様の望む「陽気ぐらし」世界から遠ざかってしまう…

すべてをお見通しの親神様は、
そのことが 痛いほど分かるから、
「八つのほこり」の最後に こうまん という ほこりを示して、

――自分では気付きにくいから、十分 気を付けてね。
おつとめを通して「ほこり」を払ってね。
「陽気ぐらし」を実現するために、
どうか 低い心になってね――

そのように 必死で、
物分かりの悪い子どもたちに
訴えて下さったのに 違いありません。

にんけんも 一れつことも かハいかろ
神のさんねん これ をもてくれ
  (十三 27)

月日にハ せかいぢううハ みなハが子
かハいゝばい をもていれども
 (十七 68)

このたび、
上田嘉太郎先生の書籍を通して「八つのほこり」のご教理を見つめ直す機会を持ったことで、
人間をわが子として慈しみ、
何とかたすけてやりたい との思いで見守り続けて下さっている
親神様の大きな『親心』の一端を、
改めて 感じさせて頂けたように思います。

と同時に、
これまで、いろいろな所で、
「八つのほこり」のご教理は 決して 【他人】を裁くための道具ではない、
【自分自身】の心を振り返り【自ら】を正すための物差しだ、
と ご指導いただいてきましたが、
決して その点を忘れてはいけない、
との思いを 新たにさせて頂いたのでありました。

それは、
「八つのほこり」自己学習シリーズを通して 
親神様がおやさまを通して「八つのほこり」をお教え下さったのは、
決して それぞれが 他者を裁き合うためではなくて、
「陽気ぐらし」世界へ近付くために、
それぞれが自分自身の心を振り返り 自らを正す作業に努めてほしい
との思いからに違いない、
と、改めて感じたことに由来します。

“何とか 本当の『たすかり』の境地へ 到達してほしい”
との深い親心から「八つのほこり」をお示し下さった 親神様の思いを、
今一度、しっかり 腹に納めたいもの、
そのように 思いました。

cat mackerel european shorthair

ということで、今回は、
【「八つのほこり」自己学習シリーズ】
「八つのほこり」の中の こうまん のほこり 解説文を、
書写学習 致しました。

「八つのほこり」の各論、各項目は、
今回で 終了しました !(^^)!

次回、上田嘉太郎先生の本の「あとがき」的内容を書写し、
それが「八つのほこり」自己学習シリーズの最終回となります。

最後まで、しっかり勉強したいと思います (^_-)-☆

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

【はじめに】「八つのほこり」学習No,1
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズです。 上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写しました。 その初回である今回は、「八つのほこり」教理の総論解説部分です。

【をしい】「八つのほこり」学習No,2
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 2回目の今回は、「八つのほこり」の中の「をしい」について学びます。

【ほしい】「八つのほこり」学習No,3
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 3回目の今回は、「八つのほこり」の中の「ほしい」について学びます。

【にくい】「八つのほこり」学習No,4
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 4回目の今回は、「八つのほこり」の中の「にくい」について学びます。

【かわい】「八つのほこり」学習No,5
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 5回目の今回は、「八つのほこり」の中の「かわい」について学びます。

【うらみ】「八つのほこり」学習No,6
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 6回目の今回は、「八つのほこり」の中の「うらみ」について学びます。

【はらだち】「八つのほこり」学習No,7
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 7回目の今回は、「八つのほこり」の中の「はらだち」について学びます。

【よく】「八つのほこり」学習No,8
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 8回目の今回は、「八つのほこり」の中の「よく」について学びます。

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