天理教 各教会の歴史探索(第38回)【深川大教会】『天理教事典』より

「深川大教会」事典書写アイキャッチ画像 天理教各教会歴史

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

今回も、
『天理教事典』(1977年版)に記載された
各大教会の歴史、流れをそのまま書き写す
【天理教 各教会の歴史探索シリーズ】です。

私の教会にあるもの👇(=当シリーズ参考資料)

最新版👇

このシリーズを始めた理由については、
当シリーズ初回記事の冒頭に記述しています。

前回は、
教会番号37番「牛込大教会」の『天理教事典』記述を書写して
その歴史を勉強しました。

今回は、
教会番号38番「深川大教会」について勉強します。

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深川大教会(ふかがわ だいきょうかい)

深川大教会ストリートビュー①
Googleストリートビュー より

初代会長・木村八十八

後に初代会長となる 木村八十八は、
天保12年(1841) 5月14日、
江戸荏原郡芝大門前 (現在の東京都港区芝宮本町)
呉服商・伊勢屋八十八こと 木村八十八、母・春 の長男として出生、
幼名を清次郎といい、元服して 源蔵と改名した。

6歳にして生母に死別し、
その後、教養と気品のある継母 ツヤに育てられた。

初代(木村八十八) は 
親孝行であると共に、人品備わり、
商人でありながらも 武士的性格を持ち、
大きなことをするのが好き という進歩的性格であったが、
この継母(ツヤ)が 初代(木村八十八) の精神に与えた感化は
極めて 大なるものがあった。

安政5年の頃は、
虚弱のため、日蓮宗 (飯倉一乗寺の一代法華) を信仰し、
講中200余名を結成し 先達と仰がれていた。

明治10年、父・八十八の死去後、
残された借財1万両を 早期に解決しようと思い、
時あたかも 明治初期の混乱期であったので、
古物商を始めた。

新聞広告を出し、
顧客(故郷に帰る武士旗本御家人など) を集め、
僅か5年で 父の借財を 総て返済した。

返済と共に この事業を廃め
その後、当時の ゴロウ友禅染 を発明。
また、文庫紙の製造法を発明して (それを)市内呉服屋に販売。

事業の拡張に伴い、
明治20年には、
東京市本所区緑町5丁目19番地に 移転した。

木村八十八 初代会長の入信(明治21年)

この頃、紙漉職人に 新館助次郎 という人がいて、
明治19年頃から、天理教の話を聞いていた。

この者が 木村の家に出入していた関係で、
木村家の中で、
時々、天理教が話題に上がるようになっていた。

(けれども) 木村(八十八) は、
日蓮宗の信仰をしていたこともあり
容易に聞き入れ(ることは)なかった。

しかし、
元来 信仰心の厚い人だったこともあり、
たまたま 東京市下谷区北稲荷町42番地に 
「天理教会本部」が設立されてあることを知って、
出かけて行った(のだった)。

この時、(木村八十八は)
増野正兵衛、清水与之助より 懇ろに話を聞いた。

(お話を聞いた木村八十八は)
特に「てをどりのつとめ」を見て
その歌と内容に 非常に感銘を受けた。

(そして)
この教えこそ 真にこの世を治める真実の道である と悟り、
ただちに 入信を決意したのである。

時に、明治21年 7月、
木村八十八、48歳の時であった。

東京真実講の開設(明治21年〜明治22年頃)

その後、
(木村八十八は) 日を追って いよいよ熱心になり、
初代真柱からも 話を聞いた。

(そして)
間もなく教会本部が おぢば に移転される(という)時、
初代真柱より「東京真実講」という講名を受け、
(木村)八十八は (その)講元となった。

(木村)八十八の職業の関係上、
まず 呉服商に布教して 教えが伸び始めた。

(木村)八十八は
同年(明治21年) 11月8日には、教導職試補を拝命した。

明治22年 2月20日、
(木村)八十八は 初めて おぢばがえり をし、
(明治22年) 3月3日、おさづけの理 を拝戴した。

帰路は、神戸より汽船・山城丸に乗り、横浜港に寄港し帰京した。

(木村八十八の) おぢばがえりの感激は 帰京後の布教意欲に現われ、
本所、深川、日本橋、下谷の各方面において、熱心に布教活動を(展開)した。

その結果、
盲目が開眼 (峡田の山本友次郎、高崎の岩崎要七の娘など)、
8年間の「かんのやまい」の改善 (灰屋の娘)、
産後の血 脚気の腰痛が立ち上がる (常磐役員の大橋妻) …など、
(続々と) 不思議なたすけが現われ、
これをきっかけとして 信者が急激に増加した。

本所区 報恩寺橋端の 山本小三郎の子供の全身の火傷を
わずか一夜で救けたため、
医師より医薬妨害として告訴され
警察に 一夜 留置された日もあった。

深川支教会の設置(明治23年)

「天理教教会本部」(東京からおぢばへの) 移転後は
東分教会の 上原佐助 の指導を受け、
東分教会設置 (明治22年 10月14日) に際して、
「東京真実講」は、東分教会に合併され、所属となった。

(そして) 木村八十八は 庶務係嘱託を命ぜられた。

その後、信者の増加により、
東京真実講は、
明治23年 3月26日に、
東京市深川区 東元町17番地 (俗称・梅屋敷) に移転した。

当時、ここの寄所の夕勤めは 毎夜10時で
おさづけの理 を拝戴していたのは (木村)八十八だけであったため、
毎夜 番号札を渡し、
百人前後に おさづけ を取次ぎ、
多くの参拝者のために 下足札をつけた程の盛況であった。

不思議なたすけを受けた人々は、
この結構な信仰を 国元へ帰って広めたいとの意欲から、
それぞれの国々へ馳せ帰り、布教に尽力した。

そのため、日と共に「深川」の教線は広まり、
地方へと伸展していった。

また、水運の要衝であった東元町からは、
水路 (小名木川、江戸川) の連絡により、
遠く 茨城、千葉方面へと 教線が伸びていった。

かくて、信者300戸が結成されたので、
明治23年 11月13日に、
「深川支教会」設置の許しを受け、
木村八十八がその初代会長に就任した。
齢50歳。

ちなみに、
(木村)八十八が入信してから 
わずか 2年4ヵ月にしての 教会設置であった。

深川支教会の発展(明治23年頃〜明治31年頃)

(木村八十八)初代会長が 文庫紙製造を業としていた関係から、
初期の信者は、取引していた呉服商関係が多く、
東元町に移転してからの 伝道線の伸展(に)は、
舟運による 地理的関係がみられる。

当時(の) (東京)市内の直轄信者を 次の8組に分けた。

(1) 弥生組(後の千代田支教会) 講長・川村幸蔵、
(2) 常磐組(常磐支教会) ・横山忠吉、
(3) 二葉組(南本所宣教所) ・岡本竹次郎、
(4) 太平組・亀田留吉、
(5) 両国組(両国宣教所)・赤堀文七、
(6) 柳原組(常陽支教会)・藤木太助、
(7) 竹町組(峡田支教会)・大谷大助、
(8) 築地組・木村芳之助。

他に「真実講」として、
木村助次郎、木村市三郎、北山与作、山本友次郎らがいた。

また、地方においては、
埼玉県 秩父郡大宮に 新井吉五郎 (西武宣教所)、
茨城県 北相馬郡川原代村に 川村弁左衛門 (相馬支教会)、
千葉県 佐原町に 木村清一郎 (佐原宣教所)、
群馬県 高崎市に 市川貞之助 (高崎支教会) を始め、
神奈川、千葉、長野、栃木の各県にも信者が出来、
やがて、
それぞれ 各地において、教会が設置されていった。

すなわち、
(明治25年) 相馬、
(明治26年) 高崎、
(明治28年) 河内、行方、佐原、添原、吉崎、大久保、群宮、常陽、千代田、神浜、吉沼、
(明治29年) 峡田、川越、信陽、
(明治30年) 常磐、祝田、北総、 水海道、東白川、
(明治31年) 西武、
(明治32年) 総陽、香神、南本所、両国、
(明治33年) 瑞谷、常総、磯浜、外川、守谷、稲敷、山王、谷田部、
(明治34年) 結佐、小見川、柴崎、多摩郡、大田原、
(明治35年) 君賀、
(明治36年) 西岩槻
が新設された。

明治23年、東元町に移転後も、
(東京)市内信者の激増により、従来の土地建物では狭くなってきたため、
明治26年 3月25日、本所区相生町3丁目23番地に、
徳川家旗本の武家屋敷(705坪) を購入し 移転を行った。

(その後) 既設建物の他に、
6間に7間半、45坪の神殿建築を進め、
明治31年 3月15日に 開筵式を執行した。

この日は 東京の教信者はいうまでもなく、
遠く関東の各県より参拝者が集まり、
2日間にわたる祭典は、盛大につとめられたのである。

その後、
同年(明治31年)末に、神殿22坪余の増築を行った。
再度の建増は、教勢の伸展を如実に示すものである。

深川分教会への昇格(明治42年)

そして、
明治41年の 天理教一派独立に際し、
翌(明治)42年 1月20日、
「深川分教会」に昇格した。

当時の教勢は 
教会数、41ヵ所 (東京7、茨城17、千葉6、群馬5、埼玉3、栃木・神奈川・長野 各1)
であった。

木村八十八初代会長の出直(大正9年)

(木村八十八)初代会長は 
その後
東大教会の運営と教務に専念し 尽力したが、
大正9年 11月28日、
深川木場に布教中、脳溢血にて 出直した。

享年80歳(であった)。

木村市三郎2代会長(大正9年〜大正12年)

2代会長には 木村市三郎が就任した。

(木村)市三郎は、
初代会長・木村八十八、ひさ の次男として 
明治5年 4月10日 出生。

青年時代より、父をたすけ、布教に従事していたが、
(木村八十八)初代会長の出直によって、
大正9年12月25日、
2代会長に就任した(のだった)。

関東大震災の大節(大正12年)

しかし、
大正12年 9月1日の関東大震災に際し、
江東方面の火災は 熾烈を極め、
深川の方にも 延焼してきた。

(木村市三郎2代)会長は、
家族と住込み人を 先に避難させ、
自らは 最後まで教会を固守したが、
遂に全焼し
自らも 大火傷のため、
翌(大正12年) 9月2日 出直した。

享年52歳であった。

関東大震災は、
深川にとって、大きな「節 (ふし)」であった。

椿卯之助3代会長(大正12年〜昭和2年)

(木村)市三郎(2代会長)の出直にともない、
3代会長として、
東大教会理事長・椿卯之助が、
大正12年11月5日 就任した。

(時は) 折からの 大正15年執行の教祖40年祭に向かう
教勢倍加運動提唱の旬であった。

この旬に際して、(深川分教会は) 
この(木村市三郎)2代会長の出直と神殿焼失を
「成人」への生きた糧とすべく(一丸となって精進し)、
(その結果)
大正12年に 1ヵ所、(大正)13年に 37ヵ所、(大正)14年に 1ヵ所、
計39ヵ所の教会を新設し、総計85ヵ所となった。

東京市区画整理に伴う移転(大正14年)

更にまた、
東京市の大区画整理に伴い、移転を余儀なくされたため、
現在地の、東京府南葛飾郡本田村篠原1丁目278番地 
(現 東京都葛飾区四つ木5丁目2番5号) に、
698坪の土地を求め、
神殿78坪、教祖殿15坪、付属屋115坪、計208坪の復興建築を行い、
大正14年 12月12日、落成奉告祭を執行した。

椿卯之助3代会長の出直し(昭和2年)

しかし、その後 間もなく 
昭和2年 8月18日、
(椿卯之助)3代会長は 61歳にて出直した。

このため、
4代会長に 木村清が 就任した。

木村清4代会長(昭和2年〜昭和37年)

4代会長・木村清は、
2代会長・木村市三郎の次男として、
明治38年 12月4日出生。

(椿卯之助)3代会長の出直によって、
昭和2年 11月15日、
(木村清が)4代会長に就任した。

大教会への昇格(昭和15年)

その後、
部内教会は 15ヵ所の新設をみ、
昭和15年 1月23日、
(深川分教会は) 東大教会より分離して、大教会に昇格、

同年(昭和15年) 10月12日、奉告祭を執行した。

当時の教勢は 
教会数 100ヵ所、(東京16、茨城38、千葉22、群馬9、長野8、埼玉3、栃木2、神奈川1、山形1)
布教所数 71ヵ所、
教師 499名、
教徒1,033名
と 記録されている。

昭和22年 
利根川大洪水により、葛飾区一帯は浸水、深川も被害をうけたので、
神殿南側の土地300坪を購入、地上げを行い、
更に、
昭和25年 8月、天理市豊田町に、信者詰所を建築した。

木村清和5代会長(昭和37年〜)

昭和37年 7月26日、
5代会長に木村清和が就任した。

(木村)清和は、
昭和5年 2月23日、
4代会長・木村清、母・清子の長男として出生。

父の後を継ぎ、5代会長となったのである。

神殿建築(昭和41年〜昭和45年)

(木村)清和(5代会長)は 
昭和41年 5月21日 深川における教祖80年祭執行の日に、
神殿建築の発表を行った。

(そして)
第1期工事として、教職舎の建築 (昭和42年6月13日着工、昭和43年4月13日竣工)
第2期工事として、鉄筋コンクリート造2階建本瓦葺の 神殿の建築 (昭和44年4月13日着工、昭和45年8月31日竣工) 
以上をなし、
昭和45年 10月12日、
創立80周年記念 神殿落成奉告祭を執行した。

現在、部内教会、信者が一丸となって、世界たすけに邁進している。

〔現住所〕 〒124-0011 東京都葛飾区四つ木5丁目2番5号 
〔電話〕03-3691-0007

(昭和50年12月31日調『天理教統計年鑑」昭和50年度版)

(『天理教事典』1977年版 P,715〜717)

おわりに

深川大教会ストリートビュー②
Googleストリートビューより

天理教各大教会の歴史を知りたいとの思いで始めた
天理教 各教会の歴史探索シリーズ】。

38回目の今回は、
「深川大教会」初期の歴史を勉強しました。

当シリーズの 参考教材は『天理教事典』の【1977年版】。

とても古い資料なので、
記載内容も 1970年代以前までとなっており、
かなり昔の歴史にとどまっています…

しかし、私が知りたいのは 各大教会の初期の歴史。
十分 私のニーズは満たされるので、
そのまま書写し続けております (^_-)-☆

深川大教会ストリートビュー③
Googleストリートビューより

天理教 各教会の歴史探索シリーズ】38回目の当記事では
『天理教事典』の中の「深川大教会」についての記述を書き写して勉強しました。

前回、東京にある牛込大教会について勉強しましたが、
今回の深川大教会も 東京の大教会です。

今回の勉強に取り掛かるまで知らなかったのですが、
教会番号の37〜39は、
37(牛込)・38(深川)・39(浅草)と、東京の大教会が続くのですね。

牛込・深川・浅草の各大教会は
全て 東大教会から分かれた大教会。

『天理教事典』の中に記載がないので私にはわかりませんが、
きっと、河原町から分かれた 湖東・甲賀・水口 のように、
旬が訪れた…みたいな感じで
東大教会から大きな教会を分離するという「気運」が生じて、
それで 
大きな教会が 3つ続けて 東大教会から独立する という運びになったのではないのかなぁ… 
と想像します。

深川大教会GoogleMapより①
GoogleMapより

深川大教会は、東 大教会から分かれた大教会ですね。
東 大教会については、以前勉強して記事を投稿しました。

当記事では
『天理教事典』の中の「深川大教会」についての記述を書き写したわけですが、
今回も知らないことばかりでした。

前回、牛込大教会について勉強した際、
牛込初代の古田栄五郎先生は、
身上・事情をたすけられたわけではなく、
当時 東京で布教中だった上原佐助先生から聞いた教理の話に深い感銘を受け 入信されたのだ、
ということを知りました。

そして、今回の深川大教会。

深川初代の木村八十八先生も、古田栄五郎先生同様、
身上・事情をたすけられて入信したわけではなかった。

たまたま
東京市下谷区北稲荷町42番地に
天理教会本部が設立されたことを知り、
元々日蓮宗を信仰していて
信仰活動や精神世界に造詣が深かったこともあって、訪問。

そこで話を聞いたところ、その内容に非常に感銘を受けた。
この教えこそ真実の道だと悟って、ただちに入信を決意された。

前回の牛込大教会の記事の中で、私は、
古田栄五郎先生について 以下のように書きました。

今も昔も、
どれほど尊い真実の話を聞こうと全く心に響かない人がたくさん居る中で、
お話を聞いただけで、これこそ「本物」だ!と確信し、
躊躇なく先祖から受け継いだものを全て捨て そこへ飛び込んでいかれる感性――

これは、もう理屈ではなくて、
魂の感受性…のようなものがあって そこが強く働いた、
とでも考えなければ理解できない事象のような気がします。

お道的に言えば、魂の「いんねん」がそうさせた…
と言えるかもしれません。

さまよいブログ 天理教 各教会の歴史探索(第37回)【牛込大教会】より

以上は、牛込の古田栄五郎先生についての感想を書いたものですが、
これは、深川大教会の木村八十八先生にも当てはまりそうですね。

『天理教事典』1977年版には、
木村八十八先生は、日蓮宗 (飯倉一乗寺の一代法華) を信仰し、
講中200余名を結成し 先達と仰がれていた、
と書かれてあります。

また、
手広く事業を営み、父親が残した借財1万両をわずか5年で返却した、
とも書かれてありました。

現世的にも、
もともと
人の上に立つような相当な人物であられたことが わかります。

それに加え 霊的な面においても、
きっと「一を聞いて十を知る」という感じで、
お話を聞いただけで真贋を見抜くことの出来るような、
高い霊格の魂の先生であられたのではないか…
と推察いたします。

深川大教会は そのような高名な先生により付けられた道ですから、
現在、首都において堂々たる威容を誇り続けておられるのも
さもありなん…という気がいたします (^^)

そして、
今回、深川大教会について勉強した中で、私の心に強く残ったこと。
それは、
木村市三郎2代会長の生涯でした。

木村市三郎2代会長は、
明治5年 4月10日に出生され、
青年時代より 初代会長である父をたすけ 布教に従事。
父親である 木村八十八 初代会長の出直により、
大正9年12月25日、48才で 2代会長に就任された。

しかし、
会長就任からわずか3年後! 
大正12年 9月1日に関東大震災に見舞われた‼︎

関東大震災では、
江東方面の火災は熾烈を極め、深川の方にも延焼。

『天理教事典』の記述によれば、
木村市三郎2代会長は、
家族と住込み人を先に避難させ、
自らは最後まで教会を固守しようと現場にとどまられた。

しかし――
教会は全焼し、自らも大火傷のため、
なんと震災翌日(大正12年9月2日)、
享年52歳をもって出直してしまわれた!!

なんということでしょう…
教会長に就任してわずか3年――
さあ これから、という時ではないですか… (´゚д゚`)

木村市三郎先生は、
いかほど無念だったことでしょう。
また、
その周りの方々の悲しみは いかほどだったことでしょう。

『天理教事典』のその箇所を読んで、
私は 思わず 涙がこぼれてしまいました。

しかし そのような、
ある意味、想像を絶するような大節を受けた 深川大教会ですが、 
この「木村市三郎2代会長出直と神殿焼失」という大節を 成人への生きた糧とすべく
一丸となって 精進されたのでした。

その結果、
震災のあった大正12年中に 1ヵ所、
翌年(大正13年)37ヵ所、
翌々年(大正14年)1ヵ所、
3年間で 計39ヵ所もの 教会を新設し、
大躍進を遂げられた。

文字通り 節から芽を出され、
それが その後の 大躍進を生んだわけです。

自己満足目的で【天理教大教会の歴史探索シリーズ】を始めて 30数回になりましたが、
天理教大教会の初期の歴史についての勉強を重ねるにつれ、
本当に、
このような 先人先生方のご苦労の上に 今の結構な姿があるのだ、
との思いが高まるばかりです。

このシリーズを重ねるごとに、
今の私達の結構さは
先人先生方のご苦労の上に成り立つものである、
その事を忘れてはならない…
との思いを 強くしています。

歴史を知ることで、
何となく見ていた今の姿に
とても深い奥行きが出てくるなぁ…
と 改めて感じます (^^)

深川大教会ストリートビュー④
Googleストリートビュー より

いずれにしても、
その他のことも含め、
今回もまた、本当に知らないことばかりでした。
いろいろと知ることができて、とても勉強になりました。

「人に歴史あり」
組織にも歴史あり…
歴史を踏んで今がある――

だからこそ、
今を輝かせるためには
「元一日」を振り返るということが不可欠なのでしょう。

ということで――
今回は「深川大教会」初期の歴史の勉強でした。

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

天理教 各教会の歴史探索(第1回)【郡山大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】初回である今回は、『天理教事典』に記載された「郡山大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第2回)【兵神大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】2回目である今回は、『天理教事典』に記載された「兵神大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第3回)【山名大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】3回目である今回は、『天理教事典』に記載された「山名大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第4回)【船場大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】4回目である今回は、『天理教事典』に記載された「船場大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第5回)【河原町大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】5回目である今回は、『天理教事典』に記載された「河原町大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第6回)【撫養大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】6回目である今回は、『天理教事典』に記載された「撫養大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第7回)【東 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】7回目である今回は、『天理教事典』に記載された「東 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第8回)【敷島大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】8回目である今回は、『天理教事典』項目 及び その他ネット上で見つけた「敷島大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第9回)【日本橋大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】9回目である今回は、『天理教事典』に記載された「日本橋大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第10回)【高安大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】10回目である今回は、『天理教事典』に記載された「高安大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第11回)【南海大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】11回目である今回は、『天理教事典』に記載された「南海大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第12回)【芦津大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】12回目である今回は、『天理教事典』に記載された「芦津大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第13回)【高知大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】13回目である今回は、『天理教事典』に記載された「高知大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第14回)【北 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】14回目である今回は、『天理教事典』に記載された「北 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第15回)【湖東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】15回目である今回は、『天理教事典』に記載された「湖東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第16回)【甲賀大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】16回目である今回は、『天理教事典』に記載された「甲賀大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第17回)【水口大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】17回目である今回は、『天理教事典』に記載された「水口大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第18回)【中河大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】18回目である今回は、『天理教事典』に記載された「中河大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第19回)【名京大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】19回目である今回は、『天理教事典』に記載された「名京大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第20回)【中和大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】20回目である今回は、『天理教事典』に記載された「中和大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第21回)【櫻井大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】21回目である今回は、『天理教事典』に記載された「櫻井大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第22回)【筑紫大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】22回目である今回は、『天理教事典』に記載された「筑紫大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第23回)【越乃國大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】23回目である今回は、『天理教事典』に記載された「越乃國大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第24回)【名東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】24回目である今回は、『天理教事典』に記載された「名東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第25回)【麹町大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】25回目である今回は、『天理教事典』に記載された「麹町大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第26回)【日光大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】26回目である今回は、『天理教事典』に記載された「日光大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第27回)【飾東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】27回目である今回は、『天理教事典』に記載された「飾東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第28回)【東本大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】28回目である今回は、『天理教事典』に記載された「東本大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第29回)【嶽東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】29回目である今回は、『天理教事典』に記載された「嶽東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第30回)【島ヶ原大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】30回目である今回は、『天理教事典』に記載された「島ヶ原大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第31回)【堺 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】31回目である今回は、『天理教事典』に記載された「堺 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第32回)【御津大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】32回目である今回は、『天理教事典』に記載された「御津大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第33回)【城法大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】33回目である今回は、『天理教事典』に記載された「城法大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第34回)【生野大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】34回目である今回は、『天理教事典』に記載された「生野大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第35回)【東愛大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】35回目である今回は、『天理教事典』に記載された「東愛大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第36回)【本島大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】36回目である今回は、『天理教事典』に記載された「本島大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第37回)【牛込大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】37回目である今回は、『天理教事典』に記載された「牛込大教会」についての説明を書き写しました。

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