Dear everyone,
こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。
教祖百四十年祭へ向かう「三年千日」年祭活動期間に突入して、
もう少しお道の教理について勉強したいとの思いから、
(前回の記事は横道に逸れましたが)
本年(2023年)2月から、この『自己満足ブログ』で天理教の教理に関する記事作成を続けたのでありました。
前回の記事は教理とは無関係の勉強でしたので外れますが、
その一つ前の前々回までは、「おふでさき」について勉強しました。
それも、一応、第一号から第十七号まで一通りなぞることができ一段落。
さて、次は何の勉強をしようか…
あれこれ思いを巡らせた結果、ひらめいたのは、
そうだ、「元の理」について勉強しよう‼
ということでした。
前々から、天理教の「元の理」については、関心があることはあったのですが、
どうも取っつきにくい感じで、
正直な話、少し離れたところから「薄~く」眺めていた、
というのが実状でした。
そうしたところ、
最近、Twitterの「おすすめ」で、
shin・秋治という方の書かれた『生命(いのち)の進化 令和編』という本が素晴らしい!
というtweetが数多くアップされているのが目にとまりました。
周囲に影響されやすい私は、さっそく購入して拝読した次第。
すると…
Wonderful! 感動しました‼
『生命(いのち)の進化 令和版』
科学の進歩で見えてきた「元の理」
350頁 定価1,210円(税込)
ご購入希望の方は、こちらのフォームからお申し込みください。
http://shinnet.work/
立ち読みはこちらへ https://note.com/shinnet/n/n9d733fa1388a
信仰落第生の私であるにも関わらず、
あらためて「元の理」の素晴らしさが伝わってきて感化されてしまいました。
“もっと勉強したい! ” という好ましい(笑)欲求が爆上がり。
しかし、こういう欲求というのは、時間が空くとすぐに冷めてしまうもの。
熱が冷めてしまう前に行動に移しておかねばもったいない‼
そこで、「shin・秋治」氏の名前でネット検索。
その結果、shin・秋治氏のYouTubeチャンネルに出会い、
「元の理」について数多く発信しておられることを知ったというわけです。
事ここに及んでは、
いつの間にかブログ記事に当て込んで「YouTubeを文字起こしして勉強する」という学習スタイルが習慣化しつつある私としては、
「shin・秋治」氏による「元の理」解説動画を【文字起こし】して勉強しない手はない!
そうだ、「shin・秋治」氏による「元の理」解説動画を【文字起こし】して勉強しよう‼
との思いに至ったという次第。
「shin・秋治」氏による「元の理」解説動画にもいろいろありました。
【文字起こし】するに当たっては、どの記事にしようか迷いましたが、
何となく(笑)記事化しやすそうに見えた「元の理探訪記」シリーズを対象とさせて頂く事としました。
(…shin・秋治様。何かのはずみでこの記事にたどり着いたとしても、
彷徨う男のつまらん自己学習ですから、どうぞ堅い事を仰らずに、見逃してやって下さい…) <m(__)m>
ということで、今回は、
shin・秋治氏の「天理教を科学する」というチャンネルの中の、
「元の理探訪記 第1話 教典第3章「元の理」を深堀します…」
という動画を【文字起こし】して勉強します。
1本の動画を1回の記事ですべて【文字起こし】すると、とても長くなってしまいます。
なので、1本の動画を何回かに分けて【文字起こし】します。
3~4回ぐらいに分けて【文字起こし】しようと思いますが、
今回は、その第1回目です。
今回紹介する動画について
今回、【文字起こし】するYouTube動画は、
shin・秋治氏の「天理教を科学する」というチャンネルの中の、
「元の理探訪記 第1話 教典第3章「元の理」を深堀します。秋治とふくちゃん二人で「元の理」の1行、1文に込められた神様からのメッセージを解説します」
という動画の一部です。
動画公開日: 2022年7月12日
動画概要欄:
元の理探訪記・第1話 教典第3章「元の理」を深堀します
生命(いのち)の進化令和版の作者秋治とおなじみのふくちゃんが、秋治は科学で、ふくちゃんは歴史で、元の理を深堀します。力のこもった二人の配信をご視聴ください!
【秋治×ふくちゃん】天理教を科学する
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『生命(いのち)の進化 令和編』
著者は言う。「元の理」は「真実の話」である。決して、荒唐無稽の「おとぎ話」の類いではない。最初の産みおろしの後、三度の出直しと生れ更わりをしたが、生命が「大進化」を果たした三度とも、海は巨大な「どろ海」になっていた。
(推薦文より抜粋 冨松幹禎)
有性生殖は、雄と雌から五分五分(半々)の遺伝子を受け継ぎ、
五分から生れ、五分、五分と、倍、倍に細胞分裂で成長する。
すべてが五分から始まる。最初に産みおろされたものも五分、人間も五分からだ。
そして哺乳類の受精卵は、人間も猿もクジラも象も0.1ミリ前後でほぼ同じ大きさなのだ。
生命あふれる地球は、誰かが手を貸さないと絶対に生まれない。天の川銀河も太陽も月も人間も生まれない。宇宙誕生からのビックヒストリーで知る「元の理」が、私たち人間が偶然に生まれたのではない事実を教えてくれる
『生命(いのち)の進化 令和版 科学の進歩で見えてきた「元の理」』
350頁 定価1100円(税込)
ご購入希望の方は、こちらのフォームからお申し込みください:http://shinnet.work/
立ち読みはこちらへ:https://note.com/shinnet/n/n9d733fa1388a
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【秋治プロフィール】
サイエンスライター、漫画脚本家、事業家
120年祭記念アニメーション「教祖のはなし」原作、プロデューサ兼監督
天理教を科学する・陽気チャンネル、コンテンツプロデューサー
銀河鉄道999・ブラックジャック・ガンダムシリーズ・カレーファイブ等多数、アニメ・コンテンツプロデューサー
本の通販はこちら http://shinnet.work
Twitter https://twitter.com/wshin19/
note https://note.com/shinnet/
instagram https://www.instagram.com/shujishin/
【ふくちゃん】
Twitter https://twitter.com/tenri_fukuchan
YouTube https://www.youtube.com/@user-gp8mx8oe5u/featured
instagram https://www.instagram.com/tenri.fukuc…
この動画を新しいタブで視聴したい方はこちらからどうぞ↓
https://www.youtube.com/watch?v=M_ZDzeYsPAQ
では、以下に【文字起こし】を記載します。
shin・秋治Ch「元の理 探訪記」第1話【文字起こし】PART1
秋治:こんにちは。
ふくちゃん(以下・ふく)こんにちは。
秋治:ハイ。「天理教を科学する」ということで、
「元初まりの話 探訪記」ですよね、ハイ、話しようと思てます。秋治:今回は、こういう「元の理」っていう、 元初まりのお話ですね、
人間創造のお話、世界創造の話をですね、
ふたり…ちょっとこの2人でお話さしてもらいたいと思います。ふく+秋治:よろしくお願いします。
本日は「元の理」について話し合います
ふく:突然ですけどもね、「元の理」の話は『天理教教典』の第三章に治められておりますけれども…
秋治さんは「元の理」っていうのを、どういうふうにお考えですか?秋治:そうですね、私は、 この本(=『生命の進化』という本)を書いた手前、
…(『生命の進化』)売ってますんで…買って下さい(笑)…秋治:えっとですね、まず、今日のね、収録場所なんですけれども、
いきなりで申し訳ないんですけれども、
今日この収録場所は、養徳社の…ちょっとスタジオを借りてまして…ハイ、
きれいなスタジオで収録さしてもらってます。
これ(『生命の進化』)は、その養徳社で売ってますので、ぜひお買い求め下さい。ハイ。秋治:ということで、宣伝は宣伝で置いときまして…
ふく:(笑)
秋治:え~とね、『教典』の第三章の「元の理」。
これはね、僕は、この成立というか…、
二代真柱さんがね、元始まりの話だとか「おふでさき」を元にして戦後作られた、
ということなんですけれども…
実は僕も、この本(『生命の進化』)を、自分の本を書くにあたって、いろいろと勉強さしてもらった中に、
「元の理」を作る時のね、ちょっと…その(いろんな)話が出てきたんですね。ふく:ハイハイ。
秋治:ちょっとそれをね、少し、今日はここでお話しさせてもらいたいな、と思うんですけれども…
これまでの天理教における「元の理」の扱いについて
秋治:これは、深谷忠政先生の書かれた「元の理」の成り立ちのところなんですけど、
「『教典』の草案ができた時、『教典』全体の草案ができた時なんですけども、 天理教の主だった方々に送付してアンケートをとったのですが、その中に、『教典』 はいいのだが、「第三章」は問題がある、あれが入っていると、天理教の教義が「おとぎ話」と同じ レベルであるようにとられても困るから、削除した方がいいのではないか、というものがたくさんあった」
と書かれてるんですね。秋治:ここ、これを読んで、(私は)その時、ちょっと驚いたのをよく覚えてるんですけれども……
僕らは、戦後、何十年も経って信仰してる人間としてみたら、
「元の理」というのは、昔は、もっとみんなが、こぅ…崇めてたといったらおかしいんですけど、もっと信じてて、
で、だんだんだんだん現代になって「おとぎ話化」してきたんだ、
と思ってたわけですよね。ふく:ハイハイハイ。
秋治:ところが、そうではなかった、と。
で、その時に、こういう話も残ってます。
その時、二代真柱さんは、
『教典』から「第三章」を抜くのであれば、『教典』の発行は止めようか、とまで言われた…
ということが、ここに書かれてるんですね。秋治:ということはですね、
二代真柱さんが、 それほど「元の理」を『教典』の中に入れるということに対しての思い入れが大きかった、
ということですね。ふく:そういうことですね。ハイ。
天理教内で「元の理」を重要視していないのは、最近の話ではなく昔から
秋治:だけども、もともと、その「元の理」という、元初まりの話から作られている『教典』の「第三章」ですけれども…
「元の理」を、 こぅ、何ていうのかな…
『教典』の中に入れると、どうしてもその、難解な部分が多いし
パッと読むと、作り話のよう(に感じられるよう)なところも見受けられますので、
普通の人たちがあれ読むと、
あぁ天理教はこんな神話を入れてるんや、みたいなね…
いうふうに思われる、と。秋治:だから、まぁ、そこを懸念している人たちが、
実は、たくさん当時から居てたんだ、ということがね(分かる)…秋治:僕は、何かね、あの「元の理」というものの、
今も含めてなんですけど…どうかなぁ…ものすごく「元の理」を大切にしてるというわけではない風潮が、僕は、天理教の中にある、
という気がするんですよね。
そんなことないやろ、って声があっちこっちから出てきそうですけど…ふく:ハイハイ。
秋治:でも、実際にね、例えば、僕が修養科行った時なんかでもね、
「おつとめ」の手はしっかりと覚えなきゃいけない、と。秋治:で、例えば、授業でもそうですし、それから、詰所に戻ってきての修練でもそうですし…
だけど、「元初まりの話」を勉強したり、それを解説した勉強があったり…
というのは、ほとんどなかったんですよね。
だから、すごくそれにね、違和感を感じて…。ふく:ウンウン。
秋治:例えば、「おつとめ」の基本でもそうですし、人間をつくったっていう神様の話の基本は、すべて「元の理」から来てるはずなのに、
なんで、みんな「元の理」を、もっと、こぅ…勉強しないのかなぁ
っていうのは、もぅ…ものすごい違和感がありましたね。ふく:そうですね。
『天理教教典』における「元の理」の位置付け
ふく:『天理教教典』っていうものの作りっていうのが、まず、「おやさま」から始まってるじゃないですか。
秋治:ハイ。そうですね。
ふく:あれを…、こぅ、人間を創造して、時系列的に言えば、「親神様」とか「天理王命」 から始まるのが、まぁ、僕ら、感覚としてあるかもしれないですけど、
それをわざわざ「第四章」に持ってきて、「第一章」「おやさま」から始まってるんですけど、
これは、信仰の過程…といいますか、
まず我々は、「おやさま」っていうのを知って、「親神様」を知るわけじゃないですか。秋治:ハイ。そうですね。
ふく:で、その「おやさま」っていうのを、(『教典』の)まず「第一章」に持ってこられた。
その「おやさま」が仰せられたのは、「たすけの道」っていう(こと)。
どうやって人を助けていくのか、陽気ぐらしになっていくのかっていう、その「たすけ一条の道」っていう章を、「第二章」に持ってきたわけですね。
これは、いわゆる、「つとめ」と「さづけ」によって、人がたすかっていくんだっていうことを仰せられた。秋治:ハイ。
ふく:で、この「つとめ」というもので、なんで人がたすかるのか
っていうことを説明するのに、この「第三章」があるわけですね。ふく:そういうふうな過程の中で、
じゃあ…人間をつくっただけか? 親神様は人間をつくっただけか? っていうんじゃなくて、
「第四章」の「天理王命」で、今もご守護くだされてる「実の神様」でもあるんだよっていうことで…、
「第四章」でまた、「天理王命」というのを設けられてると、いうことですね。
まぁ、そういうような変遷の過程があったわけですよね。秋治:そうやって考えると、大切な(『教典』の)「第三章」。当然、二代真柱さんの思い入れも大きいし、今の流れから言っても、絶対抜くことの出来ない「元の理」。
みんな、それぞれしっかりと…、僕は、(それは)宗教的実践も含めてですけども、それなりに、皆さん方、努力されてる(と思う)。
だけど「第三章」に関してはね、何があるのかな…っていうのがね、正直なところ。秋治:例えば、僕らの所属の教会で、じゃあ「第三章」のこと、「元の理」を掘り下げてる…掘り下げなくてもいいよね、「元の理」の勉強会みたいなものがあったか、
例えば「元の理」を何かこぅ、もとにして何か講話があったか、
というと、僕の記憶の中では、まったくないわけね。ふく:ハイハイハイ。
秋治:それは、例えば、神殿講話を聴いてても、「元の理」をもとにした神殿講話って…あるけれども、一部を使ってるとかはあるけれども、やっぱり圧倒的に少ないわけですよね。
そこをね、やっぱし、何故こういうふうになってしまってるか? っていう部分…っていうのは、まず、僕らは考えなきゃいけない…と思いますわね。ふく:そうですよね。
「元の理」のとらえ方には、神話的な解釈と科学的な解釈の2通りある
秋治:で、「元の理」をですね、
例えば、あれを物語、神話としてとらえるとらえ方と、
いやいや、 これは科学的なもの、あるいは本当に科学的なものなんだ、という僕のような立場でとらえるとらえ方と、
(2通りのとらえ方が)あると思うんですよね。秋治:で、ほとんどの人たちは、僕みたいな立場でとらえてる人はほとんど居なくて…、
まぁ、作り話というか、神話の話の中のものだ、というふうなとらえ方をしてる人が非常に多いというふうに、
私は、やっぱり思うんですね。秋治:いや、そんなことないよって仰る方もおられると思うけれども、
「たすけの理」話として大切だというのは非常に僕もよくわかるし、その通りなんだけれども、
そこに、中に出てくる書かれ方、書かれていることは、こういうふう悟りました、こういうふうに悟れます、っていう…
もぅ、悟りの話の連発なんですよね、すべてが。ふく:ハイハイハイ。
秋治:悟るための物語としての「元の理」(でとどまっている)…
これでいいのかな? っていうのがね、僕は、単純に思う…
っていうところがありますよね。秋治:その辺どうですか? ふくちゃん。
ふく:そうですね…。
私は、結構、やっぱ何かしらね、生物学的にこれを解説しようだとか、物理学的に解説しようかっていう営みは、
結構…(これまでも)あったと言えばあったと思うんですよ。
それが、山本利雄先生であったりとか、まぁ、いろんな先生方が、そういうような試みをされてると思うんですけども…秋治:そうですね、えぇ。
ふく:それは、こぅ…、 やっぱ現代の…科学によって実証されてきた事っていうのは、結構多いと思うんですよね。
ふく:でもなかなか、昔の(人は)、そういう理解をしようと思っても、知識がそもそもなかったりだとか、
それをこぅ、理解するまで、基礎知識を勉強しないと いけないじゃないですか。
やっぱ、それがねぇ、なかなか出来てこなくって、まぁ、今のような現状があるんじゃないかなぁ…
とはね、 僕なんか思いますねぇ…ふく:で、私の立場としては、もちろん真実の話であると、僕も思ってる立場です。
秋治:ハイハイ。
ふく:けども、言うように、
あまり、その科学的な知識であったりとか、そういうのが乏しくて(笑)、
あんまりそこまでね、奥深くまで踏み込めてなかったなぁ、
というのがひとつですね…。ふく:で、どちらかといえば、その「元の理」の原仕様になるんですかね、「元初まりの話」、
いわゆる、おやさまが高弟の人たちとかに、パァーっとね、お話されたものを先生方が聴いて、
で、家に帰ってからですかね、また(それを)書き留めた「こふき話」、いわゆる「こふき本」「こふき話」っていうのがあるんですけど、
そういうものを読ましてもらって、
あ、この本はこういうふうに書いてあるな、この本はここをこういうふうに補填してあるんだな、
っていう(ことを確認する)のが、僕 なりの楽しみ方だったわけですね。
「元の理」は、『天理教教典』第三章の内容が一番正確な気がする
秋治:なるほど、なるほど。
…でも、結構それ、面白い部分でもありますよね。秋治:ただ、その、僕なんか、
二代真柱さんが、それを作られる時に、ある「こふき本」とある「こふき本」とを参考にしながら、この「第三章」の「 元の理」をつくられた、というのを読ましてもらった中に、
できるだけ、創作的な部分は削除していく努力をされた、と(書いてあった)。秋治:で、「おふでさき」に書かれている内容を元にして構築されていった、というところをね、僕はすごく、そういうところから感じて…
例えば、僕はこの『生命の進化』(という本)の…、僕も、この三章の中で、「元の理」の部分に関して、科学的ないろんなとらえ方を書いてるんですけれども、
あえて僕は、「こふき本」の中に出てくる、何年本の誰々の話とかっていうことを全く無視して、『教典』の「第三章」だけでいいと思ったんですよ。ふく:ハイハイハイ。
秋治:で、(それは)なぜかというとね、
いろんな人の話も見てみて、自分なりに科学的にも考えていったんですけど、
どう見ても、この『教典』「第三章」が…
こういう言い方、すごく語弊があるんですけど、あえて言うと、一番正確なような気がするんですよね。
おやさまが本当に言いたかったことを、 しっかりとまとめ上げられてるような…、
すごく語弊があるような言い方をしてまた怒られるかもしれないけど、そういう気がするんですね。秋治:だから僕は、『教典』「第三章」を、しっかりと、まぁそこだけを見てね…
まぁ、もちろん補填をしなきゃいけないところもあります。
いろんな話から補填するのも大切だけれども、そういうふうに考えてる部分があります。
神様が「元の理」を通して本当に教えたかったのは「八千八度の生まれ変わり」の手前までではないか
秋治:特に、「おふでさき」の中には、出てくる話というのは、
やはり、「八千八度の生まれ変わり」の(内容が)出てくる部分の前までの話が、ほとんどなんですよね。ふく:そうですよね。
秋治:で、実際にそこから後の話というのは、もう、 いわゆる「こふき本」の「こふき話」の中に出てくる(もの)と…
だから、おやさまは、やっぱり「おふでさき」の中で言いたかったことっていうのは、
「元初まりの話」の中では、いわゆる「八千八度の生まれ変わり」の手前までが重要なんだっていう意味だと、
僕は、そういうふうに思ったんですね。ふく:ウ~ン。
「八千八度の生まれ変わりの手前」とは多細胞生物を創造するところまで、ということ
秋治:それが、やはり、科学的に解き明かそうとした時に、
いわゆる「進化のエンジン」である…まぁいえば、多細胞生物を創るまでが、神様が一番力を入れて、それが大切なんだということを、「元の理」で教えて下さってるんだ、
というふうに思ったんですね。ふく:ハイハイ。
秋治:ただ、(それは)そんな簡単なもんでもないのもわかってるんですよ。
「たすけの理話」という側面から見たら、
もぅ単純に、「真核細胞」を創って「多細胞生物」を創って、そしてそれに「有性生殖」を入れただけ、という…
その、生物の根幹を創った話だけが載ってるわけではないんですけれどもね。
だけども何かね、それを一番…言いたかったのかな、と…。ふく:ハイハイ。
多細胞生物を創造するところまでを「たすけの理話」として悟ってほしい、と思召されているのではないか
秋治:で、それを元に、「たすけの理話」として、いろいろともっと悟ってくれよ、と言われてる気が、僕なんかはしてるんですね。
秋治:だから、過去の皆さん方の「元の理」の悟りの話っていうのは、
実はそういう視点で考えても、全然間違いじゃないよっていう話がほとんどなんですが…
一部ですね、科学的に解明されたことが、この「元の理」の中のこの部分に当たる、というふうに当てはめたらですね、ちょっと悟りは違うんじゃないか? というのも、ないことはないんですね。ふく:ハイハイ。
秋治:だから、やっぱし、そこの部分も、今後、みんなでね、教内みんなで研究してほしいな、というのは、すごく思いますね。
ふく:そうですね。
(YouTube動画「天理教を科学する」Ch>「元の理探訪記 第1話」より)
今回は、「元の理」を深掘りするにあたっての「まえがき」的なお話でした。
以上、
「元の理探訪記 第1話」というYouTube動画 冒頭部分の【文字起こし】でした。
まとめ(今回の動画からの学び)
【「元の理探訪記 第1話 」PART1 動画からの学び】
- おやさまは、人類救済の手段として「つとめ」を教えて下さった。
その「つとめ」の土台が「元の理」である。
- 「つとめ」によって、なぜ 人がたすかるのか、
ということを説明するために「元の理」がある。
- であるから、
天理教における とても重要な教理であるはずの「元の理」だが、
実際には、おとぎ話的な受け止め方が主流で、
それほど大切なものとして扱われていない
というのが現状だと言える。
- ただそれは、
年限を経て だんだん そのように変わっていったわけではなくて、
調べてみると、
実は、昔から そのような風潮であったことが分かる。
- 「元の理」のとらえ方には、
神話的な解釈と 科学的な解釈の 2通りある。
- これまでは 神話的な解釈、
すなわち「元の理」を物語・神話として捉える とらえ方が中心で、
そこからの「悟り」の話ばかりであった。
- 近年の 科学の発展は、「元の理」が 単なる神話ではなく、
実際の現象を説明した話であると
科学的に説明することを 可能にしつつある。
- 「元の理」は、
『天理教教典』第三章の内容が 一番 正確なように感じられる。
- 「おふでさき」の中に出てくる「元初まりの話」は
「八千八度の生まれ変わり」の内容が出てくる前までの話が ほとんど。
そのことから、
神様が「元の理」を通して 本当に 教えたかったのは
「八千八度の生まれ変わり」の【手前】までではないか、
と考えられる。
- 「八千八度の生まれ変わりの手前」とは、
多細胞生物を創造するところまでで、
それは、多細胞生物を創るまで。
- すなわち、それは、
「真核細胞」を創ってそこから「多細胞生物」を創り、
そして それに「有性生殖」を入れるまで、という、
いわば、生物の根幹を創るところまでの話である。
- 神様は、その、多細胞生物を創造するところまでを
「たすけの理話」として悟ってほしい
と思召されているのではないか、
と推察する。
以上、「元の理探訪記 第1話」というYouTube動画 冒頭部分の
【文字起こし】を通じた【自己学習】でした。
私にとってちょっと難しい内容で、
「まとめ」の項目が「まとめ」になっていないかもしれませんが、
まぁ、今回の記事のメインは【文字起こし】の部分ですから、
「元の理」に対する学びを深めるという主目的の達成にあたっては、
【文字起こし】の再読、あるいは、元動画の視聴というアクションをメインとしたいと思います。
ということで、
今回の「彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】」は、
「元の理」勉強の【第1回目】でありました。
「おふでさき」の時みたいに、
これから何回かこのシリーズを続ける予定です。
人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。
ではでは、今回はこのへんで。
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