Dear everyone,
こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。
「元の理」勉強目的の
shin・秋治氏「元の理探訪記」動画【文字起こし】
18回目です。
shin・秋治先生「元の理探訪記」動画の【文字起こし】。
2023年6月17日から始めて、
約4ヶ月の長期にわたり、毎週、同じような記事ばかり続けてきましたが、
それも、ついに最終回となりました!!
PV(ページビュー)増やすことを目指すブログだったら、
あり得ない お粗末な企画、編集…でありましょう。
(実際、地を這うPV…笑)
でも…いいんです。
ここは、まったくの「自己満足」充足目的地 ‼
なかなか腰の上がらない自己学習に、
誰かに見られるかもしれない!
という緊張感をもたらすことで
その重い腰を上げるエネルギーが湧き出してくることを期待するのが
このシリーズの目的でしたから。
過去記事の中に
芹澤茂先生の『おふでさき通訳』のおふでさき口語訳を書き写すシリーズ、という
今回と似たようなシリーズがありまして、
その最終回で、
次のように記述いたしました。
芹澤茂先生の『おふでさき通訳』の書き写しを、
毎回、同じフォームで繰り返すだけの記事…
“一体、今、どこをやっているんだ!? ”
書写している本人ですら、そのように感じられるような記事の連続。
このような行為に「意味はあるのか?」
…心が揺れることもしばしばありました。(中略)
当シリーズ初回でも記述したのですが、
芹澤茂先生『おふでさき通訳』の「口語訳文」を書写するという今回の企画、
世の中的にはどこにもニーズはなさそうです。しかし、
(さまよいブログ>「おふでさき【第十七号】を散文で読む~芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズNo,17) より
何と言っても当ブログはあくまで【自己学習ノート】であり、
このたびの企画は、
私自身に “誰かが見るかもしれないという緊張感”を与えて、
私の「怠け心」にブレーキをかける、
という点を大いに期待した企てなのであります…(汗)
以上が、
芹澤茂著『おふでさき通訳』口語訳書写シリーズ最終回での冒頭文一部なのですが、
このたびの、
「元の理」勉強~shin・秋治氏「元の理探訪記」動画【文字起こし】シリーズ最終回でも、
その記述が、そのまま当てはまりそうです…(^^ゞ
能書きが長くなってしまいました。
さて、今回「文字起こし」するのは、
「元の理 探訪記 第3話」という動画の最後のトーク部分、
【「元の理」に対する、科学的視点を踏まえた 元初まりの話 という視点、その重要性】
という内容の お話部分です。
それでは、見ていきましょう。
【文字起こし】する対象の 元動画
【文字起こし】対象、YouTube元動画を紹介します。
shin・秋治氏の「天理教を科学する」というチャンネルの中の
「第3話「元の理の真実」天理教を科学する【秋治×はかせ】混沌とした有り様の比喩と考えられていた「どろ海」が、生命進化ターニングポイントの時、全ての時期が「どろ海」だった」
という動画です。
shin・秋治氏「元の理 探訪記」の中の
【第3話】になります。
この動画を新しいタブで視聴したい方はこちらからどうぞ↓
https://www.youtube.com/watch?v=4qh9jJ15VmA
『天理教教典』第三章「元の理」全文
まず最初に、『天理教教典』第三章「元の理」全文を 掲げておきます。
この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。
そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混つている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄みすました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。
続いて、乾の方からしやちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々をうをとみとに仕込み、男、女の雛型と定められた。いざなぎのみこと いざなみのみこと とは、この男雛型・種、女雛型・苗代の理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこと とは、夫々、この道具の理に授けられた神名である。
更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、艮の方からふぐを、次々と引き寄せ、これにも又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと をふとのべのみこと たいしよく天のみこと との神名を授けられた。
かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなつた。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた。そして、月様は、いざなぎのみこと の体内に、日様は、いざなみのみこと の体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に、九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみこと の胎内に宿し込まれた。それから、いざなみのみこと は、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日かかつて、子数のすべてを産みおろされた。
最初に産みおろされたものは、一様に五分であつたが、五分五分と成人して、九十九年経つて三寸になつた時、皆出直してしまい、父親なる いざなぎのみこと も、身を隠された。しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみこと は、更に元の子数を宿し込み、十月経つて、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経つて三寸五分まで成人して、皆出直した。そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経つて四寸まで成人した。その時、母親なる いざなみのみこと は、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、につこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。
その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残つた。この胎に、男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になつた時、親神の守護によつて、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るように、かたまりかけてきた。そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようになつた。次いで、五尺になつた時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになつた。
この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。
(『天理教教典』第三章 元の理 P,25~29)
それでは、次節から【文字起こし】の記載に移ります。
shin・秋治Ch「元の理 探訪記 第3話」No,7【文字起こし】
「元の理探訪記3」の終わりに
先人が作成した「こふき」を おやさまが良しと仰らなかったのは、当時の流行思想に影響された悟りが 混ざっていたからではないか
秋治:まぁ、でも、そういうふうに、こぅ…
ずっと、今日聞いてて(そして)話をしてると…
思うんですけれども、
最初の頃に、はかせさんが言ったように、
やっぱし、その時の流行りというか、
皆さん方の意識の中にある、
いわゆる、
日常にある何かを使って
(おやさまは)説いて(下さって)いってるんだ、と(改めて感じる…)。はかせ:ウンウン。
秋治:で、そこに、皆さん方、
その(当時以来、)140年の間にたくさん「悟り」を入れて作り上げてきたのが、
この「元初まりの話」であり「元の理」でもあるわけですので…はかせ:ハイ。
秋治:で、おやさまが、これで良い とおっしゃらなかったのは、
つまり…、いっぱい、いろんな話が 混ざってるからじゃないかな、
と、僕なんか 思うわけですよね。はかせ:ウンウンウン。
元初まりの話としての「元の理」と 救けの理話としての「元の理」は 分ける必要があるのではないか
秋治:これが…
いわゆる、いろんな話はちょっと横に置いといて、
(たすけの理話としての「元の理」が)
この「元初まりの話」の話(のこと)なんだ
というふうに限定してしまうと、
(「元の理」の本当の素晴らしさを 味わい切ることが出来ない と思うから)
やはり、 生命がどんなふうに進化してきたか っていう(科学的視点を踏まえた 元初まりの)話と
(「元の理」の話を)リンクさせるのは、
僕は、すごく 大切なんだと思うんです。はかせ:ウ~ン。
秋治:だから、ある意味、分ける必要が…
「たすけの理話」としての「元の理」と
(科学的視点を踏まえた)「元初まりの話」は、
やはり、分ける必要が、ちょっとあるんじゃないか、
という気はしますね。はかせ:ウ~ン。
【動画テロップ】
元初まりの話 としての「元の理」と、
救けの理話 としての「元の理」は、
わける必要があるのではないか と思う。秋治:(科学的視点を踏まえた)「元初まりの話」(としての「元の理」)だけで言うと、
やはり、私たちの科学が 進歩してきて、
だいぶ 見えてきたんですから、
そういう意味での「元初まりの話」(としての「元の理」)というものは、
やはり、
これからも 天理教信仰する人たちは、
みんな 覚えていかなきゃいけない、
わかっていかなきゃいけないことだと、
僕は 思いますね。【動画テロップ】
元初まりの話としての「元の理」を
全てのようぼくは 知る必要がある。はかせ:ハイ。
秋治:それを元にして、
新たな悟りも 出てくるだろうし…はかせ:ハイ。
科学的視点を踏まえた 元初まりの話 としての「元の理」の重要性は、決して たすけの理話としての「元の理」の重要性を損なうものではなく、それらは 相補的な視点として、お互いを高め合うものだ と考えるべきである
秋治:でも、
「たすけの理話」としての「元の理」、
今までの「元の理」の説き方である「元の理」も、
これは、それが 色あせてしまうんじゃなくて、
それはそれで すごく重要だ、というふうな、
やはり、考え方・見方をしていかないといけないんじゃないかな…と(思う)。はかせ:ハイ。
秋治:(とは言え)
「元の理」は、
あくまでも「たすけの理話」でしかないんだ、
というふうに限定してしまうと、
何かこぅ…未来に向けても、止まってしまう(ということを忘れてならないと、私は思う)…はかせ:ハイ。
【動画テロップ】
元の理は、救けの理話なのだ と限定することは、
神様の説かれた 元始まりの話を ないがしろにしているのではないか。
「元の理」の本来の意味を もっと 大切にする必要がある。秋治:そうではなくて、
(「元の理」は、これまで たすけの理話 としての側面ばかりが 強調されてきたけれども、科学的視点を踏まえた)「元初まりの話」(という側面もある話)なんだ、
という見方も、
きちっとしていかなきゃいけないんじゃないか と、
僕は、強く、それは 思ってますね。はかせ:ありがとうございます。
秋治・shin著『生命(いのち)の進化・令和版~科学の進歩で見えてきた「元の理」』絶賛発売中です
秋治:まぁ、そういうことで…
ここでも 宣伝ですけれども、
こういう本(『生命(いのち)の進化』)を出してますので、
これは、今言った、
科学で説いた「元初まりの話」を わかりやすく書いてますので、
また 皆さん方、これは、ここの、
今(収録している)スタジオの、
養徳社の1階で 販売してます。また、通販でも 売ってますのでね、
通販のアドレスも出てきてますので…、ハイ。
ぜひ、お買い上げ下さい。
よろしくお願いします。はかせ:ハイ。よろしくお願い致します。
秋治:また 宣伝しましたですね(笑)
はかせ:いえいえ(笑)
秋治:では、これからも、「天理教を科学する」、
どうぞ よろしくお願いします。はかせ:よろしくお願い致します。
ふく:よろしくお願いします。
秋治:ありがとう ございました。
ふく+はかせ:ありがとうございました。
(shin・秋治>「元の理 探訪記 第3話」より)
今回の【文字起こし】は、
元の理 探訪記 第3話 の終わりに熱く語られた、
秋治・shin先生による
「元の理」に対する 科学的視点を踏まえた 元初まりの話 という視点の重要性についてのお話
の部分でした。
以上、「元の理」勉強PART18
「元の理 探訪記 第3話」No,7 の【文字起こし】でした。
まとめ
【「元の理」に対する、科学的視点を踏まえた 元初まりの話 という視点、その重要性】
- 先人が作成した「こふき」を おやさまが良し と仰らなかったのは、
当時の流行思想に 影響された悟りが
かなり多く 混ざっていたからではないか。
- 元初まりの話 としての「元の理」と
救けの理話 としての「元の理」は
分ける必要があるのではないか。
- 科学的視点を踏まえた 元初まりの話 としての「元の理」の重要性は、
決して たすけの理話 としての「元の理」の重要性を 損なうものではなく、
それらは 相補的な視点として、
お互いを高め合うものだと考えるべきである。
- 秋治・shin著
『生命(いのち)の進化・令和版~科学の進歩で見えてきた「元の理」』
絶賛発売中。
以上、「元の理 探訪記 第3話」NO,7の
【文字起こし】を通じた【自己学習】でした。
今回は、
秋治・shin先生による
「元の理」に対する 科学的視点を踏まえた 元初まりの話 という視点の重要性について、
という内容のお話を視聴し、学びました。
おわりに
「元の理」を勉強しようと思いついて始めた
shin・秋治先生「元の理探訪記」動画の【文字起こし】。
2023年6月17日から始めて、
約4ヶ月の長期にわたって、毎週 同じような記事ばかり続けて、
今回、ついに、
shin・秋治先生「元の理探訪記」動画を、すべて「文字起こし」し終わりました。
そもそも、どういった思いからこのシリーズを始めようと思ったのか――
その動機については、
当シリーズ 初回記事の中で 記述しております。
教祖百四十年祭に向けて、
少しでも教理の勉強をしたい と思っていた時に、
たまたま Twitterで 多くの人が勧めていた
『生命 (いのち) の進化・令和編』という本に出会った。
それに感銘を受け、
そこから shin・秋治氏の YouTubeチャンネル を探し出し、
そして、
その中の「元の理 探訪記」という動画を「文字起こし」して勉強することにした。
…以上が、このシリーズを始めた 経緯であります。
「元の理 探訪記」動画は 1~3まで 3回分あったのですが、
実は、最後まで視聴せずに、見切り発車で 開始しました。
で、3回目動画の「文字起こし」の段階で、初めて、
shin・秋治先生の「元の理 探訪記」シリーズは未完のものだと知った、
という次第…(^^; (汗)
shin・秋治氏先生の「元の理 探訪記」という動画は、
『天理教教典』第3章「元の理」を、1文ごとに解説するという内容。
ですが、動画では、
『教典』3章「元の理」1文ごと解説は
8番目文章を掘り下げたところまで で終わっております。
そして、それ以降について掘り下げるお話の動画は、
まだ 公開されていない…
「元の理 探訪記3」の動画を「文字起こし」して
初めてそれに気付いた…
というわけであります(笑)
しかし、その時点で、既に、
私のブログ内で
「元の理 探訪記」初期の動画の「文字起こし」を 何回分か公開しておりましたし、
それに、
『天理教教典』第3章「元の理」文章ごとの勉強は、
たとえ 途中まででも、間違いなく勉強になることが数多くありましたので、
そのまま続けた、という次第。
それに、
後付け的ですが、
チャンネル主である shin・秋治氏先生が
本当に主張したかったこと というのは、
(個別具体的な細部の話は別にして)
既に公開した動画内で ほぼ語り尽くされているのではないか、
と 私は思いました。
では、私は、
shin・秋治先生が 本当に主張したかったことは何だ
と受けとめたのか?
それは…
今回「文字起こし」した中で語られている部分――
私は、そう思ったのです。
具体的には、今回記事の「まとめ」に記述した点です。
という点。
これまで、たすけの理話として 説かれていた「元の理」。
だが、科学が進歩して、元初まりの話に対する 科学的視点に基づく解釈が 深化してきた。
だから、今後は、
「元の理」の科学的視点に基づく解釈 という側面にも しっかり目を向けようではないか。
これからは、
科学的視点を踏まえた 元初まりの話 としての側面の素晴らしさを
多くの人に広める活動も必要だ。
細かい 個別具体的な部分については、
今後の科学や 社会思想の発展によって 新しい視点や解釈がもたらされる可能性もあるし
各自の探求に委ねるとして…
まず 何よりも、
「元の理」を科学的に解釈する という視点が存在すること、
そしてそれは、
決して 偏ったこじつけ等ではなく、
客観的信頼性が非常に高いものである ということ…
そのことを 多くの人に知ってもらいたい。
――きっと、それが、
shin・秋治先生の 一番訴えたいことなのに違いない――
私は、そんなふうに 思ったのでありました。
今回の「文字起こし」学習をする以前は、
「元の理」に対する 科学的視点を踏まえた 元初まりの話 という視点…
私の中に、そういう視点は ありませんでした。
ですが、このたび
「文字起こし」学習を通して勉強する機会を与えてもらったのですから、
これからは、そういった視点も大事にしつつ、
私なりに「元の理」に対する学びを深めていきたい…
そのように思っています。
今までになかった、そのような新しい足場を与えて頂いた という意味でも、
今回の、
「元の理」勉強~shin・秋治先生「元の理 探訪記」動画【文字起こし】シリーズは、
私にとって、とても貴重な 学習機会となりました。
ありがとうございました。
当記事の内容に関しては、
見出しの付け方とか まとめ方とかで、
きっと、不適切な部分が多々あると思います。
また、「文字起こし」部分の 見出しの付け方は、
全く 自己流理解に基づくものなので、
本当にこの見出しでいいのか 自信がありません (-_-;)(汗)
しかし、この記事は、
無学な信仰落第生による、あくまで「自己学習」目的の記事ですので、
そのあたりは 大目に見て頂きたく存じます…(^_^;)
たまたま 通りすがりにこの記事を目にされた方、
私のまとめは あくまで参考程度にとどめて、
必ず、shin・秋治先生の元動画を確認して頂きますよう お願い致します。
それでもって、明らかに誤まっている部分があれば、教えて頂ければ幸いです(笑)
ということで、
今回の「彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】」は、
「元の理」勉強の第18回目、
shin・秋治先生「元の理 探訪記」動画【文字起こし】シリーズ、最終回でした。
人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。
ではでは、今回はこのへんで。
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