天理教 各教会の歴史探索(第43回)【神川大教会】『天理教事典』より

「神川大教会」事典書写アイキャッチ画像 天理教各教会歴史

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

今回も、
『天理教事典』(1977年版)に記載された
各大教会の歴史、流れをそのまま書き写す
【天理教 各教会の歴史探索シリーズ】です。

私の教会にあるもの👇(=当シリーズ参考資料)

最新版👇

このシリーズを始めた理由については、
当シリーズ初回記事の冒頭に記述しています。

前回は、
教会番号42番「社 大教会」の『天理教事典』記述を書写して
その歴史を勉強しました。

今回は、
教会番号43番「神川大教会」について勉強します。

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神川大教会(かみかわ だいきょうかい)

神川大教会Googleストリートビュー①
Googleストリートビュー より

多鹿清長 初代会長の入信(明治22年)

初代会長に就任した 多鹿清長は、
20歳頃、脳充血にて出直し、
一度 棺桶に入れられたが、
天理教の布教師の「おさづけ」により、
再び 生きかえった という。

その後、(多鹿清長は)
北分教会 部内所属 教師・広岡藤吉の教えを聞いて、
明治22年 2月5日、教導職試補となった。

(そして)
引き続き、3月1日から 布教に従事(した)。

富田出張所の設置=神川大教会のはじまり(明治22年頃〜明治26年)

その後、(多鹿清長は)
広岡(藤吉)と意見を異にし、退講。

河内国 高安郡八尾町 真理組 講元・吉井捨吉のもとに入り、
(多鹿清長は)
自ら「真理講」第2号の講元となった。

(そして 多鹿清長は)
加西郡在田村(現 加西市)を中心に根を下ろして 布教に励んだ。

その後、(布教の結果)
神東郡(現 神崎郡)宍粟郡にまで 教勢が進んだ(のだった)。

明治24年(1891) 10月(には)、
集談所を設置(するところにまで及んだ)。

(そのような具合で)
各地の信者が 日に日に増加したため、
富田村畑に、土地家屋を買い求めて、
明治26年(1893) 2月26日、
「富田出張所」を設置した(のであった)。

この日を
「神川大教会」の設立年月日とする。

教第238号(『おさしづ』あり)
設置場所は、
兵庫県 加西郡 富田村之内畑92番地(である)。

多鹿清長 初代会長時代(明治26年〜明治35年)

富田出張所の移転〜神殿建築(明治25年頃〜明治29年頃)

(教勢は拡大を重ね)
明治25年頃からは、
山陰地方への布教も実を結ぶようになった。

(そうなってくると)
教勢を考えた場合、
上記の(兵庫県) 富田村では、
どうしても 不便であった。

そこで、種々 土地をさがし求めた。

(その結果)
明治26年 4月、
神西郡(現 神崎郡)長谷村重行に 土地家屋を求め(る段取りが整い)、
同年(明治26年) 6月8日、
本部より、許しを得た。

しかし、その後、
上記地は不都合との理由で、
(残念ながら 移転は) 取り止めとなった。

(様々な紆余曲折の結果)
同年(明治26年) 8月、
(兵庫県) 神東郡 川辺村西川辺1092に 地を定めて、
出張所の移転の準備を進め(ることとなり)、
明治27年 1月8日 
(その)設置を 地方庁へ出願。

(その結果、無事に)認可された(のであった)。

明治28年 3月14日、
(ご本部より) 出張所移転の許しを得て、
6間に7間の神殿建築に とりかかった。

当時に於ける 新設 部内教会は、
「宍染」「聖山」である。

約1ヵ年にして、神殿が完成(した)。

神川支教会の設立(明治29年)

明治29年 4月9日、
「神川支教会」となった。

明治29年4月9日、
「神川支教会」鎮座祭開筵式執行。

場所は、
兵庫県神東郡 川辺村西川辺字的場465番地(だった)。

明治29年における 新設 部内教会は、
「明水」「養徳」「神平」 「野間谷」(である)。

多鹿清長初代会長の辞職・出直し(明治31年)

その後、
事情 (教会建築の債務) があり、
(多鹿清長)会長、身の置き所なく、
明治31年 3月7日 辞職。

(多鹿清長は)
明治35年(1902) 4月9日(に)、
45歳にて 出直した。

在職 (期間は)  6年3ヵ月であった。

安富常次郎2代会長時代(明治31年〜明治32年頃)

明治31年 6月15日、
2代会長に 安富常次郎が就任した。

(安富常次郎は)
初代・多鹿清長 会長 当時の役員にして、
加西郡 富田村畑出身であった。

当面 打開に努めたが、
努力の甲斐なく、且つ 道を迷い 
明治32年末頃、僅か1年余で 辞任した。

安富常次郎2代会長の出直し(明治42年)

(そして 保富常次郎は)
明治42年 12月22日、54歳で出直。

在職 (期間は) 1年10ヵ月(だった)。

この間、
明治31年に「神畑」「山龍」(が)新設認可(された)。

田中松次郎3代会長時代(明治32年頃〜明治35年)

初代(多鹿清長) 及び 2代(安富常次郎)も 
事情により 会長辞任し、教会を離れ、
後に残るものは、いずれも裸一貫にて 資産なく、
この難局を乗り越える事が 出来なかった。

(そのため 一同は)
上級の中河教会長・田中松次郎に
神川支教会の会長兼務を願い出て、
(それが受け入れられ、)
(上級の中河教会長・田中松次郎が)
(神川支教会の)3代会長となった。

明治34年(には)「神勢」(が) 新設(された)。

燒山善治4代会長時代(明治35年〜大正3年)

明治35年 2月18日、
4代会長に 燒山善治が就任した。

燒山善治は 
宍粟郡 染河内村 助役にして 人望があり、
(多鹿清長)初代会長時代より 
会計等を勤めていた役員だった。

(燒山善治は )
役員会において(会長に)推薦され、
(田中松次郎)3代会長の後を引き継いで 就任。

(就任後は)
専ら 債務整理に献身した。

支教会から神川分教会への昇格(明治42年〜大正3年)

明治42年(1909) 1月18日、
(支教会から)
(神川)分教会に 昇格。

明治41年(に)「北養」
明治42年(に)「平岡」
以上が 新設された。

燒山善治4代会長の出直し(大正4年)

(燒山善治は) 
大正4年 9月1日、72歳にて出直。
在職(期間は) 12年3ヵ月(だった)。

燒山久吉5代会長時代(大正3年〜大正8年)

大正3年 5月14日、
5代会長に 燒山久吉が就任(した)。

(燒山久吉は)
染河内村の村政に 多大の貢献をなし、
村長総代という役を果たすなど、
社会的にも 広く活躍をした(のであった)。

(燒山善治)4代会長である父の跡を継ぎ、
(燒山久吉は)
5代会長として、
初代からの難問題を整理解決したが、
感冒に罹り、
大正8年(1919) 2月21日、
(惜しまれながら) 52歳にて 出直(した)。

在職(期間は) 4年10ヵ月(だった)。

大正4年(に)「春日野」「室津」
大正5年(に)「千種」
以上が 新設された。

燒山善一6代会長時代(大正8年〜昭和19年)

大正8年 4月25日、
(燒山久吉)5代会長の出直にともない、
6代会長に 長男・(燒山)善一が 就任した。

幼少の頃より天理教の教えの中で育まれ
天理中学校を卒業した(燒山)善一(6代会長)は、
29歳で 会長に就任。

教祖40年祭 教会倍加運動に身命を賭し、
39ヵ所を新設し 大教会昇格の基礎を作った。

昭和15年 2月3日、(分教会から) 大教会へ昇格。
昭和16年(に) 真柱を迎えて 昇格奉告祭を執行(した)。

昭和19年 5月14日、
(燒山善一)6代会長は
在職20年 1ヵ月で 出直した。

大正9年(に)「聖明」「聖神」、
同(大正)11年(に)「神玉」「神清」、
同(大正)12年(に)「明親」「神津浜」「神飾」「河崎」、
同(大正)13年(に)「聖北」「聖鳥」「神安」「神高」「神荘」「神鶴」、
同(大正)14年(に)「明布」「瀬加」「西養」「神凍」「神孝」「神忠」 「聖湖」、
昭和5年(に)「春慕」、
同(昭和)8年(に)「宍津」、
同(昭和)10年(に) 「徳多可」「平神」「六勢」、
同(昭和)14年(に)「聖東」、
同(昭和)15年(に)「神藤」「聖大」「東姫」、
同(昭和)16年(に)「網庫」「津城」「神種」「神静」、
同(昭和)17年(に)「誠華」「大倉山」 「務古郷」「島鶴」、
同(昭和)18年(に)「神東養」
以上が 新設された。

燒山善之助7代会長時代(昭和19年〜昭和22年)

昭和19年 9月5日、
7代会長に 燒山善之助が就任した。

6代会長・燒山善一が出直し、
その子・祐二(9代会長)が 年少であるため、
おじにあたる(燒山)善之助が、
72歳の老齢の身もいとわず、
大教会長の責任を引き受けた。

第2次世界大戦で、
部下教会17ヵ所が 焼失したが、
(燒山善之助7代会長は)
その復興に勤めきった。

昭和22年(1947) 3月21日、75歳にて出直。
在職(期間は) 2年6ヵ月(だった)。

(前任の)平岡分教会長の在職(期間)は 36年3ヵ月(だった)。

岸口武義8代会長時代(昭和22年〜昭和30年)

昭和22年11月26日、
8代会長に 岸口武義(が)就任(した)。

岸口(武義)は
昭和9年、21歳にて
岡山で単独布教。

翌(昭和)10年 軍務に服役し終戦を迎え、
大教会事務に専念。

(燒山善之助)7代会長の出直しの後、
(燒山)祐二が 大教会長に就任するまでの間、
大教会長として勤めた。

この間、
詰所建築 (昭和23年詰所購入して中河詰所より分離。昭和27年第2回目新築)
部内教会復興に全力を注ぎ、

昭和30年 11月辞職して、
その責を燒山祐二にゆずった。

在職(期間は) 8年(だった)。

昭和22年(に)「神旭」、
同(昭和)24年(に)「神多美」「北条町」「明勢」、
同(昭和)26年(に)「東宍染」「公光」「長橋」、
同(昭和)28年(に)「 神聖立」「中神」
以上が 新設された。

燒山祐二9代会長時代(昭和30年〜昭和48年頃)

昭和30年11月28日、
9代会長に 燒山祐二(が)就任(した)。

(燒山善一)6代会長の長男で、
その成人を待ち望まれていた(燒山)祐二が 28歳になり、
教祖70年祭には 是非 大教会長に
との 全部内の要望で、
教祖70年祭を僅か2ヵ月後にひかえた 
昭和30年 11月に就任(した)。

それ以来 部内教会の内容充実に励み、
また、明治28年以来の神殿が老朽化したため、
昭和46年に(は) 大教会移転建築に着工(した)。

昭和48年 10月3日、
移転建築落成奉告祭、及び 創立80周年記念祭を執り行い 現在に至る。

昭和34年(に)「北千歳」、
同(昭和)40年(に)「神春」「神菊」、
同(昭和)41年(に)「悟」、
同(昭和)47年(に)「北大洋」「春丹」、
同(昭和)48年(に)「鶴真男」「北豊園」
以上が 新設された。

毎月「大教会通報」を発行(している)。

〔現住所〕〒679-2315 兵庫県神崎郡市川町西川辺858 
〔電話〕0790-26-0019

(昭和50年12月31日調「天理教統計年鑑」昭和50年度版)

(『天理教事典』1977年版 P,204〜205)

おわりに

神川大教会Googleストリートビュー④
Googleストリートビューより

天理教各大教会の歴史を知りたいとの思いで始めた
天理教 各教会の歴史探索シリーズ】。

43回目の今回は、
「神川大教会」初期の歴史を勉強しました。

当シリーズの 参考教材は『天理教事典』の【1977年版】。

とても古い資料なので、
記載内容も 1970年代以前までとなっており、
かなり昔の歴史にとどまっています…

しかし、私が知りたいのは 各大教会の初期の歴史。
十分 私のニーズは満たされるので、
そのまま書写し続けております (^_-)-☆

神川大教会Googleストリートビュー③
Googleストリートビューより

天理教 各教会の歴史探索シリーズ】43回目の当記事では
『天理教事典』の中の「神川大教会」についての記述を書き写して勉強しました。

神川大教会は、中河大教会から分かれた大教会ですね。
中河大教会については、以前勉強して記事を投稿しました。

私は、【天理教 各教会の歴史探索シリーズ】の中で、
天理教の大教会初期の歴史というものを
『天理教事典』1977年版のみ、、で勉強しようとしています。

(そもそも、一つの資料のみで間に合わせようというところに無理が… (^^;)

で、今回は
「神川大教会」初期の歴史を知ろうとしているわけなのですが、
『天理教事典』1977年版
「神川大教会」解説文は、
本当に 大まかな事歴を サラッと記述してあるだけでしたので、
正直なところ
わからない点が多くありました。

まず 最初わからなかったのは、
中河大教会との関係性についてでした。

神川大教会は
中河大教会から分かれた大教会ということですが、
『天理教事典』1977年版の解説文の中では、
中河大教会との関わりについての記述が
あまりありません。

初代の多鹿清長先生は、
一度 棺桶に入れられたのを
天理教の布教師の「おさづけ」により生きかえられて(‼︎)
その後
「北分教会」所属の 広岡藤吉先生から 教えを聞いて 入信された。

(棺桶に入っていたところ、おさづけで生き返った! (゚o゚;;)
みんなビックリしたでしょうね…)

しかし、その後、
広岡先生と意見を異にして袂を分かたれ、
河内国の吉井捨吉先生の「真理講」に入られた。
そして、そこを拠点として布教に励まれ
「富田出張所」を設置。

その「富田出張所」が発展して「神川大教会」になった。

初代の多鹿清長先生は、
最初「北分教会」の広岡藤吉先生の所に身を寄せていた
と書かれてありましたから、
神川大教会って北大教会の部内?
と 勘違いしそうになりました。

しかし、解説文をよく読むと、
広岡藤吉先生の所は 意見の相違があり 離れて、
河内国の「真理講」に身を寄せた、
との記述が…

吉井捨吉先生の「真理講」というのが
中河大教会の一部だったのでしょうね。

だから、
神川大教会は 中河大教会の部内ということなのだろう…
『天理教事典』1977年版の短い記述のみで勉強する私は、
そのように理解したのでありました。

それにしても、
「神川大教会」初期の歴史の中に、
明治29年 神川支教会開設後、
多鹿清長初代会長が 開設6年3ヵ月後(明治31年)、
安富常次郎2代会長は その1年10ヵ月後(明治32年)、
短期間で  2代続けて会長が辞職する、
という大きな節があった とは知りませんでした。

支教会が認可されて、さぁこれから…
という時に、
その芯となる会長さんが辞職! 2代続けて…

『天理教事典』1977年版の中には、その理由を

【初代】→事情(教会建築の債務)があり、(多鹿清長)会長、身の置き所なく、明治31年 3月7日辞職。

【2代】→ 当面 打開に努めたが、努力の甲斐なく、且つ 道を迷い、明治32年末頃、僅か1年余で 辞任。

と 短く記載してあるだけでした。

おそらく その背景には、
『天理教事典』1977年版の短い記述では書き切れないような
やむを得ない 複雑な事情があったに違いありません。

どのような事情があったのかわかりませんし、
知る必要のないことかもしれません。

ただ、
当時、そこを拠り所としてこの道を歩んでおられた、
残された方々の心境はどんなものだっただろうか…
と想像すると、心が痛みます。
道を離れられた方も少なくなかったのではないか…
という気がします。

神川大教会写真①
ホームメイト・リサーチ 旅探天理教神川大教会 より

そのような複雑な事情を抱えながら滑り出した「神川大教会」。

しかし、その後、
上級・中河大教会の田中松次郎先生の兼務会長を挟んで、
燒山善治先生が その後を受け継ぎ、
苦しく困難な事情を乗り越え、
見事に「神川支教会」を立て直され、
そして今に至られている!

私は、神川大教会へ行ったことがなく、
今回「神川大教会」の外観を、
Googleストリートビューで初めて拝見しました。

Googleストリートビューの写真で見ただけで何かを語るのは気が引けますが、
私は、その写真の中に、
初期の苦難の節を乗り越え 節から芽を出された、
関係者の皆様の誠真実が見事に結実した 壮大な姿を見ました。

そのことは、
初期の混乱を乗り越えて人々を惹きつけるほどの魅力が
神川の道の中にあったことを示している、
そう思いました。

教話の中でよく耳にする
「先人ありて今の道」
というお言葉を、改めて噛み締めています。

神川大教会Googleストリートビュー②
Googleストリートビュー より

その他にも知らないことばかりでしたが、
今回もまた、
書き写しを通して いろいろと知ることができました。

とても勉強になりました。

「人に歴史あり」
組織にも歴史あり…
歴史を踏んで今がある――

だからこそ、
今を輝かせるためには
「元一日」を振り返るということが不可欠なのでしょう。

ということで――
今回は「神川大教会」初期の歴史の勉強でした。

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

天理教 各教会の歴史探索(第1回)【郡山大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】初回である今回は、『天理教事典』に記載された「郡山大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第2回)【兵神大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】2回目である今回は、『天理教事典』に記載された「兵神大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第3回)【山名大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】3回目である今回は、『天理教事典』に記載された「山名大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第4回)【船場大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】4回目である今回は、『天理教事典』に記載された「船場大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第5回)【河原町大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】5回目である今回は、『天理教事典』に記載された「河原町大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第6回)【撫養大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】6回目である今回は、『天理教事典』に記載された「撫養大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第7回)【東 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】7回目である今回は、『天理教事典』に記載された「東 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第8回)【敷島大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】8回目である今回は、『天理教事典』項目 及び その他ネット上で見つけた「敷島大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第9回)【日本橋大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】9回目である今回は、『天理教事典』に記載された「日本橋大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第10回)【高安大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】10回目である今回は、『天理教事典』に記載された「高安大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第11回)【南海大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】11回目である今回は、『天理教事典』に記載された「南海大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第12回)【芦津大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】12回目である今回は、『天理教事典』に記載された「芦津大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第13回)【高知大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】13回目である今回は、『天理教事典』に記載された「高知大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第14回)【北 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】14回目である今回は、『天理教事典』に記載された「北 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第15回)【湖東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】15回目である今回は、『天理教事典』に記載された「湖東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第16回)【甲賀大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】16回目である今回は、『天理教事典』に記載された「甲賀大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第17回)【水口大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】17回目である今回は、『天理教事典』に記載された「水口大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第18回)【中河大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】18回目である今回は、『天理教事典』に記載された「中河大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第19回)【名京大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】19回目である今回は、『天理教事典』に記載された「名京大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第20回)【中和大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】20回目である今回は、『天理教事典』に記載された「中和大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第21回)【櫻井大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】21回目である今回は、『天理教事典』に記載された「櫻井大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第22回)【筑紫大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】22回目である今回は、『天理教事典』に記載された「筑紫大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第23回)【越乃國大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】23回目である今回は、『天理教事典』に記載された「越乃國大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第24回)【名東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】24回目である今回は、『天理教事典』に記載された「名東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第25回)【麹町大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】25回目である今回は、『天理教事典』に記載された「麹町大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第26回)【日光大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】26回目である今回は、『天理教事典』に記載された「日光大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第27回)【飾東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】27回目である今回は、『天理教事典』に記載された「飾東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第28回)【東本大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】28回目である今回は、『天理教事典』に記載された「東本大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第29回)【嶽東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】29回目である今回は、『天理教事典』に記載された「嶽東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第30回)【島ヶ原大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】30回目である今回は、『天理教事典』に記載された「島ヶ原大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第31回)【堺 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】31回目である今回は、『天理教事典』に記載された「堺 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第32回)【御津大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】32回目である今回は、『天理教事典』に記載された「御津大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第33回)【城法大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】33回目である今回は、『天理教事典』に記載された「城法大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第34回)【生野大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】34回目である今回は、『天理教事典』に記載された「生野大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第35回)【東愛大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】35回目である今回は、『天理教事典』に記載された「東愛大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第36回)【本島大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】36回目である今回は、『天理教事典』に記載された「本島大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第37回)【牛込大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】37回目である今回は、『天理教事典』に記載された「牛込大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第38回)【深川大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】38回目である今回は、『天理教事典』に記載された「深川大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第39回)【浅草大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】39回目である今回は、『天理教事典』に記載された「浅草大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第40回)【西陣大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】40回目である今回は、『天理教事典』に記載された「西陣大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第41回)【大縣大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】41回目である今回は、『天理教事典』に記載された「大縣大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第42回)【社 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】42回目である今回は、『天理教事典』に記載された「社 大教会」についての説明を書き写しました。

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