「おふでさき」【第十七号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,17

「『おふでさき』【第十七号】を散文で読む」アイキャッチ画像 おふでさき口語訳

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

本年(2023年)、2月4日からスタートした“「おふでさき」を散文で読もう”シリーズ”

前回までで16回分。
並べてみると、壮観ですね。
(単に長いだけ!?)

芹澤茂先生の『おふでさき通訳』の書き写しを、
毎回、同じフォームで繰り返すだけの記事…

“一体、今、どこをやっているんだ!? ”
書写している本人ですら、そのように感じられるような記事の連続。

このような記事に「意味はあるのか?」
…心が揺れることもしばしばありました。

迷いつつも—―、
開始後、4ヶ月を経て、
今回、ついに、「おふでさき」最終号を迎えました‼

17回も同じような記事が続いて、
正直「おなか一杯」(笑)
という感じですが、
私的には、
途中で挫折することなく、何とか、無事に最後までたどり着くことができて有難いこと…
と、非常に喜んでおります。

当シリーズ初回でも記述したのですが、
芹澤茂先生『おふでさき通訳』の「口語訳文」を書写するという今回の企画、
世の中的にはどこにもニーズはなさそうです。

しかし、
何と言っても当ブログはあくまで【自己学習ノート】であり、
このたびの企画は、
私自身に “誰かが見るかもしれないという緊張感”を与えて、
私の「怠け心」にブレーキをかける、
という点を大いに期待した企てなのであります…(汗)

そういう意味で、
今回の“「おふでさき」を散文で読もう”シリーズ”
私的には、初期の目的を達成することが出来たかなぁ…と思っています。

能書きはそれくらいにしておきましょう(笑)

それでは、「おふでさき」最後の号【第十七号】の口語訳書き写し、始めたいと思います。

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芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,17

write text on white printer paper

今回は、「おふでさき」【第十七号】の口語訳を書き写します。

「おふでさき」【第十七号】口語訳 書き写し

【第十七号】
(明治十五年)

(御執筆年代は明治十五年) 

「今までは、何の(ための) 道か 知らなかった(であろう)が、今日から先は 道が分かる(ようになる)。
この道は、どういうことか と思っているが、かんろだいの一条 ということである。」
(1~2) 

「このだい (=かんろだい) をどういうことに思っているか。
これは にほんの 大事な宝である。

これ(=かんろだいの意義)を 皆の者は、何と思っているか。
この 元なること (=元のいんねん) は (何であるかを) 誰も知るまい。

このたびは この元なることを、真実に どうかして 世界中へ みな 教えたい。

 この元(を言えば、かんろだいの立つ この ぢば)は、(元初まりにおいて) いざなぎ (=父親の雛形である魚〘うを〙)と いざなみ (=母親の雛形である巳〘み〙) の 身の内の 本真ん中で(あった所)である。

その所で、世界中の人間は 皆、その ぢばにおいて、創め掛けたのである。
(それ故、) そのぢばは 世界一れつ(にとっては )どこまでも、これは “にほんの故郷” である。」
(3~8) 

「人間を創め掛けた (という)証拠に、かんろだいを 据えておく(ことにする)。
この台が、みな 揃いさえしたならば、どんなこと (=願い事) でも 叶わないことはない。

それまでに(なるには、まだまだ) 世界中を どこまでも、胸の掃除を しなければならない。」
(9~11) 

「この掃除は、どこに(も) 隔てはない (=平等である) ので、(ひとりひとりの心を) 月日が 見分けている と思うがよい。
月日は、どんな所にいる (=暮らしている) 者でも、心次第に みな 受けとる。

今までは、どんな心でいたとしても、一夜の間にも 心を入替えよ。
真実に 心をすっきりと 入替え(て、真実の心にな)れば、それ (=その心)も 月日は すぐに受けと(って たすけ)る。

月日にとっては、世界中(の人間)は みな わが子(であり)、可愛い一杯 (という心)、これ 一条である。」
(12~16) 

「今までは、どんな者でも (人間の) 胸のうち (=心) を知った という者は いないに違いない。
(しかし) このたびは、どんな所に (=高い所や 遠い所に) 居る者でも、胸のうちを みな 言って聞かせる(ようにする)。

これまでは、壁一重 隔てたなら、何を言っても ちょっとも 知れまい(と 思っていただろうが、その心を 神が 指図して よふぼくから言わせる)。

(このように) 今日からは、横目をつかう間もない程 (=短い時間) に、夢を見たように、(月日は) 何をするやら (わからぬぞ)。
(17~20) 

「今までの 月日の残念 というものは、なかなか (=とても) ちょっとのことではない(が、それが 晴れる日は 迫っている)。
今日までは 何も 知らずにいたけれど、さあ、えらい (=大変な) 本道が 見えてきた。

この道を 早く見たくて 急込んできた。
(この道についたなら) さあ これからは、陽気づくめである。

 この話は、何のこと(を言っているのか) と思っているのであろうが、筆の先 (=筆の先に記したこと) が見えてきたなら (ということである)。」
(21~24) 

「今までは、どのようなことも (黙って) 聞いていたが、このたびこそ 残念を晴らす。

この 晴らしを、どういうことに 思っているか。
いつ 何どき、どこで、(月日が) しりぞく (=守護がなくなる)か 分からぬ。」
(25~26) 

「これまでの 長い道中の この残念は、ちょっとのことではない と思え。
これからは、この「かやし」をするから、みな 一れつ (誰でも) 承知していよ (=覚えておくがよい)。

世界中 どこの者とも言わず (誰でも)、みな 月日は しっかり見ている。
どんなことを言っても、思っても、月日が知らぬ ということはない(ので、月日は 心を受けとって 善悪共に みな かやす)。

この先は どんなことをするにも、月日は 前もって ことわって (=予告して) おく。」
(27~31) 

「これからは、月日の 残念が出たならば、どのような事があるか 知れない。

今日の日は、どんなことも (現われてくる日が) 詰んできた (=期限が迫った)。
神の残念を 晴らす (旬である)。
(現われてくるのを) 見守っていよ。」
(32~33) 

「今までは、この世を創めた (場所・)人間の元である ぢばは、誰も 知らなかった。
このたびは、この真実 (=真実のこと)を 世界中へ、どうか しっかりと教えたい。

それ故、(このぢばで) かんろだいを 初めたのは、(ここが) 本元の所であるからなのだ。
このことを初め掛ける というのも (=理由も)、世界中を たすけたいからである。

それなのに、これを何も知らない子供に取払われたこの残念というのは……。」
(34~38)  

「しかと聞け。
この先には、どのような「かやし」があるやら 知れないぞ。
月日が この (かやし をしようとする) 残念というものは、なかなか ちょっとの事では ないぞ。

「かやし」でも、ちょっとの事 とは思うな。
どんなことを 月日はするか 分からぬ。

この話を、皆の者は 何と思って 聞いているか。
神の残念は えらい (=大変な) ことである。」
(39~42) 

「今までは どのような道も、だんだんと 通り抜けては きたけれども、もうちょっとの 刻限が 来ていない故に、じっとしていた。

しかし、今日の日は、もう 十分に (日が)詰んで (=詰まって) きた。
刻限が来たなら 直ぐにかやすぞ。

この日 というのは、いつのことと 思っているか。
二十六日が来たことなら。

それからは、何でもかでも 真実の (=本当の) 心を、それぞれ みな 現わ(して 掃除)する。

“こんなこと (=かやしをすること) を なぜ言うのか” と思うな。
(月日は 人間が) 可愛いあまりに、言うのである。」
(43~48) 

「月日には、世界中の子供は、可愛い とばかり思っている。
それ故に、世界中をどこまでも、胸の掃除をし(て、陽気ぐらしを させ)たいのである。

この掃除を、どういうことに 思っているか。
(掃除するのも) たすけだけを 思っているのだ。

たすけといっても、(その場 その時の) あしきを直すことだけではない。
(これまでにない) 珍しいたすけを (見せたいと) 思っているのに。」
(49~52) 

「このたすけを、どういうことに 思っているか。

(月日は 人間が) “病まず・死なず・弱りなきように” (暮らすことのできるように 守護したい)。
こんなことは 今まで どこにもない事である。
この証拠を知らしたい ということである。

(これは) これまでは どこを尋ねても ないことである。
このたび (これを) 神は 初めたかったのである。」
(53~55) 

「今日までは、どんな道であるか 知らなかった(であろう)。
これから先 (=将来) は、道を知らす。

この道は、どういう事に思うか、月日の 残念一条の道である。」
(56~57) 

「この残念は 何のことと思うか。
かんろだいが 第一の残念である。

この (月日の) 残念は ちょっとのことではないので、どんな「かやし」を 月日がするか (わからない)。
どのようなことがあっても (=起きてきても)、うらみに思うな。

皆 めいめいに (=自分で)しておいた(ものが 芽を吹いた)のである。
この先は、世界中は どこまでも、高山においても、谷底までも (月日はでかける)。

これからは、世界中は 一れつに、だんだんと (=順序を追って) 胸の掃除をすると思え。
この掃除を、皆の者は 何と思うか。

(この掃除をせねばならぬ) 神の心(はどんな心か) を、誰も知るまい。」
(58~63)

「月日には どんな残念(に思うこと)があっても、今までは じっと 見許していた。
さあ 今日は、日も 十分に詰んで (=詰まって) きた(ので)、何でも(かでも)「かやし」をせずには おられない。

この「かやし」を 何のことか と思っているが、神の残念(から) ということだけである。
この残念は、ちょっとのこととは 思うな。
積もり重なった上のことである。」
(64~67)

 「月日には 世界中(の人間)は 皆 わが子である。
可愛い一杯に 思っているけれど、それを知らず、みな 一れつは、めいめいに、ほこりばかり 思案している。

この (ほこりにまみれ、いんねんに苦しむ子供をみている) 心、(親である) 神の残念(の心)を 思ってみてくれ。
どうも なんとも 言うに言われない。」
(68~70)

 「今までのような事は (もはや) 言わない。
これから先は 悟りばかりである。

この先は 何を言うか 知れないが、(これまで言った事を よく聞き分けて、) どうか しっかり思案して (悟って)くれ。」
(71~72)

「里/\、田音/\、平様/\。
この話は、合図立て合いが 出たならば、(何のことか わかるようになるが、) 何についても、みな この通りである。」
(73~74)

※「里」とは前川家(教祖の生家)を、
「田音」とは田村の田甚の分家(村田家)に養子に行った音次郎(秀司先生の子息)を、
「平様」とは平等時村の小東家(まつゑ様の実家)のこと
と伝えられる。
(当時人々はそのように呼んでいたのであろうか。)

このことについては、おさしづに
「三つの 知らしてある処」(二〇・松村栄治郎へ指図)
「三つの 立てやい 筆に知らし」(二三・六・二一)
などと言及されている。

この三つの家について、
合図立て合いということを教えておく故、よく注意していよ、
と言われたのである。
予言とも言えないことはない。

これは、
親神の言われたことは必ず実現するのであるということを納得させようとされたもの、
と理解する。

(芹澤茂『おふでさき通訳』P,677) 

 「これをば、みな 一れつは 心に しっかり思案するよう、頼んでおく。」
(75)

芹澤茂著『おふでさき通訳』P,646~677
さまよい人
さまよい人

明治2年からご執筆が始まった「おふでさき」。
今回勉強する最終号「第十七号」は明治15年に書かれたとのことですので、
おやさまは、足掛け13年の長きにわたってご執筆し続けて下さったのですね。


このたび、芹澤茂先生の「おふでさき」口語訳をすべて書写するという自己学習を終えて、
あらためて、おふでさき最後のおうた「これをはな 一れつ心 しあんたのむで」を拝読すると、これまでとは違った、深い重みが感じられるようです。

以上、
芹澤茂著『おふでさき通訳』第十七号、口語訳の書き写しでした。

「おふでさき」【第十七号】の概要

「No,17」の文字

次に、前回まで同様、
「おふでさき」【第十七号】が、全体の中でどういう位置付けなのかを押さえておくため、
及び、「おふでさき」の全体性を見失わないという意識づけのために、
矢持辰三先生著『おふでさき拝読入門』と上田嘉太郎先生著『おふでさき通解』に書かれてある、
「おふでさき」【第十七号】の概略を書き写し、掲げておきたいと思います。

矢持辰三先生著『おふでさき拝読入門』より

【第十七号について】

最後の第十七号は、明治十五年ごろに記されていされたと推定されます。

その理由は、明治十五年 五月十二日 (陰暦三月二十五日)、二段まで出来ていたかんろだいの石が、警官によって没収されたのですが、
その史実を通して親神の残念な思いが、三八 のお歌に述べられているからです。

明治十五年は、かんろだいの石没収に代表されるように、迫害・干渉の厳しい年で、
教祖が思召されるたすけ一条の道の実現は、容易ならない状況になって、
おふでさきでは、「ざんねん」「かやし」「はらし」という言葉が強い調子で出されています。

もう一つ、注目すべきことは、
四六のお歌に、「廿六日がきたる事なら」と記されていますが、
この “廿六日” は 明治二十年 陰暦正月二十六日 を指されているということです。

第三号に、
十一に 九がなりなりて しんわすれ
正月廿六日をまつ  (三 73)

という、明治七年に記された と推定されるお歌がありましたが、
この “廿六日” と同じ意味であろうと思います。

第三号では、これからの道の割り方(段取り)について予告され、
明治二十年 陰暦正月二十六日 までにかんろだいを据え、人衆がそろってつとめができる用意をしておくように と諭されました。

その日を期して、珍しい自由自在のたすけが証拠となって、世界にたすけ一条の道が進められる。
いわば、明治二十年 陰暦正月二十六日 は 記念すべき 門出の日になるのだ と述べられていました。

しかし、そのかんろだいは 二段まで出来て頓挫し、しかも 警察の手によって取り払われました。
それでも、たすけ一条の道は進めていくのだ と、かんろだい完成と つとめの急き込みの意義が 詳しく説かれています。

おさしづを拝しますと、
 どうも 思わくは立たん。思わく立たんから、扉開いた 順序なりたる。
(明治31・7・14夜)

と示され、どうも 親神の思惑どおりに たすけ一条の 道の段取りが 進んでいかないから、月日のやしろの扉を開いて、すなわち、教祖が 御身を隠して、世界たすけに出たのだ と言われています。

また、
 長い間の処にて どんな事も だん/\ 仕込もうと思えども、そこまで行かなんだ。そこで 一つ道を変えた。
(明治24・1・23)

こう 述べられ、長い時間をかけて、をやの思いを だんだんと仕込もうと思ったけれども、それを受け入れ、実行するところまで 子供が成人しなかったから、やむを得ず 道を変えた、と示されています。
「一つ道を変えた」とは、教祖が お姿を隠されることを 一つには 意味しているように思います。

また、そうした子供の姿から、教会という 一つの 応法の道をつけて、神一条に導いていく という 道の変更とも 受け取れます。

さらに、
百十五才まで寿命定めた。なれど、どうもならん/\から、年限を縮めて治まった。
(明治26・12・16)

と述べられ、教祖は 百十五歳まで寿命を保って、子供たちを仕込もうと思ったが、どうにも道の段取りが進まないので、やむなく 二十五年の寿命を縮め、今度は 姿の見えない「存命の理」をもって 導いていくことになった、と示されています。

教祖は、「百十五才になったら盃をしてかくれる」とおっしゃっていたのに、寿命を二十五年縮めて、九十歳で 現身を隠され、その後は、姿は見えないが、存命のまま 守護されることになったのです。

しかしながら、おふでさきに書かれた思惑については、少しも変更はありません。
時間はかかるが、教祖は存命のまま働きながら、人間を陽気ぐらしの世界に導いていく、という方向づけが示されている と拝します。

(矢持辰三著『おふでさき拝読入門』P,536~538)
さまよい人
さまよい人

矢持辰三先生の「おふでさき」各号ごとの解説。
今回は、第十七号=最後の号ということもあってか、今まで以上に長文で、強い思いのこもった「熱い文章」でしたね。

矢持辰三先生の解説を通して「おふでさき」ご執筆当時の時代背景を知り、そのことで、より「おふでさき」の理解を深めることが出来ます。


このたびの「おふでさき」口語訳書写を通して、おふでさきを本当に味わうためには、ご執筆当時の時代背景を知ることが絶対不可欠である、ということが、本当によく分かりました。

上田嘉太郎先生著『おふでさき通解』より

【第十七号の概要】

第十七号の概要】

まず、この道は「かんろだいの一条の事」と、道の次第が かんろだいの建設 に集約されることを示され、次いで、ぢば・かんろだいの意義に触れられる。

さらに、かんろだいの完成に先立って なされるべきとして、「世界中の胸の掃除」に話を進め、親神による 銘々の 心の見分け、受け取り、また、心の入れ替えに 言及される。
この胸の掃除も 子供たすけたい 一念からであること、そのたすけというのも「めづらしたすけ」を目指すものであることを表明される。

一方、銘々の ほこりの思案から来る 親神の残念と その返し、そして、かんろだいの取り払いに際しての容易ならん残念 返しを述べて、強く 残念を晴らす旨を 仰せ出される。

この間には、陽気づくめに続く 本道の近いこと、また、事態の切迫、一れつ 子供かわいい親心を 繰り返し述べられる。

『おふでさき』を 擱筆(かくひつ) されるに際して、今後は、これまで教えたことに基づき、神意を悟り、よく思案をするように と結ばれる。

(上田嘉太郎著『おふでさき通解』P,571~572)
さまよい人
さまよい人

上田先生の解説を拝読して、「おふでさき」最後の号で、この道は「かんろだいの一条の事」と、改めて、道の次第が「かんろだいの建設」に集約されることを示されていることを教えて頂くことが出来ました。

芹澤茂先生の「おふでさき」口語訳をすべて書写するという自己学習を通して、神様は、「おふでさき」の中で、一貫して、人類救済計画の大きな柱が「かんろだい建設」であり、それを囲んで行う秘儀「かぐらづとめ」こそが、そのための具体的な方法論であるということを教え続けて下さっていたのだ、ということを、改めて学ぶことが出来ました。

関連動画の紹介

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前回まででも紹介してきましたが、
“「おふでさき」を現代文で味わう” という目的を達成する上で非常に役立つ動画、
【ゆっくり天理教 てんちり】チャンネルの
語り文で聞く『おふでさき』」シリーズ中の、
「おふでさき」第十七号に関係する動画のリンク、
今回も以下に貼っておきます。
(チャンネル主さん、ご了承願います<m(__)m>)

現代訳で聞く、おふでさき17  1~33👇 https://www.youtube.com/watch?v=jaAq3L3szDQ

【ゆっくり天理教 てんちり】現代訳で聞く、おふでさき17  1~33)より

現代訳で聞く、おふでさき17  34~75👇 https://www.youtube.com/watch?v=H-O-a_zZfbc

【ゆっくり天理教 てんちり】現代訳で聞く、おふでさき17  34~75)より

芹澤茂先生「おふでさき通訳」口語訳の書写を終えて

sunset with Mother and Daughter

今まで見えていなかった「おふでさき」の景色の見え方が広がることを期待して、「おふでさき」を散文で読み物風に通して読んでみたい。
そのような思いから、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』の「おふでさき」口語訳文を【通して】記載する、ということを、本年(2023年) 2月4日からスタートしました。

題して、“「おふでさき」を散文で読もう”シリーズ”。

正直なところ、途中、中だるみしたような部分が多々ありましたが、
とにもかくにも、「おふでさき」の芹澤茂先生「口語訳」、何とか最後まで書き写すことができました。

当ブログの目的=『自己満足』。
それは達成できたと思っています…(笑)

さて、芹澤茂先生の『おふでさき通訳』の口語訳文を「通して」記載し終えましたので、
完遂記念(?)に、ちょっとばかり、
書き写し終えた今、印象に残ったこと、思うこと等を、
思いつくままに記述しておきたいと思います。

芹澤茂先生の「おふでさき」口語訳文書写を通して、私の中で強く印象に残ったのは、
神様の、強い強い「もどかしさ」「残念さ」でした。

そのことは、少し前のところで既に書き写している、
矢持辰三先生による「おふでさき」第十七号の解説文。
それを通して、改めて、強く心に刻まれたことでもあります。

該当部分を以下に再掲します。

「(神様は)長い時間をかけて、をやの思いをだんだんと仕込もうと思ったけれども、それを受け入れ、実行するところまで子供が成人しなかったから止むを得ず道を変えた。
おやさまは百十五歳まで寿命を保って子供たちを仕込もうと思っていたが、どうにも道の段取りが進まないので、やむなく二十五年寿命を縮めて、今度は姿の見えない『存命の理』をもって導いていくことにした。
と(おふでさきの中で)示されています。」

矢持先生の解説文中のその部分を拝読して、
確かに、「おふでさき」後半は「ざんねん」というお言葉のオンパレードだったなぁ…
というのを改めて感じさせられたのでした。

お道(天理教)では、
人間は、仲良く楽しく暮らすのを見て共に楽しみたいとの思いから神様によって創られたもの、
と教えられています。

ですから、本来は、優劣や高低などなく平等で、兄弟のようなものであるはずの「人間」。
それが、本来の姿を見失って、いがみ合い罵り合い、憎しみ合っている、今の世界。

そのような、今の世界の姿は、神様にとって、どれほど残念な姿でありましょう。

そのことは、これまでも、折々の教話や、諸先生方のお仕込みを通して、何となく理解していたつもりでした。

しかし、私は、このたびの「おふでさき」口語訳文の書写を通して、
その「残念さ」というのは、私たち人間が想像している以上に、「遥かに」強く激しいものである、
ということを感じました。

それは、可愛さ余って憎さ百倍…じゃないけれど、
人間が可愛い、子供が可愛い、という気持ちが、本当に、とてつもなく強いが故に、
「残念な思い」もその分大きいということなのだ、
ということが、
未熟な私にまでも(未熟なレベルで)伝わってきた気がしています。

このたびの「おふでさき」口語訳文書写という自己学習を通して感じた、そのような学び。
今は教祖百四十年祭に向かう三年千日の尊い旬だと聞かせてもらっておりますし、
今後は、神様に向き合うにあたって、それを、大いに活かしていきたいと思っています。

making a circle on the beach in the daytime on the left hand side and looking at the sun

やや話が脱線しますが、
今回のシリーズで大変お世話になった【ゆっくり天理教 てんちり】チャンネルさんの
語り文で聞く『おふでさき』」シリーズ中の
天理教の「おふでさき」って、なぁーに?
という動画の中に、以下に記すような会話がありました。

私の中で印象に残る内容でしたので、覚え書き的な意味で記載することをお許し願います。
(動画1:37~4:30)

「四国めたん(キャラクター名): おふでさきは、おやさまが、明治2年から15年にわたって、ご自分で書かれたものです。

「ずんだもん(キャラクター名): 教祖、自らの執筆か。それはなかなか価値があるぞ。

「四国めたん」: はい! 大変価値のあるものですが…

「ずんだもん」: が?

「四国めたん」: 日本が軍国主義の時は、内容が国の方針と合わない、という理由から、長らくお蔵入りとなっておりました。

「ずんだもん」: あの 天皇陛下バンザイ‼ の時代だな。

「四国めたん」: はい、「バンザイ、なしよ」の内容というか… 結構、ケンカを売ってる内容です。

「ずんだもん」: それはヤバイのだ。隠さないと、大変なのだ。

「四国めたん」: それで、天理教本部では、怖いから、燃やしてしまった事になっていたとか…

「ずんだもん」: それは、頭が良いのだ。

「四国めたん」: 戦争に負けたおかげで、「バンザイ、なしよ」と言っても怒られない時代になったので、やっと 日の目を見る事が出来るようになったのです。

「ずんだもん」: それは、バンザイなのだ。

「四国めたん」: でも、長らくお蔵入りだったために、今でも、あまり読んでもらえてないのが、実情なのです。

「ずんだもん」: それは、残念なのだ。

「四国めたん」: 若い人は、読んだ事もないとか、結構、存在感が薄いのです。

「ずんだもん」: なぜ?そんなに薄いのだ。『教祖の直筆』なのに、おかしいのだ。

「四国めたん」: 一応、天理教では、三大原典のひとつなのですが、天理教の人は、原典より、偉人伝や、体験談、エッセイの方が 好きな傾向みたいですね。

「ずんだもん」: 要するに、あまり勉強は好きではない、という事だな。

「四国めたん」: おふでさきは、明治時代の 大和方言の和歌で書かれていますので、なかなか、現代人には、読むだけでも難しいのです。
でも、不思議と、慣れるとスラスラ読めるものなので、意味は分からなくとも、読むだけは 皆 している、みたいですね。

「ずんだもん」: 読むだけなら、出来るのだ。

「四国めたん」: だから、天理教の信者さんにとっては、『般若心経』みたいなものなのでしょうか。 あれよりは、はるかに簡単ですけど…

「ずんだもん」: 読むだけでも、偉いのだ。

「四国めたん」: おふでさきの内容が、『おやさまの直筆』ゆえに、結構、厳しい言葉や、誤解をまねく表現が多いのも、敬遠されている理由かも知れませんね。

【ゆっくり天理教 てんちり】天理教の「おふでさき」って、なぁーに?)より

「四国めたん」というキャラクターによる
“おふでさきを、若い人は読んだ事もないとか(と言う人もいるぐらい)、存在感が薄い”
という語りに対する「ずんだもん」の返し。

“なぜ、そんなに(存在感が)薄いのだ、『教祖の直筆』なのに!”
という言葉が、グサッと刺さりました。

確かに。

お道(天理教)の芯は、親神様、おやさま、ぢば、と教えられています。
「おふでさき」は、その芯である『おやさま』の直筆の書物です。

そのことを知ってはいました。
しかし、本当に意識していただろうか。

「おふでさき」は、天理教信者にとっての「般若心経」みたいなもの、
という、「四国めたん」の指摘。

痛い…。
私にとっては、ズバリ的を射ていることを認めざるを得ない、
というのが正直なところです。

お道(天理教)にご縁を頂いた者として、
「おふでさき」は、道の芯である『おやさま』直筆の書物であり、
体験談やエッセーなどよりも、もっともっと重要視して深く読み込むべきものであることを忘れてはいけない…
そのことを、改めて教えられました。

改めて「おふでさき」【第十七号】を散文で読む(括弧書きも外して)

boy reading a book wearing a gray hoodie

「おふでさき」を散文で味わうという目的をより確実なものとするために、
芹澤茂先生の口語訳文、著作内で記されていた括弧や番号等すべて外し完全な「散文」にしたものを、最後に置いておきます。

「おふでさき」【第十七号】散文(芹澤茂先生訳)

 「おふでさき」【第十七号】口語訳(芹澤茂先生)

(明治十五年)

今までは、何のための 道か 知らなかったであろうが、今日から先は 道が分かるようになる。
この道は、どういうことか と思っているが、かんろだいの一条 ということである。 

このだい (=かんろだい) をどういうことに思っているか。
これは にほんの 大事な宝である。

これ(=かんろだいの意義)を 皆の者は、何と思っているか。
この 元なること (=元のいんねん) は (何であるかを) 誰も知るまい。

このたびは この元なることを、真実に どうかして 世界中へ みな 教えたい。

 この元を言えば、かんろだいの立つ この ぢばは、元初まりにおいて いざなぎ (=父親の雛形である魚〘うを〙)と いざなみ (=母親の雛形である巳〘み〙) の 身の内の 本真ん中であった所である。

その所で、世界中の人間は 皆、その ぢばにおいて、創め掛けたのである。
それ故、そのぢばは 世界一れつにとっては どこまでも、これは “にほんの故郷” である。 

人間を創め掛けた という証拠に、かんろだいを 据えておくことにする。
この台が、みな 揃いさえしたならば、どんなこと (=願い事) でも 叶わないことはない。

それまでになるには、まだまだ 世界中を どこまでも、胸の掃除を しなければならない。 

この掃除は、どこにも 隔てはない (=平等である) ので、ひとりひとりの心を 月日が 見分けている と思うがよい。
月日は、どんな所にいる (=暮らしている) 者でも、心次第に みな 受けとる。

今までは、どんな心でいたとしても、一夜の間にも 心を入替えよ。
真実に 心をすっきりと 入替えて、真実の心になれば、それ (=その心)も 月日は すぐに受け取って たすける。

月日にとっては、世界中の人間は 皆 わが子であり、可愛い一杯 という心、これ 一条である。

今までは、どんな者でも 人間の 胸のうち (=心) を知った という者は いないに違いない。
しかし このたびは、どんな所に (=高い所や 遠い所に) 居る者でも、胸のうちを みな 言って聞かせるようにする。

これまでは、壁一重 隔てたなら、何を言っても ちょっとも 知れまいと 思っていただろうが、その心を 神が 指図して よふぼくから言わせる。

このように 今日からは、横目をつかう間もない程 (=短い時間) に、夢を見たように、月日は 何をするやら わからぬぞ。

今までの 月日の残念 というものは、なかなか (=とても) ちょっとのことではないが、それが 晴れる日は 迫っている。
今日までは 何も 知らずにいたけれど、さあ、えらい (=大変な) 本道が 見えてきた。

この道を 早く見たくて 急込んできた。
この道についたなら、さあ これからは、陽気づくめである。

この話は、何のことを言っているのか と思っているのであろうが、筆の先 (=筆の先に記したこと) が見えてきたなら ということである。

今までは、どのようなことも 黙って 聞いていたが、このたびこそ 残念を晴らす。

この 晴らしを、どういうことに 思っているか。
いつ 何どき、どこで、月日がしりぞく (=守護がなくなる)か 分からぬ。

これまでの 長い道中の この残念は、ちょっとのことではない と思え。
これからは、この「かやし」をするから、みな 一れつ 誰でも 承知していよ (=覚えておくがよい)。

世界中 どこの者とも言わず 誰でも、みな 月日は しっかり見ている。
どんなことを言っても、思っても、月日が知らぬ ということはないので、月日は 心を受けとって 善悪共に みな かやす。

この先は どんなことをするにも、月日は 前もって ことわって (=予告して) おく。

これからは、月日の 残念が出たならば、どのような事があるか 知れない

今日の日は、どんなことも 現われてくる日が 詰んできた (=期限が迫った)。
神の残念を 晴らす 旬である。
現われてくるのを 見守っていよ。

今までは、この世を創めた 場所・人間の 元である ぢばは、誰も 知らなかった。
このたびは、この真実 (=真実のこと)を 世界中へ、どうか しっかりと教えたい。

それ故、このぢばで かんろだいを 初めたのは、ここが 本元の所であるからなのだ。
このことを初め掛ける というのも (=理由も)、世界中を たすけたいからである。

それなのに、これを何も知らない子供に取払われたこの残念というのは……。

しかと聞け。
この先には、どのような「かやし」があるやら 知れないぞ。
月日が この かやし をしようとする 残念というものは、なかなか ちょっとの事では ないぞ。

「かやし」でも、ちょっとの事 とは思うな。
どんなことを 月日はするか 分からぬ。

この話を、皆の者は 何と思って 聞いているか。
神の残念は えらい (=大変な) ことである。

今までは どのような道も、だんだんと 通り抜けては きたけれども、もうちょっとの 刻限が 来ていない故に、じっとしていた。

しかし、今日の日は、もう 十分に 日が詰んで (=詰まって) きた。
刻限が来たなら 直ぐにかやすぞ。

この日 というのは、いつのことと 思っているか。
二十六日が来たことなら。

それからは、何でもかでも 真実の (=本当の) 心を、それぞれ みな 現わして 掃除する。

“こんなこと (=かやしをすること) を なぜ言うのか” と思うな。
月日は 人間が 可愛いあまりに、言うのである。

月日には、世界中の子供は、可愛い とばかり思っている。
それ故に、世界中をどこまでも、胸の掃除をして、陽気ぐらしを させたいのである。

この掃除を、どういうことに 思っているか。
掃除するのも たすけだけを 思っているのだ。

たすけといっても、その場 その時の あしきを直すことだけではない。
これまでにない 珍しいたすけを 見せたいと 思っているのに。

このたすけを、どういうことに 思っているか。

月日は 人間が “病まず・死なず・弱りなきように” 暮らすことのできるように 守護したい。
こんなことは 今まで どこにもない事である。
この証拠を知らしたい ということである。

これは これまでは どこを尋ねても ないことである。
このたび これを 神は 初めたかったのである。

今日までは、どんな道であるか 知らなかったであろう。
これから先 (=将来) は、道を知らす。

この道は、どういう事に思うか、月日の 残念一条の道である。

この残念は 何のことと思うか。
かんろだいが 第一の残念である。

この 月日の 残念は ちょっとのことではないので、どんな「かやし」を 月日がするか わからない。
どのようなことがあっても (=起きてきても)、うらみに思うな。

皆 めいめいに (=自分で)しておいたものが 芽を吹いたのである。
この先は、世界中は どこまでも、高山においても、谷底までも 月日はでかける。

これからは、世界中は 一れつに、だんだんと (=順序を追って) 胸の掃除をすると思え。
この掃除を、皆の者は 何と思うか。

この掃除をせねばならぬ 神の心はどんな心か を、誰も知るまい。

月日には どんな残念に思うことがあっても、今までは じっと 見許していた。
さあ 今日は、日も 十分に詰んで (=詰まって) きたので、何でもかでも「かやし」をせずには おられない。

この「かやし」を 何のことか と思っているが、神の残念から ということだけである。
この残念は、ちょっとのこととは 思うな。
積もり重なった上のことである。

月日には 世界中(の人間)は 皆 わが子である。
可愛い一杯に 思っているけれど、それを知らず、みな 一れつは、めいめいに、ほこりばかり 思案している。

この ほこりにまみれ、いんねんに苦しむ子供をみている 心、親である 神の残念の心を 思ってみてくれ。
どうも なんとも 言うに言われない。

今までのような事は もはや 言わない。
これから先は 悟りばかりである。

この先は 何を言うか 知れないが、これまで言った事を よく聞き分けて、どうか しっかり思案して 悟ってくれ。

里/\、田音/\、平様/\。
この話は、合図立て合いが 出たならば、何のことか わかるようになるが、何についても、みな この通りである。

これをば、みな 一れつは 心に しっかり思案するよう、頼んでおく。

以上、
芹澤茂著『おふでさき通訳』【第十七号】口語訳を書写した、
「おふでさき」【第十七号】の散文でした。

「おふでさき」口語訳の書写シリーズ。
散文化して終わりでは意味がなくて、むしろ、それはスタート。

散文化した後、天理教原典である「おふでさき」の「全体像」がよりイメージできるように、
折に触れて何回も読み返すことが肝要なのだと思います。

教祖百四十年祭に向かう「三年千日」年祭活動期間の旬。

機会を見つけて読み返し、少しでもそこに籠められた神様の思いを感じることが出来るようになるよう、自分なりに努めたいと思います。

ということで――
今回の「彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】」は、
「芹澤茂著『おふでさき通訳』【第十七号】を散文で味わう」
という学びの記録でした。

以上をもちまして、
芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の書写、
全十七号分、完結いたしました。

次回は、
芹澤茂先生の口語訳文、著作内で記されていた括弧や番号等すべて外し完全な「散文」にしたものを
第一号から第十七号まで合体させて掲示したいと思っています。

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

「おふでさき」【第一号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写
天理教「おふでさき」第一号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第二号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,2
天理教「おふでさき」第二号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第三号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,3
天理教「おふでさき」第三号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』第三号、口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第四号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,4
天理教「おふでさき」第四号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』第四号、口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第五号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,5
天理教「おふでさき」第五号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』第五号、口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第六号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,6
天理教「おふでさき」第六号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』第六号、口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第七号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,7
天理教「おふでさき」第七号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』第七号、口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第八号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,8
天理教「おふでさき」第八号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第九号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,9
天理教「おふでさき」第九号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第十号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,10
天理教「おふでさき」第十号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第十一号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,11
天理教「おふでさき」第十一号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第十二号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,12
天理教「おふでさき」第十二号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第十三号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,13
天理教「おふでさき」第十三号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第十四号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,14
天理教「おふでさき」第十四号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第十五号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,15
天理教「おふでさき」第十五号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました
「おふでさき」【第十六号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,16
天理教「おふでさき」第十六号を【散文】で味わうことを目的として、芹澤茂先生著『おふでさき通訳』口語訳の部分のみを書写しました

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