茶木谷吉信先生講話「もっと結構」ご逸話からの学び~【逸話篇の世界を旅する】より

「『もっと結構』ご逸話から」アイキャッチ画像の学び 天理教・茶木谷先生

皆さん、こんにちは。
ふらふら彷徨う「さまよい人」です。
「さまよいブログ」へようこそ。

今回は、【YouTube文字起こし】紹介シリーズの中の、
天理教養徳社運営「陽気チャンネル
茶木谷吉信先生による【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズの「続編」、
いきます。

それにしても、
茶木谷吉信先生の【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズ、いいですねぇ…
時折、自分で【文字起こし】したものを読み返したりするのですが、
何度読み返しても感動します。
茶木谷先生が動画内で言われている通り、
『教祖伝逸話篇』がグッと身近に感じられるようになってきた気がします。

ということで… 
【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズ【YouTube文字起こし】、
今回もいきます‼

今回は、
『稿本天理教教祖伝逸話篇』39番「もっと結構」
というご逸話をめぐって茶木谷吉信先生が語って下さった動画、
それを紹介します。

これまで同様、今回も、
私のような道と世界をふらつき「さまよう」人間だけでなく、
お道の信仰が長く深い方々にとっても、
とても勉強になるお話です。

動画を視たら十分、とお考えの皆さま。
確かにそうかもしれません。
しかし、動画を視聴した後【文字】で復習すると、
その理解がより深まる可能性があります(笑)
ぜひ最後まで読んでいってください。

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今回紹介する動画について

今回、紹介【文字起こし】するYouTube動画は、
陽気チャンネル」>【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズ
【逸話篇の世界を旅する4】39番「もっと結構」講師 正代分教会長 茶木谷吉信
という動画です。

この動画は、2020年9月12日に公開された動画です。
この動画を視て、そしてそれを【文字】で再確認することで、
「認知の次元を上げる=親の心に近づく」とはどういうことか、
ということを学ぶことができます。

それでは、茶木谷吉信先生のYouTube講義、
一緒に【文字】で学んでいきましょう。

茶木谷吉信先生の『教祖伝逸話篇』「もっと結構」をめぐるお話紹介

burglar criminal thief

では、茶木谷吉信先生による
「天理教教祖伝逸話篇39番「もっと結構」のご逸話をめぐって」
のご講義を紹介します。

動画公開日:2020年9月12日
動画概要欄:「逸話篇39「もっと結構」に出てくる教祖の意外なお答え。その答えにこもる教祖の思いとは。今回はざっくばらんな語り口でお届けします。」

【逸話篇の世界を旅する4】39番「もっと結構」講師・茶木谷吉信YouTube文字起こし】

『教祖伝逸話篇』39番「もっと結構」のご逸話

ハイ、みなさん。こんにちは。ありがとうございます。

今日はですね、今までは座ってやってましたけど、
今日はちょっと少し雰囲気を変えて、ホワイトボードなんか持ってきちゃって、もう上着なんか脱いじゃって…。
もうちょっと、こう、ざっくばらんに、今日からやってみたいと思います。

今日、取り上げる『逸話篇』のテーマは、逸話篇39番「もっと結構」、
という、こういうご逸話を、今日は取り上げて、
その奥に広がっている、やっぱりね、もうすごく大きな世界が、僕はある、
というふうに思っていますので、
それをちょっと、今日は、詳しくちょっと、皆様にご紹介してみたいと思います。
まずは、いつものように、この逸話篇「もっと結構」を、味わってみてください。
ハイ、どうぞ。

*********************************

39「もっと結構」

明治七年のこと。

西浦弥平の長男 楢蔵(註:当時2才)が、ジフテリアにかかり、医者も匙を投げて、もう駄目だ、と言うている時に、同村の村田幸四郎の母こよから、にをいがかかった。
お屋敷へお願いしたところ、早速、お屋敷から仲田儀三郎がおたすけに来てくれ、ふしぎなたすけを頂いた。
弥平は、早速、楢蔵をつれてお礼詣りをし、その後、熱心に信心をつづけていた。

ある日のこと、お屋敷からもどって、夜遅く就寝したところ、夜中に、床下でコトコトと音がする。
「これは怪しい」 と思って、そっと起きてのぞいてみると、一人の男が、「アッ」と言って、闇の中へ逃げてしまった。後には、大切な品々を包んだ大風呂敷が残っていた。

弥平は、大層喜んで、その翌朝 早速、お詣りして、
「お蔭で、結構でございました。」
と、教祖に心からお礼申し上げた。

すると、教祖は、
「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか。」
と、仰せになった。

弥平は、そのお言葉に深い感銘を覚えた、という。

【逸話篇の世界を旅する4】39番「もっと結構」講師・茶木谷吉信より)
さまよい人
さまよい人

今回取り上げるご逸話の紹介です 

今回紹介するご逸話を初めて読んだ時、言葉ではうまく説明できないのですが、何と言いますか、一般的社会常識とかけ離れた考え方に、何とも言えぬ衝撃を受けたような記憶があります。
私にとって、『教祖伝逸話篇』の中でもインパクトの強いご逸話の一つです。

衝撃のお言葉「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」

ハイ、いかがでしたか?

このご逸話はですね、実は、とっても有名なご逸話なんです。
なんで有名かっていうと、ちょっとね、やっぱりあの、大どんでん返しなんです、これ。
そうでしょ? だって、西浦弥平先生が「取られなくて良かったです」って言ってるんです。
「心から」お礼申し上げたって書いてあります、逸話篇にはね。

心からお礼申し上げて、めちゃくちゃ喜んでる相手に対して、それに対しておやさまは、
❝そうよね❞って言えばいいのに、それを否定するようなことを言うんですよ。おっしゃるんですよ。
「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」 とおっしゃるんですよ。

同じ質問を皆様がね、質問というか同じことを、西浦弥平さんと同じ思いをしてる人があなたの前に来ました、ね、
そして、「神様のおかげで盗られなくて良かったです~ 大事な財産、大事なお金、大事な預金通帳、盗られなくて良かったです~」って心からお礼申し上げているのに対して、あなた言えますか? これ。

僕だったらね、もぅ言っちゃいますね。
「あぁ、もぅホント、盗られなくて良かったねぇ… 神様のおかげよねぇ~」って。
「ね、私がいつも言うでしょ? 神様に一生懸命尽くしてたら、守ってくださるのよ~」って。
「拾ったものを届けた人だと一割お礼するんだから、あなた、すぐ、今、一割を神様にお供えしなさい」 って、絶対、僕言っちゃいますね(笑)
でも、そういうふうに言わずに、おやさまは、「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」 っておっしゃったんです。

ここです。
この2つの答えは、いったいどう違うんだろう。
これをずーっと調べていくというか、見ていくと、実は、私たちが、日常的に何かトラブル起きた時に、すごくそれの解決につながるような、ちょっとヒントがもらえるような、そういうご逸話なんです、これ。

だから、今日は、この2つの答えを、僕らがつい出してしまいそうな答えと、おやさまが出された答えの、「違い」を見ていきたいと思います。
それをやることで、絶対、私たちの日頃にプラスになることが、見えてくるはずなんですね。

【逸話篇の世界を旅する4】39番「もっと結構」講師・茶木谷吉信より)
さまよい人
さまよい人

今回勉強するご逸話の「芯」となる、おやさまのお言葉を掲げて下さいます 

「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」
という、おやさまのお言葉。
このお言葉って、なんか衝撃的じゃないですか?
(中身は棚上げしますが)お道の信仰年数が重なると、
このご逸話のお言葉に触れる機会がそれなりにあるので、
だんだん慣れてきて、
そのうち、別に驚くこともなくなります。

しかし、高校生の時だったと思うのですが、
最初にこのお言葉を聴いた時には、「何、それ?」という感じで、
衝撃を受けたような記憶が かすかにあります。

おやさまの口からこういうお言葉が出される土台について、
この後、茶木谷先生がわかりやすく解説して下さいます。

おやさまのお答えには「悪者がいない」

では、ちょっとやってみましょう。

盗られなくて良かったねぇっていう言葉の裏には、実は、とっても大きな、もう一つのものが隠されています。
それは、盗られなくて良かったね、の 後を考えたら分かります。
「盗られなくてよかったね、でも、泥棒さんはケシカランよね」っていうことなんです。
そうでしょ? 盗られなくて良かったねぇ、の後に続く言葉は、泥棒さんはひどいよね、悪いよね、つまり、盗られなくて良かったね っていうのは、悪者から守られた喜びなんです。

じゃあ逆に、盗られちゃったらどうします?
盗られちゃったら、「あなたにねぇ、結局は、徳がなかったよねぇ」って(なっちゃう)。
誰が悪者ですか?  私が悪者。盗られた本人が悪者になっちゃうんです。
前回のYouTubeでね、ちょっとだけ言いましたけど、「身につく徳がなかったねぇ」って、たぶん言っちゃうんです。

で、これ、間違いじゃないんです。
そういう場合、場面だってあります。
ありますけど、このご逸話に出てくる、このおやさまの、「ほしい人にもろてもろたら もっと結構」 っていうお答えの中には、実は、もっと別の世界が隠されているっていうふうに、私は思っています。

じゃあ、その世界って何だろう?
今、言いましたように、悪者に対しては、もっと悪いものから守られた喜びなんです。

私たち、つい言っちゃいませんか?
お金盗られた人に対して、(盗られた~) ん? 盗られたかぁ…、仕方ないよね、でもね、あんた、もっと大きな病気をね、これだけに変えてくださったとしたら喜べるじゃないの、って 言っちゃいますよね。
もっと大きな身上、もっと大きな悪者を、これにしてくださった喜びなんです。

あの、これは 間違いじゃないです。言っておきます。何回も言いますが、間違いではないです。
間違いではないけれども、このご逸話では、実は、おやさまは、違うことをおっしゃっています。
じゃあ、この答え。私たちがつい出してしまう答えと、このおやさまのお答えの、どこが違うのか。

もぅ、わかりますよね。
おやさまのお答えには、「悪者がいない」んですよ。

出てくる登場人物を見てください。
欲しい人。それから、もらってもらった人。
2人とも悪者では ないです。
だから、おやさまの答えの中には、悪者がいないんです。

これって、すごいでしょ?
すごい不思議ですよ。ポンッって、こんな答え、皆さん 出せますか?
もう、心から喜んで、ハ~ッって言ってる人に対して、できますか? これ。
不思議なんですよ、こういう言葉、バーンッと出てくる、言葉が出てくるって。
でも、できる。

【逸話篇の世界を旅する4】39番「もっと結構」講師・茶木谷吉信より)
さまよい人
さまよい人

おやさまのお言葉を深堀りしていきます 

「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」という衝撃のお言葉は、
いったいどういう背景から出てくるのか。
それを茶木谷先生が明らかにして下さいます。

おやさまのお言葉は、高い次元から世界を見ておられるから出てくる言葉

なぜ、できるのかっていうこと、私、今からちょっとだけ解説しますけど、「メタ」 っていう考え方があります。
これは、「高次の」というふうに訳されています。

心理学で、「メタ認知」 っていう言葉があるんです。
この「メタ認知」っていうのは、要するに、カウンセリングやっている時に、カウンセラーとクライアントの間で、やっぱり人間同士ですから、ちょっとこう、行き詰まっちゃったりすることがある、トラブルが起きたりすることあるんですね。

そういう時に、もうちょっと違う角度から、そういう自分を見る目を持つ、というのが「メタ認知」 っていう、…あの、覚えなくていいです、覚えなくていいです… 「メタ認知」っていう言葉があるあるんですね。
つまり、今 起こっている状況を、少し上から見てみる、そういう時に、このメタっていう言葉を使います。

もっとわかりやすい例えを ちょっとやってみたいと思います。

例えば、1次元の世界。1次元ってわかりますか? 棒です。線です。棒。線。
こっちの方から、蟻さんがやってきました。で、こっちから蟻さんがやってきました。
❝蟻さんと蟻さんとごっつんこ…❞ じゃありませんけど(笑)、歩いてきて、歩いてきて、ア~ッ ぶつかる~って、ぶつかる~ と思ったけど、フ~ッ とぶつかりませんでした。

不思議でしょ? これ奇跡なんです。
奇跡なんだけどわからない、1次元の世界では。
ぶつかるはずなのに、なぜぶつからなかったの?

一つ 次元を足してやる、つまり「メタ」をここに加えてやると、
あ、なんだ、蟻さんと蟻さんは こういう位置関係だったんだ、と(いうことがわかる)。
だから、これ、ぶつからなくて当然なんです。
これを、横から見ていただけだったんですね、これは。
つまり、1次元 足してやることによって、奇跡・不思議は、奇跡や不思議でなくなるんです。

じゃあ、2次元のことを考えてみますよ。
2次元で、こっちからトラックが来ました。こっちからトラック来ました。このまま行ったら ぶつかります。これは ぶつからないわけないでしょう…って(思われる)。
ア~ッ ぶつかる~ と思ったけど、ぶつかりませんでした。ス~ッと(通り過ぎた)。
エ~ッ なんで? って(思う)。これは、不思議・奇跡です。

でも、これにメタを加える。
つまり、3次元で見てみると、
「実は、このトラックとこのトラックは立体交差をしていたんだ。」と言うと、これは 不思議でも奇跡でも何でもなくなります。
当たり前になるんです。

つまり、私たちが不思議やなぁと思っている こういう答えは、
実は、おやさまは、私たちよりも、ちょっとメタなところにおられる、高次のところにおられる、
だから、これが出てくる…。

じゃあ、どういうふうに考えるか。

例えば、西浦弥平さんを お兄ちゃんと考えましょう。
そして、泥棒に入った泥棒さんを 弟さんだと思いましょう。いいですか?

で、お兄ちゃんは、こぅ一杯、お菓子とかビー玉とかメンコとか いっぱい抱えて、なんかもぅ 無邪気に喜んでるわけですね、無邪気に。
で、それを横で、ボロボロの着物を着て、弟くんが こぅやって見てるわけですわね、僕も欲しいな~って。

で、お兄ちゃんが、例えば、こぅ お昼寝したスキにですね、弟くんが、こぅ コソコソと来て、お菓子かなんか 1個盗ってワ~ッと逃げる。
そこに、目を覚ましたお兄ちゃんが「コラ~ッ」とかいうわけね。
そうしたら、弟くんが「ア~ッ」とか言って、それを置いて バーッと逃げちゃう。

で、お兄ちゃんは、お母さんのところに行って、
「あぁ良かったです!  盗られずにすみました! 」
って、ね、言ったとしたら、お母さん、なんて言います? これ。
❝…あんたねぇ、ちょっとぐらい 弟にあげたらいいじゃないの…あんた 独り占めせずに…❞
(って言うんじゃないでしょうかね)
「ほしい人にもろてもろたら、なお 結構やないか」っていうのは、こういうことですよ。
いいですか? 

泥棒さんは、泥棒したくて泥棒してる人なんか一人もいないんですよ、多分。
食うに困ってるから、何もないから(泥棒しちゃう)。

例えば、家に帰ったら、子供が 腹空かして待ってるかもしんないじゃないですか。
でも、体が弱いのか知りませんけど、何か知りませんけど、もぅ つい出来心で、その いっぱい物を持ってるお兄ちゃんが見えたから、そこに、ゴメ~ン とか言いながら、こうやって 持って行こうとした時に、こぅ「ア~ッ! 」って言って、それに気付いたわけですよね。

だから、おやさまの目から見たら、全部、子供なんです、それ。弥平さんも、泥棒さんも。
別に、だから 悪者がいないって当たり前なんです。
おやさまの目から見たら 悪者なんかいないんです、全部かわいい子供なんです。
だから、「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」っておっしゃったわけです。

【逸話篇の世界を旅する4】39番「もっと結構」講師・茶木谷吉信より)
さまよい人
さまよい人

衝撃的なお言葉の背景を、わかりやすく説明して下さいます 

「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」
という 衝撃的なお言葉が出て来る背景を、
「メタ認知」という言葉を使って説明して下さっています。

「メタ認知」とは何でしょうか?
ググってみました。

メタ認知(メタにんち、英:Metacognition)とは、
メタ(高次の)」という言葉が指すように、自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知することである。
メタ認知という概念の定義やその活動は分野によって様々であるが、心理療法認知カウンセリングをはじめ、ものごとや経験に対して正しい理解を行えているかなど、自分の認知行動を正しく知る上で必要な思考のありかたを指すことが一般的である。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>メタ認知

【メタって何?】メタ認知とは? 意味、2つの鍛え方、ビジネスの具体例など

「メタ認知」とは、自分が認知していることを客観的に把握し、制御すること、つまり「認知していることを認知する」ことです。
メタ認知の能力をアップできれば、自分自身を冷静に見られるようになります。
それにより、高い目標の設定やそれを達成する力、問題解決能力などを引き上げることができるでしょう。
ビジネススキルとして非常に有効なため、近年人材育成の観点で注目を集めています。

タレントマネジメントのカオナビカオナビ人事用語集人材育成【メタって何?】メタ認知とは? 意味、2つの鍛え方、ビジネスの具体例など より)

「メタ認知」=「認知していることを認知すること」
おやさまは、私たち人間よりも「高次」の魂で、高次の視点をお持ちであられる。
すなわち、メタ認知力が無限大。
より高次の視点から眺めると、そもそも、人間の中に、良い人間、悪い人間(悪者)という視点が生まれない。
だから、物を盗った人が悪者で 運よく盗られなかった人が幸運者、という価値観には至らない。
それが、ごく自然に
「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」
という 衝撃的なお言葉が出て来る背景。

そういうことかな、と私は解釈しました。

このご逸話を、私たちの日常にどのように活かせるか

これを、私たちの日常の暮らしに、どういうふうにこれを応用できるかっていう話を、今からします。

人間同士のトラブルに、もう1次元、足してやるんです。
人間同士のトラブルっていうのは、人と人、例えば、おたすけ(する人)とおたすけされてる人、っていう関係でもいいです。

やっぱりね、おたすけしているとね、行き詰まる時があるんです。
…どうしてもご守護いただけない だとか、どうしても思っているようにならない だとか…
ね、そういうことって、皆さんありますよね。これ、当然あります。

で、そこの場面で留まっていたら、これは、絶対解決をしないですね。
それ、1次元 足してやるんですよ。

これ、人間同士がぶつかっている、あるいは、悩んでいる、と。
そこにちょっと、上から見る、つまり「バードアイ」ですね、鳥の目って言い方をします。「バードアイ」っていって、ちょっと俯瞰して見る。上から見てみる。
そうすると、全然違う風景が、そこに見えることがあります。

例えば、なんぼ おたすけに通っても、なかなかご守護がいただけないっていう人がいたとします。
そういう人が、悩んでる。

ところが、そこから一歩抜けて、親の目で見てみると、そのご守護いただけないっていう、そのご守護というのが、実は、人間の都合のご守護である場合があるわけですね。
神様の目から見たら、それは、完全に予定調和なんです。
もぅそれは、現れている姿が、神様の、これがもう結論なんですから。

予定調和の世界なんだけど、そこにどうしても、私たちは、「私たちが期待するご守護」を願ってしまうんですね。
だから、悩みが起こるんだけど、そこにちょっとだけ、親の心を見る、ちょっと「バードアイ」 で、上から見てみる。
(それが)つまり、メタの姿勢を保つ、構えを持つ、ということで、
実はこれが、「アッ、親神様の思いはここなんだ」ということが、何か、こぅ…分かる時があるんですね。

平成14年、『諭達第2号』、真柱様がお出しくださった『諭達第2号』に、こういうお言葉があります。
「成人とは、親の思いに近づく歩みである」
これこそが、私は「メタ」の世界じゃないかと思います。

つまり、こうやって人間同士のトラブルを、
少しずつ、こぅ 上から見て、親はここ(と言って上の方を指さす)ですから、
ちょっとずつ、親に近づいていって、物事を見れるようになるっていうことが、
これが用木としての、人間としての、成人なんじゃないかなって、
それを、真柱様は教えてくださったんじゃないかなって、
私は、これを思い出すたびに、そういうことを、思うんですね。

つまり、おやさまの目から見たら、善も悪もないんです。
全部、子供なんです、これ。

だから、そういう世界で見ておられる「おやさま」ということを私たちが、もう一回考え直した時に、
実は、こういう世界が、全然違う世界に見えていくっていうことが、実はよくあるんです。

【逸話篇の世界を旅する4】39番「もっと結構」講師・茶木谷吉信より)
さまよい人
さまよい人

応用編ですね

今回のご逸話を私たちの生活にどのように活かしていけるか、というお話です。

おやさまは、私たち人間よりも「高次」の魂で、高次の視点をお持ちであられる。
すなわち、メタ認知力が無限大。
それにより、身の周りの現象に対して、目先の損得を超えた、より本質に基づいた反応が、(努力せず)自然と出来る。
より本質に基づいた反応が自然体で出来る人ほど、人生における苦しみは少なくなるし、当然、幸せな人生が送れる、
ということを、このおやさまのご逸話は示している。

とするならば、
私たち低次元の人間に求められるのは、「メタ認知」の力を少しでも高めること。
メタ認知力を高めるとは、認知していることを認知する力を高めること、自分が認知していることを客観的に把握し制御する力を高めること。

そのためには、
「バードアイ」、ものごとを上から見る視点、俯瞰する視点を育てていくことが必要。
バードアイ、俯瞰する視点、
お道ではそれを、親の目、親心、親の目、という言葉で表現したりする。

より人生における苦しみを少なくするため、より幸せな人生が送れるようになるために、
低次元な自分からランクアップしてより高次の視点を持つために、
「メタ認知力」、すなわち、ものごとをより俯瞰することができる力を育てたい。

ものごとを俯瞰する視点は、親の目であり、
メタ認知力を高めるとは、言葉を変えれば、親の心に近付く、という言い方もできる。

そのことを真柱様は、諭達第2号の中で、
「成人とは、親の思いに近づく歩みである」
という言葉で表現してくださった。

茶木谷先生の講義を通して、私は、以上のような学びを得ました。

よくお道の中で、「親の心」に近づこう、という言葉を耳にします。
今までの私には、「親の心に近づく」という言葉に対して、
自分自身のポジションそのままで、親が考えている思いに近づく、
というイメージしかなかったような気がします。

茶木谷先生の講義を聴いて、
「親の心に近づく」というのは、現実の親が考えている思いに近づく云々以前に、
自分自身の魂のレベルを、子どもの低次元なレベルから、親の高次元なレベルへ近づける(高める)、
という意味が込められているのだ、
ということを改めて教えられました。

「親の心に近づく」というのは、
現状の自分のままで、親が考えている思いに近づいていくことではなくて、
自分自身が、「子どもの心」から少しでも「親のような心」に近づいていく(成人していく)、
すなわち、現状の自分のレベルを【卒業】して、自分自身が 親の心のレベルへ成長していこう という意味だ、ということ。
これは、私にとって、とても大きな学びです。

もしかしたら、上記の私の学びは、多くの方にとって「何を今さら」的な学びかもしれません(汗)
しかし、未熟な「さまよい人」初歩的悟りの記録として、正直に記させて頂きました。
ついでに、「バードアイ」に関する茶木谷先生の語りの中で、強い感銘を受けた部分、
自己覚書の意味でも再掲させて下さい。

なんぼ おたすけに通っても、なかなかご守護がいただけないっていう人がいたとします。
そういう人が、悩んでる。

ところが、そこから一歩抜けて、親の目で見てみると、
そのご守護いただけないっていう、そのご守護というのが、
実は、人間の都合のご守護である場合があるわけですね。

神様の目から見たら、それは、完全に予定調和なんです。
もぅそれは、現れている姿が、神様の、これがもう結論なんですから。

予定調和の世界なんだけど、
そこにどうしても、私たちは、「私たちが期待するご守護」を願ってしまうんですね。

だから、悩みが起こるんだけど、そこにちょっとだけ、親の心を見る、
ちょっと「バードアイ」 で上から見てみる。

(それが)つまり、メタの姿勢を保つ、構えを持つ、ということで、
実はこれが、「アッ、親神様の思いはここなんだ」ということが、
何か、こぅ…分かる時があるんですね。

教祖ひながたの中に、悩み苦しみの解決策は必ずある

で、あの~すいません。こんな話を聞きたかったら、コレ(と言って、茶木谷先生の著書『世界たすけに活かすおやさまご逸話』を取り出す)、どうぞ(笑)
これ(著書)にね、何十も、こういう話ばっかり集めたやつを書いてます、ハイ(笑)。ぜひ、お買い求めいただいてですね、別に宣伝するわけじゃないんですけど、ちょっと、勉強の糧にしていただけたらいいかなぁって、実は思っているところです(笑)

今日は、『稿本天理教教祖伝逸話篇』39番「もっと結構」、ということを通じて、そして、私たちにトラブルが起きた時、あるいは、行き詰まった時に、どういう考え方をしたらいいのかな、というところまで、ちょっと話を広げて、皆様にお届けをさせていただきました。

私たちの悩みや苦しみ、必ず、おやさまは、「ひながた」にその解決法を残してくださっています。
困った時は「ひながた」を勉強しましょう。
そこに必ず、解決策があります。

【逸話篇の世界を旅する4】39番「もっと結構」講師・茶木谷吉信より)
さまよい人
さまよい人

最後は、お約束の「茶木谷先生キラーフレーズ」で締めくくり 

「困った時はひながたをひも解きましょう そこに必ず解決法があります」

毎回同じ感想ですが、本当に、素晴らしい言葉です。
折に触れ、この【茶木谷フレーズ】思い返したいと思います。

それと、動画の最後で紹介しておられた、
【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズの元ネタとも言える、
茶木谷先生の著書『世界たすに活かすおやさまご逸話』。
私も購入して拝読させて頂きました‼

素晴らしくて、とにかく勉強になる内容でした。
皆さまも、ぜひ一度読んでみて下さい。

今回の動画からの私の学び

father and son walking railway

【「もっと結構」ご逸話からの(さまよい的)学び】

  • 認知の次元を上げよう
  • 認知の次元を上げる=親の心に近づく
  • 親の心に近づこう
  • 「親の心に近づく」という言葉には、自分自身の魂のレベルを、子どもの低次元なレベルから、親の高次元なレベルへ近づける(高める)、という意味が込められている
  • 「親の心に近づく」というのは、現状の自分のままで、親が考えている思いに近づいていくことではなくて、自分自身が、子どもの心から、少しでも親のような心に近づいていく、すなわち、現状の自分のレベルを卒業して、親の心のレベルへ成長していこう、という意味である
  • 成人とは、自分自身が、親の心へと成長していく歩みである

以上、私が視て勉強になった、茶木谷吉信先生による(陽気チャンネル【逸話篇の世界を旅する】動画シリーズ逸話篇の世界を旅する4】39番「もっと結構」講師・茶木谷吉信より)のYouTube動画を【文字起こし】紹介して、そこから自分が学んだことをお届けしました。

最後に もう一度、対象のご逸話、
『稿本天理教教祖伝 逸話篇』39番「もっと結構」を掲載しておきます。

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39「もっと結構」

明治七年のこと。

西浦弥平の長男 楢蔵(註:当時2才)が、ジフテリアにかかり、医者も匙を投げて、もう駄目だ、と言うている時に、同村の村田幸四郎の母こよから、にをいがかかった。
お屋敷へお願いしたところ、早速、お屋敷から仲田儀三郎がおたすけに来てくれ、ふしぎなたすけを頂いた。
弥平は、早速、楢蔵をつれてお礼詣りをし、その後、熱心に信心をつづけていた。

ある日のこと、お屋敷からもどって、夜遅く就寝したところ、夜中に、床下でコトコトと音がする。
「これは怪しい」 と思って、そっと起きてのぞいてみると、一人の男が、「アッ」と言って、闇の中へ逃げてしまった。後には、大切な品々を包んだ大風呂敷が残っていた。

弥平は、大層喜んで、その翌朝 早速、お詣りして、
「お蔭で、結構でございました。」
と、教祖に心からお礼申し上げた。

すると、教祖は、
「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか。」
と、仰せになった。

弥平は、そのお言葉に深い感銘を覚えた、という。

サラッと読むと読み流してしまうような『教祖伝逸話篇』の短いお話も、
茶木谷先生の解説を聞いてから 改めて読み直すと、
また それまでとは違った、深い味わいがありますね。

いや~、本当に勉強になります。
茶木谷先生、ありがとうございます。

これからも、おやさまのご逸話について勉強していきたいと思います。
「困った時はひながたをひも解きましょう そこに必ず解決法があります」
という、茶木谷先生のキラーフレーズを思い返しながら。

ではでは、今回はこのへんで。

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