天理教 各教会の歴史探索(第46回)【明和大教会】『天理教事典』より

「明和大教会」事典書写アイキャッチ画像 天理教各教会歴史

Dear everyone,

こちらは、
ふらふら彷徨う「さまよい人」による
『さまよいブログ』
= 彷徨う新米教会長の【自己学習ノート】です。

今回も、
『天理教事典』(1977年版)に記載された
各大教会の歴史、流れをそのまま書き写す
【天理教 各教会の歴史探索シリーズ】です。

私の教会にあるもの👇(=当シリーズ参考資料)

最新版👇

このシリーズを始めた理由については、
当シリーズ初回記事の冒頭に記述しています。

前回は、
教会番号45番「西宮大教会」の『天理教事典』記述を書写して
その歴史を勉強しました。

今回は、
教会番号46番「明和大教会」について勉強します。

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明和大教会(めいわ だいきょうかい)

明和大教会Googleストリートビュー①
Googleストリートビュー より

明和大教会の成り立ち

明和大教会は、敷島大教会から分離昇格したものである。

当初の「明和出張所」は、
心勇講に始まる「城島分教会」直轄信徒講社のおよそ半数が相寄り、創設されたものである。

「城島分教会」直轄信徒の事務取扱い所、開設(明治32年頃)

心勇講が「城島分教会」として設置の許しをうけた 明治23年頃、
その直轄信徒は、奈良県磯城郡を中心に 高市、宇陀の各郡に点在し、
それらの信者はおびただしく増加して、大字ごとに講を結んでいた。

明治32年ごろには 戸数にして800戸近く、
信者数 じつに千数百、
改式した者でも 137戸におよんだ。

激増する信者のために (城島)分教会の事務は繁雑となり、
信者の一人ひとりに目が届かないようになった。

そこで、
直轄信徒だけでも取り扱う事務所を設けては、
という勧めが (城島)分教会からあった。

そこで 主な人々が相談した結果、
奈良県 磯城郡 城島村 大字外山に
城島分教会 直轄講社 事務所が開設された。

(城島)分教会の指名により
初瀬町出雲の講元・清水虎次郎、城島村川合の講元・村田五良平が
事務整理員として 事務全般の監督に当たり、
各大字の講元 および 周旋方の者が
5名ずつ 5日交替で 付近一帯の布教に当たった。

城島分教会直轄信者による教会設置運動〜紛糾(明治32年頃)

明治32年 陰曆正月、
一時、事務が中止のやむなきに至ったが、
多数の燃えるような求道心により、
むしろ 一層 各自の信仰に筋金を入れる結果となり、
再興の会合を開いて 再三協議の結果
「いっそのこと、教会を設置しては・・・」
という意見が出た。

ひと口に教会設置といっても、
「城島分教会」直轄信徒は 
多数 かつ 広範にわたっている。
(奈良県磯城、高市、宇陀の各郡をはじめ京都府伏見町、香川県坂出町におよぶ)

教会が いずれの地に置かれるかは
各地域の講社の信者にとって 重大な意味をもつ。

協議が繰り返されたが まとまらない。

そこで 投票によって決めることになり、
各講元が投票、開票の結果、
城島村川合の 村田五良平宅が選ばれた。

しかし、これとて
遠隔の講社から異論が出て、
せっかく選定された場所の問題は 暗礁にのった。

城島分教会直轄信者による教会設置、東西分割案での妥結(明治32年頃〜明治33年頃)

そこで、
地理的に、多武峰谷から上街道を南北に結ぶ線を中心として
東と西に二分できるところから
「東部」と「西部」に分離したのであった。

即ち、
初瀬町、朝倉村の全域と 城島村大字外山、同(城島村)忍阪 および 京都府 伏見町の直轄講社は「東部」。

桜井町、安倍村、香久山村、耳成村、織田村、八木町の全域と 城島村 大字川合、同(城島村) 戒重、および 香川県 坂出町の直轄講社は「西部」となった。

ただし
境界線になる多武峰村(通称 多武峰谷) の村々は 双方の布教の腕しだい
ということになった。

この「西部」こそ
のちの【明和大教会】であり、
「東部」は 敷島部属・長谷川分教会の前身
ということになる。

城島分教会 直轄信者・西部組による 戒重事務所の開設(明治33年)

「東がついてこないのなら、決まったことは 西部だけでも遂行しよう」
と 村田五良平 はじめ 福住宗治、森本久吉、森井孫平、栄島磯吉、清水源三郎、杉本由松、田村岩吉、山下源治郎、南田弥三郎、下田宇造、西田久治郎
などの「西部」の講元たちは、教会設置に動いた。

まず、毎月15日を説教日と定め、
村田五良平宅に集まって 教理の研究を重ねた。

明治33年 8月1日、
教会設置の準備として 
城島村 大字 戒重かいじゅうの 岡村忠三郎 の離れ座敷を借り受けて
直轄信徒「戒重かいじゅう事務所」が設けられ、
前記12名の講元が役員となって 事務を開始した。

同時に
白熱的な信仰の 清水源三郎は、
香久山村 大字 南浦の家(本屋、納屋、門長屋) 田3反3畝、畑4反3畝、山林など全財産を献納して、
一家をあげて (戒重かいじゅう)事務所へ引越し、住み込んだ。

明和出張所の開設(明治34年)

明治34年 4月11日、
西部の人々の努力が実を結び、
村田五良平を担任として「明和出張所」の許しを得た。

設置された教会の土地は
村田五良平 所有の 城島村 大字川合字笠取25、26番地などの 計 5反9畝23歩であるが、

嗣子・村田卯平は
「父・五良平を担任にするのならば、村田家の財産は 半分しか献納いたしません。他の方が担任を持って下さるのなら 全部つくします。担任を持ちたさに財産を全部お供えしたとあっては、御先祖に申しわけありません」
と、その気持を訴えている。

(村田)五良平も 担任者となるのを極力避け、清水源三郎を推したが、
清水(源三郎)も「私は その任でない」と辞退。

結局、敷島分教会の指名によって (明和出張所の初代会長は) 村田五良平に決まった。

明和出張所の特色

「明和」の特色の一つは、
複数の信者の集合によってできた という創立の経緯である。

いま一つの特色は、
教会設置後の布教の方向である。

近郷近在の布教が活発に行なわれた反面、
すでに 
香川県 小豆郡池田村には 小豆事務所、
(香川県) 綾歌郡坂出町に 坂出事務所、
岡山県 児島郡下津井町に 大畠事務所、
奈良県 宇陀郡三本松村に 三本松事務所
といった 布教の根拠地もできていて
県外の布教も旺盛で、
教会に住み込みの役員が (各事務所へ) 交替で出張した。

ここで問題なのは、
村田五良平はじめ 清水源三郎、森本久吉、福住宗治、栄島磯吉、前川熊次郎 の6家族、
(及び) 西村中治郎、岡井喜之助など 7、8名の青年を抱えて
(明和出張所の) 財政が苦しかった(ということである)

なので、布教も、
昼間は 農作業に従事し (雨天でも米つきなどをして食糧を確保し)
夜、夕勤めが終わってから 30数戸あった講社での祭典や布教活動に出かけ(るという方法で行っ)た。

(そのため)
2里、3里の遠方へ布教に出かけて、未明に教会へ帰ってくる
ということも 日常茶飯であった。

村田卯平2代会長時代(明治38年〜大正9年)

明治38年 8月30日、
(村田五良平) 初代会長 出直の後をうけて、
嗣子・村田卯平が 2代会長に就任(した)

出張所から明和支教会への昇格(明治42年)

明治41年 11月27日、 
天理教一派独立に際して 
従来の
分教会、支教会、出張所、布教所 という教会制度が
大教会、教会、分教会、支教会、宣教所 となり、
敷島分教会が 敷島大教会と改称するにおよんだ。

「明和」も
部属教会数・信徒数など その教勢から、
一躍 分教会に改称して差しつかえなき資格があるとのことであったが、
会長はじめ役員は、ひとまず 支教会に昇格の手続きをとり、
明治42年 2月12日、
(明和出張所から)「(明和)支教会」に 昇格 改称した。

支教会から明和分教会への昇格(明治43年)

それから1年5ヵ月後の 明治43年 7月22日、
「明和分教会」に昇格 改称した。

部属教会は 聖踏、明城、明修、磐余、明保、傳法川 の6宣教所、
教師数 62名、信徒戸数 2,108戸である。

村田卯平2代会長の信条

教会生活についての(村田卯平)2代会長の信条は、
教会屋敷に住み込む者は いずれも「平等」(ということ)であった。

教会が田畑をもち、山林を所有していたのも、
入り込み家族が心を一つに勤めることができるように、
という考えからであった。

それは、
布教によって教会生活が勇めるものも農業に従事することによって勇んでつとめられるものも、同じである、
という考え方による(ものであった)

大正4年には、
教会家族は、村田卯平、清水源三郎、森本久吉、福住宗治、栄島磯吉、前川熊次郎、西村中治郎、岡井喜之助、谷田仙次の 9家族に加え、
松井忠作、下田宇造、田村岩吉、山尾宗九郎の 4家族が増えて、
13家族となった。

村田倉造3代会長時代(大正9年〜昭和31年)

大正9年 3月14日、
3代会長に 村田倉造が就任した。

そして、翌 大正10年 1月の 教祖40年祭の提唱と共に 教勢倍加運動に入るや、
部内教会から各地へ (多くのものが) 単独布教に飛び立ち、
熱心な信者は 教会を設置した。

そのため 大正10年末に 31ヵ所であった部内教会が
同(大正)11年末には 45ヵ所、
同(大正)12年末には 69ヵ所、
同(大正)13年末には 88ヵ所、
同(大正)14年末に至っては 108ヵ所、
そして 
教祖 40年祭が執行された大正15年末には 実に 116ヵ所となった。

分教会から明和大教会への昇格(昭和15年)

昭和15年 2月10日、
明和分教会は 敷島大教会から分離して「(明和)大教会」に昇格(した)。

同時に、
部属の 明城分教会 も、明和分教会から分離して 大教会に昇格した。

教会数は、明和 71、明城 72である。

戦中・戦後の苦労(昭和15年頃〜昭和27年頃)

日華事変から第2次世界大戦にかけては、
(明和)大教会の家族も、部内教会からも次々と召集され、軍需工場に徴用され、
あるいは
「いざひのきしん隊」の名のもとに 炭坑奉仕に動員されて
教会本来の活動は 不可能となった。

昭和17年 6月の田植え時には、
戦時下の農村夫人のために、季節託児所を1ヵ月間開設し、食糧増産の一翼をになった。

また、
昭和18年に第1次の米軍 東京空襲があってからは 日本の大都市の空襲が激しくなり、
本土決戦の色が濃くなった 昭和19年 12月30日、
大阪東成区 深江国民学校の疎開学童を受け入れ 収容した。

終戦後の混乱期に 教祖60年祭を迎えて 信仰の「復元」が叫ばれたが、
さいわい「明和」部内は 一部 戦災に遇った教会も復興し、
教祖70年祭が打ち出された昭和27年(1952)末には 部属教会も 100ヵ所に増加した。

村田保太郎4代会長時代(昭和31年〜昭和42年頃)

そして 教祖70年祭執行の昭和31年 5月26日、
4代会長に 村田保太郎が就任した。

神殿 及び 付属建物のふしん(昭和32年〜昭和36年)

「明和」の神殿は 創立時、
役員の清水家が献納した本屋を 増改築したものであった。

以来50年、
たびたび修築して使用されてはきたものの 
天井は低く 間仕切りの跡の敷居が参拝場の中央にはみ出していて、
月次祭 大祭時は 狹隘で不自由してきた。

昭和32年 11月24日、
世話人・中山為信本部員の指導を得て、
(村田保太郎)大教会長から
「昭和36年の創立60周年を目標に、明春から(ふしんに) 取りかかりたい」
と発表、ふしんの準備に入った。

木造平屋瓦葺179坪8合7勺のふしんは、
ふしん委員42名の任命と共に、
昭和33年 10月24日に 地鎮祭および起工式が行なわれ、
同(昭和)34年 10月24日には 上棟式 
と 着々進工した。

また 同時に 
客間、炊事場、浴場なども建築、庭園なども整備されて、
予定通り 昭和36年 4月15日、
真柱を迎えて 創立60周年記念祭、神殿落成奉告祭が執行された。

(その後)
昭和47年 11月5日に
創立70周年記念祭を迎えた。

〔現住所〕〒633-0063   奈良県桜井市川合254−1 
〔電話〕0744-42-2007

(昭和50年12月31日調「天理教統計年鑑」昭和50年度版)

(『天理教事典』1977年版 P,824〜826)

おわりに

明和大教会Googleストリートビュー③
Googleストリートビューより

天理教各大教会の歴史を知りたいとの思いで始めた
天理教 各教会の歴史探索シリーズ】。

46回目の今回は、
「明和大教会」初期の歴史を勉強しました。

当シリーズの 参考教材は『天理教事典』の【1977年版】。

とても古い資料なので、
記載内容も 1970年代以前までとなっており、
かなり昔の歴史にとどまっています…

しかし、私が知りたいのは 各大教会の初期の歴史。
十分 私のニーズは満たされるので、
そのまま書写し続けております (^_-)-☆

明和大教会Googleストリートビュー④
Googleストリートビューより

天理教 各教会の歴史探索シリーズ】46回目の当記事では
『天理教事典』の中の「明和大教会」についての記述を書き写して勉強しました。

明和大教会は、敷島大教会から分かれた大教会ですね。
敷島大教会については、以前勉強して記事を投稿しました。

明和大教会は、敷島大教会の前身である「城島大教会」【直轄】の信者さんが激増して、事務が煩雑となり 一人ひとりに目が届かなくなったため、直轄の信者さん専用の「事務取扱所」を設けよう… というところから始まったのですね。

最初は単に「事務」を取り扱う所だったのが、皆さんの熱が高まっていって、いっそのこと教会を設置しよう!と盛り上がった。

しかし、城島分教会の直轄信者は広範に散らばっており、どこに教会を設置するか、という所で大いに揉めた。

あれこれ検討する中で、東西に分けて、それぞれで教会を設置したらいいのではないか、というアイディアが出され、それが採用された。

で、その中の「西部」組が、今の「明和大教会」!!
(「東部」組は、敷島部属・長谷川分教会)

…そのような経緯だったのですね。

知りませんでした。

誕生の経緯からすると、地域的な結びつきが強い地域限定グループのような感じがします。

しかし、『天理教事典』1977年版 本文の中にもありましたが、明和大教会は、教会設置初期の早いうちから、香川や岡山方面等の遠方にも信徒の方がたくさんおられたご様子。

南半国だけでなく、日本中の広くあちこちに信徒がおられた。

当時の先生方が、いかに 外へ外へと向かっていく強いエネルギーに満ち溢れていたか、ということがよくわかります。

明和大教会GoogleMapより
GoogleMapより

また、私が今回の書き写しで印象に残ったこと、
それは、村田卯平2代会長の、
教会屋敷に住み込む者は いずれも「平等」だ、という信条です。

教会が 田畑をもち 山林を所有しているのは、
入り込み家族が心を一つに勤めることができるようにするためである、
というのが 村田卯平2代会長の思いだったとのこと。

「布教」によって教会生活が勇むこと、
「農業」に従事することによって勇むこと、
そのどちらにも優劣はない。

教会だからといって、
専ら農作業に従事している者よりも布教専従者の方が偉い、
などということはない。
みんな「平等」だ。

『天理教事典』1977年版「明和大教会」解説文の書き写しを通して、
村田卯平2代会長はそんな考え方を持って実践しておられたのだ、
ということを知りました。

私の中には、
これまでの天理教の教会文化には(見方によっては)不平等と感じられる関係が、「理」という言葉で正当化されている面があるのではないか…という思いがあります。

それだけに、村田卯平先生が、明治後期から昭和初期のお道の空気の中で、このような「平等」を強調する考え方、実践をしておられたということは、当時としては、とても画期的なことだったのではないだろうか、と 私には感じられるのであります。

それと同時に、私は、
今以上に「親ー子」という順序をとても重要視していたであろう当時において、そのようなお道文化に完全同化することなく「平等」を前面に打ち出して活動しておられた村田卯平先生の先見性に、強い敬意を覚えるのであります。

…ちょっと、柄にもなく、わかったふうなことを書いてしまいました。

もしかしたら、私は、全く頓珍漢なことを書いているのかもしれない…と恐れながらも、
いつもの如く、まぁ、ここは自己満足ブログだから…という言い訳を盾にして、このあたりで、さまよい人は サラリとこの場から去って行くのであります (^^;)

いずれにしても、今回もまた 知らないことばかりでした。
書き写しを通して多くのことを知ることができ、有難いことでした。

明和大教会Googleストリートビュー②
Googleストリートビュー より

「人に歴史あり」
組織にも歴史あり…
歴史を踏んで今がある――

だからこそ、
今を輝かせるためには
「元一日」を振り返るということが不可欠なのでしょう。

ということで――
今回は「明和大教会」初期の歴史の勉強でした。

人生、死ぬまで勉強。
今後も、勉強し続けていきたいと思います。

ではでは、今回はこのへんで。

天理教 各教会の歴史探索(第1回)【郡山大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】初回である今回は、『天理教事典』に記載された「郡山大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第2回)【兵神大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】2回目である今回は、『天理教事典』に記載された「兵神大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第3回)【山名大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】3回目である今回は、『天理教事典』に記載された「山名大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第4回)【船場大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】4回目である今回は、『天理教事典』に記載された「船場大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第5回)【河原町大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】5回目である今回は、『天理教事典』に記載された「河原町大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第6回)【撫養大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】6回目である今回は、『天理教事典』に記載された「撫養大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第7回)【東 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】7回目である今回は、『天理教事典』に記載された「東 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第8回)【敷島大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】8回目である今回は、『天理教事典』項目 及び その他ネット上で見つけた「敷島大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第9回)【日本橋大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】9回目である今回は、『天理教事典』に記載された「日本橋大教会」についての説明を書き写しました。

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天理教 各教会の歴史探索(第12回)【芦津大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】12回目である今回は、『天理教事典』に記載された「芦津大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第13回)【高知大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】13回目である今回は、『天理教事典』に記載された「高知大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第14回)【北 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】14回目である今回は、『天理教事典』に記載された「北 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第15回)【湖東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】15回目である今回は、『天理教事典』に記載された「湖東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第16回)【甲賀大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】16回目である今回は、『天理教事典』に記載された「甲賀大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第17回)【水口大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】17回目である今回は、『天理教事典』に記載された「水口大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第18回)【中河大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】18回目である今回は、『天理教事典』に記載された「中河大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第19回)【名京大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】19回目である今回は、『天理教事典』に記載された「名京大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第20回)【中和大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】20回目である今回は、『天理教事典』に記載された「中和大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第21回)【櫻井大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】21回目である今回は、『天理教事典』に記載された「櫻井大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第22回)【筑紫大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】22回目である今回は、『天理教事典』に記載された「筑紫大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第23回)【越乃國大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】23回目である今回は、『天理教事典』に記載された「越乃國大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第24回)【名東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】24回目である今回は、『天理教事典』に記載された「名東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第25回)【麹町大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】25回目である今回は、『天理教事典』に記載された「麹町大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第26回)【日光大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】26回目である今回は、『天理教事典』に記載された「日光大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第27回)【飾東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】27回目である今回は、『天理教事典』に記載された「飾東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第28回)【東本大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】28回目である今回は、『天理教事典』に記載された「東本大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第29回)【嶽東大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】29回目である今回は、『天理教事典』に記載された「嶽東大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第30回)【島ヶ原大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】30回目である今回は、『天理教事典』に記載された「島ヶ原大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第31回)【堺 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】31回目である今回は、『天理教事典』に記載された「堺 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第32回)【御津大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】32回目である今回は、『天理教事典』に記載された「御津大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第33回)【城法大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】33回目である今回は、『天理教事典』に記載された「城法大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第34回)【生野大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】34回目である今回は、『天理教事典』に記載された「生野大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第35回)【東愛大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】35回目である今回は、『天理教事典』に記載された「東愛大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第36回)【本島大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】36回目である今回は、『天理教事典』に記載された「本島大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第37回)【牛込大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】37回目である今回は、『天理教事典』に記載された「牛込大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第38回)【深川大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】38回目である今回は、『天理教事典』に記載された「深川大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第39回)【浅草大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】39回目である今回は、『天理教事典』に記載された「浅草大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第40回)【西陣大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】40回目である今回は、『天理教事典』に記載された「西陣大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第41回)【大縣大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】41回目である今回は、『天理教事典』に記載された「大縣大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第42回)【社 大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】42回目である今回は、『天理教事典』に記載された「社 大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第43回)【神川大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】43回目である今回は、『天理教事典』に記載された「神川大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第44回)【笠岡大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】44回目である今回は、『天理教事典』に記載された「笠岡大教会」についての説明を書き写しました。

天理教 各教会の歴史探索(第45回)【西宮大教会】『天理教事典』より
この記事は、現在の天理教を支えている天理教各大教会の大雑把な歴史を学ぶことを目的として『天理教事典』の大教会情報を教会番号順に書き写す自己学習の足跡です。 【天理教各教会の歴史探索シリーズ】45回目である今回は、『天理教事典』に記載された「西宮大教会」についての説明を書き写しました。

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