【八つのほこり解説 追記】「八つのほこり」学習No,10

上田嘉太郎著 『基本教理を身につけよう』 書写追記 八つのほこり

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

教祖百四十年祭に向けて、
改めて、お道(天理教)の基本教理を学びたい との思いで、
2024年 年明けから始めた【「八つのほこり」学習シリーズ】。

この「八つのほこり」学習シリーズは、
昨年末の「十全の御守護」学習シリーズの続きとして、
『基本教理を身につけよう』という本の後半に書かれた
上田嘉太郎先生による「八つのほこり」解説を書き写して、
お道(天理教)の基本教理である「八つのほこり」についての学びを
多少なりとも深めることを目指したものでした。

上田嘉太郎著『基本教理を身につけよう』表紙

「八つのほこり」学習シリーズの教材は、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本です。

この本の奥付を見ると、
立教163年(2000年)天理教浪華分教会発行、非売品、
となっております。
入手経路は知りませんが、上級教会の本棚にもありましたし、
支部か何かを通して、多くの教会に配布(購入?)されたもののようです。

2ヶ月に及んだ当シリーズでしたが、
前回【こうまん】についての解説部分を書き写して、
「八つのほこり」の《各論》は、すべて書写し終わりました。

対外的には ほとんどニーズの無いテーマだったかもしれませんが(汗)、
【自己学習】という 当ブログの主旨にはピッタリの内容で、
個人的には、勉強になることが非常に多くあって、
とても 満足しています。

そして、ついに今回は、
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』自己学習の【最終回】!

最後に、
上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本に書かれた
「八つのほこり」各論解説の補足部分と「あとがき」部分を書き写して、
このシリーズを締めくくりたいと思います。

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上田嘉太郎先生「八つのほこり」解説 No,10

八つのほこり

最後の最後もまた、
上田嘉太郎先生の解説文を書写する前に、
まず「八つのほこり」全文を掲げておきます。

  1. 一に をしい とは、
    心の働き、身の働きを惜しみ、
    租税や納め物を出し惜しみ、
    世のため、道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、
    借りたる物を返すを惜しみ、
    いやなことは人にさせて 自分は楽をしたいという心。
    すべて 天理にかなわぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いは
    ほこりであります。

  2. 二に ほしい とは、
    心も尽くさず、身も働かずして 金銭を欲しがり、
    分を忘れて 良きものを着たがり、良きものを食べたがり、
    また、何によらず、
    あるが上にも欲しがる心は ほこり。
    何事も たんのうの心を治めるのが 肝心であります。

  3. 三に にくい とは、
    自分のためを思うて言うてくれる人を、
    かえって悪く思うて その人を憎み、
    また、よめしゅうとめなど 身内同士の憎み合い、
    さらには 人の陰口を言うて そしり、笑い、
    その場で出来た罪を憎まず、
    人を憎むなどは ほこりであります。

  4. 四に かわい とは、
    わが身さえよければ 人はどうでもよい、
    わが子の愛に引かされ、
    食べ物、着物の好き嫌いを言わし、
    仕込むべきことも仕込まず、
    悪しきことも意見せずして、
    気ままにさせておくのは よろしくありません。
    また、わが身を思うて 人を悪く言うのも ほこりであります。
    わが身 わが子が 可愛いければ、
    人の身、人の子も 可愛いがらねばなりません。

  5. 五に うらみ とは、
    わが顔つぶれたとて 人をうらみ、
    わが望みを妨げたとて 人を恨み、
    だれがどう言うたとて 人を恨み、意趣いしゅにもち、
    銘々 知恵、力の足らんことや、徳のないことを思わずして
    人を恨むのは ほこりであります。
    みかぐらうたに
    なんぎするのも こゝろから わがみうらみで あるほどに
    とありますから、
    人を恨まず 自分の身を恨むがよろしい。

  6. 六に はらだち とは、
    腹の立つのは 気ままからであります。
    心が澄まぬからであります。
    人が悪いことを言うたとて 腹を立て、
    誰がどうしたとて 腹を立て、
    おのが理を立て、
    人の理が入らんから 腹が立つのであります。
    これからは 腹を立てず、
    理を立てるようにするがよろしい。
    短気、癇癪かんしゃくは わが身の徳を落とし、
    わが身の命を損なうことがあります。

  7. 七に よく とは、
    人より多く身につけたい、
    何が何でも 取れるだけ取りたい、
    また、
    一獲千金いっかくせんきんや 不当なもうけを得よう とする心。
    人の目を盗んで 数量をごまかし、
    人をだまして 利をかすめ、人の物を盗み、取り込み、
    何によらず 人の物をただ わが身につけるのは 強欲。
    また 色情におぼれるのは 色欲であります。

  8. 八に こうまん とは、
    力も無いのに 自惚うぬぼれ、高ぶり、
    富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけ、
    己れは偉い、己れは賢いと思うて人をあなどり、
    人の欠点あなを探す、
    また、知らぬことを知りた顔して通す、
    これが こうまんのほこりであります。

上田嘉太郎先生【八つのほこり解説 追記】

thunder flash storm

それでは、
以下、上田嘉太郎先生の解説文を 書写していきます。

にくい、うらみ、はらだちの 出典

『みちのとも』の連載を読まれた 複数の読者から お尋ねがありました。

それは
八つのほこり、特に おふでさきに登場しない、
にくいうらみはらだち の出典は何か、
というものです。

原典では、
八つのほこり という表現は、おさしづに 四例あります。

最初に引用した、
人間というものは、身の内かりもの 八つのほこり、
この理を分かりさいすれば、何もも分かる。
(明治21・7・4)

をはじめ、
すべて 身上からの伺いに対するお言葉の中に 登場します。 

また、うらみという語は、
おふでさきには、
このさきわ どのよなみちが あるとても
人をうらみな ハがみうらみや
 
(十三 108)

など四首に登場し、いずれも
「どんな事があっても 銘々の通り方の結果であるからして、
人を恨んだりせず、恨むなら自分自身を恨むように」
という意味合いの お歌です。

これは、みかぐらうたの、
なんぎするのも こゝろから
わがみうらみで あるほどに 

(十下り目 七ツ)
にも 通じることです。

おさしづには、
小さい心は やめてくれ。
疑ぐり/\の心は やめてくれ。
ほしい、をしい、うらみ、そねみの心は やめてくれ。

(明治28・10・7)
という形で 出てきます。

他方、にくいはらだちは、
神の立腹 というような用例を除けば、
原典には 出てきません。

しかし、
うらみを含め、にくいはらだちの三つが
八つのほこりの内に数えられ、
教祖 直々の教えとして
御在世中から よく知られていたことは、
こふき本の 記述から 明らかです。

また、
『稿本教祖伝』の第七章の註にある「就御尋手続上申書」(明治十四年)には、
月日のやしろたる教祖のお立場、
月日親神様が人間世界をお創り下されたこと、
かしもの・かりもの、身の内御守護に続いて、
人間ニハ 病気ト云ハ 更ニ無之候得共
人間ハ 日々ニ
貪 惜 憎 可愛 恨シイ 立腹 慾 高慢
此 八ツノ事 有故……」
と、病気のもととなる心得違いを 八つ列挙し、
さらに 心得違いをさんげして お願いすれば、
どんな御守護も頂ける と記されています。

ここにも
身の内御守護と並んで、
八つのほこりの教えが 基本教理として
既に 定着していた様子が 窺えます。

付言すれば、
にくいうらみはらだち の三つのほこりには
相通ずるものがあります。

つまり、
にくい という思いが 内にこもったものが、うらみ であり、
激しく荒立った状態が、はらだち
と言えるからです。

いずれも、
自分の気に入らない、
また、
意に反するものによって引き起こされる心遣いだ
と言ってよいでしょう。

それだけに、
何か暗さ、おぞましさを感じさせる点も
共通しています。
それも、お歌から もれた理由かもしれません。

なお、これら八つのほこりのほかに
うそ」と「ついしよ
があります。

別席のお話には、
このほかに、
口先のきれいにして 真の心の汚い  

嘘と追従ついしょうという 二つのほこりがあります。
よく慎まねばなりません

とあります。

おふでさきでは、
月日にハ うそとついしよ これきらい
このさきなるわ 月日しりぞく
 
(十二 113)

特に、うそ については、
これからハ うそをゆうたら そのものが
うそになるのも これがしよちか 

(十二 112)

と 厳しく ご注意下さっています。

嘘(うそ)は、
一般に 自らの利益や保身のために つくものです。

人を欺くわけですから 甚だ たちの悪いほこりです。
人格を疑われます。
これも 他愛のないものから 悪辣あくらつなものまで
さまざまです。

事実に反することを言う といっても、
例えば、
ガンの患者さんに それを告げないことが ほこりになるかどうか
といった問題があります。

今日では
告知する方向に進んでいるようですが、
それでも
人により、ケースによっては
知らせないことも 少なくありません。

それがほこりかどうかは、やはり
「かき寄せる」心遣いかどうか
によるでしょう。
患者さんのためを思いやってすることなら
ほこりとは言えない と思います。

ついしよ については、
口先の ついしよばかりハ いらんもの
心のまこと 月日みている
 
(十一 8)
とも あります。

追従(ついしよ)は 嘘の一種とも 言えますが、
わざわざ 取り上げておられるのは なぜでしょうか。

追従(ついしよ)とは、
強い者、上の者にこびる 卑屈な態度です。

教祖にとっては
世界中の人間は みな等しく かわいい子供でありますが、
それだけに
高山に暮らす者より、谷底にあえぐ弱者に、
より 心をお掛けになっている
と申せましょう。

その弱い者たちが、
弱さの故に取りがちな卑屈な姿勢を戒め、
「神が見ている」、「をやがついている」
と 励ましておられるようにさえ 感じます。

もっとも
上役に取り入るための おべっかや へつらいは
あさましい限りですが……。

うそついしよ の いずれについても 言えることは、
人間目標めどうではなく、
「月日退く」「心の誠月日見ている」と ありますように、
親神様を目標に 誠の道を通るように
という お諭しであります。

あとがき

「誠一条は たすけの台」
と お聞かせ頂きます。

おさづけを取り次ぐだけで、
お話を 一言も取り次がないようなことでは
十分とは 言えません。

しかし、
「どう お話すれば良いのか 分からない」
という人も 少なくないのでは と思います。

初めにも書きましたが、かつては、
「おさづけを戴いた者は、
『十柱の神様のご守護』と『八つのほこり』のお話だけで
おたすけに出向いて行った」
と聞きます。

まずは、
この「十全の御守護」と「八つのほこり」の説き分けを
しっかりと覚え、身につけて、
毎日の暮らしに生かすとともに、
われわれの先輩方は、このお話だけを頼りにおたすけに歩かれた
ということを胸に刻んで、
共々に しっかり おたすけに励ませて頂きたい と思います。

ともあれ、
教理を深く心に治めさせて頂くことによって信仰の質が高まる
ということは間違いないことでありますから、
どうか、
こうした基本教理をはじめとする お道の教理を身につけ、
そして、
これを 毎日の暮らしのみならず、
おたすけの道具として、
しっかりと活用して頂きたい と思います。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,175~181)

上田嘉太郎先生【八つのほこり解説 追記】の自己覚書き

golden hour rock layer silhouette

「にくい」「うらみ」「はらだち」の 出典について

  • 『おふでさき』には、
    このみちハ をしい ほしいかハい
    よくこふまん これが ほこりや
    (三 96)
    となっていて、
    にくいうらみはらだち が含まれていない。

  • その三項目が「八つのほこり」に含まれるとされる根拠を探ると――

    『おさしづ』の中に「八つのほこり」という表現が 四例ある。
    その内の一つは、
    「人間というものは、身の内かりもの 八つのほこり
    この理を分かりさいすれば、何もも分かる。」
    (明治21・7・4)
    という おさしづ。

  • 故に、にくいうらみはらだち の三項目が
    後世に付け加えられたわけではなく、
    初期から、
    「ほこり」の構成要素は「八つ」である
    と教えられていたことが分かる。

「うらみ」について

  • うらみ という語は、
    『おふでさき』の
    このさきわ どのよなみちが あるとても
    人をうらみな ハがみうらみ 
    (十三 108)
    など四首に登場する。

  • いずれも
    「どんな事があっても 銘々の通り方の結果であるからして、
    人を恨んだりせず、恨むなら自分自身を恨むように」
    という意味合いの お歌。

  • それに 通じるものとして、
    『みかぐらうた』にも、
    なんぎするのも こゝろから
    わがみうらみで あるほどに 
    (十下り目 七ツ)
    というお歌がある。

  • 『おさしづ』には、
    小さい心は やめてくれ。
    疑ぐり/\の心は やめてくれ。
    ほしいをしいうらみそねみ の心は やめてくれ。
    (明治28・10・7)
    というお言葉もある。

  • どんな事があろうと、それは銘々の通り方の結果であると受けとめ、
    人を恨まず、自分自身を恨むように努めたいもの。

「にくい」と「はらだち」について

  • にくいはらだちは、
    神の立腹 というような用例を除けば、
    原典には 出てこない。

  • しかし、
    うらみを含め、にくいはらだちの三つが
    「八つのほこり」の内に数えられ、
    教祖直々の教えとして 御在世中からよく知られていたことは、
    こふき本の記述から 明らか。

  • 明治十四年の「就御尋手続上申書」(『稿本教祖伝』第七章註にあり)には、
    人間ニハ病気ト云ハ更ニ無之候得共
    人間ハ日々ニ
    貪 惜 憎 可愛 恨シイ 立腹 慾 高慢
    八ツノ事 有故……

    と、病気のもととなる心得違いを 八つ列挙し、
    さらに 心得違いを さんげしてお願いすれば、
    どんな御守護も頂ける と記されている。

  •  身の内御守護と並んで、
    「八つのほこり」の教えが 基本教理として
    既に定着していた様子が 窺える。

「にくい」「うらみ」「はらだち」の関係について

  • にくいうらみはらだち の 三つのほこりには
    相通ずるものがある。

  • にくいという思いが
    内にこもったものが、うらみ
    激しく荒立った状態が、はらだち

  • いずれも、
    自分の気に入らない、
    また、意に反するものによって引き起こされる 心遣い。

  • 何か、
    暗さ・おぞましさを感じさせる点が 共通している。
    もしかすると、
    それが、お歌から もれた理由かもしれない。

「うそ」と「ついしよ」について

  • 「八つのほこり」のほかに
    うそ」と「ついしよ」がある。

  • 別席のお話には、
    「このほかに、
    口先のきれいにして 真の心の汚い
    嘘と追従ついしょうという 二つのほこりがあります。
    よく慎まねばなりません」
    とある。

  • 「おふでさき」には、
    月日にハ うそついしよ これきらい
    このさきなるわ 月日しりぞく 
    (十二 113)
    とある。

  • 特に、うそについては、
    これからハ うそをゆうたら そのものが
    うそになるのも これが しよちか 
    (十二 112)
    と 厳しく ご注意下さっている。

「うそ」について 

  • 嘘(うそ)は、
    一般に 自らの利益や保身のために つくもの。
    人を欺くわけだから、
    甚だ たちの悪いほこり。

  • ただ、
    事実に反することを言うといっても、
    ガンの患者さんに それを告げないことがほこりになるかどうか
    といった問題もある。

  • それがほこりかどうかは、やはり
    「かき寄せる」心遣いかどうか
    による。

  • 相手のためを思いやってすることならば、
    ほこりとは言えないのではないか。

「ついしよ」について

  • ついしよについては、
    口先の ついしよばかりハ いらんもの
    心のまこと 月日みている 
    (十一 8)
    と ある。

  • 追従(ついしよ)は 嘘の一種とも言えるが、
    わざわざ取り上げておられる点を思案したい。

  • 追従(ついしよ)とは、
    強い者、上の者にこびる 卑屈な態度のこと。

  • 教祖にとっては
    世界中の人間は みな等しく かわいい子供であるが、
    それだけに
    高山に暮らす者より、谷底にあえぐ弱者に、
    より 心をお掛けになっている
    と 悟らせて頂くことができる。

  • その弱い者たちが 弱さの故に取りがちな 卑屈な姿勢、
    それを戒め、
    「神が見ている」「をやがついている」
    と 励ましておられるように 感じられる。

「うそ」と「ついしよ」について言えること

  • うそついしよ の いずれについても言えることは、
    「月日退く」「心の誠 月日見ている」とあるように、
    人間目標めどうではなく 親神様を目標にして
    誠の道を通るように というお諭しである、
    という点である。

上田嘉太郎先生からのメッセージ

  • 「誠一条はたすけの台」とお聞かせ頂く。

  • おさづけを取り次ぐだけで、
    お話を一言も取り次がないようなことでは
    十分とは 言えない。

  • 「どう お話すれば良いのか 分からない」
    という人も 少なくないと思うが、
    かつては、
    「おさづけを戴いた者は、
    『十柱の神様のご守護』と『八つのほこり』のお話だけで
    おたすけに出向いて行った」
    とお聞かせ頂くように、
    まずは、
    「十全の御守護」と「八つのほこり」の説き分けを
    しっかりと覚え、身につける――

    そして、それを
    毎日の暮らしに生かすとともに、
    われわれの先輩方は、
    このお話だけを頼りにおたすけに歩かれた
    ということを 胸に刻んで、
    共々に しっかり おたすけに励ませて頂きたいもの。

  • 教理を深く心に治めることによって信仰の質が高まる
    ということは間違いないこと。

    こうした基本教理をはじめとする お道の教理を身につけ、
    そして、
    これを 毎日の暮らしのみならず、
    おたすけの道具として、
    しっかりと活用しよう。

おわりに

horizon at sunset

【「八つのほこり」自己学習シリーズ】最終回(10回目)の今回は、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本の締めくくり部分、
「八つのほこり」各項目解説の補足と言いますか、追記のような内容、
その部分を書き写しました。

今回をもって、
上田嘉太郎先生の『基本教理を身につけよう』という本を書き写して
お道(天理教)の基本教理を改めて勉強し直す、
という自己学習シリーズが 一区切りとなります。

本年 年明けから、
昨年末の「十全の御守護」に続けて、
「八つのほこり」について
上田嘉太郎先生の解説を 書き写してきました。

それにより、
これまで、何となく呪文(?)のように唱えていた「八つのほこり」の教えでしたが、
学習前に比べると、
多少は、その教えの深みを感じることが出来るようになったのではないか、
と思っています。

とても勉強になりました。
ありがたいことでした。

dogs pets canine

また、最後の上田嘉太郎先生からのメッセージも、
深く心に刺さりました。

「どう お話すれば良いのか 分からない」
という人も 少なくないのでは と思います。

初めにも書きましたが、かつては、
「おさづけを戴いた者は、
『十柱の神様のご守護』と『八つのほこり』のお話だけで
おたすけに出向いて行った」
と聞きます。

まずは、
この「十全の御守護」と「八つのほこり」の説き分けを
しっかりと覚え、身につけて、
毎日の暮らしに生かすとともに、

われわれの先輩方は、
このお話だけを頼りにおたすけに歩かれた
ということを胸に刻んで、
共々に しっかりおたすけに励ませて頂きたい と思います。

ともあれ、
教理を深く心に治めさせて頂くことによって信仰の質が高まる
ということは間違いないことでありますから、
どうか、
こうした基本教理をはじめとする お道の教理を身につけ、
そして、
これを 毎日の暮らしのみならず、
おたすけの道具として、
しっかりと活用して頂きたい と思います。

(上田嘉太郎『基本教理を身につけよう』P,180~181)

私のような 口下手な人間は、
どんな話をしたらいいのか 常に頭を悩ませがち。

そんな私にとって、

“「十全の御守護」と「八つのほこり」の説き分けをしっかりと覚え、身につけて、
毎日の暮らしに生かすとともに、
われわれの先輩方は、このお話だけを頼りにおたすけに歩かれた ということを胸に刻んで、
共々に しっかりおたすけに励ませて頂きたい。”

という言葉は、強く 心にしみ込んできます。

相手を感動させるような話ができなくてもいい、
基本的な教えの話でいい、
先人先生方はそのお話だけで「おたすけ」に歩かれて、
多くの人を救済してこられた実績があるじゃないか――

…というお話は、
ついつい 人を魅了したり 感動を与えたりするような
巧みな話術に 高い価値を感じてしまう 自分の軽薄さを
改めて 自覚させてくれる
有り難い ご指摘であります。

“教理を深く心に治めさせて頂くことによって 信仰の質が高まる
ということは 間違いないことでありますから、
どうか、
こうした基本教理をはじめとする お道の教理を身につけ、
そして、
これを 毎日の暮らしのみならず、
おたすけの道具として、
しっかりと活用して頂きたい と思います。”

――「基本を大事にしよう」との上田先生のお言葉。

この、貴重な上田先生の 結びの言葉を、
改めて しっかりと 心に刻みたいと思います。

そして、深い縁によりお引き寄せを頂いた この道ですから、
【基本に立ち返る意識】を失うことなく、
細々とでも 地に足を付けて歩んでいきたい――
このたびの
【上田嘉太郎先生『基本教理を身につけよう』自己学習シリーズ】
を通して
そんな思いに包まれる「さまよい人」なのでありました。

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

【はじめに】「八つのほこり」学習No,1
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズです。 上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写しました。 その初回である今回は、「八つのほこり」教理の総論解説部分です。

【をしい】「八つのほこり」学習No,2
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 2回目の今回は、「八つのほこり」の中の「をしい」について学びます。

【ほしい】「八つのほこり」学習No,3
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 3回目の今回は、「八つのほこり」の中の「ほしい」について学びます。

【にくい】「八つのほこり」学習No,4
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 4回目の今回は、「八つのほこり」の中の「にくい」について学びます。

【かわい】「八つのほこり」学習No,5
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 5回目の今回は、「八つのほこり」の中の「かわい」について学びます。

【うらみ】「八つのほこり」学習No,6
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 6回目の今回は、「八つのほこり」の中の「うらみ」について学びます。

【はらだち】「八つのほこり」学習No,7
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 7回目の今回は、「八つのほこり」の中の「はらだち」について学びます。

【よく】「八つのほこり」学習No,8
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 8回目の今回は、「八つのほこり」の中の「よく」について学びます。

【こうまん】「八つのほこり」学習No,9
「十全の御守護」学習シリーズ続編の「八つのほこり」学習シリーズ。 この記事は、上田嘉太郎先生著『基本教理を身につけよう』という本の「八つのほこり」解説を書き写す自己学習の足跡です。 9回目の今回は、「八つのほこり」の中の「こうまん」について学びます。

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