Dear everyone,
こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。
長丁場の “「おふでさき」を散文で読もう” シリーズも、今回で16回目。
今回も含めて、残り2号となりました。
ラストスパート(?)です。
最後までしっかり勉強したいと思います。
早速、始めたいと思います。
前回は「おふでさき」【第十五号】口語訳を書写しましたので、
今回は【第十六号】口語訳を書写します。
では、いってみましょう。
芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,16
今回は、「おふでさき」【第十六号】の口語訳を書き写します。
「おふでさき」【第十六号】口語訳 書き写し
【第十六号】
(明治十四年四月ヨリ)「今までは、この世を創めた 人間の元なることは、誰も 知るまい。
このたびは、この元なる(真実) をしっかりと、どうか 世界へ みな 教えたい。」
(1~2)「この元 (=元なる真実) は (どういうことか というと)、かぐら両人(が入っている) つとめというのが、これが真実に “この世初まり” (の理 (=守護) を現わすもの) である。
このたびの かぐら (両人) というのは、人間を創め掛けた 親である。
この元 (=元初まり) を知っているものが 居ないので、この真実を みな 教えよう。」
(3~5)「今までも、日々 口説いて、だんだんと (=順序を追って) 言って聞かしたことではあったが、もう今日は、どれ程 月日(=親) が言っても、一れつの心が 分からない(で来てしまった)。
それ故、もう 節(=時節) が来ているから、是非なく (=やむを得ず)、今は「かやし」をする (=胸のそうじをする)。この「かやし」を、ちょっとしたこととは 思うではない。
あっちこっちに 多く見えているぞ。」
(6~9)「この世の 人間を創めた 元なること (=元初まりの真実) を、どこの人でも まだ 知るまい。
このたびは この真実を 世界中へ (=うちも世界も)、どうかしっかり みな 教えたい。しっかりと聞け。
この 元なる(真実) というのは、(まず) くにとこたち(のみこと)さまと をもたり(のみこと)さま (が おいでになったの)である。
このお方が、泥海の 水の中を見澄まして、うをと みとを お傍に 引き寄せられて……。」
(10~13)「このたびの 残念というのは 芯 (=心の底) からである。
これを 晴らす もよう(=段取り・手段) が ないだろうか。
(あれば どんな もよう もする、そして) このことを 神が しっかり引き受ける。どんな「かやし」も すると思え。
この「かやし」が 見えたならば、どこまでも、胸の掃除が ひとりでに できるのである。」
(14~16)「今までは、どんな事も 見許して じっとしていたけれども、今日の日は もう 日が詰んで (=迫って) いるから、どんなこと(について)でも、直ぐに「かやし」をする。
この所 (=お屋敷) に、止める心で 来るならば、そのまま どこへ 月日が出るか 分からない。
出る(という) のも、どんなことか 分からないだろうが、月日は 迎えに出るので、(これを) 承知していよ。今日の日は、もう 十分に (日が)詰んであるから、どのような道があるか 知れないぞ。
世界中 (=うちも世界も) みな 一れつは しっかりしていよ (=油断するな)。
いつ 何どき、月日が 連れに出るか (分からないぞ)。」
(17~22)「今日の日は 珍しいことを 言い掛ける。
何を言うか 誰も 知らない話である。世界では、みな どこまでも 同じ事(をする)。
子供を 片付け(ると言って)、拵え (=支度) をする。どれ程 拵え をしたと言っても、その先 (=将来) どうなるかは、誰も知るまい (=月日には見えている)。」
(23~25)
※24~25は、史実に関するお話である。
中山家においては、秀司先生なきあと 妻 まつゑ様は、遺児 音次郎 (数え年24歳) の縁談のために 苦心して、相当の荷物を 用意された。
音次郎は、明治14年6月 勾田村 村田テイ子方へ 養子に行った。
(「復元」37号28頁)
この話を ここに出されたのは、人間の思惑の 卑小さ、浅はかさ を嘆かれ、月日の思惑 (26) と対比されるため と理解する。
特に、このお話をされるに当たり、「せかいには」(24) と、あたかも 世間話の如く 言われているのも、嘆きの はげしさを 感ぜしめる。
(芹澤茂『おふでさき通訳』P,627)
「月日の方には どんな思惑があるか、(思惑が現われてくる) この道筋については 知っている者はいない。
この先は どのような 夢をみるやら。
文句が変わって、心が 勇む(ようになる)で。
どんなに 珍しい夢をみるやら (わからないが)、これを合図に つとめに掛かれ。」
(26~28)「今日の日は、どんなことも (黙って) 聞いている。
(しかし) いつ何どき 文句が変わる (=事情が変わる) ことやら。どんなことがあっても (=起きてきても)、(人を) 恨むなよ。
皆 めいめい(=各自)の する事(が 元になって出てくるの)である。月日には みな 一れつ (人間) は わが子である。
可愛い一杯に 思っているけれども、めいめいに することばかりは 是非もない (=仕方がない)。
そこで じっくり 見ているのである。」
(29~32)「今日の日は 何にも 知らずにいるけれども、明日の日をみよ、大変な往還の道にな(って、つとめもでき、人も寄)る。
この (往還の)道が 見えてきたならば、(世界に出ても) どのような者でも、叶う者は ないのだ。(そのために) 月日には どんな思惑があるか、この心(の中)は 誰も知るまい。
これ (=思惑の道) が見え掛けた (=見え始めた) ならば、(世界中は) どこまでも 胸の内が ひとりでに 澄み切る(ようになる)。」
(33~36)「これからは、この世 創めて(から) ないことばかり、何もかも 言い掛ける(ので、よく聞け)。
今までは 人の心の真実を、誰でも 知ることのできた者は いないが、このたびは、神が 表へ出ているから、(人の心の内の) どんなことでも みな 教える。
この話は どこのことだとは 言わない。
身の内 (=体) の 障り (=病) で知らせる。」
(37~40)「“こんな事を なんで言うのや” と思うなよ。
可愛い余りに 言うことであるから。どのような事でも、わが身 (=自分) のすることで、(自分のほかは知る者はない と思っても) 神の知らぬ ということはない。
(その心を知らして、きれいな心で暮らせるよう たすけたいと思っている。)それ故、何ごとも 万事 (前もって) ことわって、その上で かかる仕事である(から、承知せよ)。」
(41~43)「今までは、どのような事についても、じっくりと 控えていた(が、これからは 働く)。
しっかり 聞いておけ。今までの話は、何を言っても 聞いたばかりであった。
(しかし) 今日の日は、道は 既に 忙しくなっている (道である)から、どんなことでも 早く 見えてくる。それ故、出かけて (=実現して) からでは どうにもならぬ (故に、ことわっておくのだ)。
そこで、一れつに 思案するように (頼んでおく)。」
(44~47)「今までも 神の口説きは、だんだんと 色々 説いてきたのであるが、どれほど 口説いたとて、誰も 聞き分けがない(というのは、何という) 親の残念(であろう)。
ここまでも (口説いたのは) 容易ならぬ (=大変な) 口説きである。
(それ故) このたびこそは 思案をするよう(に、くれぐれも 言っておく)。この話を 何と思って 聞いているか。
(これは 残念が) 積もり重なった上での 話なのだ。今日の日の 神の残念・立腹は、容易なことではない (=重大である) と思え。」
(48~52)「(ぢば・教祖は、)月日が、無い人間や 無い世界を 創め掛けた時の 親であるのだ。
その所を (=それを)、何も知らない子供に、太鼓 止められた この残念を 見よ。このたびは、この「かやし」を (きっと) するから、みな、どこまでも、承知していよ。」
(53~55)「今日までは、(誰も) 何も知らずにいたが、さあ 見えてきたぞ、えらい (=大変な) 楽しみ(の道)が。
この (楽しみの) 道とは、どんなことか と思うであろうが、世界一れつの 胸の掃除である。このことは、“何の事や” と思っているが、神の残念を 晴らすことである。
この先 (=将来) は、どこの人と (決めては) 言わない(が)、(どんな者も) 胸の内を みな 見ているのである。」
(56~59)「今日からは 月日が出かけるので、その働きは、どんなことをするか 知れない。
今から 月日が 働きをするのは、どこでするのか 誰も知るまい。(月日は) 高山も 谷底までも、世界中 一れつを みな あっちこっちと (働くのである)。
月日が 世界中を働けば (大変なことが起きるが)、この治め方は 誰も知るまい。それ故、この鎮め方を ちょっと知らすから、一れつは 早く 思案をするよう(に、ことわっておく)。」
(60~64)「つとめでも、ほかの事とは 思うなよ、たすけたいとの 一条(ですること)である。
それを知らず、みな 誰でも、だんだんと (年を追って)、なぜか 悪しきなことのように 思っている。
人間は 浅はかなもの であるから、何を言っても、芯を (=本当のところを) 知らないで (ほかのことばかり 思案している)。」
(65~67)「今日までは、どんなことについても、(控えて) 言わなかった。
じっとしていた この 残念をみよ。これからは、神の思惑をする (=実行する) から、どんなことをするか 知れないぞ。
今までは、どんなことも 言ったり思ったり、ままに (=自由に) していたけれど、この先 (=これから先) は 神が支配をするからには、どんなことでも ままには できないぞ。」
(68~71)「人間の眼には 何も 見えていないが、神の眼には みな 見えている。
拵え (=支度した物) を遣るのは しばらく待ってくれ。
泥水の中へ はめる(=落とす) ようなものだ。」
(72~73)
※この史実は、24~25に述べられていたように、音次郎の話である。
人間の思惑によって治めてはいけないので、神の指図通りに、神の思惑に添わなければならない。
今や時旬は、人間思案に流される時ではないので、このような史実を記して、特に注意を喚起された。
(芹澤茂『おふでさき通訳』P,642)
「今までは、どんなことでも (あまり むごいことは) 言わないできた。
今日は 何でも 言わねばならぬ。(よく聞け、)もう今日は、何もかも 見える(ようになる)のだ。
(すなわち) 刻限が来たら、月日は 連れて行く。今日の日は、もう 十分に 詰んで (=日が詰まって)きた。
いつ 何どき、連れに出るやら 知れないぞ。」
(74~76)「連れて行くのも ちょっとのこと ではない。
多く見えるが、誰も 知るまい。(このようにして 神が 世界中で働くとき) どれ程 高い所(の者)と言っても、もう 今日からは 文句が変わるぞ。
芹澤茂著『おふでさき通訳』P,616~645
(旬は 満ちてきているのだから) さあ思案、これから 心を入替えて、思案を 定めないといけない。」
(77~79)
明治十二年に第十四号、明治十三年に第十五号。
そして、明治十四年にこの第十六号を御執筆。
「おふでさき」の後半は、だいたい、一年に一号ずつ御執筆下さっていたのですね。
以上、
芹澤茂著『おふでさき通訳』第十六号、口語訳の書き写しでした。
「おふでさき」【第十六号】の概要
次に、前回まで同様、
「おふでさき」【第十六号】が、全体の中でどういう位置付けなのかを押さえておくため、
及び、「おふでさき」の全体性を見失わないという意識づけのために、
矢持辰三先生著『おふでさき拝読入門』と上田嘉太郎先生著『おふでさき通解』に書かれてある、
「おふでさき」【第十六号】の概略を書き写し、掲げておきたいと思います。
矢持辰三先生著『おふでさき拝読入門』より
【第十六号について】
第十六号は明治十四年四月から記されています。
『教祖伝』によると、この年四月八日(陰暦三月十日)、秀司様が六十一歳で出直されています。
ふでさきでも数回、話題になって、親神の思召に添い切るよう諭され、さもなくば親神が退くとまで言われていましたから、秀司様にとっては覚悟の上のお出直しであったと思うのですが、それだけに何とも言えない切なさが伝わってきます。
約一ヵ月後の五月五日(陰暦四月八日)から、かんろだいの石出しが始まり、中旬までにぎやかに石出しのひのきしんが行われています。
次いで、六月になると、巡査が六人、出張してきて、まつゑ様を尋問し、説諭しています。
九月には、蒸風呂兼宿屋の宿泊者届けが遅れたため、主だった人々が警察に呼び出され、秀司様出直し後の後見役として家事万端の取り締まりに当たっていた山沢良治郎などは手続書をとられ、科料(罰金)に処せられるという事件が起きています。十月には、多数の人々を集めて迷わすとの理由で、教祖はじめ、まつゑ、小東政太郎、山沢良治郎、辻忠作、仲田儀三郎という方々が丹波市分署に拘引され、手続書をとられ科料に処せられています。
この年のある日、教祖は、秀司様とまつゑ様の間に生まれられた、当時五歳のたまへ様に、
「子供は罪のない者や、お前これを頒けておやり」
と仰せられて、赤衣でつくられた紋を、居合わせた人々に頒けさせられました。また、教祖はかねてから、
「こふきを作れ」
と急き込まれていましたが、
この年、山沢良治郎筆「此世始まりの御話控」がまとめられました。
しかし、これでよいとは仰せられませんでした。この年の春以来、かんろだいの石普請は順調に進み、二段まで出来ましたが、秋ごろ、石工の七次郎が突然、いなくなって、石普請は頓挫してしまいます。
そうした中、十二月には、大阪明心組の梅谷四郎兵衞が、大阪阿弥陀池の和光寺へ、初めて教会公認の手続書を提出しましたが、何らの返答もありませんでした。
このように、明治十四年は、かんろだいの石普請とともに、官憲の圧力が加わってくる年で、それが切実に感じられます。
(矢持辰三著『おふでさき拝読入門』P,512~513)
この第十六号は、“秀司様お出直し”という、大きな大きな「節」のあった「明治十四年」に書かれたのですね。
秀司様のお出直し。
それは、中山家にとって、いやそれにとどまらず、お道全体においての支柱ともいえる大黒柱を失ってしまった、ということ。
当時の人々にとってそれは、きっと、とてつもなく大きな衝撃だったに違いないことでありましょう。
特に、教祖のお嘆きはいかほどのものだったことか…
また、この「明治十四年」は、その他にも、官憲取り締まりが強化されたり、神様が待望された「かんろだい石出し」がやっと始まったかと思ったら、同年中に頓挫してしまったり…。本当に激動の年だったのですね。
以上のような、矢持辰三先生の解説を押さえた上で、改めて、第十六号を拝読し直したいものだと思います。
本当に、これまでとは全く違った景色が、一つ一つのおうたの背景に広がってくるように感じられます。
上田嘉太郎先生著『おふでさき通解』より
【第十六号の概要】
まず、元初まりの真実を教えたいと宣べられ、つとめの理に触れつつ、元の神たる月日の理に対応する残る二つの神名を「くにとこたち に をもたりさま や」と明かされる。
続いて、残念を晴らすためのかやしが胸の掃除を促すものであること、さらに残念の例として、つとめの妨害を挙げられる。
また、この道の目指すところを「世界一れつ胸の掃除」と示し、そのために世界を駆け巡って働くと仰せられる。
繰り返し、事態の切迫を告げられる中で、身上を通しての心の成人の急き込み、直ちに返し(かやし)をすること、親神自ら出て働くことなどを宣べられ、その結果、至る所で現れる返しを治める道はつとめ以外にないと、いずれもがつとめの勤修に収斂される段取りであることを示される。
(上田嘉太郎著『おふでさき通解』P,544)
上田嘉太郎先生の解説文の最後に「いずれもがつとめの勤修に収斂される段取りであることを示される」とあります。
「おふでさき』の勉強を通して、親神様は、可愛い子供である人間をたすけるため、本当に、「つとめ」という【秘儀】を地上に作り上げるために精魂傾けておられた、ということを教えられました。
教祖の御苦労は、その「つとめ」という【秘儀】の完成に向かっての「産みの苦しみ」という側面もあったわけですね。
はたして、今、私たちは、そこまでの深い思いを、どの程度感じることが出来ているでしょうか。
私の場合は、正直な話、穴があったら入りたい程です…(汗)
関連動画の紹介
前回まででも紹介してきましたが、
“「おふでさき」を現代文で味わう” という目的を達成する上で非常に役立つ動画、
【ゆっくり天理教 てんちり】チャンネルの
「語り文で聞く『おふでさき』」シリーズ中の、
「おふでさき」第十六号に関係する動画のリンク、
今回も以下に貼っておきます。
(チャンネル主さん、ご了承願います<m(__)m>)
現代訳で聞く、おふでさき16 1~36👇 (https://www.youtube.com/watch?v=D79KWfNcUUM)
現代訳で聞く、おふでさき16 37~79👇 (https://www.youtube.com/watch?v=u9DULA5kI00)
改めて「おふでさき」【第十六号】を散文で読む(括弧書きも外して)
これまでの当シリーズ同様、
「おふでさき」を散文で味わうという目的をより確実なものとするために、
芹澤茂先生の口語訳文、著作内で記されていた括弧や番号等すべて外し完全な「散文」にしたものを、最後に置いておきます。
「おふでさき」【第十六号】散文(芹澤茂先生訳)
「おふでさき」【第十六号】口語訳(芹澤茂先生)
(明治十四年四月より)
今までは、この世を創めた 人間の元なることは、誰も 知るまい。
このたびは、この元なる真実 をしっかりと、どうか 世界へ みな 教えたい。
この元 (=元なる真実) は どういうことか というと、かぐら両人が入っている つとめというのが、これが真実に “この世初まり” の理 (=守護) を現わすものである。
このたびの かぐら 両人 というのは、人間を創め掛けた 親である。
この元 (=元初まり) を知っているものが 居ないので、この真実を みな 教えよう。
今までも、日々 口説いて、だんだんと (=順序を追って) 言って聞かしたことではあったが、もう今日は、どれ程 月日(=親) が言っても、一れつの心が 分からないで来てしまった。
それ故、もう 節(=時節) が来ているから、是非なく (=やむを得ず)、今は「かやし」をする (=胸のそうじをする)。
この「かやし」を、ちょっとしたこととは 思うではない。
あっちこっちに 多く見えているぞ。
この世の 人間を創めた 元なること (=元初まりの真実) を、どこの人でも まだ 知るまい。
このたびは この真実を 世界中へ (=うちも世界も)、どうかしっかり みな 教えたい。
しっかりと聞け。
この 元なる真実 というのは、まず、「くにとこたちのみこと」様 と「をもたりのみこと」様 が おいでになったのである。
このお方が、泥海の 水の中を見澄まして、うをと みとを お傍に 引き寄せられて……。
このたびの 残念というのは、芯 (=心の底) からである。
これを 晴らす もよう(=段取り・手段) が ないだろうか。
あれば、どんな もよう もする、そして、このことを 神が しっかり引き受ける。
どんな「かやし」も すると思え。
この「かやし」が 見えたならば、どこまでも、胸の掃除が ひとりでに できるのである。
今までは、どんな事も 見許して じっとしていたけれども、今日の日は もう 日が詰んで (=迫って) いるから、どんなことについてでも、直ぐに「かやし」をする。
この所 (=お屋敷) に、止める心で 来るならば、そのまま どこへ 月日が出るか 分からない。
出るというのも、どんなことか 分からないだろうが、月日は 迎えに出るので、これを 承知していよ。
今日の日は、もう 十分に 日が詰んであるから、どのような道があるか 知れないぞ。
世界中 (=うちも世界も) 皆 一れつは しっかりしていよ (=油断するな)。
いつ 何どき、月日が 連れに出るか 分からないぞ。
今日の日は 珍しいことを 言い掛ける。
何を言うか 誰も 知らない話である。
世界では、皆 どこまでも 同じ事をする。
子供を 片付けると言って、拵え (=支度) をする。
どれ程 拵え をしたと言っても、その先 (=将来) どうなるかは、誰も知るまい (=月日には見えている)。
月日の方には どんな思惑があるか、思惑が現われてくる この道筋については 知っている者はいない。
この先は どのような 夢をみるやら。
文句が変わって、心が 勇むようになるで。
どんなに 珍しい夢をみるやら わからないが、これを合図に つとめに掛かれ。
今日の日は、どんなことも 黙って 聞いている。
しかし、 いつ何どき 文句が変わる (=事情が変わる) ことやら。
どんなことがあっても (=起きてきても)、人を 恨むなよ。
皆 めいめい(=各自)の する事が 元になって出てくるのである。
月日には みな 一れつ 人間 は わが子である。
可愛い一杯に 思っているけれども、めいめいに することばかりは 是非もない (=仕方がない)。
そこで じっくり 見ているのである。
今日の日は、何にも 知らずにいるけれども、明日の日をみよ。
大変な往還の道になって、つとめもでき、人も寄る。
この 往還の道が 見えてきたならば、世界に出ても、 どのような者でも、叶う者は ないのだ。
そのために、 月日には どんな思惑があるか、この心の中は 誰も知るまい。
これ (=思惑の道) が見え掛けた (=見え始めた) ならば、世界中は どこまでも 胸の内が ひとりでに 澄み切るようになる。
これからは、この世 創めてから 無いことばかり、何もかも 言い掛けるので、よく聞け。
今までは 人の心の真実を、誰でも 知ることのできた者は いないが、このたびは、神が 表へ出ているから、人の心の内の どんなことでも 皆 教える。
この話は どこのことだとは 言わない。
身の内 (=体) の 障り (=病) で知らせる。
“こんな事を なんで言うのや” と思うなよ。
可愛い余りに 言うことであるから。
どのような事でも、わが身 (=自分) のすることで、自分のほかは知る者はない と思っても、神の知らぬ ということはない。
その心を知らして、きれいな心で暮らせるよう たすけたい と思っている。
それ故、何ごとも 万事 前もって ことわって、その上で かかる仕事であるから、承知せよ。
今までは、どのような事についても、じっくりと 控えていたが、これからは 働く。
しっかり 聞いておけ。
今までの話は、何を言っても 聞いたばかりであった。
しかし 今日の日は、道は 既に 忙しくなっている 道であるから、どんなことでも 早く 見えてくる。
それ故、出かけて (=実現して) からでは どうにもならぬ 故に、ことわっておくのだ。
そこで、一れつに 思案するように 頼んでおく。
今までも 神の口説きは、段々と いろいろ 説いてきたのであるが、どれほど 口説いたとて、誰も 聞き分けがないというのは、何という 親の残念であろう。
ここまでも 口説いたのは、 容易ならぬ (=大変な) 口説きである。
それ故、このたびこそは 思案をするように、くれぐれも 言っておく。
この話を 何と思って 聞いているか。
これは、 残念が 積もり重なった上での 話なのだ。
今日の日の 神の残念・立腹は、容易なことではない (=重大である) と思え。
ぢば・教祖は、月日が、無い人間や 無い世界を 創め掛けた時の 親であるのだ。
その所を (=それを)、何も知らない子供に、太鼓 止められた この残念を 見よ。
このたびは、この「かやし」を きっと するから、皆 どこまでも、承知していよ。
今日までは、誰も 何も知らずにいたが、さあ 見えてきたぞ、えらい (=大変な) 楽しみの道が。
この 楽しみの 道とは、どんなことか と思うであろうが、世界一れつの 胸の掃除である。
このことは、“何の事や” と思っているが、神の残念を 晴らすことである。
この先 (=将来) は、どこの人と 決めては 言わないが、どんな者も 胸の内を 皆 見ているのである。
今日からは 月日が出かけるので、その働きは、どんなことをするか 知れない。
今から 月日が 働きをするのは、どこでするのか 誰も知るまい。
月日は、高山も 谷底までも、世界中 一れつを 皆 あっちこっちと 働くのである。
月日が 世界中を働けば 大変なことが起きるが、この治め方は 誰も知るまい。
それ故、この鎮め方を ちょっと知らすから、一れつは 早く 思案をするように、ことわっておく。
つとめでも、ほかの事とは 思うなよ、たすけたいとの 一条ですることである。
それを知らず、みな 誰でも、段々と 年を追って、なぜか 悪しきなことのように 思っている。
人間は 浅はかなもの であるから、何を言っても、芯を (=本当のところを) 知らないで、ほかのことばかり 思案している。
今日までは、どんなことについても、控えて 言わなかった。
じっとしていた この 残念をみよ。
これからは、神の思惑をする (=実行する) から、どんなことをするか 知れないぞ。
今までは、どんなことも 言ったり思ったり、ままに (=自由に) していたけれど、この先 (=これから先) は 神が支配をするからには、どんなことでも ままには できないぞ。
人間の眼には 何も 見えていないが、神の眼には みな 見えている。
拵え (=支度した物) を遣るのは、しばらく待ってくれ。
泥水の中へ はめる(=落とす) ようなものだ。
今までは、どんなことでも、あまり むごいことは 言わないできた。
今日は、何でも 言わねばならぬ。
よく聞け、もう今日は、何もかも 見えるようになるのだ。
すなわち、刻限が来たら、月日は 連れて行く。
今日の日は、もう 十分に 詰んで (=日が詰まって)きた。
いつ 何どき、連れに出るやら 知れないぞ。
連れて行くのも、ちょっとのことではない。
多く見えるが、誰も 知るまい。
このようにして 神が 世界中で働く時、どれ程 高い所の者と言っても、もう 今日からは、文句が変わるぞ。
旬は 満ちてきているのだから、さあ思案、これから 心を入替えて、思案を 定めないといけない。
以上、
芹澤茂著『おふでさき通訳』【第十六号】口語訳を書写した、
「おふでさき」【第十六号】の散文でした。
「おふでさき」口語訳の書写シリーズ。
毎回、最後に記述しておりますが、
散文化して終わりでは意味がなくて、むしろ、それはスタート。
散文化した後、天理教原典である「おふでさき」の「全体像」がよりイメージできるように、
折に触れて何回も読み返すことが肝要なのだと思います。
教祖百四十年祭に向かう「三年千日」年祭活動期間の旬。
機会を見つけて読み返し、少しでもそこに籠められた神様の思いを感じることが出来るようになるよう、自分なりに努めたいと思います。
ということで――
今回の「彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】」は、
「芹澤茂著『おふでさき通訳』【第十六号】を散文で味わう」
という学びの記録でした。
長丁場のこのシリーズも、次回「第十七号」がようやく最終号になります‼
もう一頑張りします(笑)
人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。
ではでは、今回はこのへんで。
コメント